ドイツ文学(読み)どいつぶんがく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドイツ文学」の意味・わかりやすい解説

ドイツ文学
どいつぶんがく


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ドイツ文学の歩み

中世

中世前期の文学は、圧倒的にキリスト教に基づくラテン語文学で、担い手は僧侶(そうりょ)である。その中で古高(ここう)ドイツ語による武人叙事詩『ヒルデブラントの歌』(850ごろ)が異彩を放つ。ゲルマン叙事詩の通例として頭韻(アリタレーション)が用いられている。9世紀中葉の僧オトフリート・フォン・ワイセンブルクの作である『福音の書』では、近代に至るまでドイツ詩でよく用いられる行末韻、四行一詩節構成がすでに使われている。1050年ごろから文学活動は活気を加え、第二次十字軍(1147~49)以降、宗教文学よりも世俗文学が優勢となる。

[樋口大介]

第一次最盛期(1190~1230)

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神秘主義

後世の文学に底流としての影響力をもった点で、神秘主義は見逃しえない。男性ではエックハルト(1260ごろ―1328)、タウラー(1300ごろ―1361)、ゾイゼHeinrich Seuse(1295ごろ―1366)ら、女性ではヒルデガルト・フォン・ビンゲンHildegard von Bingen(12世紀)やメヒティルト・フォン・マクデブルクMechthild von Magdeburg(1207―1282)らの教説である。神が恩寵(おんちょう)によって人の内面のすみずみまで行きわたるという体験は、個人が仲介者もなく原罪の重荷に打ちひしがれることもなく神と交わるという敬虔主義(けいけんしゅぎ)を通して、ゲーテ時代の文学の酵母となる。また神秘主義の源流となっているプラトニズムにおける現象界とイデア界の二分、神秘主義における肉に属するもの(感性界)と霊に属するもの(神との神秘的な合一)の二分は、宗教から離れていきつつも、近代ドイツ文学の重要な人々に受け継がれている。ムシル(1880―1942)は『幼年学校生テルレスの惑い』のなかで、世界は二重であるが、それは「数に実数と虚数がある」のと同じようなかたちである、と述べている。似たような二重性は、リルケやカフカやノサックなどでも重要な表現要素となっている。

[樋口大介]

近世

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第二次最盛期

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19世紀

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第三次最盛期

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1930年以後

ホフマンスタールが「保守革命」を口にするのは1928年である。このことばは、保守派にとっても旧来の宗教や人文主義精神の措辞によっては自らの重んじる価値を支えきれず、政治化してゆく様相を暗示している。小説家のアンデルシュ(1914―80)は、1930年に青年であった者にとって、コミュニズムかナチズムか、どちらかに組みするほか道はなかった、と語っている。ニーチェは、人間にとって大切なのは宗教と哲学と芸術であると主張したが、1930年代ははっきり、そうではなく政治と経済とプロパガンダ(宣伝)であると告げた。このことはナチス・ドイツの敗北によって終わったのではなく、90年ごろ、象徴的にはベルリンの壁崩壊をもって一区切りする。20世紀を特徴づけるのは戦争と全体主義の惨禍である。その意味でこの世紀はドイツの世紀であったといってよく、その歴史はいまもドイツ人とドイツ文学のうえに重くのしかかっている。ナチス時代および社会主義ドイツ時代、体制に沿って時流に掉(さお)さした人々は、それぞれの体制崩壊後信憑(しんぴょう)性を失う。内的亡命の立場を貫いたとされる人々にも、とかく疑心暗鬼の目が向けられる。亡命した人々は、亡命せず体制下を生き抜いた人々からみると、縁なき衆生(しゅじょう)に感じられる。どことなく腰の据わらないよそよそしさが、長く文芸のうえにも立ちこめる。

 第二次世界大戦後の西ドイツでは、帰還した兵士に戻るべき家がないことを切なく訴えたボルヒェルト、混乱のなかでその混乱を誠実に克明にとらえようとしたケッペン、北欧風の憂愁をたたえた恋愛小説に佳作をあらわしたノサックらが注目された。批評家リヒターが1947年以降毎年開いた文学者の集まりに加わった人々は、「グループ47」とよばれるが、彼らのなかから目覚しい作品が生まれるのは50年代後半からである。衆目のみるところギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』(1959)がその代表作である。ドイツ人とポーランド人とがともに住むダンチヒ(現グダニクス)を舞台に、3歳で成長を止め、ブリキの太鼓を愛し、甲高い声でガラスを割る超能力を持った少年の目から1933~45年という艱難(かんなん)に満ちた時代をあけすけで克明な語り口で伝え、青春小説・ピカロ小説・戦争小説の三重の厚みを築き上げている。グラスと、もう1人の「グループ47」の重要作家ベルは、次第に作品に作者の価値観を強く持ちこむことになる。その点、東ドイツのゼーガースやフランツ・フューマン(1922―84)らの小説と共通していたといえよう。そのような啓蒙精神の透けてみえる勧善懲悪風の文学に対する反動は、70年代にやってきた。オーストリアのベルンハルトやハントケ、西ドイツの詩人ニコラス・ボルン(1937―1979)、劇作家・小説家ボート・シュトラウス(1944― )らで、いわばドイツ文学における「内向の世代」のおもむきがある。次の1980年代には家族のこと、たとえばナチ党員だった父のことを主題とする小説が盛行した。戦後詩人では、母をナチスに殺されパリに住み続けたユダヤ人で、ぎりぎりまで切りつめられたことばの秘儀にたどり着いていったツェラーン、抒情詩というにふさわしい胸を打つことばを語ったオーストリアのバッハマン、それにアメリカのサブカルチャーにのっとったロルフ・ディーター・ブリンクマン(1940―75)、絶妙なユーモアの持ち主ローベルト・ゲルンハルト(1937―2007)があげられる。

