ドイツ文学 どいつぶんがく
ド イ ツ 文 学 と は 、 ド イ ツ 語 で 表 さ れ た 文 学 の 意 で あ る 。 国 別 で い え ば 、 ド イ ツ 、 オ ー ス ト リ ア 、 リ ヒ テ ン シ ュ タ イ ン 、 お よ び ス イ ス で は 人 口 の 約 3 分 の 2 が ド イ ツ 語 圏 に 属 す る 。 あ わ せ る と 狭 い ヨ ー ロ ッ パ 大 陸 の 中 で は か な り の 地 域 を 占 め る が 、 第 一 次 世 界 大 戦 後 の オ ー ス ト リ ア ・ ハ ン ガ リ ー 帝 国 の 崩 壊 と ド イ ツ 国 の 縮 小 、 第 二 次 世 界 大 戦 後 の ド イ ツ 国 の 縮 小 に よ り 、 19 世 紀 に 比 べ て 規 模 は 小 さ く な っ て い る 。 こ の ほ か に も ド イ ツ 語 を 話 す 人 々 の 住 む 地 域 は 世 界 各 地 に あ る が 、 長 い ド イ ツ 文 学 の 歴 史 を と ら え る う え で は 無 視 し て よ い 。 ド イ ツ 帝 国 が ア フ リ カ や ア ジ ア に 植 民 地 を 獲 得 し た の は 19 世 紀 も 末 に な っ て か ら で あ り 、 そ れ ら す べ て は 第 一 次 世 界 大 戦 後 に ド イ ツ 統 治 か ら は ず れ た た め 、 旧 植 民 地 地 域 に お け る ド イ ツ 文 学 は 存 在 し な い 。 そ の 点 は 、 英 語 、 ス ペ イ ン 語 、 フ ラ ン ス 語 、 ポ ル ト ガ ル 語 に よ る 文 学 と の 大 き な 違 い で あ る 。 そ れ ゆ え 、 ピ ジ ン ド イ ツ 語 ︵ ピ ジ ン と は 、 異 な る 母 語 間 で の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン の た め 共 通 語 と し て 発 達 し た 言 語 ︶ の よ う な も の も 発 生 し て い な い 。 現 在 、 英 語 の 語 彙 ( ご い ) の ド イ ツ 語 へ の 浸 透 が 著 し い 。 英 語 が 国 際 語 と し て の 地 位 を 確 立 し て ゆ く な か で 、 ヨ ー ロ ッ パ 統 合 が 言 語 面 に ど の よ う な 影 響 を 与 え る か 、 注 目 さ れ る と こ ろ で あ る 。
標 準 語 と し て の ド イ ツ 語 は 、 ど こ か の 大 都 市 の こ と ば が 基 準 に な っ て い る の で は な い 。 標 準 的 な ド イ ツ 語 は 、 高 地 ド イ ツ 語 と い う 南 部 ド イ ツ 語 を 基 底 と し て 、 官 庁 共 通 文 語 や ル タ ー 聖 書 訳 の こ と ば 、 全 国 の 舞 台 共 通 言 語 、 そ し て と り わ け 何 世 紀 に も わ た る 文 人 ・ 知 識 人 た ち に よ る ド イ ツ 語 浄 化 向 上 の 努 力 の 積 み 重 ね に よ っ て 築 き あ げ ら れ た 。 そ れ ゆ え 、 ド イ ツ 文 学 の 特 徴 の 一 つ と し て 、 次 の よ う な 現 象 が あ げ ら れ る 。 す な わ ち ラ ン ト L a n d と い う 単 語 は 、 陸 ・ 土 地 ・ 国 土 ・ 地 方 ・ 田 舎 ・ 行 政 単 位 と し て の 州 、 な ど 多 く の 意 味 で 使 わ れ て い る が 、 ド イ ツ 文 学 で は 必 ず し も 方 言 を 使 わ な く て も ラ ン ト 文 学 が 盛 ん で あ り 、 佳 作 が 多 い と い う こ と で あ る 。 た と え ば 、 自 然 主 義 時 代 を 代 表 す る 作 家 の 一 人 ズ ー ダ ー マ ン は 、 普 仏 戦 争 以 後 急 速 に 経 済 成 長 し て ゆ く ベ ル リ ン を 背 景 に 、 名 誉 の 観 念 を 支 え る も の は も は や 身 分 社 会 的 ・ 騎 士 道 的 価 値 で は な く 財 力 で あ る 、 と 登 場 人 物 の 一 人 に 言 わ せ る 戯 曲 ﹃ 名 誉 ﹄ ︵ 1 8 9 0 ︶ で 大 好 評 を 博 し た 。 し か し 今 日 で は 、 出 身 地 東 プ ロ イ セ ン の 情 景 を 描 い た 小 説 に よ っ て 再 評 価 さ れ て い る 。 ま た 、 マ ゾ ヒ ズ ム と い う 名 称 の 出 所 で あ る ザ ッ ヘ ル ・ マ ゾ ッ ホ も 、 や は り 出 身 地 の ガ リ ツ ィ ア 地 方 の 郷 士 や ユ ダ ヤ 人 を 題 材 と し た 小 説 で 再 発 見 さ れ て い る 。 ト ー マ ス ・ マ ン の ﹃ ブ デ ン ブ ロ ー ク 家 の 人 々 ﹄ ︵ 1 9 0 1 ︶ で は 、 北 ド イ ツ ・ リ ュ ー ベ ッ ク の 名 家 の 女 性 が ミ ュ ン ヘ ン の 商 人 に 嫁 ぎ 、 厳 格 な 標 準 語 を 使 っ て い た 実 家 と の こ と ば 遣 い の 差 を 含 め 、 生 活 感 覚 の あ ま り の 違 い か ら 、 離 婚 に 至 る さ ま が 書 か れ て い る 。
身 分 や 階 級 と い っ た 上 下 の 差 異 、 地 域 や 民 族 と い っ た 横 の 差 異 の 表 現 は 、 文 学 の 大 切 な 役 割 と い え る 。 エ ン ツ ェ ン ス ベ ル ガ ー に よ れ ば 、 ド イ ツ 語 圏 の 人 々 の 歴 史 は 、 通 常 の 政 治 的 権 力 闘 争 を 超 え て 、 文 化 的 統 一 体 と し て の 根 幹 に か か わ る と こ ろ で 、 幾 多 の 闘 争 の 過 程 を 経 て き た 。 有 史 以 前 の 、 ゲ ル マ ン 人 と 、 そ れ に 接 す る ケ ル ト 人 や ス ラ ブ 人 な ど と の 併 存 お よ び 角 逐 ( か く ち く ) が あ っ た 。 た と え ば ウ ィ ー ン と い う 地 名 の 語 源 は ケ ル ト 語 の 川 に 関 す る こ と ば で あ り 、 時 代 は 下 が る が ベ ル リ ン ︵ 12 世 紀 創 建 ︶ は ス ラ ブ 語 の ﹁ 沼 地 ﹂ で あ っ た ろ う と 推 定 さ れ て い る 。 次 に ロ ー マ 帝 国 領 と そ の 北 方 ゲ ル マ ン 人 領 の 区 分 が あ っ た 。 リ ー メ ス L i m e s と よ ば れ る ロ ー マ 帝 国 国 境 線 ︵ 防 塁 ︶ は 、 今 日 な お 上 空 か ら の 写 真 撮 影 で 鮮 明 に と ら え る こ と が で き る 。 民 族 大 移 動 期 に は ゲ ル マ ン 人 部 族 間 で 激 し い 征 服 戦 争 が 行 わ れ た 。 宗 教 改 革 に 始 ま る 長 い 新 教 と 旧 教 の 対 立 。 近 代 国 民 国 家 の 実 現 を め ぐ っ て 、 オ ー ス ト リ ア 中 心 の 大 ド イ ツ 主 義 と プ ロ イ セ ン 中 心 の 小 ド イ ツ 主 義 が き し み あ っ た 。 そ し て 第 二 次 世 界 大 戦 後 の 東 西 ド イ ツ の つ ば ぜ り 合 い が あ っ た 。 こ う し た 事 情 が 、 イ ギ リ ス の ロ ン ド ン 、 フ ラ ン ス の パ リ の よ う に 文 芸 を 含 む 文 化 の 中 心 地 が 1 か 所 に 集 中 す る こ と を 妨 げ た 。 こ の よ う な 中 心 へ の 集 約 力 と 、 地 方 性 や 分 断 な ど に よ る 離 反 力 の 拮 抗 ( き っ こ う ) す る ダ イ ナ ミ ズ ム が ド イ ツ を 生 気 づ け た 時 期 に 、 ド イ ツ 文 学 は 三 度 の 最 盛 期 を 迎 え て い る 。
ち な み に 、 文 学 の 主 要 ジ ャ ン ル は 詩 、 小 説 、 戯 曲 で あ る が 、 や や 範 囲 を 広 く と れ ば 、 多 少 と も 芸 術 味 の あ る 随 筆 や 評 論 、 紀 行 、 日 記 、 書 簡 、 自 伝 、 評 伝 、 一 般 読 者 向 け の 学 問 的 著 作 、 説 教 、 人 生 訓 、 翻 訳 な ど が 含 ま れ る 。 ほ ぼ こ れ ら す べ て の 方 面 で ゲ ー テ は ド イ ツ 文 学 を 代 表 す る 著 作 を 残 し て お り 、 そ の 点 か ら も ゲ ー テ の 存 在 の ぬ き ん で て い る こ と が 確 認 で き る 。
﹇ 樋 口 大 介 ﹈
中世前期の文学は、圧倒的にキリスト教に基づくラテン語文学で、担い手は僧侶(そうりょ)である。その中で古高(ここう)ドイツ語による武人叙事詩『ヒルデブラントの歌』(850ごろ)が異彩を放つ。ゲルマン叙事詩の通例として頭韻(アリタレーション)が用いられている。9世紀中葉の僧オトフリート・フォン・ワイセンブルク の作である『福音の書』では、近代に至るまでドイツ詩でよく用いられる行末韻、四行一詩節構成がすでに使われている。1050年ごろから文学活動は活気を加え、第二次十字軍(1147~49)以降、宗教文学よりも世俗文学が優勢となる。
[樋口大介]
中 世 文 学 の 最 盛 期 は 、 ホ ー エ ン シ ュ タ ウ フ ェ ン 王 朝 の 最 盛 期 と 重 な る 。 皇 帝 ハ イ ン リ ヒ 6 世 ︵ 在 位 1 1 9 0 ~ 97 ︶ 、 フ リ ー ド リ ヒ 2 世 ︵ 1 2 1 2 ~ 50 ︶ の 時 代 で あ る 。 皇 帝 は 強 大 を 誇 っ た 教 皇 ︵ 法 王 ︶ 権 に 対 等 の 立 場 を と る 。 ロ ー マ 皇 帝 の 継 承 者 と し て 神 か ら 直 接 ヨ ー ロ ッ パ の 統 治 権 を 授 か っ て い る と 考 え た 彼 ら の 時 代 は 、 第 三 次 か ら 第 五 次 ま で の 十 字 軍 、 ド イ ツ 軍 の 度 重 な る イ タ リ ア 遠 征 、 シ チ リ ア 島 を 本 拠 地 に し て い た フ リ ー ド リ ヒ 2 世 の 二 度 の ド イ ツ 行 幸 、 ド イ ツ 国 内 に お け る 対 抗 皇 帝 の 登 場 な ど 、 広 範 囲 に わ た っ て 交 通 の し げ き 時 代 で あ っ た 。 文 学 の 担 い 手 は 、 騎 士 や ミ ニ ス テ リ ア ー レ と よ ば れ る 武 力 と 知 力 を 売 り 物 に 各 地 の 領 主 に 奉 公 し た 人 々 で あ る 。 ヨ ー ロ ッ パ の 中 心 に い る と い う 自 覚 を も っ た 彼 ら は 、 文 芸 の 先 進 地 域 で あ っ た 南 お よ び 西 ヨ ー ロ ッ パ か ら 伝 来 し た 題 材 を お も に 取 り 上 げ た 。 ス ペ イ ン の ア ラ ビ ア 文 芸 や プ ロ バ ン ス の 吟 遊 ︵ 恋 愛 ︶ 詩 人 ︵ ト ル ー バ ド ゥ ー ル ︶ か ら 北 上 し て き た 宮 廷 恋 愛 詩 と 、 フ ラ ン ス ・ イ ギ リ ス 両 国 に ま た が る ケ ル ト 伝 説 を 種 子 ( た ね ) と し て 発 達 し て き た 聖 杯 物 語 、 ア ー サ ー 王 と 円 卓 の 騎 士 、 ト リ ス タ ン 伝 説 な ど の 宮 廷 叙 事 詩 が そ れ で あ る 。 な か で も 、 フ ラ ン ス 12 世 紀 後 半 の 詩 人 ク レ チ ア ン ・ ド ・ ト ロ ア の 影 響 が 著 し か っ た 。 宮 廷 叙 事 詩 の 主 要 な 作 家 は 、 ハ ル ト マ ン ・ フ ォ ン ・ ア ウ エ ︵ ﹃ グ レ ゴ リ ウ ス ﹄ ﹃ 哀 れ な ハ イ ン リ ヒ ﹄ ﹃ イ ー ベ イ ン ﹄ ︶ 、 ウ ォ ル フ ラ ム ・ フ ォ ン ・ エ ッ シ ェ ン バ ハ ︵ ﹃ パ ル チ バ ル ﹄ ﹃ ウ ィ レ ハ ル ム ﹄ ﹃ テ ィ ト ゥ レ ル ﹄ ︶ 、 ゴ ッ ト フ リ ー ト ・ フ ォ ン ・ シ ュ ト ラ ス ブ ル ク ︵ ﹃ ト リ ス タ ン ﹄ ︶ で あ る 。 恋 愛 抒 情 詩 ( じ ょ じ ょ う し ) は ド イ ツ で は ミ ン ネ ザ ン グ ︵ 愛 の 歌 ︶ と よ ば れ る 。 高 貴 な 身 分 の 夫 人 へ の 愛 と い う 本 来 の 宮 廷 恋 愛 詩 の 型 は ラ イ ン マ ル に よ っ て 完 成 さ れ た 。 し か し 、 お そ ら く ド イ ツ に お け る 貴 婦 人 と 騎 士 と の 関 係 が フ ラ ン ス と は 異 質 な も の で あ っ た た め 、 ワ ル タ ー ・ フ ォ ン ・ デ ァ ・ フ ォ ー ゲ ル ワ イ デ は ﹁ 高 い 愛 ﹂ に 加 え て ﹁ 低 い 愛 ﹂ 、 つ ま り 平 民 の 女 へ の 愛 を 歌 っ た 。 こ の 傾 向 は そ の 後 ナ イ ト ハ ル ト ・ フ ォ ン ・ ロ イ エ ン タ ー ル に よ っ て 強 め ら れ た 。 ち な み に 、 ミ ン ネ ザ ン グ の 作 者 で あ る ミ ン ネ ゼ ン ガ ー は 詩 の み つ く っ た の で は な く 、 楽 器 を つ ま 弾 き な が ら 朗 唱 し た 。 そ の あ り さ ま は 、 19 世 紀 の 作 曲 家 ワ ー グ ナ ー の ﹃ タ ン ホ イ ザ ー ﹄ 第 二 幕 、 ワ ル ト ブ ル ク の 歌 合 戦 の 場 を 見 る こ と に よ っ て 、 想 像 す る こ と が で き る 。 ワ ル タ ー や ナ イ ト ハ ル ト の 曲 は 不 完 全 な が ら 保 存 さ れ て お り 、 20 世 紀 に お け る 古 楽 復 興 に 伴 い 、 演 奏 さ れ た も の を 聞 く こ と が で き る 。 や や 時 代 が 下 が っ て 、 15 世 紀 前 半 の 南 チ ロ ー ル の 詩 人 オ ス ワ ル ト ・ フ ォ ン ・ ボ ル ケ ン シ ュ タ イ ン は 、 ル ネ サ ン ス 的 な 個 人 の 歌 を 清 新 に 響 か せ 、 詩 人 と し て だ け で は な く 作 曲 家 と し て も 高 い 評 価 を 受 け る よ う に な っ た 。 ゲ ル マ ン 系 文 学 で は 叙 事 詩 ﹃ ニ ー ベ ル ン ゲ ン の 歌 ﹄ ︵ 1 2 0 5 ご ろ ︶ が 傑 出 し て い る 。
