F-94 (戦闘機)
F-94 スターファイア
F-94は︵F-94︶はロッキード社が開発した全天候戦闘機である。
しばしば“スターファイアシリーズ”と呼ばれるが、公式の愛称として“スターファイア”(Starfire)の名が与えられているのはC型以降のみである。
F-94Cの主翼に装備されたFFAR12連装ポッド。樹脂製カバー コーンは取り去られている。
武装はA/B型共に機首下面にAN/M3 12.7mm機関銃4基を装備し、B型およびA型の改修機では主翼にAN/M3 2丁を収納したガンポッドの装備が可能となり、武装は12.7mm機関銃合計8丁となったが、対爆撃機戦闘を考慮すると12.7mm機関銃では火力不足であり、20mm機関砲への換装が構想されたが実現しなかった。
C型は機銃を装備せず、機首に24発︵6発装填の発射機4基を内蔵︶搭載したMk4 FFAR マイティ・マウス空対空ロケットを主武装とした。しかし、機首に配置されたロケット弾発射装置は斉射すると発射煙がエンジンに流入して失火︵フレームアウト︶の原因となることが判明し、後期には両主翼中央部に設置されたMk4 FFAR各12発装備のロケット弾ポッド1基、左右計2基を主武装とし、機首の発射装置にはロケット弾を搭載せずに運用された。
エンジンはアメリカ空軍制式機初のアフターバーナー付きに強化され、燃料消費量が増加したため、主翼端の増槽︵チップタンク︶は大型化された。
朝鮮戦争勃発とほぼ同時の1950年5月に配備開始、夜間撃墜を記録している。空軍では1959年まで使用され、その後は空軍州兵に回された。練習機やチェイス機としても使用された。
概要[編集]
第二次世界大戦においては、機載レーダーの実用化により、本格的な夜間戦闘機が実用化の域に達した。大戦の終結後、冷戦下の開発競争は夜間戦闘機のジェット化も促した。レシプロ機のF-61、F-82F/G型が旧態化した折、ソ連は1949年に核実験を成功させ、大戦中に抑留したB-29を解析したコピー機であるTu-4を実戦配備したことから、ソ連側によるアメリカへの核攻撃の危機が顕在化し、これらを要撃すべき夜間︵全天候︶ジェット戦闘機の開発は米空軍にとって喫緊の要請になった。 技術的にレーダーの操作と操縦を一人の要員でこなすことは難しかったため、パイロットとオペレーターの2名が必要なことから、複座機が好ましく、1948年3月に進空したばかりのジェット練習機TP-80C︵後のT-33︶をベースに夜間戦闘機が開発されることとなった。TP-80の改造試作機は1949年4月16日に初飛行した。試作機の名称は当初ETF-80Cであったが、YF-94の名で仮発注を受け、量産契約は1949年11月に結ばれた。 大出力レーダー︵AN/APG-33︶と火器管制装置︵ヒューズ E-1︶、射撃コンピュータ︵スペリー A-1C︶、地上データリンク、無誘導空対空ロケットを装備した。レーダーアンテナは機首に装備し、インテイクは原型のT-33と同じく胴体脇にある。主翼は低翼配置の直線翼である。- 発達系譜
P-80A/B / F-80A/B | 戦闘機 |
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P-80C / F-80C | 改良型 |
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| TF-80C / T-33 | 練習機 |
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| F-94 | 夜間戦闘機 | T2V / T-1 | 艦上練習機 | |||||||||||||||||||||