 東ドイツでは、技術と商品の開発に後れをとったぶん、フーヘルやヨハネス・ボブロウスキー(1917―65)のようにラント文学的な抒情詩に優れた詩人が出た。ザーラ・キルシュ(1935― )においては、自然は愛の激情と重なり合う。70年ころから、東ドイツの体制に完全に従順でないがゆえに西ドイツで高く評価され、そのことが東ドイツ内での作家としての声価を高める作用をする、といった逆説的な現象の伴う作家があらわれた。小説のクリスタ・ウォルフ、詩のクンツェ、劇作家のミュラーらである。

 スイスの戦後作家では、「グループ47」に通じる作風のフリッシュと、人間のグロテスクさをあぶりだすデュレンマットが知られている。

 1970年代から80年代にかけては、童話風の物語を書いたエンデ(『モモ』1973)、東ドイツの生活を渋く表現したクリストフ・ハイン(1949― )(『竜の血を浴びて』1982)、ストーリーの楽しさで異色のパトリック・ジュスキント(1949― )(『香水』1985)らが国内外で広く読まれた作家である。

 1990年の東西ドイツ統一後では、健筆のベテラン作家マルティン・ワルザーの『子供時代の弁護』(1991)が好評を博した。第二次世界大戦後、ドレスデンと西ベルリンとに別れて暮らさなければならなかった母と一人息子の細やかな愛情を丁寧に描いている。学んだのはデーブリーン一人だけというグラスに対し、ワルザーは先人作家をよく読み参考にする小説家・戯曲家であり、作家論にも秀れている。近年、世界的に好評を博した作品としてベルンハルト・シュリンク『朗読者』、ダニエル・ケールマン『世界の測量』がある。またドイツ語圏における女性作家の輩出も顕著な現象であり、そのうちオーストリア作家のエルフリート・イェリネックはノーベル賞を受賞した。

[樋口大介]

ドイツ文学の一特質

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日本におけるドイツ文学受容


 日本におけるドイツ文学の紹介には、大まかにいって前後二つの山脈がある。最初の山脈は森鴎外(おうがい)の翻訳で、作家でいえばゲーテを別格としてハウプトマン(自然主義、ベルリン、プロテスタント圏)およびそれぞれ初期のシュニッツラーとホフマンスタール(世紀末唯美主義、ウィーン、カトリック圏)が中心である。第二の山脈は第二次世界大戦後に築かれた。それは文学史的にちょうど鴎外による紹介が終わった時点からあとを引き継いでいる。ホフマンスタールが若き天才抒情(じょじょう)詩人時代に別れを告げる指標である『チャンドス卿への手紙』(1902)あたりを目安に、旧オーストリア・ハンガリー帝国の文学が、表現力でも表現内容でも特別に高い水準に達していたこと、そこではユダヤ系作家の役割が大きかったことが明らかになったのは、ドイツでもようやく戦後になってからである。原田義人(よしと)・川村二郎・中野孝次・古井由吉(よしきち)・柏原兵三(かしわばらひょうぞう)・飯吉(いいよし)光夫その他多くの訳者によって、カフカ、ムシル、ホフマンスタール、ヘルマン・ブロッホ、J・ロート、K・クラウス、第二次世界大戦後のツェラーンらの翻訳が続々と行われた。古井由吉の場合、ムシルやブロッホの訳業と作家としての出発がほぼ同時併行している。