中 世 後 期 に お い て は 、 盛 期 に 好 ま れ た 叙 事 詩 や 恋 愛 詩 が 継 続 す る と 同 時 に 、 辛 辣 ( し ん ら つ ) な 観 察 の 加 わ っ た ﹃ ヘ ル ム ブ レ ヒ ト ﹄ や 、 さ ら に 野 太 い 笑 い に 発 展 し た シ ュ ト リ ッ カ ー の ﹃ 司 祭 ア ー ミ ス ﹄ ︵ 1 2 4 0 ご ろ ︶ の よ う な 作 品 が 注 目 さ れ る 。
﹇ 樋 口 大 介 ﹈
後世の文学に底流としての影響力をもった点で、神秘主義は見逃しえない。男性ではエックハルト(1260ごろ―1328)、タウラー(1300ごろ―1361)、ゾイゼHeinrich Seuse(1295ごろ―1366)ら、女性ではヒルデガルト・フォン・ビンゲンHildegard von Bingen(12世紀)やメヒティルト・フォン・マクデブルクMechthild von Magdeburg(1207―1282)らの教説である。神が恩寵(おんちょう)によって人の内面のすみずみまで行きわたるという体験は、個人が仲介者もなく原罪の重荷に打ちひしがれることもなく神と交わるという敬虔主義(けいけんしゅぎ)を通して、ゲーテ時代の文学の酵母となる。また神秘主義の源流となっているプラトニズムにおける現象界とイデア界の二分、神秘主義における肉に属するもの(感性界)と霊に属するもの(神との神秘的な合一)の二分は、宗教から離れていきつつも、近代ドイツ文学の重要な人々に受け継がれている。ムシル(1880―1942)は『幼年学校生テルレスの惑い』のなかで、世界は二重であるが、それは「数に実数と虚数がある」のと同じようなかたちである、と述べている。似たような二重性は、リルケやカフカやノサックなどでも重要な表現要素となっている。
[樋口大介]
文 字 を 記 す 素 材 と し て の 安 価 な 紙 の 使 用 は 14 世 紀 末 に 始 ま っ て い る 。 15 世 紀 中 葉 の 印 刷 術 の 発 明 に よ り 、 大 衆 的 出 版 物 の 刊 行 が 可 能 と な っ た 。 宗 教 改 革 は こ れ を 最 大 限 に 利 用 し 、 信 仰 の 単 位 と し て 個 人 を た て る こ と で 市 民 を 鼓 舞 す る 。 文 芸 復 興 は 一 挙 に 新 た な 教 養 の 地 平 を 拓 ( ひ ら ) く 。 人 文 主 義 は 印 刷 術 の 高 度 な 洗 練 と 相 携 え 、 み ご と な 工 芸 美 を 備 え た 本 を 生 み 出 す 。 こ の 時 期 の イ ギ リ ス の シ ェ ー ク ス ピ ア や フ ラ ン ス の ラ ブ レ ー に 匹 敵 す る 文 人 と い え ば 、 宗 教 改 革 者 ル タ ー が あ げ ら れ る 。 ル タ ー は そ れ ま で の ラ テ ン 語 聖 書 に 代 え て 、 旧 約 を ヘ ブ ラ イ 語 の 、 新 約 を ギ リ シ ア 語 の 原 典 か ら ド イ ツ 語 訳 し た 。 こ れ は ド イ ツ 共 通 文 語 の 成 立 に 多 大 の 貢 献 を し て い る 。 大 衆 の 話 し こ と ば を 生 か そ う と し た ル タ ー の 聖 書 文 体 は 、 20 世 紀 の カ フ カ や ブ レ ヒ ト の 作 品 中 に も 顔 を の ぞ か せ て い る 。 ル タ ー は ま た 宗 教 歌 曲 の 作 詩 ・ 編 纂 ( へ ん さ ん ) 者 と し て 、 ド イ ツ 一 国 を 超 え て 親 し ま れ て い る 。 ニ ュ ル ン ベ ル ク の 靴 匠 ハ ン ス ・ ザ ッ ク ス は 、 16 世 紀 後 半 に 豊 穣 ( ほ う じ ょ う ) な 創 作 活 動 を し た 。 中 世 後 期 か ら ギ ル ド に 属 す る 都 市 職 人 の 間 で 、 一 定 の 規 則 に の っ と っ た 歌 曲 の 制 作 競 争 が 行 わ れ た が 、 ザ ッ ク ス は そ の 職 匠 歌 人 ︵ マ イ ス タ ー ジ ン ガ ー ︶ で あ っ た 。 ま た 日 常 口 語 的 な 生 気 あ る セ リ フ を 活 用 し た 復 活 祭 劇 、 謝 肉 祭 劇 、 受 難 劇 に も 佳 作 を 残 し た 。
民 衆 本 と よ ば れ る ド イ ツ 版 御 伽 ( お と ぎ ) 草 子 で は 、 ﹃ テ ィ ル ・ オ イ レ ン シ ュ ピ ー ゲ ル ﹄ ﹃ 美 し い マ ゲ ロ ー ネ ﹄ ﹃ ゲ ノ フ ェ ー フ ァ ﹄ ﹃ ヨ ハ ン ・ フ ァ ウ ス ト 博 士 の 物 語 ﹄ ︵ 1 5 8 7 ︶ な ど が 知 ら れ 、 韻 文 お よ び 散 文 を 用 い た 物 語 で は 、 ﹃ フ ォ ル ト ゥ ナ ト ゥ ス ﹄ 、 ブ ラ ン ト の ﹃ 阿 呆 船 ( あ ほ う ぶ ね ) ﹄ ︵ 1 4 9 4 ︶ 、 写 実 的 作 風 の ウ ィ ク ラ ム な ど が 登 場 す る 。
17 世 紀 は バ ロ ッ ク の 時 代 と よ ば れ る 。 バ ロ ッ ク と い う こ と ば は 、 ポ ル ト ガ ル 語 で 真 珠 が ﹁ い び つ で き ら き ら 多 彩 な 色 を 発 す る ﹂ と い う 意 味 の バ ロ カ と い う 形 容 詞 に 由 来 す る と い う 説 が 有 力 で あ る 。 も と も と 装 飾 過 剰 で 均 斉 を 欠 く と い う 蔑 称 ( べ っ し ょ う ) で あ っ た が 、 20 世 紀 に 入 っ て 美 術 史 家 ウ ェ ル フ リ ン が ル ネ サ ン ス と 並 べ ら れ る 独 自 様 式 で あ る と 唱 え て 以 来 、 さ ま ざ ま な 見 直 し が 行 わ れ て き た 。 実 際 17 世 紀 ド イ ツ で は 、 も っ た い ぶ っ て 威 風 堂 々 と し た 、 し か も こ み い っ た 長 た ら し い 文 章 が 競 っ て 書 か れ た 。 王 侯 貴 族 が 国 家 の 権 威 を 代 表 す る か た ち で 公 の 場 に 出 る と き 、 ど の よ う な 態 度 、 ふ る ま い を す る も の で あ る か 、 ど の よ う な 修 辞 を 駆 使 し て 口 上 を 述 べ る べ き も の で あ る か 、 と い っ た と こ ろ を 磨 き 上 げ て い っ た 。 そ の 雄 弁 様 式 は 後 の シ ラ ー に 伝 わ っ て い る 。
17 世 紀 前 半 に は 、 三 十 年 戦 争 ︵ 1 6 1 8 ~ 1 6 4 8 ︶ に よ っ て ド イ ツ は 荒 廃 の 極 み に 達 し た 。 こ の 世 紀 の 文 学 を 貫 く 基 調 は 、 こ の 世 の 空 し さ 、 人 生 の は か な さ で あ っ て 、 戯 曲 で は グ リ ュ ー フ ィ ウ ス 、 小 説 で は グ リ ン メ ル ス ハ ウ ゼ ン を 代 表 と す る 。 後 者 の ﹃ 阿 呆 ( あ ほ う ) 物 語 ﹄ ︵ 1 6 6 9 ︶ は 、 ピ カ レ ス ク 小 説 と し て も 、 三 十 年 戦 争 を 生 き の び る 人 物 の 描 写 と し て も 秀 作 で あ る 。 グ リ ュ ー フ ィ ウ ス の 作 品 に は プ ロ テ ス タ ン テ ィ ズ ム 宣 揚 の 意 図 が こ め ら れ て い る が 、 反 宗 教 改 革 の 立 場 か ら は イ エ ズ ス 会 劇 が 盛 行 し た 。 ま た 、 各 地 に 言 語 改 善 の た め の 協 会 が 設 立 さ れ 、 ド イ ツ 語 浄 化 と 表 現 力 の 向 上 が 図 ら れ た 。 ゲ ル ハ ル ト 、 フ レ ミ ン グ 、 シ ュ ペ ー 、 ジ レ ー ジ ウ ス ら の 宗 教 詩 は 、 今 日 な お 多 く の 人 々 に 愛 さ れ て い る 。
﹇ 樋 口 大 介 ﹈
ド イ ツ 文 学 の 第 二 次 最 盛 期 は 、 お よ そ 1 7 7 0 年 か ら 1 8 2 0 年 の 間 で あ る 。 宗 教 改 革 と ル ネ サ ン ス は 、 16 世 紀 に は 豊 か な 実 り を も た ら す 結 び つ き を 生 ま な か っ た 。 宗 教 と 政 治 上 の け わ し い 対 立 抗 争 の な か で 、 文 人 た ち は 文 芸 に 専 念 す る 余 裕 が な か っ た 。 自 由 意 志 を 否 定 し 、 罪 障 感 を 強 調 す る ル タ ー の 思 想 は 文 芸 向 き と い え ず 、 個 人 の 覚 醒 ( か く せ い ) に よ っ て 直 接 神 と 出 会 う と い う 敬 虔 ( け い け ん ) 主 義 が 介 在 し な け れ ば な ら な か っ た 。 一 方 文 芸 復 興 は 、 そ れ に 見 合 う だ け の ド イ ツ 語 の 表 現 能 力 の 向 上 を 待 た な け れ ば な ら ず 、 さ ら に イ ギ リ ス ・ ル ネ サ ン ス の 生 ん だ シ ェ ー ク ス ピ ア の よ う な 偉 大 な 範 例 に 出 会 う 必 要 が あ っ た 。 ニ ー チ ェ が ゲ ー テ の こ と を ﹁ 古 典 古 代 と 敬 虔 主 義 の 間 ﹂ と 要 約 し た の は 、 そ う し た 事 情 を 物 語 っ て い る 。 中 世 神 秘 主 義 か ら 敬 虔 主 義 に つ な が る 系 譜 の 中 で 、 信 仰 告 白 と い う 性 格 を も つ 書 物 は 数 多 く 著 さ れ た が 、 告 白 を 宗 教 か ら も っ と 個 人 の 生 へ 大 胆 に 向 け る 方 法 を 教 え た の は ル ソ ー で あ っ た 。
こ の 時 期 の 文 人 は お お む ね プ ロ テ ス ト タ ン ト 系 の 大 学 を 出 て お り 、 新 教 聖 職 者 の 家 系 出 身 者 も 多 い ︵ レ ッ シ ン グ 、 ウ ィ ー ラ ン ト 、 ビ ュ ル ガ ー 、 ク ラ ウ デ ィ ウ ス 、 ジ ャ ン ・ パ ウ ル ︶ 。 こ の こ と か ら 、 プ ロ イ セ ン の フ リ ー ド リ ヒ 大 王 が 間 接 的 に 及 ぼ し た 感 化 を 想 定 し て よ い で あ ろ う 。 大 王 自 身 は フ ラ ン ス 語 の 賛 美 者 で 、 ド イ ツ 文 学 を 軽 蔑 ( け い べ つ ) し て い た 。 し か し 、 国 力 の 上 昇 と 領 土 拡 大 を 目 ざ す そ の 強 烈 な 意 志 、 そ し て 結 果 的 に ド イ ツ 国 内 で カ ト リ ッ ク の オ ー ス ト リ ア 帝 国 と 対 等 に 向 き 合 え る プ ロ テ ス タ ン テ ィ ズ ム 国 家 を 築 い た こ と 、 そ れ が ド イ ツ の 若 い 文 人 た ち に 刺 激 を 与 え た と 考 え ら れ る 。
ゲ ー テ よ り 年 長 の 人 々 の 中 で は 、 レ ッ シ ン グ 、 ク ロ プ シ ュ ト ッ ク 、 ウ ィ ン ケ ル マ ン 、 ウ ィ ー ラ ン ト 、 ヘ ル ダ ー な ど が 特 筆 す べ き 存 在 で あ る 。 レ ッ シ ン グ は 啓 蒙 ( け い も う ) 主 義 を 代 表 す る 作 家 で 、 道 義 心 の 強 さ は 無 類 で あ り 、 理 性 と い う 武 器 に よ る 裁 断 の 切 れ 味 に す ご み が あ る 。 ク ロ プ シ ュ ト ッ ク は 通 常 の 韻 律 を 捨 て て ホ ラ テ ィ ウ ス ら 古 代 詩 人 の オ ー ド 詩 型 を 採 用 し た 抒 情 ( じ ょ じ ょ う ) 詩 と 、 熱 狂 的 な 宗 教 感 情 を 盛 っ た 長 編 詩 ﹃ 救 世 主 ﹄ と に よ っ て 、 若 者 た ち の ア イ ド ル 詩 人 と な っ た 。 ウ ィ ン ケ ル マ ン は 、 そ れ ま で ロ ー マ 中 心 だ っ た 古 代 観 を も っ と ギ リ シ ア に 引 き 寄 せ 、 ﹁ 高 貴 な 単 純 さ と 静 か な 偉 大 さ ﹂ と い う 簡 潔 な 定 式 の う ち に 要 約 し た 。 こ の 定 式 は 、 1 0 0 年 以 上 の ち に ニ ー チ ェ が ﹁ デ ィ オ ニ ソ ス 的 な も の ﹂ と い う 、 そ れ と は 正 反 対 の 陶 酔 的 ・ 悲 劇 的 要 素 を 指 摘 す る ま で 、 ド イ ツ 人 の 古 典 古 代 観 を 決 定 し た 。 ゲ ー テ と シ ラ ー が 古 典 派 と よ ば れ る の も 、 敬 虔 主 義 伝 来 の 自 我 の 自 由 な 伸 長 が ﹁ 超 人 ﹂ の 方 向 へ は み 出 そ う と す る 傾 向 に 抑 制 を 加 え 、 調 和 あ る 均 衡 を も た ら す も の が ウ ィ ン ケ ル マ ン 的 古 代 で あ っ た か ら で あ る 。 ﹁ 超 人 ﹂ と い う 語 は 、 ニ ー チ ェ が 華 々 し く 用 い る 以 前 に ゲ ー テ の ﹃ フ ァ ウ ス ト ﹄ に 出 て い る 。 並 外 れ た 能 力 に め ぐ ま れ た 人 間 の 自 我 意 識 の 高 揚 が 、 誇 大 妄 想 す れ す れ の ひ と り よ が り に 陥 る 危 険 を 、 こ の こ と ば は 孕 ( は ら ) ん で い る 。 ﹃ 若 き ウ エ ル テ ル の 悩 み ﹄ や ﹃ タ ッ ソ ﹄ は 、 作 者 ゲ ー テ に と っ て そ う し た 危 険 を 浮 き 彫 り に す る 自 戒 の 作 品 だ っ た ︵ W ・ H ・ オ ー デ ン ︶ 。 次 に ウ ィ ー ラ ン ト は 、 古 典 古 代 を 優 美 き わ ま り な い ロ コ コ 風 の 文 体 に 織 り 上 げ た 。 ヘ ル ダ ー の 思 想 の な か で は 、 古 典 古 代 は 全 体 の 一 部 を 占 め る だ け で あ る 。 さ ま ざ ま な 地 域 の さ ま ざ ま な 民 族 は そ れ ぞ れ 根 源 的 な 歌 声 を 有 す る 。 そ う し た 諸 民 族 の 独 自 性 が 、 相 互 に 作 用 し 合 い な が ら も 保 持 さ れ て い く な か で 、 文 化 の 発 展 が 実 現 し て い く 。 ゲ ー テ に シ ェ ー ク ス ピ ア と オ シ ア ン 、 そ し て フ ォ ー ク ロ ア 的 な も の を 教 え た の は ヘ ル ダ ー で あ っ た 。
ゲ ー テ と 並 び 称 さ れ る シ ラ ー は 、 19 世 紀 か ら 20 世 紀 前 半 に か け て 、 ゲ ー テ 以 上 に ド イ ツ 人 に 愛 さ れ た 。 歴 史 上 の 有 名 人 物 を 題 材 に と っ て 文 字 ど お り ド ラ マ チ ッ ク な 葛 藤 ( か っ と う ) を 展 開 さ せ る 作 劇 術 は 、 ゲ ー テ の 作 品 よ り 親 し み や す く 、 作 者 の 人 格 は 、 ﹁ 高 邁 ( こ う ま い ) な 男 ら し い 性 格 、 熱 情 と 理 想 精 神 と の 合 体 、 病 弱 な 体 に 宿 っ て い た 高 貴 な 意 志 ﹂ ︵ 片 山 敏 彦 ︶ に よ っ て 人 を 感 銘 に い ざ な っ た 。
敬 虔 主 義 的 な 自 我 の 伸 長 は も ん ど り 打 っ て カ ト リ ッ ク 的 普 遍 に 反 転 す る 。 そ の 上 昇 と も 下 降 と も つ か ぬ 斜 面 を 行 き つ 戻 り つ し た の は 、 ロ マ ン 派 の 人 々 で あ る 。 イ エ ナ 派 ︵ ノ バ ー リ ス 、 シ ュ レ ー ゲ ル 兄 弟 、 テ ィ ー ク ︶ 、 ハ イ デ ル ベ ル ク 派 ︵ ア ル ニ ム 、 ブ レ ン タ ー ノ 、 グ リ ム 兄 弟 ︶ 、 ベ ル リ ン 派 ︵ ホ フ マ ン 、 シ ャ ミ ッ ソ ー 、 フ ケ ー ︶ そ れ に ア イ ヒ ェ ン ド ル フ 。 ラ ン ト 文 学 的 に は シ ュ ワ ー ベ ン 派 ︵ ウ ー ラ ン ト 、 ケ ル ナ ー 、 シ ュ ワ ー プ ︶ も 含 ま れ る 。 イ エ ナ で 教 え て い た 哲 学 者 フ ィ ヒ テ を 参 考 に し よ う 。 フ ィ ヒ テ の 第 一 原 理 は ﹁ 自 我 は 端 的 に 自 己 自 身 を 定 立 す る ﹂ で あ る 。 こ の 自 我 ︵ 感 覚 し 認 識 し 体 験 し 行 動 す る 統 一 体 ︶ は 、 個 々 人 ば ら ば ら の そ れ で は な く 、 万 人 に 共 通 の も の で あ っ て 、 そ の 意 味 で 共 同 主 観 と い っ て よ い 。 こ の 原 理 も プ ラ ト ニ ズ ム の 一 変 種 で あ る が 、 フ ィ ヒ テ の 表 現 を と れ ば 、 主 観 は 目 く る め き 特 権 的 な 王 座 に 据 え ら れ る 。 と 同 時 に 客 観 な い し 外 部 世 界 と の か か わ り に お い て は 、 は な は だ 不 安 定 な 位 置 に 置 か れ る 。 共 同 主 観 と し て の 自 我 の 立 場 は 、 中 世 敬 慕 、 プ ロ テ ス タ ン ト で あ っ て も カ ト リ ッ ク 的 普 遍 に ひ か れ る 傾 向 、 フ ォ ー ク ロ ア 的 基 底 の 尊 重 に 結 び つ く 。 一 方 、 客 観 に 対 す る 自 由 な ふ る ま い の 余 地 が 自 我 に 与 え ら れ 、 そ れ ど こ ろ か 主 観 が 客 観 を 生 み 出 す と い う ニ ュ ア ン ス ま で 含 む と こ ろ か ら 、 シ ュ レ ー ゲ ル 弟 の ﹁ ロ マ ン テ ィ シ ェ ・ イ ロ ニ ー ﹂ や ノ バ ー リ ス の ﹁ 魔 術 的 観 念 論 ﹂ 、 童 話 や 妖 怪 変 化 ( よ う か い へ ん げ ) 愛 好 癖 な ど が 生 ま れ る 。 ロ マ ン 派 文 人 の 多 く は 百 科 全 書 的 な 膨 大 な 教 養 知 識 の 持 ち 主 で あ っ た が 、 フ ラ ン ス 革 命 後 の 世 代 と し て 社 会 革 新 へ の 期 待 を 捨 て 、 歴 史 学 派 の 源 流 と な る 。
古 典 派 と ロ マ ン 派 の 中 間 に 位 置 づ け ら れ る の が ジ ャ ン ・ パ ウ ル 、 ヘ ル ダ ー リ ン 、 ク ラ イ ス ト で あ る 。 ジ ャ ン ・ パ ウ ル は 多 量 の 読 書 に よ っ て 膨 大 な 抜 き 書 き を つ く っ て い た 。 彼 の 文 章 は 衒 学 ( げ ん が く ) 臭 を 帯 び て 難 解 だ が 、 同 時 代 人 に は 人 気 が 高 か っ た 。 も っ て 当 時 の 読 者 の 教 養 の 高 さ が う か が え る 。 ジ ャ ン ・ パ ウ ル は 、 ド イ ツ 観 念 論 が 無 神 論 で あ る こ と を 見 抜 き 、 難 解 な 、 し か し 無 類 に 心 優 し い 言 い 回 し で 、 神 の 存 在 や 魂 の 不 死 へ の 信 仰 を 維 持 す べ き こ と を 説 い た ︵ ゲ オ ル ゲ の 詩 に よ る ︶ 。 ヘ ル ダ ー リ ン は ク ロ プ シ ュ ト ッ ク の 先 例 に な ら っ て 無 韻 の オ ー ド 詩 形 に よ る 長 編 詩 を 残 し た 。 彼 は き わ め て 敬 虔 ( け い け ん ) な 詩 人 で あ っ た が 、 神 あ る い は 神 々 は 超 越 的 存 在 と い う よ り 世 界 に 内 在 す る も の で あ り 、 天 、 日 、 山 河 、 国 土 な ど の う ち に 人 間 が 見 出 す べ き も の で あ っ た 。 神 な き 時 代 の 神 託 を そ こ に 聞 き と ろ う と す る 熱 心 な 読 者 が 多 い 。 ク ラ イ ス ト は 戯 曲 と 短 編 小 説 に 佳 作 を 残 し た 。 そ こ で は 、 思 い が け ぬ 時 の す き ま か ら 、 人 間 の 心 の 深 み が 露 出 す る 。 ま た ド イ ツ 文 学 で は 、 会 話 を 直 接 話 法 で は な く 、 接 続 法 動 詞 を 用 い た 間 接 話 法 で 表 す こ と が よ く 行 わ れ 、 そ れ に よ っ て 会 話 が 作 品 の 場 の 空 間 に お い て で は な く 、 作 中 人 物 た ち の 、 そ し て 読 者 の 心 中 に お い て 響 く の で あ る が 、 ク ラ イ ス ト は こ の 話 法 の 名 手 で あ っ た 。
﹇ 樋 口 大 介 ﹈
﹁ ド イ ツ 国 民 に よ る 神 聖 ロ ー マ 帝 国 ﹂ は 1 8 0 6 年 に 終 り 、 そ の 皇 帝 は オ ー ス ト リ ア 皇 帝 と な る 。 ナ ポ レ オ ン 軍 の ド イ ツ 侵 入 以 前 に は 3 5 0 を 超 え た 帝 国 等 族 ︵ 帝 国 議 会 を 構 成 す る 諸 身 分 ︶ は 、 ナ ポ レ オ ン 政 治 の も と で 統 合 が 行 わ れ 、 ウ ィ ー ン 会 議 後 の ド イ ツ 連 邦 の 構 成 員 は 35 の 諸 侯 と 4 の 自 由 都 市 と な っ た 。 し か し 、 国 民 国 家 形 成 の 課 題 は 先 送 り さ れ た 。 ウ ィ ー ン 会 議 以 降 は 、 1 8 4 8 年 の 三 月 革 命 に 至 る ま で 、 平 和 が 続 く 。 け れ ど も 、 一 度 フ ラ ン ス 革 命 を 目 の 当 た り に し た 以 上 、 政 治 的 急 進 派 は 過 激 化 し な い わ け に は い か な い 。 逆 に こ の 平 和 の な か で 家 庭 を 中 心 に し て さ さ や か な 満 ち 足 り た 生 活 を 営 む 人 た ち を 形 容 す る 語 を 用 い て 、 こ の 時 期 は ﹁ ビ ー ダ ー マ イ ア ー ︵ 正 直 者 と い う ほ ど の 意 味 ︶ ﹂ と よ ば れ る 。 産 業 革 命 と 資 本 主 義 は 成 長 を 続 け る が 、 ド イ ツ 人 の 大 多 数 の 意 識 を そ れ に よ っ て 規 定 す る ま で に は 至 っ て い な い 。 そ れ ま で の よ う に 、 ワ イ マ ー ル 、 イ エ ナ 、 ハ イ デ ル ベ ル ク と い っ た 小 さ な 町 が 大 き な 文 学 活 動 の 根 城 に な る こ と は な く な る 。 出 版 社 も ミ ュ ン ヘ ン 、 ケ ル ン 、 ベ ル リ ン 、 ラ イ プ ツ ィ ヒ 、 フ ラ ン ク フ ル ト ・ ア ム ・ マ イ ン 、 シ ュ ト ゥ ッ ト ガ ル ト な ど 比 較 的 大 き い 町 に 集 中 す る よ う に な る 。
19 世 紀 前 半 に 、 政 治 へ の 参 加 を 重 視 し た 人 た ち の な か か ら 、 2 人 の 重 要 な 作 家 が 生 れ る 。 1 人 は ビ ュ ヒ ナ ー で 、 ス イ ス 亡 命 後 若 く し て 死 ん だ 。 現 に 革 命 が 進 行 し て い る 渦 中 に お け る 革 命 家 の 言 行 や 表 情 を 、 ほ と ん ど 体 温 が 感 じ と れ る く ら い 生 々 し く 劇 化 し た ﹃ ダ ン ト ン の 死 ﹄ ︵ 1 8 3 5 ︶ や 、 人 体 実 験 に 利 用 さ れ る 哀 れ な 一 従 卒 を 主 人 公 と す る ﹃ ウ ォ イ ツ ェ ッ ク ﹄ ︵ 1 8 3 6 未 完 、 1 8 7 9 刊 ︶ な ど 数 少 な い 彼 の 作 品 は ど れ も 際 だ っ た 独 創 性 で 光 っ て い る 。 も う 1 人 は デ ッ セ ル ド ル フ か ら ハ ン ブ ル ク に 移 住 し た ユ ダ ヤ 人 家 庭 に 育 っ た ハ イ ネ で 、 や は り 亡 命 先 の パ リ で 客 死 し た 。 19 世 紀 に は 抒 情 ( じ ょ じ ょ う ) 詩 人 と し て ゲ ー テ に 匹 敵 す る ほ ど の 高 い 国 際 的 名 声 を 博 し て い た 。 鋭 い 風 刺 と 機 知 の み な ぎ る 評 論 や 紀 行 文 で も 目 覚 し い 仕 事 を 残 し た 。 ハ イ ネ の こ と ば 遣 い に は 、 ど こ か 熟 し き ら ず 展 開 が 寸 詰 ま り に な る と い う 印 象 が あ り 、 の ち に 同 じ ユ ダ ヤ 人 の 批 評 家 カ ー ル ・ ク ラ ウ ス に 酷 評 さ れ る が 、 着 眼 点 が 鋭 利 で 広 範 囲 に わ た る こ と は 驚 嘆 に 値 す る 。 こ れ に 対 し 、 ラ ン ト 文 学 者 的 な 生 涯 を 送 っ た メ ー リ ケ と ド ロ ス テ ・ ヒ ュ ル ス ホ フ は 抒 情 詩 に 秀 で て い た 。 メ ー リ ケ は シ ュ ワ ー ベ ン 地 方 で 生 涯 を 過 し 、 安 隠 自 足 を 絵 に か い た よ う な ビ ー ダ ー マ イ ア ー 様 式 の 典 型 的 作 家 と 久 し く み な さ れ て い た が 、 む し ろ 生 を 取 り 巻 い て い る 怪 し く 揺 れ 動 く 不 気 味 な も の を と ら え た 詩 人 で あ り 、 フ ラ ン ス の ボ ー ド レ ー ル に 近 い 、 と の と ら え 方 も さ れ て い る 。 ウ ェ ス ト フ ァ ー レ ン 地 方 で 育 っ た ド ロ ス テ ・ ヒ ュ ル ス ホ フ は 、 自 然 の 中 に 息 づ く な ま な ま し い 生 き 物 の 存 在 を 力 強 く 表 出 し た 。