 この二つの山脈の中間に大きな山としてそびえているのが、リルケ、トーマス・マン、ヘッセ、ブレヒトの紹介であろう。リルケの初期作品はすでに鴎外によって訳されているが、それは小説と戯曲であった。翻訳詩が多くの愛読者を得るのはまれなことであるが、リルケは例外であり、茅野蕭々(ちのしょうしょう)、片山敏彦、大山定一(ていいち)、高安国世、富士川英郎(ひでお)(1909―2003)その他の人々の訳詩で親しまれた。愛と死と神について終生辛抱強く思いをめぐらせ、詩の成熟を待った、「詩人」のイメージがぴったりする人であること、「ボヘミア生まれのヨーロッパ人」という形容に表されているように、ヨーロッパの辺境と中心とを重ねて生きているようなリルケの文学が、日本というヨーロッパからは僻遠(へきえん)の地にいて、ヨーロッパの美と芸術に憧憬(しょうけい)を抱いていた読者に深く愛されたのは、自然であった。次に、ヘッセは初め、周囲の無理解に苦しめられる若者を描いた青春小説の作者として迎えられ、次に現代人の寄る辺なき孤独を浮かび上がらせる実存的作家、次にインド的解脱(げだつ)を目ざしたヒッピーのアイドル、次いで田園生活を楽しむ達人ふうの庭師として注目を浴びた。ブレヒトの人気はほぼ共産主義のそれと消長をともにしている。初め政治的急進派に愛されたのはハイネであったが(田岡嶺雲(れいうん)、中野重治(しげはる))、その後もっと現代的で、芝居という効果性の高いジャンルに主として活躍したブレヒトに関心が移った。ピカレスク風のセリフは中世以来の笑劇(しょうげき)やバイエルン地方土着の悪童物語(L・トーマ)に通じ、説教調はキリスト教教導劇に連なり、ところどころに抒情味のあるバラード(物語詩)をはさんで気分を転換し、思想的には左翼であるが題材はロシアよりも多くイギリス、アメリカにとる、そうしたしたたかさが人気の一つの理由であったろう。クルト・ワイルが曲をつけた『三文オペラ』は、親しみやすいメロディーで大ヒットした。

 トーマス・マンが及ぼした影響には二つの面がある。一つは、富裕な市民の家の繁栄と没落を描く『ブデンブローク家の人々』(1901)によるもので、北杜夫(きたもりお)の『楡(にれ)家の人々』(1962~64)はその代表である。他方に、主人公がエピローグでアルプス山中の結核療養所を出て第一次世界大戦に出征する『魔の山』による影響があり、第二次世界大戦に出征していった世代に熱い共感をもって読まれた。森川義信が鮎川(あゆかわ)信夫に宛てた文面にある「僕のことを思ひ出すことがあつたら『魔の山』の一頁を読んでくれたまへ。私の未来は起きてゐても倒れてゐても暗いのだ」は、それをよく伝えている。ちなみにカフカの小説は、安部公房や倉橋由美子によって学ばれたことはよく知られているが、鮎川信夫ら詩誌『荒地(あれち)』の詩人たちにもよく読まれた。北村太郎の詩『K』では、Kはカフカと北村に共通するイニシャルである。

[樋口大介]

『相良守峯著『ドイツ文学史』全2巻(1977・春秋社)』『藤本淳雄ほか著『ドイツ文学史』(1977・東京大学出版会)』『佐藤晃一編『ドイツ文学史』(1972・明治書院)』『手塚富雄編『ドイツ文学』(1962・毎日新聞社)』『J・F・アンジェロス著、原田義人訳『ドイツ文学史』(白水社・文庫クセジュ)』『手塚富雄著『ドイツ文学案内』(岩波文庫)』『H‐J・ゲールツ著、中村英雄ほか訳『ドイツ文学の歴史』(1978・朝日出版社)』『F・マルティーニ著、高木實ほか訳『ドイツ文学史』(1979・三修社)』『古井由吉著『日常の“変身”』(1980・作品社)』『片山敏彦著『ドイツ詩集』(1984・みすず書房)』『グラーザーほか著、織田繁美訳『ドイツ文学の流れ 近代・現代』(1989・芸林書房)』『深見茂編『ドイツ文学を学ぶ人のために』(1991・世界思想社)』『青山南ほか著『世界の文学のいま』(「ドイツ文学」樋口大介執筆、1991・福武書店)』『手塚富雄・神品芳夫著『増補ドイツ文学案内』(1993・岩波書店)』『小沢俊夫編著『ドイツ文学史―ドイツの伝承文学・民衆文学史』(1994・放送大学教育振興会)』『藤本淳雄他著『ドイツ文学史』第2版(1995・東大出版会)』

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改訂新版 世界大百科事典 「ドイツ文学」の意味・わかりやすい解説

ドイツ文学 (ドイツぶんがく)




 19調2

81110︿

1114123調

Reinmar von Hagenau︿

1415Fastnachtsspiel

17Jesuitendrama

18︿2

18調調F.︿

 3J.G.A.

1830調19

1871

201919A.193719調21920︿Gebrauchspoesie

 ︿Episches Theater姿1920F.1960︿Blut-und-Boden-DichtungS.︿

2西19201990西西1960西19506070Wolf Biermann1936- 1950H.G.7060P.70西P.H.使

1880︿︿調191319111883-1946192719171920

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドイツ文学」の意味・わかりやすい解説

ドイツ文学
ドイツぶんがく
German literature

 
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19218201830調19101892
2019241819182711194219272 19506020  

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