19 世 紀 の 中 葉 か ら 後 半 に か け て 、 あ る 特 定 地 方 を 舞 台 に し た 小 説 を も っ ぱ ら 書 く と い う ラ ン ト 文 学 的 な 作 家 が 、 お も に 小 説 、 そ し て 詩 に 重 要 な 作 品 を 残 す 。 ス イ ス の ケ ラ ー 、 ボ ヘ ミ ア の シ ュ テ ィ フ タ ー 、 ド イ ツ 北 海 岸 の 港 町 フ ー ズ ム の シ ュ ト ル ム 、 ブ ラ ン デ ン ブ ル ク 地 方 の フ ォ ン タ ー ネ な ど で あ る 。 彼 ら の ス タ イ ル は 詩 的 写 実 主 義 と よ ば れ る 。 こ こ で ﹁ 詩 的 ﹂ と い う 形 容 に は 、 特 別 高 尚 な 意 味 や 、 ま た フ ラ ン ス ・ リ ア リ ズ ム の よ う な 精 緻 ( せ い ち ) さ と 明 快 さ を 欠 い て い る 、 と い う 否 定 的 評 価 を 読 み 込 む 必 要 は な い 。 こ の 時 代 ま で の ド イ ツ の 都 市 は ほ と ん ど み な 小 都 市 と い っ て よ く 、 一 歩 郊 外 に 出 れ ば 茫 々 ( ぼ う ぼ う ) た る 田 野 森 林 河 川 が 広 が っ て い る 。 そ う し た 背 景 の な か で は 、 人 事 の こ み い っ た も つ れ や 、 事 件 が 積 み 重 な っ て 最 後 に ク ラ イ マ ッ ク ス に 達 す る と い っ た 劇 的 な 展 開 は 期 待 で き な い 。 長 編 小 説 で あ っ て も 、 間 延 び す れ す れ の ゆ っ た り し た 叙 述 の な か で 、 わ ず か に 1 か 所 身 も 凍 る よ う な 危 機 が 裂 目 を あ け る 。 そ こ ま で の 叙 述 は 言 わ ず 語 ら ず の う ち に こ の 一 瞬 を 予 感 さ せ る も の で あ り 、 そ れ 以 降 の 叙 述 は こ の 一 瞬 を 咀 嚼 ( そ し ゃ く ) す る た め に あ る 。 危 機 と い っ て も 誰 の 身 に も 起 こ り う る あ り ふ れ た も の で 、 し か し 当 の 本 人 に と っ て は 生 涯 を 左 右 す る 。 単 純 化 し て い え ば 、 シ ュ テ ィ フ タ ー や フ ォ ン タ ー ネ の 詩 的 写 実 主 義 は 、 そ う し た 作 風 で あ る 。
ド イ ツ は 、 19 世 紀 の 1 0 0 年 を 通 じ て 人 口 は 3 倍 ︵ ベ ル リ ン は 10 倍 ︶ と な り 、 産 業 と 科 学 技 術 と 軍 事 力 の 分 野 で ヨ ー ロ ッ パ 大 陸 最 大 の 強 国 に の し 上 が っ た 。 交 通 網 は 飛 躍 的 に 発 達 し 、 お び た た し い 企 業 が 設 立 さ れ 、 19 世 紀 末 か ら は 電 機 ・ 化 学 産 業 が 急 速 に 台 頭 す る 。 世 界 は 帝 国 主 義 競 争 の 時 代 に 突 入 し 、 国 内 的 に は 社 会 民 主 党 の 躍 進 に 象 徴 さ れ る 社 会 矛 盾 が あ ら わ と な る 。 こ う し た 背 景 と 、 文 学 の 担 い 手 が 1 8 7 1 年 に お け る ド イ ツ 帝 国 の 成 立 以 降 の 世 代 に 移 っ た こ と と が 相 ま っ て 、 詩 的 写 実 主 義 と 1 8 9 0 年 に 始 ま る 自 然 主 義 お よ び そ れ 以 降 の 文 学 と の 間 に 深 い 断 裂 を 生 じ さ せ た 。 文 明 の ダ イ ナ ミ ズ ム と 喧 騒 ( け ん そ う ) と が 読 者 の 耳 目 を 驚 か す よ う に な る 。
﹇ 樋 口 大 介 ﹈
19 世 紀 末 か ら ベ ル リ ン 、 ウ ィ ー ン 、 ミ ュ ン ヘ ン な ど 大 都 市 が 文 学 活 動 の 中 心 と な り 、 1 9 0 0 年 か ら 30 年 の 間 は 第 三 の 最 盛 期 と み な さ れ る 。 と り わ け ウ ィ ー ン を 中 心 と す る オ ー ス ト リ ア ・ ハ ン ガ リ ー 帝 国 圏 内 で 優 れ た 作 家 が 輩 出 し た 。 近 代 オ ー ス ト リ ア の 生 ん だ 最 初 の 大 作 家 は 19 世 紀 の グ リ ル パ ル ツ ァ ー で あ る が 、 気 む ず か し い 狷 介 ( け ん か い ) な 性 格 の こ の 劇 作 家 の 特 性 を な す も の は 、 ペ シ ミ ズ ム に 裏 打 ち さ れ た 、 人 間 に 対 す る 曇 り な い 洞 察 の ま な ざ し で あ っ た 。 1 8 6 6 年 の プ ロ イ セ ン ・ オ ー ス ト リ ア 戦 争 敗 北 後 、 オ ー ス ト リ ア ・ ハ ン ガ リ ー 帝 国 は 未 来 の な い 帝 国 で あ っ た た め 、 余 計 な 期 待 に 惑 わ さ れ る 必 要 が な く 、 し か も 多 民 族 国 家 で あ っ て 人 的 、 文 化 的 な 内 部 交 流 が 盛 ん だ っ た 。 文 人 た ち は 、 哲 学 と 科 学 の 到 達 し た 高 い 水 準 を わ が も の と し 、 こ と ば に つ い て の 自 覚 を 飛 躍 的 に 犀 利 ( さ い り ) な も の に し 、 文 明 と 精 神 の 危 機 に す こ ぶ る 敏 感 で あ っ た 。 宗 教 的 に は カ ト リ ッ ク 圏 だ が 、 ユ ダ ヤ 系 作 家 の 寄 与 が 顕 著 で あ る 。 ゲ ー テ の 場 合 、 祖 父 は 仕 立 屋 で 、 三 代 か か っ て 教 養 と 立 身 の 階 段 を 登 り つ め た が 、 18 世 紀 の 啓 蒙 ( け い も う ) 専 制 君 主 の 時 代 か ら 徐 々 に 始 ま っ た ユ ダ ヤ 人 解 放 の 結 果 、 ユ ダ ヤ 人 に も 同 じ よ う な 現 象 が み ら れ た 。 た と え ば ホ フ マ ン ス タ ー ル は 真 に オ ー ス ト リ ア 的 な 繊 細 で 高 尚 な ド イ ツ 語 を 駆 使 し た が 、 彼 の 曾 祖 父 は 商 事 会 社 の 支 店 長 と し て プ ラ ハ か ら ウ ィ ー ン に 出 て 、 一 代 で 帝 国 の 世 襲 貴 族 に 任 ぜ ら れ る ほ ど の 成 功 を 収 め た 。 シ ュ ニ ッ ツ ラ ー は 都 会 的 な 愛 欲 の 心 理 表 現 で は 他 の 追 随 を 許 さ な か っ た 。 彼 の 祖 父 は ハ ン ガ リ ー の 寒 村 で 一 生 を 送 っ た が 、 父 は ウ ィ ー ン に 出 て 医 学 者 と な っ た 。 カ フ カ の 祖 父 は ボ ヘ ミ ア の 片 田 舎 の 肉 屋 で 、 父 は 少 年 の う ち に 行 商 人 と な り 、 の ち プ ラ ハ の 中 心 街 に 服 飾 品 店 を 開 業 す る ま で に な っ た 。 カ フ カ 自 身 は プ ラ ハ 大 学 出 の 法 学 博 士 で あ る 。 シ オ ニ ズ ム の 父 と い わ れ る テ ー オ ド ル ・ ヘ ル ツ ル は 秀 れ た 小 説 家 で も あ っ た 。 彼 は ブ ダ ペ ス ト の 商 人 の 家 に 生 ま れ た 。
カ ン ト は 批 判 哲 学 に よ っ て 神 を 哲 学 的 思 考 の 世 界 か ら 追 放 し た が 、 人 間 の 認 識 能 力 の 及 ば な い ﹁ 物 自 体 ﹂ と い う も の が あ る と し た 。 ニ ー チ ェ は 激 し い キ リ ス ト 教 批 判 を 行 っ て 倦 ( う ) ま な か っ た が 、 そ こ に は イ エ ス ・ キ リ ス ト へ の ﹁ 嫉 妬 ( し っ と ) ﹂ が 歴 然 と し て い る ︵ ア ン ド レ ・ ジ ッ ド の 言 ︶ 。 か つ て 宗 教 が 占 め て い た 位 置 は 、 ニ ー チ ェ の ﹁ 神 は 死 ん だ ﹂ の 断 言 で か た づ き は し な か っ た 。 第 三 の 最 盛 期 を 代 表 す る 作 家 は リ ル ケ 、 ム シ ル 、 カ フ カ で あ る 。 彼 ら の 作 品 で は 、 文 学 と い う 俗 な る こ と ば が 織 り な す 具 象 的 な 光 景 の 間 か ら 、 三 人 三 様 の 神 秘 な も の 、 不 可 思 議 な も の が 姿 を の ぞ か せ る 。
ウ ィ ー ン や プ ラ ハ で は 文 人 や 芸 術 家 が 特 定 の カ フ ェ に 集 ま っ て 知 識 や 情 報 の 授 受 や 意 見 の 交 換 を 行 っ た 。 こ の 交 友 圏 に は ま た 個 性 的 な 女 性 た ち が 参 加 し て い て 、 こ の 時 代 の 文 学 に 濃 厚 な エ ロ テ ィ シ ズ ム が た だ よ う 一 因 と な っ た 。 オ ー ス ト リ ア ・ ハ ン ガ リ ー 帝 国 出 身 の 著 名 作 家 は 上 記 の ほ か に も 多 い 。 日 本 で は 小 説 よ り フ ラ ン ス 王 妃 マ リ ー ・ ア ン ト ワ ネ ッ ト な ど の 伝 記 で 知 ら れ る シ ュ テ フ ァ ン ・ ツ ワ イ ク 、 ハ プ ス ブ ル グ 朝 オ ー ス ト リ ア へ の 挽 歌 と な っ た 長 編 ﹃ ラ デ ツ キ ー 行 進 曲 ﹄ の 作 者 ヨ ー ゼ フ ・ ロ ー ト 、 言 葉 と い う も の に き わ め て 厳 重 だ っ た ジ ャ ー ナ リ ス ト ・ 批 評 家 ・ 劇 作 家 カ ー ル ・ ク ラ ウ ス 、 賑 ( に ぎ ) や か な 文 体 で 多 彩 な 人 間 像 を 描 い た ハ イ ミ ー ト ・ フ ォ ン ・ ド ー デ ラ ー 、 蔵 書 の 世 界 に 閉 じ こ も る 一 学 究 が 周 囲 の 人 た ち に よ っ て 破 滅 さ せ ら れ る ﹃ 眩 暈 ﹄ を 代 表 作 と す る エ リ ア ス ・ カ ネ ッ テ ィ 、 叙 情 味 と 哲 学 的 沈 潜 と が 綯 ( な ) い 交 ぜ に な っ て い る ヘ ル マ ン ・ ブ ロ ッ ホ 、 プ ラ ハ に お け る カ フ カ の 友 人 で ラ イ バ ル で も あ っ た フ ラ ン ツ ・ ウ ェ ル フ ル な ど で あ る 。
ベ ル リ ン は 19 世 紀 末 に 自 然 主 義 演 劇 の メ ッ カ と な っ た 。 G ・ ハ ウ プ ト マ ン が そ の 中 核 的 作 家 で あ る が 、 彼 は ま た ま っ た く 違 っ た 作 風 の 作 品 も 書 い て い る 。 20 世 紀 に 入 っ て ベ ル リ ン を 本 拠 に 活 動 し た 作 家 は 多 い 。 小 説 家 デ ー ブ リ ー ン は 、 罪 を 犯 し て 入 獄 し た 労 働 者 が 獄 中 で 壮 大 な 神 秘 的 夢 を み る 小 説 を 書 い て ド イ ツ 的 特 色 を 表 し て い る 。 ユ ー モ ア と 心 深 い 優 し さ に あ ふ れ た 詩 人 モ ル ゲ ン シ ュ テ ル ン 、 ス イ ス 出 身 で こ の う え な く 繊 細 な 感 性 の 持 主 ロ ー ベ ル ト ・ ワ ル ザ ー 、 ド イ ツ で は 珍 し い 軽 妙 な 筆 致 の ケ ス ト ナ ー な ど も 重 要 で あ る 。 批 評 家 ベ ン ヤ ミ ン も ベ ル リ ン に 育 っ た 。 ベ ル リ ン 生 ま れ で ベ ン ヤ ミ ン の 友 人 シ ョ ー レ ム G e r s h o m S c h o l e m ︵ 1 8 9 7 ― 1 9 8 2 ︶ は 、 ユ ダ ヤ 神 秘 主 義 を 初 め て 一 般 に 知 ら れ る か た ち で 記 述 ・ 解 釈 す る と い う ス リ リ ン グ な 研 究 を 残 し た 。 ミ ュ ン ヘ ン を 本 拠 に し て い た 人 で は ま ず ウ ェ ー デ キ ン ト が あ げ ら れ る 。 ハ ウ プ ト マ ン が 坑 夫 や 織 工 と い っ た 労 働 者 を 主 題 に し た の に 対 し 、 ウ ェ ー デ キ ン ト は 娼 婦 ( し ょ う ふ ) ・ 山 師 ・ ボ ヘ ミ ア ン ・ 犯 罪 者 ・ サ ー カ ス の 人 々 な ど ア ウ ト サ イ ダ ー を 主 人 公 に し た 。 リ ュ ー ベ ッ ク 出 身 の ト ー マ ス ・ マ ン も ミ ュ ン ヘ ン に 邸 宅 を 構 え た 。 マ ン は 、 文 体 上 は む し ろ 詩 的 写 実 主 義 に 連 な る 作 家 で 、 ド イ ツ 人 の 心 性 に ひ そ む 魔 的 、 病 的 な も の を 、 魔 的 、 病 的 な ら ざ る 余 裕 の あ る 文 体 で 描 い た 。
印 象 派 ︵ リ ー リ エ ン ク ロ ー ン ︶ 、 新 ロ マ ン 派 ︵ R ・ フ ッ フ ︶ 、 象 徴 派 ︵ ゲ オ ル ゲ ︶ 、 新 即 物 主 義 、 ダ ダ イ ズ ム ︵ バ ル 、 ア ル プ ︶ な ど さ ま ざ ま な 名 称 が 付 さ れ た 芸 術 作 品 の 流 派 の な か で 、 い ち ば ん 広 範 囲 に わ た っ て 目 覚 し い こ と ば の 革 新 を も た ら し た の は 表 現 主 義 で あ る 。 描 写 よ り 内 面 か ら 立 ち 上 が る も の の 表 現 を 重 ん じ た こ の 運 動 を 代 表 す る に ふ さ わ し い の は 詩 人 ト ラ ー ク ル で あ る が 、 一 方 近 代 都 市 の 風 貌 ( ふ う ぼ う ) を 抒 情 詩 で と ら え る 20 世 紀 的 な 課 題 に 、 ハ イ ム 、 シ ュ タ ー ド ラ ー 、 ベ ン ら が 成 果 を あ げ た 。
第 一 次 世 界 大 戦 時 に お け る 一 兵 士 に 対 す る 軍 事 裁 判 を 扱 っ た ア ー ノ ル ト ・ ツ ワ イ ク の ﹃ グ リ ー シ ャ 軍 曹 を め ぐ る 争 い ﹄ ︵ 1 9 2 8 ︶ 、 バ イ エ ル ン の 片 田 舎 に お け る 迫 害 の ケ ー ス を 扱 っ た フ ォ イ ヒ ト ワ ン ガ ー ︵ 1 8 8 4 ― 1 9 5 8 ︶ の ﹃ 成 功 ﹄ ︵ 1 9 3 0 ︶ は 、 ナ チ ス 登 場 の 背 景 を 伝 え る 格 好 の ド キ ュ メ ン ト と み な し う る ︵ ジ ャ ン ・ ア メ リ ー ︶ 。
﹇ 樋 口 大 介 ﹈
ホフマンスタールが「保守革命」を口にするのは1928年である。このことばは、保守派にとっても旧来の宗教や人文主義精神の措辞によっては自らの重んじる価値を支えきれず、政治化してゆく様相を暗示している。小説家のアンデルシュ(1914―80)は、1930年に青年であった者にとって、コミュニズムかナチズムか、どちらかに組みするほか道はなかった、と語っている。ニーチェは、人間にとって大切なのは宗教と哲学と芸術であると主張したが、1930年代ははっきり、そうではなく政治と経済とプロパガンダ(宣伝)であると告げた。このことはナチス・ドイツの敗北によって終わったのではなく、90年ごろ、象徴的にはベルリンの壁崩壊をもって一区切りする。20世紀を特徴づけるのは戦争と全体主義の惨禍である。その意味でこの世紀はドイツの世紀であったといってよく、その歴史はいまもドイツ人とドイツ文学のうえに重くのしかかっている。ナチス時代および社会主義ドイツ時代、体制に沿って時流に掉(さお)さした人々は、それぞれの体制崩壊後信憑(しんぴょう)性を失う。内的亡命の立場を貫いたとされる人々にも、とかく疑心暗鬼の目が向けられる。亡命した人々は、亡命せず体制下を生き抜いた人々からみると、縁なき衆生(しゅじょう)に感じられる。どことなく腰の据わらないよそよそしさが、長く文芸のうえにも立ちこめる。
第二次世界大戦後の西ドイツでは、帰還した兵士に戻るべき家がないことを切なく訴えたボルヒェルト、混乱のなかでその混乱を誠実に克明にとらえようとしたケッペン、北欧風の憂愁をたたえた恋愛小説に佳作をあらわしたノサックらが注目された。批評家リヒターが1947年以降毎年開いた文学者の集まりに加わった人々は、「グループ47」とよばれるが、彼らのなかから目覚しい作品が生まれるのは50年代後半からである。衆目のみるところギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』(1959)がその代表作である。ドイツ人とポーランド人とがともに住むダンチヒ(現グダニクス)を舞台に、3歳で成長を止め、ブリキの太鼓を愛し、甲高い声でガラスを割る超能力を持った少年の目から1933~45年という艱難(かんなん)に満ちた時代をあけすけで克明な語り口で伝え、青春小説・ピカロ小説・戦争小説の三重の厚みを築き上げている。グラスと、もう1人の「グループ47」の重要作家ベルは、次第に作品に作者の価値観を強く持ちこむことになる。その点、東ドイツのゼーガースやフランツ・フューマン(1922―84)らの小説と共通していたといえよう。そのような啓蒙精神の透けてみえる勧善懲悪風の文学に対する反動は、70年代にやってきた。オーストリアのベルンハルトやハントケ、西ドイツの詩人ニコラス・ボルン(1937―1979)、劇作家・小説家ボート・シュトラウス(1944― )らで、いわばドイツ文学における「内向の世代」のおもむきがある。次の1980年代には家族のこと、たとえばナチ党員だった父のことを主題とする小説が盛行した。戦後詩人では、母をナチスに殺されパリに住み続けたユダヤ人で、ぎりぎりまで切りつめられたことばの秘儀にたどり着いていったツェラーン、抒情詩というにふさわしい胸を打つことばを語ったオーストリアのバッハマン、それにアメリカのサブカルチャー にのっとったロルフ・ディーター・ブリンクマン(1940―75)、絶妙なユーモアの持ち主ローベルト・ゲルンハルト(1937―2007)があげられる。
東ドイツでは、技術と商品の開発に後れをとったぶん、フーヘルやヨハネス・ボブロウスキー(1917―65)のようにラント文学的な抒情詩に優れた詩人が出た。ザーラ・キルシュ(1935― )においては、自然は愛の激情と重なり合う。70年ころから、東ドイツの体制に完全に従順でないがゆえに西ドイツで高く評価され、そのことが東ドイツ内での作家としての声価を高める作用をする、といった逆説的な現象の伴う作家があらわれた。小説のクリスタ・ウォルフ、詩のクンツェ、劇作家のミュラーらである。
スイスの戦後作家では、「グループ47」に通じる作風のフリッシュと、人間のグロテスクさをあぶりだすデュレンマットが知られている。
1970年代から80年代にかけては、童話風の物語を書いたエンデ(『モモ』1973)、東ドイツの生活を渋く表現したクリストフ・ハイン(1949― )(『竜の血を浴びて』1982)、ストーリーの楽しさで異色のパトリック・ジュスキント(1949― )(『香水』1985)らが国内外で広く読まれた作家である。
1990年の東西ドイツ統一後では、健筆のベテラン作家マルティン・ワルザーの『子供時代の弁護』(1991)が好評を博した。第二次世界大戦後、ドレスデンと西ベルリンとに別れて暮らさなければならなかった母と一人息子の細やかな愛情を丁寧に描いている。学んだのはデーブリーン一人だけというグラスに対し、ワルザーは先人作家をよく読み参考にする小説家・戯曲家であり、作家論にも秀れている。近年、世界的に好評を博した作品としてベルンハルト・シュリンク『朗読者』、ダニエル・ケールマン『世界の測量』がある。またドイツ語圏における女性作家の輩出も顕著な現象であり、そのうちオーストリア作家のエルフリート・イェリネックはノーベル賞を受賞した。
[樋口大介]
因 果 関 係 を 設 定 す る こ と へ の た め ら い 、 あ る い は 疑 念 が し ば し ば 感 じ ら れ る の が ド イ ツ 文 学 の ひ と つ の 特 質 で あ る 。 時 間 的 に 先 行 す る 事 態 A か ら 後 続 す る 事 態 B が 生 じ た 、 と い う と き 、 A と B と は 原 因 と 結 果 の 関 係 に あ る と み な さ れ る 。 し か し こ こ に 疑 念 が 発 せ ら れ る 。 私 た ち の 思 考 の な か で は 、 B と い う 結 果 を み て ︵ 時 間 的 に 先 行 ︶ 、 A と い う 原 因 に 思 い 至 る ︵ 時 間 的 に 後 続 ︶ の で は な い か 。 A と い う 原 因 を 指 し 示 す に あ た っ て 、 私 た ち の 先 入 見 な り 都 合 な り に よ る 選 択 が 働 い て い は し ま い か 。 ま た 因 果 律 の 想 定 な く し て 物 事 を 考 え る こ と は 不 可 能 で あ る に し ろ 、 因 果 は 必 然 的 な 結 合 と い う よ り む し ろ 確 率 的 な も の で あ ろ う 。 確 率 の 低 い 方 へ の 飛 躍 は 起 こ り う る 。 こ う し た 発 想 は 、 ド イ ツ 人 は ﹁ 存 在 ﹂ よ り も ﹁ 生 成 ﹂ を 好 む 、 と い う ふ う に も 説 明 さ れ て き た 。
こ の こ と が 文 学 に お い て ど の よ う に 現 れ る か と い え ば 、 ゲ ー テ に お い て は 、 作 品 が 一 貫 し た 骨 子 の も と に 短 期 間 で 仕 上 げ ら れ る こ と が 少 な い 。 ﹃ フ ァ ウ ス ト ﹄ の 完 結 に は 60 年 も か か っ た 。 作 家 も 作 中 人 物 も 未 決 定 状 態 に あ る こ と を 好 む 。 20 世 紀 小 説 の 傑 作 、 ム シ ル の ﹃ 特 性 の な い 男 ﹄ 、 カ フ カ の 三 大 長 編 は い ず れ も 未 完 に 終 わ っ て い る 。 ﹁ 私 た ち の 洞 察 は み な 事 後 の も の で あ り 決 算 で あ る 。 す ぐ そ の 後 で 新 し い ペ ー ジ が ま っ た く 別 の こ と を 始 め る ﹂ と リ ル ケ の ﹃ マ ル テ の 手 記 ﹄ ︵ 1 9 1 0 ︶ に あ る 。 お そ ら く 幽 霊 や 妖 怪 ( よ う か い ) や 幻 覚 が ド イ ツ 文 学 に よ く 出 て く る の も 、 聖 な る も の や 奇 蹟 ( き せ き ) へ の 接 近 を 感 じ さ せ る 部 分 が 多 い の も 、 こ こ に つ な が っ て い る 。 い い か え る と 、 よ く 指 摘 さ れ る ド イ ツ 文 学 の プ ロ ッ ト や ス ト ー リ ー 性 の 貧 し さ と い う こ と に な る の で あ る が 、 聞 き 手 の 目 を 輝 か せ る よ う な ﹁ 話 ﹂ の 面 白 さ を 軽 視 し て い る わ け で は な い 。 人 前 に 立 つ の を 億 劫 ( お っ く う ) が っ た カ フ カ は 、 朗 読 な ら ば 積 極 的 に 引 き 受 け た し 、 ウ ェ ー デ キ ン ト や リ ル ケ は 朗 読 を 生 計 の 資 と し て い た 時 期 が あ る 。 ド イ ツ の 詩 と 音 楽 の 強 い 結 び つ き に も あ る よ う に 、 ﹁ 声 ﹂ が ド イ ツ 文 学 に お け る ﹁ 話 ﹂ な の だ 、 と も い え よ う 。
﹇ 樋 口 大 介 ﹈
日本におけるドイツ文学の紹介には、大まかにいって前後二つの山脈がある。最初の山脈は森鴎外(おうがい)の翻訳で、作家でいえばゲーテを別格としてハウプトマン(自然主義、ベルリン、プロテスタント圏)およびそれぞれ初期のシュニッツラーとホフマンスタール(世紀末唯美主義、ウィーン、カトリック圏)が中心である。第二の山脈は第二次世界大戦後に築かれた。それは文学史的にちょうど鴎外による紹介が終わった時点からあとを引き継いでいる。ホフマンスタールが若き天才抒情(じょじょう)詩人時代に別れを告げる指標である『チャンドス卿への手紙』(1902)あたりを目安に、旧オーストリア・ハンガリー帝国の文学が、表現力でも表現内容でも特別に高い水準に達していたこと、そこではユダヤ系作家の役割が大きかったことが明らかになったのは、ドイツでもようやく戦後になってからである。原田義人(よしと)・川村二郎・中野孝次・古井由吉(よしきち)・柏原兵三(かしわばらひょうぞう)・飯吉(いいよし)光夫その他多くの訳者によって、カフカ、ムシル、ホフマンスタール、ヘルマン・ブロッホ、J・ロート、K・クラウス、第二次世界大戦後のツェラーンらの翻訳が続々と行われた。古井由吉の場合、ムシルやブロッホの訳業と作家としての出発がほぼ同時併行している。
この二つの山脈の中間に大きな山としてそびえているのが、リルケ、トーマス・マン、ヘッセ、ブレヒトの紹介であろう。リルケの初期作品はすでに鴎外によって訳されているが、それは小説と戯曲であった。翻訳詩が多くの愛読者を得るのはまれなことであるが、リルケは例外であり、茅野蕭々(ちのしょうしょう)、片山敏彦、大山定一(ていいち)、高安国世、富士川英郎(ひでお)(1909―2003)その他の人々の訳詩で親しまれた。愛と死と神について終生辛抱強く思いをめぐらせ、詩の成熟を待った、「詩人」のイメージがぴったりする人であること、「ボヘミア生まれのヨーロッパ人」という形容に表されているように、ヨーロッパの辺境と中心とを重ねて生きているようなリルケの文学が、日本というヨーロッパからは僻遠(へきえん)の地にいて、ヨーロッパの美と芸術に憧憬(しょうけい)を抱いていた読者に深く愛されたのは、自然であった。次に、ヘッセは初め、周囲の無理解に苦しめられる若者を描いた青春小説の作者として迎えられ、次に現代人の寄る辺なき孤独を浮かび上がらせる実存的作家、次にインド的解脱(げだつ)を目ざしたヒッピーのアイドル、次いで田園生活を楽しむ達人ふうの庭師として注目を浴びた。ブレヒトの人気はほぼ共産主義のそれと消長をともにしている。初め政治的急進派に愛されたのはハイネであったが(田岡嶺雲(れいうん)、中野重治(しげはる))、その後もっと現代的で、芝居という効果性の高いジャンルに主として活躍したブレヒトに関心が移った。ピカレスク風のセリフは中世以来の笑劇(しょうげき)やバイエルン地方土着の悪童物語(L・トーマ)に通じ、説教調はキリスト教教導劇に連なり、ところどころに抒情味のあるバラード(物語詩)をはさんで気分を転換し、思想的には左翼であるが題材はロシアよりも多くイギリス、アメリカにとる、そうしたしたたかさが人気の一つの理由であったろう。クルト・ワイルが曲をつけた『三文オペラ』は、親しみやすいメロディーで大ヒットした。
トーマス・マンが及ぼした影響には二つの面がある。一つは、富裕な市民の家の繁栄と没落を描く『ブデンブローク家の人々』(1901)によるもので、北杜夫(きたもりお)の『楡(にれ)家の人々』(1962~64)はその代表である。他方に、主人公がエピローグでアルプス山中の結核療養所を出て第一次世界大戦に出征する『魔の山』による影響があり、第二次世界大戦に出征していった世代に熱い共感をもって読まれた。森川義信が鮎川(あゆかわ)信夫に宛てた文面にある「僕のことを思ひ出すことがあつたら『魔の山』の一頁を読んでくれたまへ。私の未来は起きてゐても倒れてゐても暗いのだ」は、それをよく伝えている。ちなみにカフカの小説は、安部公房や倉橋由美子によって学ばれたことはよく知られているが、鮎川信夫ら詩誌『荒地(あれち)』の詩人たちにもよく読まれた。北村太郎の詩『K』では、Kはカフカと北村に共通するイニシャルである。
[樋口大介]
『相良守峯著『ドイツ文学史』全2巻(1977・春秋社)』 ▽『藤本淳雄ほか著『ドイツ文学史』(1977・東京大学出版会)』 ▽『佐藤晃一編『ドイツ文学史』(1972・明治書院)』 ▽『手塚富雄編『ドイツ文学』(1962・毎日新聞社)』 ▽『J・F・アンジェロス著、原田義人訳『ドイツ文学史』(白水社・文庫クセジュ)』 ▽『手塚富雄著『ドイツ文学案内』(岩波文庫)』 ▽『H‐J・ゲールツ著、中村英雄ほか訳『ドイツ文学の歴史』(1978・朝日出版社)』 ▽『F・マルティーニ著、高木實ほか訳『ドイツ文学史』(1979・三修社)』 ▽『古井由吉著『日常の“変身”』(1980・作品社)』 ▽『片山敏彦著『ドイツ詩集』(1984・みすず書房)』 ▽『グラーザーほか著、織田繁美訳『ドイツ文学の流れ 近代・現代』(1989・芸林書房)』 ▽『深見茂編『ドイツ文学を学ぶ人のために』(1991・世界思想社)』 ▽『青山南ほか著『世界の文学のいま』(「ドイツ文学」樋口大介執筆、1991・福武書店)』 ▽『手塚富雄・神品芳夫著『増補ドイツ文学案内』(1993・岩波書店)』 ▽『小沢俊夫編著『ドイツ文学史―ドイツの伝承文学・民衆文学史』(1994・放送大学教育振興会)』 ▽『藤本淳雄他著『ドイツ文学史』第2版(1995・東大出版会)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) 日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
ドイツ文学 (ドイツぶんがく)
目次 中世(8~16世紀) 叙事詩の盛衰 抒情詩のモティーフ 演劇と散文の誕生 近世(17~19世紀初頭) 国土の荒廃とバロック文学 自然への帰依と合理性 自由の変容 19世紀 小説の興隆 政治性と多様化 20世紀 危機の時代 戦後文学の提起と試み 日本における受容
文 学 の た め に ド イ ツ 語 が 用 い ら れ る 地 域 は , 現 在 で も ド イ ツ , オ ー ス ト リ ア , ス イ ス の ド イ ツ 語 圏 に ま た が る が , 過 去 に は さ ら に シ ュ レ ジ エ ン ︵ 現 , ポ ー ラ ン ド 領 シ ロ ン ス ク ︶ , 東 プ ロ イ セ ン , チ ェ コ の 一 部 な ど を 含 ん で い た 。 こ れ ら す べ て の 地 域 を 包 括 し て 論 ず る の が ド イ ツ 文 学 の 通 例 で あ る が , 特 に オ ー ス ト リ ア , ス イ ス に は 独 自 の 文 学 伝 統 が あ る こ と に も 留 意 し な く て は な ら な い 。
一 般 的 に ド イ ツ 文 学 の 特 性 に 対 す る 見 解 に は , 今 な お 19 世 紀 以 来 の 国 民 文 学 史 観 に も と づ く と こ ろ が 多 い 。 深 い 内 面 性 , 素 朴 な 生 活 感 情 , 悲 劇 性 と 思 索 的 要 素 な ど , 民 族 と し て の 独 立 精 神 の 属 性 と し て 強 調 さ れ た も の が , 暗 黙 の う ち に 積 極 的 な 価 値 規 準 と さ れ や す い の で あ る 。 第 2 次 大 戦 以 後 , 新 し い 視 点 が 採 り 入 れ ら れ て , 文 学 史 全 体 に わ た る 再 検 討 が 幅 広 く 行 わ れ て い る が , そ れ は 多 く の 点 で 過 去 の ド イ ツ 文 学 像 を 解 体 し つ つ あ っ て も , 日 本 の わ れ わ れ か ら 見 て 新 し い 像 を 結 ば せ る ま で に は 至 っ て い な い 。 こ こ で は , ジ ャ ン ル の 交 替 と 変 遷 を 軸 に し , 社 会 と 文 学 と の か か わ り 方 の 推 移 に 重 点 を お い て , 各 時 代 の 特 徴 を 素 描 し て み た い 。
中 世 ︵ 8 ~ 16 世 紀 ︶
古 代 高 地 ド イ ツ 語 期 ︵ 8 ~ 11 世 紀 ︶ の 文 献 は わ ず か し か 残 さ れ て い な い 。 当 時 文 字 に な っ た 主 要 な も の は 聖 書 の 翻 訳 や キ リ ス ト 教 の 教 説 文 な ど で あ る が , ほ か に 古 代 ゲ ル マ ン 歌 謡 ︽ ヒ ル デ ブ ラ ン ト の 歌 ︾ も 書 き 残 さ れ て い る 。 オ ッ ト ー 朝 ︵ ザ ク セ ン 朝 ︶ ル ネ サ ン ス 期 ︵ 10 世 紀 ︶ に は ラ テ ン 語 だ け が 用 い ら れ , 古 典 古 代 の 文 物 が ゲ ル マ ン 人 の 地 域 に 流 入 し て , ︿ ド イ ツ 文 学 ﹀ と 呼 べ る も の が は じ め て 開 花 す る 基 礎 と な っ た 。
叙 事 詩 の 盛 衰
中 世 高 地 ド イ ツ 語 の 時 期 ︵ 11 ~ 14 世 紀 ︶ に は , シ ュ タ ウ フ ェ ン 朝 に よ る 中 世 の 政 治 体 制 が 完 成 , こ れ に 応 じ て 騎 士 階 級 が 新 た な 文 化 の 担 い 手 と な り , 伝 承 の ゲ ル マ ン 英 雄 伝 説 の う え に キ リ ス ト 教 文 化 , 古 典 古 代 の 文 化 , プ ロ バ ン ス 宮 廷 文 化 , イ ス ラ ム 宮 廷 文 化 , 北 方 神 話 圏 文 化 な ど が 合 流 し て ド イ ツ 中 世 文 学 が 生 み 出 さ れ た 。 宮 廷 で 口 誦 さ れ た 叙 事 詩 は , 素 材 の 点 で ︵ 1 ︶ ア ウ エ の ハ ル ト マ ン の ︽ イ ー ワ イ ン ︾ や エ ッ シ ェ ン バ ハ の ウ ォ ル フ ラ ム の ︽ パ ル チ フ ァ ル ︾ の よ う に , ア ー サ ー 王 と 円 卓 の 騎 士 の 伝 説 を 中 心 に し た も の , ︵ 2 ︶ ゴ ッ ト フ リ ー ト の ︽ ト リ ス タ ン と イ ゾ ル デ ︾ の よ う に ト リ ス タ ン 伝 説 を 扱 っ た も の , ︵ 3 ︶ ︽ ニ ー ベ ル ン ゲ ン の 歌 ︾ や ︽ ク ー ド ル ー ン ︾ の よ う に , ゲ ル マ ン 伝 説 か ら 生 じ た も の な ど の 系 統 に 分 類 で き る が , 個 々 の も の は い ず れ も 強 い 混 合 形 態 を 示 し て い る 。 残 存 す る 写 本 が 最 も 多 い ︽ パ ル チ フ ァ ル ︾ は , 当 時 最 も 愛 好 さ れ た 作 品 と 目 さ れ る 。 人 気 の 理 由 は ド イ ツ 的 心 情 が 濃 い と い う こ と よ り , 各 文 化 圏 の 要 素 が 最 も 複 雑 に 入 り 組 ん で い る お も し ろ さ に あ っ た と 思 わ れ る 。 こ れ ら の 叙 事 詩 の 基 礎 に あ る 倫 理 は , 行 動 に 節 度 を 保 ち , 調 和 の あ る 生 き 方 を す す め る も の で あ っ た が , 宮 廷 社 会 が 混 乱 し , そ の 倫 理 が 空 洞 化 す る に つ れ て , 長 編 の 叙 事 詩 形 式 は 維 持 さ れ な く な っ て い く 。 ウ ェ ル ン ヘ ル ・ デ ル ・ ガ ル テ ネ ー レ の ︽ ヘ ル ム ブ レ ヒ ト ︾ の よ う に , 身 分 社 会 の 混 乱 を そ の ま ま 映 し 出 す 短 い 形 式 へ の 移 行 が 生 じ た し , ま た そ こ に 滑 稽 譚 と い う 領 域 を 開 拓 し て 風 刺 文 学 の 草 分 け と な っ た の が , シ ュ ト リ ッ カ ー で あ る 。
抒 情 詩 の モ テ ィ ー フ
抒 情 詩 で は ト ル バ ド ゥ ー ル の 様 式 を 受 け 継 い だ ミ ン ネ ザ ン グ が 成 立 し , 貴 婦 人 へ の 愛 の 奉 仕 を 最 高 の 理 念 と す る 歌 が 多 く 作 ら れ た 。 ラ イ ン マ ル R e i n m a r v o n H a g e n a u を 頂 点 と す る 盛 時 の ミ ン ネ ザ ン グ は , こ の 愛 を 神 へ の 愛 に ま で 結 び つ け よ う と し た が , 一 方 ワ ル タ ー ・ フ ォ ン ・ デ ル ・ フ ォ ー ゲ ル ワ イ デ は 身 分 の 低 い 娘 を 登 場 さ せ て 世 俗 の 愛 を う た い , あ る い は 政 治 的 発 言 を 織 り 込 ん だ 格 言 詩 を つ く り , ナ イ ト ハ ル ト ︵ ロ イ エ ン タ ー ル の ︶ な ど に い た る と , 騎 士 と 農 民 の 間 の 力 関 係 の 混 乱 が パ ロ デ ィ の 形 を と っ て 農 村 を 舞 台 に し た 詩 に 反 映 さ れ る こ と に な る 。 他 方 宮 廷 詩 と は 別 に , ︽ カ ル ミ ナ ・ ブ ラ ー ナ ︾ の よ う に , 遍 歴 学 生 や 農 民 に よ っ て 歌 わ れ て い た 巷 間 の 歌 が た く ま し く 育 っ て い た 。 そ の 原 形 は , の ち に ロ マ ン 派 の 手 に よ っ て 集 成 さ れ た ︿ 民 謡 ﹀ な ど よ り , も っ と 粗 野 で , 混 沌 と し た も の で あ る 。
演 劇 と 散 文 の 誕 生
中 世 末 期 に 入 る と 演 劇 と 散 文 が 芽 生 え る 。 14 世 紀 に は , よ う や く 興 隆 し た 都 市 を 中 心 に 復 活 祭 劇 や 受 難 劇 が 演 ぜ ら れ , 15 世 紀 に は そ れ が 世 俗 的 な 発 展 を 示 し て 謝 肉 祭 劇 F a s t n a c h t s s p i e l と な る が , そ の 担 い 手 と な っ た の は ギ ル ド の 職 人 た ち で , 実 生 活 の な か か ら 笑 い の タ ネ を 見 つ け て 寸 劇 に し た 。 ハ ン ス ・ ザ ッ ク ス ら の 職 匠 歌 も こ れ と 同 じ 基 盤 か ら 生 ま れ る ︵ マ イ ス タ ー ジ ン ガ ー ︶ 。 そ の 一 方 散 文 は 別 の 次 元 に 育 ち は じ め , 法 書 ︽ ザ ク セ ン シ ュ ピ ー ゲ ル ︾ が ド イ ツ 語 で 書 か れ た の が 一 つ の 実 験 と な っ て , エ ッ ク ハ ル ト な ど の 神 秘 思 想 家 が 思 弁 的 表 現 の 領 域 に こ れ を 活 用 す る よ う に な り , ル タ ー や ミ ュ ン ツ ァ ー な ど の 宗 教 改 革 者 の 論 説 に よ っ て 深 く 民 衆 に 浸 透 す る 。 ル タ ー の 聖 書 翻 訳 と 印 刷 術 の 発 明 が 統 一 的 な 文 章 語 の 成 立 と 普 及 に 大 き な 役 割 を 演 じ , 宗 教 改 革 と 農 民 戦 争 に 際 し て 配 布 さ れ た 多 数 の ビ ラ , そ れ に ま た ︽ テ ィ ル ・ オ イ レ ン シ ュ ピ ー ゲ ル ︾ な ど の 民 衆 本 も , そ れ を 助 長 す る 効 果 が あ っ た 。
近 世 ︵ 17 ~ 19 世 紀 初 頭 ︶
国 土 の 荒 廃 と バ ロ ッ ク 文 学
17 世 紀 は , 悲 惨 な 三 十 年 戦 争 の 影 響 を 全 面 的 に う け て 国 土 が 荒 廃 し , 一 般 に 厭 世 観 の 強 い 時 代 で あ っ た 。 反 宗 教 改 革 運 動 に よ っ て カ ト リ ッ ク が 力 を 盛 り 返 し , バ ロ ッ ク 文 学 が 栄 え る こ と に な る 。 詩 は こ の 時 期 に 多 彩 な 表 現 技 法 を 外 国 か ら 採 り 入 れ た 。 オ ー ピ ッ ツ が フ ラ ン ス 詩 法 を ド イ ツ 語 に 適 用 す る 方 法 を 見 つ け , シ ュ レ ジ エ ン 派 が イ タ リ ア か ら マ ニ エ リ ス ム を 移 植 し て , 修 辞 的 誇 張 の 技 巧 を 積 極 的 に 活 用 し た の も そ の 実 例 で あ る 。 言 葉 の 遊 び や 寓 意 画 の 試 み も こ の 時 期 に 生 じ て い る が , こ れ は ド イ ツ の 悲 惨 な 現 実 に 対 応 す る た め に 強 い 表 現 が 要 求 さ れ た と 見 ら れ よ う 。 演 劇 で は , カ ル デ ロ ン の 殉 教 劇 の 流 れ を 汲 ん で , イ エ ズ ス 会 演 劇 J e s u i t e n d r a m a が 盛 ん に な り , 近 代 劇 の 基 礎 と な る 舞 台 技 術 上 の 種 々 の 試 み が な さ れ た 。 散 文 で 異 彩 を 放 っ て い る の は , ス ペ イ ン の 悪 者 小 説 を 受 け 継 い だ グ リ ン メ ル ス ハ ウ ゼ ン の ︽ ジ ン プ リ チ シ ム ス の 冒 険 ︾ で あ る 。 こ の よ う に 外 国 の 影 響 は 圧 倒 的 で あ っ た が , ブ ル ボ ン 朝 の も と で 古 典 主 義 が 開 花 し た フ ラ ン ス と , 戦 争 の 荒 廃 か ら 立 ち 直 れ な い ド イ ツ と の 差 は ま た あ ま り に も 大 き か っ た 。 文 学 者 の 間 に , ド イ ツ 語 を 整 備 し , 自 国 の 文 学 の 独 自 性 を 主 張 し よ う と い う 願 望 が 強 く な り , そ れ に よ っ て 次 の 時 代 で の 国 民 文 学 誕 生 の 素 地 が つ く ら れ た が , ま た 長 く 尾 を 引 く ル サ ン テ ィ マ ン ︵ 怨 恨 ︶ も こ こ で 胚 胎 し た 。
自 然 へ の 帰 依 と 合 理 性
18 世 紀 に は い り , 宗 教 の 束 縛 が ゆ る む に と も な っ て , 一 方 で は 合 理 的 な 思 惟 に よ る 生 活 規 範 の 見 直 し が 行 わ れ , 他 方 で は 自 由 な 感 情 の 飛 翔 に よ る 自 然 へ の 帰 依 が 生 ず る 。 教 訓 的 な 寓 話 は 前 者 を , 田 園 詩 は 後 者 を 表 現 す る ジ ャ ン ル と し て 好 ん で 用 い ら れ る が , ク ロ プ シ ュ ト ッ ク が 古 代 ギ リ シ ア の 無 韻 の 詩 形 式 を ド イ ツ 詩 に 移 植 す る こ と に 成 功 し , そ れ 以 後 は , 抒 情 詩 自 体 が 自 然 の 息 吹 を 直 接 表 現 し う る も の と し て 尊 重 さ れ た 。 演 劇 は , ゴ ッ ト シ ェ ー ト が イ エ ズ ス 会 演 劇 の 宗 教 色 を ぬ ぐ い さ る 浄 化 運 動 を 起 こ し て 以 来 , 合 理 的 な 思 想 の 表 現 に 適 す る も の と 考 え ら れ て い た が , レ ッ シ ン グ は さ ら に 劇 場 こ そ ︿ 精 神 界 の 学 校 ﹀ と 主 張 し , 市 民 劇 に よ っ て 時 代 の 問 題 を 明 示 す る と こ ろ ま で 進 ん だ 。 そ れ に よ っ て 演 劇 は , こ の 世 紀 の 最 も 重 要 な ジ ャ ン ル と な っ た が , こ の 場 合 も そ の 導 き 手 と な っ た の は ほ か な ら ぬ シ ェ ー ク ス ピ ア 劇 で あ る 。 レ ッ シ ン グ に つ づ く シ ュ ト ゥ ル ム ・ ウ ン ト ・ ド ラ ン グ 期 の 演 劇 は , ふ た た び 啓 蒙 精 神 を 超 え て , い わ ば 自 然 と し て の 人 間 を 描 く こ と に な る 。 小 説 も , イ ギ リ ス の 小 説 や ル ソ ー を 範 と し て , 啓 蒙 的 教 訓 小 説 か ら 内 面 的 な 感 情 を 吐 露 す る 告 白 小 説 へ と 進 展 し , そ の 頂 点 に ゲ ー テ の ︽ 若 き ウ ェ ル タ ー の 悩 み ︾ が 立 つ こ と に な る 。 し か し 同 じ 時 期 に 風 刺 文 学 の 系 譜 を 受 け 継 ぎ , ウ ィ ー ラ ン ト の ︽ ア ブ デ ラ の 人 々 ︾ が 書 か れ て い る こ と も 注 目 に 値 し よ う 。 告 白 性 と 風 刺 性 は そ の 後 の ド イ ツ 小 説 の 2 本 の 柱 と な る か ら で あ る 。
自 由 の 変 容
啓 蒙 思 想 の 洗 礼 を 受 け つ つ 自 然 の 意 義 を 再 発 見 し た ド イ ツ の 18 世 紀 に と っ て , な に よ り の 関 心 事 は あ ら ゆ る 束 縛 か ら の 解 放 で あ っ た 。 解 放 へ の 希 求 は フ ラ ン ス 大 革 命 が そ の 先 例 を 示 す こ と に な る が , 革 命 の 現 場 か ら 残 酷 な 知 ら せ が つ ぎ つ ぎ に 伝 え ら れ る と , 理 念 に 賛 同 し て い た ド イ ツ の 知 識 人 も , 革 命 の 実 行 に 対 し て は 疑 惑 を 抱 く よ う に な り , そ の 傾 向 は ナ ポ レ オ ン 指 揮 下 の フ ラ ン ス 軍 が ド イ ツ に 侵 攻 す る に 及 ん で , ま す ま す 強 く な っ た 。 こ の 時 代 背 景 の も と に , 過 激 な 行 動 を 排 し , 個 人 の 内 面 的 な 形 成 に よ っ て 調 和 あ る 人 間 性 の 実 現 を め ざ そ う と す る ワ イ マ ー ル 古 典 主 義 が 成 立 す る 。 主 と し て ゲ ー テ と シ ラ ー の 演 劇 に お い て 完 成 さ れ , 散 文 で は ︽ ウ ィ ル ヘ ル ム ・ マ イ ス タ ー の 修 業 時 代 ︾ の よ う な 教 養 小 説 で 展 開 さ れ て い く の が そ れ で あ る 。 自 由 の 理 念 は , 内 面 の 自 由 や 外 国 支 配 か ら の 解 放 に 変 形 さ れ , さ ら に 内 面 の 自 由 か ら は 諦 念 の 思 想 が 生 じ て , 社 会 へ の 節 度 あ る 奉 仕 を 美 徳 と す る 観 念 が 育 っ て い く 。 ロ マ ン 主 義 も 本 来 の 原 理 か ら す れ ば , 個 人 の 生 の 自 由 な 高 ま り が 社 会 の 抑 圧 を 破 砕 す る 方 向 に 進 む は ず で あ る が , ド イ ツ ・ ロ マ ン 派 の 活 動 期 に ナ ポ レ オ ン 戦 争 が 起 こ っ た た め , ロ マ ン 主 義 的 エ ネ ル ギ ー は 外 国 支 配 か ら の 脱 却 を 求 め る 民 族 意 識 の 高 揚 に 吸 収 さ れ て い く 。 ヘ ル ダ ー の 提 唱 に 端 を 発 し て , 民 謡 の 研 究 調 査 が 進 め ら れ , 中 世 文 学 が 発 掘 さ れ る な ど , 自 国 の 遺 産 を 見 い だ し た 功 績 は 大 き い が , そ こ に 民 族 性 を 美 化 す る 色 合 い が 強 く 生 ま れ , こ れ が ド イ ツ の 反 動 的 な 政 治 体 制 と 結 合 し や す か っ た こ と は , 知 っ て お か な け れ ば な ら な い 。 し か し ロ マ ン 派 の 行 っ た 精 神 と 文 学 の 圏 内 に お け る 仕 事 は 大 き か っ た 。 そ れ ま で 文 学 に お け る ジ ャ ン ル は , 文 学 的 表 現 の た め の 不 可 欠 の 枠 と 考 え ら れ て い た が , F . シ ュ レ ー ゲ ル は 各 ジ ャ ン ル の 奥 に 共 通 の 文 学 空 間 が あ る こ と を 見 抜 い て , ︿ 普 遍 ポ エ ジ ー ﹀ を と な え , 真 の 創 造 は そ の 源 泉 か ら 発 す る も の で な け れ ば な ら な い と 考 え た 。 そ の た め に 批 評 が 必 要 と な る 。 批 評 は 各 ジ ャ ン ル 間 を 結 ん で た え ず ポ エ ジ ー の 所 在 を 喚 起 す る 自 由 な 表 現 手 段 と 考 え ら れ た 。 こ う し て , 文 学 の 普 遍 的 源 泉 と 具 体 化 さ れ た 表 現 の 場 と の 関 係 を 解 き 明 か す こ と に よ り シ ュ レ ー ゲ ル 兄 弟 が 近 代 的 な 意 味 で の 文 芸 批 評 家 と な っ た 。
一 方 , 古 典 主 義 と ロ マ ン 派 の 中 間 に 位 置 す る ク ラ イ ス ト , ヘ ル ダ ー リ ン , ジ ャ ン ・ パ ウ ル は , そ れ ぞ れ 固 有 の 破 滅 的 な 人 生 を 通 じ て 強 烈 な 作 品 を 書 き 残 す こ と と な っ た 。 ゲ ー テ 的 な 規 準 か ら は 正 当 な 評 価 を 受 け ず , ロ マ ン 派 の 運 動 の な か で も 重 要 な 役 割 を 演 じ な か っ た が , 創 作 面 で は こ の 3 者 が そ れ ぞ れ 演 劇 , 詩 , 小 説 の 各 分 野 で ロ マ ン 主 義 の 名 に ふ さ わ し い 最 も す ぐ れ た 作 品 を 書 い て い る 。 ま た こ の 時 期 に フ ラ ン ス 革 命 に 背 を 向 け , 世 界 史 の 進 展 に も と る 形 で 国 民 意 識 が 育 成 さ れ , そ れ が 主 流 と な っ た こ と は 事 実 で あ る が , 革 命 の 理 念 の 浸 透 が 皆 無 で あ っ た わ け で は な い 。 こ の 潮 流 は J . G . A . フ ォ ル ス タ ー の 紀 行 文 に 見 ら れ る よ う に , 自 由 な 散 文 形 式 に よ っ て 具 現 さ れ , そ れ が ハ イ ネ の ︽ ハ ル ツ 紀 行 ︾ な ど の 青 年 ド イ ツ 派 の 散 文 作 品 に 受 け 継 が れ て い く 。
19 世 紀
小 説 の 興 隆
1 8 3 0 年 以 後 , 社 会 の 変 動 に つ れ て 文 学 の 様 相 も 大 き く 変 わ っ て く る 。 古 い 貴 族 支 配 体 制 は 弾 圧 を 強 め る た び に 土 台 の も ろ さ を 露 呈 し , 市 民 階 級 が 実 権 を 徐 々 に 拡 張 し て , 下 層 の 人 々 に も 目 が 向 け ら れ て い く 。 調 和 の と れ た 人 間 的 な 成 熟 よ り も , 遅 れ た ド イ ツ の 政 治 状 況 を 反 映 し て 直 接 に 社 会 的 な 変 革 が 求 め ら れ , 今 日 的 な 意 味 で の 政 治 文 学 が 生 じ て く る 。 ハ イ ネ が , 政 治 詩 は あ る 党 派 の テ ー ゼ を う た う の で は な く , 現 実 社 会 の 状 況 を 忠 実 に 伝 達 す る べ き だ と 主 張 し て , こ れ を ︽ ド イ ツ , 冬 物 語 ︾ に よ っ て 実 証 し た の は , す で に 路 線 論 争 を は ら む も の で あ っ た 。 そ の 一 方 で は ま た 政 治 に こ と さ ら 背 を 向 け る メ ー リ ケ や ド ロ ス テ ・ ヒ ュ ル ス ホ フ の よ う な 詩 人 も こ の 時 代 の 一 面 を 代 表 し て い る 。 ビ ー ダ ー マ イ ヤ ー の 名 で 総 称 さ れ る こ う し た 作 家 た ち は , 身 辺 の 生 活 や 自 然 を 凝 視 し て , か え っ て 時 代 の 本 質 を つ か ん だ の で あ っ た 。 散 文 が 文 学 の 中 心 ジ ャ ン ル と な る の も こ の 時 代 で あ る 。 そ う し た 散 文 は 紀 行 文 , 評 論 , 随 筆 な ど を も 含 み , イ ン マ ー マ ン か ら フ ォ ン タ ー ネ に 至 る 写 実 主 義 の 本 格 的 な 小 説 を 中 心 に し て , 世 紀 の 後 半 か ら 現 れ る 大 衆 小 説 , ウ ェ ー ル ト に 代 表 さ れ る 風 刺 小 説 な ど , き わ め て 多 岐 に わ た る が , な か で も 緊 密 な 構 成 と 厳 格 な 文 体 の 要 求 さ れ る 短 編 小 説 は , 19 世 紀 固 有 の ジ ャ ン ル で あ る と 言 え よ う 。 こ の 世 紀 の 際 立 っ た も う 一 つ の 現 象 は , 多 数 の 文 学 史 が 書 か れ た こ と で あ る 。 ゲ ル ビ ヌ ス の ︽ ド イ ツ 国 民 文 学 史 ︾ は そ の 代 表 的 な も の で , 小 国 家 割 拠 の 状 態 を 克 服 す る た め の 統 一 的 国 民 意 識 を 涵 養 し よ う と し た 。
政 治 性 と 多 様 化
プ ロ イ セ ン に よ っ て 強 行 さ れ た 1 8 7 1 年 の ド イ ツ 統 一 以 後 , こ の 軍 事 的 ・ 政 治 的 統 一 に 欠 落 し て い た 文 化 的 内 実 を 回 復 す る た め に , ま す ま す 国 民 文 学 の 意 識 の 強 化 が は か ら れ , 文 学 研 究 を 通 じ て 国 粋 主 義 の 核 が お か れ た が , そ の 反 面 , ゾ ラ , イ プ セ ン , ワ イ ル ド , ト ル ス ト イ な ど 多 数 の 外 国 作 家 の 受 容 が 行 わ れ , ド イ ツ 文 学 は 思 想 と 表 現 の 幅 を 急 激 に 広 げ る と 同 時 に , 内 部 に 深 刻 な 緊 張 を 胚 胎 し た 。 こ の 間 , 自 然 主 義 は リ ア ル な 庶 民 生 活 の 描 出 に よ っ て と く に 現 代 演 劇 へ の 端 緒 を ひ ら き , ホ フ マ ン ス タ ー ル た ち の 開 拓 し た 詩 劇 風 の 一 幕 物 は , デ カ ダ ン ス の 思 想 と 芸 術 に 表 現 の 場 を あ た え , ウ ェ ー デ キ ン ト が フ ラ ン ス か ら 移 植 し た 文 学 寄 席 ︵ キ ャ バ レ ー ︶ は , 新 し い 大 衆 芸 術 の 芽 を 育 て た 。 こ の 時 期 に は 一 方 で 作 家 た ち が 芸 術 界 の エ リ ー ト と い う 自 覚 を も ち , 一 部 で は 宗 教 に も 代 わ る よ う な 高 い 精 神 の 営 み に 従 事 す る 意 識 を 抱 く よ う に な っ た が , 他 方 で は 一 般 的 な 生 活 水 準 の 向 上 と 技 術 の 進 展 に よ っ て , 文 学 の 大 衆 化 が か つ て な い ほ ど 進 ん だ 。 こ の 広 が り と , そ れ に 伴 う 出 版 産 業 の 成 立 は 世 紀 転 換 期 の 基 本 的 な 特 徴 で あ る 。 ミ ュ ン ヘ ン , ベ ル リ ン , ウ ィ ー ン の 各 都 市 が 三 つ の 特 色 あ る 中 心 を 形 成 し て 競 い 合 う 形 に な っ た の も こ の 時 期 で あ る 。 ミ ュ ン ヘ ン で は 反 ブ ル ジ ョ ア を 打 ち 出 す 芸 術 家 精 神 が よ く 育 ち , ベ ル リ ン で は 工 業 文 明 が 生 み だ す 都 市 の 問 題 が い ち 早 く テ ー マ 化 さ れ , ウ ィ ー ン で は 伝 統 の 大 衆 劇 に 外 国 の 世 紀 末 文 学 が 混 合 し て 独 特 の 爛 熟 し た 文 学 が 生 み だ さ れ , そ の 切 先 で は 言 語 表 現 へ の 懐 疑 と 精 神 の 危 機 と が 感 じ 取 ら れ て い く 。
20 世 紀
危 機 の 時 代
20 世 紀 の 文 学 は 人 間 精 神 の 危 機 的 状 況 を い か に 表 現 し , い か に 克 服 す る か と い う 問 題 に ま ず 直 面 す る 。 カ フ カ , ホ フ マ ン ス タ ー ル , ム ー ジ ル な ど オ ー ス ト リ ア 系 の 作 家 が 先 進 的 な 活 躍 を な し え た の は , 国 家 社 会 の 崩 壊 が と り わ け 彼 ら の 鋭 敏 な 感 受 性 を 刺 激 し た た め で あ る 。 散 文 は 19 世 紀 の 小 説 に 特 有 の も の で あ っ た 物 語 る 文 体 か ら 脱 皮 し て , 新 し い 表 現 領 域 の 開 拓 を 進 め , 即 物 的 言 語 に よ る 精 神 の 状 況 の 照 射 を 試 み る 。 こ れ は 表 現 主 義 者 た ち の 実 験 を 経 て デ ー ブ リ ー ン ら の 代 表 す る 新 即 物 主 義 の 散 文 へ と 広 が っ て い っ た が , 他 方 で は 19 世 紀 の 小 説 を 継 承 発 展 さ せ た ト ー マ ス ・ マ ン の 活 動 や , 社 会 主 義 リ ア リ ズ ム の 本 流 を 築 い た A . ツ ワ イ ク ら の 歩 み が あ り , 小 説 は 結 局 実 験 か 写 実 か の 二 つ の 道 に 大 き く 分 か れ て ゆ く 。 こ の 両 者 の 相 克 を 露 呈 し た の が 1 9 3 7 年 に , 亡 命 作 家 た ち の 間 で 起 き た 表 現 主 義 論 争 で あ る 。 詩 は , 19 世 紀 の 民 謡 調 マ ン ネ リ ズ ム か ら の 脱 却 を 心 が け た ホ フ マ ン ス タ ー ル や リ ル ケ に よ っ て , ギ リ シ ア 系 な い し ラ テ ン 系 の 古 い 形 式 が 用 い ら れ , さ ら に そ れ を 変 形 し 突 き 崩 し て い く 過 程 で , 現 代 詩 と し て の 表 現 形 態 が 探 求 さ れ て い く 。 こ う し た 面 で の 表 現 主 義 詩 人 た ち の 寄 与 も 大 き か っ た が , さ ら に そ こ に シ ュ ル レ ア リ ス ム の 手 法 が 加 わ っ て , こ れ が 第 2 次 大 戦 後 の 詩 人 た ち に 受 け 継 が れ て い く 。 他 方 1 9 2 0 年 代 に ブ レ ヒ ト は , 芸 術 的 純 粋 詩 の 無 効 を 宣 告 し て , 社 会 改 革 の た め に 実 効 の あ る ︿ 実 用 詩 G e b r a u c h s p o e s i e ﹀ の 重 要 性 を 主 張 し た が , そ れ 以 後 ハ イ ネ そ の 他 の 詩 風 を 継 承 す る 政 治 詩 も 多 彩 な 展 開 を み せ , ナ チ ス 体 制 に 踏 み に じ ら れ た 苦 い 経 験 の た め に , 戦 後 は そ れ が い っ そ う 根 強 く 生 き 続 け て い る 。
演 劇 は , 自 然 主 義 か ら 表 現 主 義 へ と 移 行 す る 過 程 で , 社 会 的 現 実 を 舞 台 の 上 で 追 究 す る 試 み が な さ れ , そ れ を ふ ま え て ブ レ ヒ ト の ︿ 叙 事 演 劇 E p i s c h e s T h e a t e r ﹀ が 成 立 す る 。 観 客 を 幻 影 の 世 界 に ひ き 入 れ る の で は な く , 観 客 に 考 え る 材 料 を 提 供 し て 発 見 と 認 識 へ 刺 激 し て い く ブ レ ヒ ト の 基 本 姿 勢 は , そ の 後 の ド イ ツ 演 劇 の 中 心 的 な 柱 と な っ て い る 。 ロ マ ン 派 に よ っ て 開 か れ た 批 評 の ジ ャ ン ル は , 世 紀 転 換 期 か ら 1 9 2 0 年 代 に か け て , F . メ ー リ ン グ や ベ ン ヤ ミ ン , ア ド ル ノ な ど す ぐ れ た 批 評 家 を 輩 出 し て , 国 民 文 学 の 理 念 と は ま っ た く 違 う 面 か ら ド イ ツ 文 学 の 根 源 と 真 髄 を 究 明 し , 批 評 の 創 造 性 と 前 衛 性 を 発 揮 し た 。 し か し , こ れ ら の 真 価 が 理 解 さ れ る よ う に な っ た の は , よ う や く 1 9 6 0 年 以 後 の こ と で あ る 。 ナ チ ス 政 権 下 の ド イ ツ 文 学 は , ナ チ ス に 協 力 す る 文 学 と 反 ナ チ ス の 亡 命 文 学 ︵ 亡 命 ︶ に 分 裂 し た 。 ナ チ ス の イ デ オ ロ ギ ー は 歴 史 の 歪 曲 に よ っ て 成 り 立 っ て い た か ら , そ の 思 想 的 な 土 台 作 り の た め に ︿ 血 と 土 の 文 学 B l u t - u n d - B o d e n - D i c h t u n g ﹀ と 総 称 さ れ る 作 品 が 量 産 さ れ な け れ ば な ら な か っ た 。 そ れ は ま た 長 い 間 に つ ち か わ れ て き た 隣 接 諸 国 へ の ル サ ン テ ィ マ ン の 悲 惨 な 帰 結 で も あ っ た 。 亡 命 文 学 者 た ち の 足 跡 は モ ス ク ワ か ら ブ ラ ジ ル ま で の 広 い 範 囲 に わ た り , 亡 命 の き っ か け も さ ま ざ ま だ っ た が , 長 期 に わ た る そ の 生 活 が 精 神 的 に い か に 過 酷 な も の で あ っ た か は , S . ツ ワ イ ク の 自 殺 に も よ く 表 れ て い る 。 他 方 , ナ チ ス の 政 策 に 反 対 し な が ら も ド イ ツ に と ど ま っ た い わ ゆ る ︿ 国 内 亡 命 ﹀ の 文 学 者 の 立 場 も 十 分 な 考 究 を 要 す る 。
戦 後 文 学 の 提 起 と 試 み
第 2 次 大 戦 後 の ド イ ツ は 東 西 に 分 裂 し た が , 基 本 的 に は ど ち ら の 側 も そ れ ぞ れ の 立 場 で , 1 9 2 0 年 代 を 軸 と し た 文 学 の 発 展 を 継 承 し て き た ︵ 1 9 9 0 年 統 一 ド イ ツ が 成 立 ︶ 。 ト ー マ ス ・ マ ン と ブ レ ヒ ト の よ う に , 東 西 両 ド イ ツ で 後 継 者 を 輩 出 し て い る 場 合 も あ る が , カ フ カ や ベ ン ヤ ミ ン の よ う に 西 ド イ ツ で の み 評 価 の 高 い も の , ベ ッ ヒ ャ ー や ハ イ ン リ ヒ ・ マ ン の よ う に 東 ド イ ツ で と り わ け 尊 重 さ れ て い る も の も あ る 。 し か し 過 去 の 文 学 遺 産 の 発 掘 や 再 評 価 の 作 業 は ま だ そ の 途 上 に あ り , 1 9 6 0 年 代 後 半 の 文 化 革 命 的 局 面 を 経 て , 西 ド イ ツ で は 文 学 の あ り 方 に 対 す る 根 本 的 な 見 直 し が 提 起 さ れ た し , 東 ド イ ツ で は 社 会 主 義 の 立 場 か ら 組 織 的 に 文 学 史 の 再 検 討 が 進 め ら れ て き た 。 そ の 間 に あ っ て 詩 人 や 小 説 家 の 仕 事 も , 民 族 の 過 去 の 罪 過 を 直 視 し な が ら 現 在 の あ り 方 を 考 え る と い う 苦 悩 に 満 ち た も の が 多 く , ド イ ツ 文 学 の 精 神 構 造 は 大 き く 変 化 し た と 言 え よ う 。 1 9 5 0 年 代 は 詩 の 時 代 と も 言 う べ く , ア イ ヒ や フ ー ヘ ル ら の 自 然 抒 情 詩 の 成 熟 に 加 え て , バ ハ マ ン , エ ン ツ ェ ン ス ベ ル ガ ー , ツ ェ ラ ー ン の 華 々 し い 登 場 が 見 ら れ た 。 60 年 代 の 谷 間 を 経 た の ち , 70 年 代 に は 新 形 式 の バ ラ ー ド や 身 辺 雑 記 的 な 詩 が 新 生 面 を 開 拓 し た が , 全 体 と し て は 低 迷 が 続 い て お り , ツ ェ ラ ー ン の 希 有 な 詩 業 の み が 異 様 な 光 芒 を 放 っ て い る 。 ま た 文 学 寄 席 の 系 譜 が ビ ー ア マ ン W o l f B i e r m a n n ︵ 1 9 3 6 - ︶ に よ っ て 新 た な 開 花 を と げ た こ と も 特 記 さ れ よ う 。 1 9 5 0 年 末 か ら は 散 文 が 主 流 と な り , H . ベ ル , G . グ ラ ス , ヨ ー ン ゾ ン な ど に よ っ て , 現 代 史 を 正 し い 意 味 で の 市 民 の 観 点 か ら と ら え 直 そ う と す る 小 説 が 相 次 い で 書 か れ , 戦 後 の 代 表 的 な 傾 向 を 形 づ く っ て い っ た 。 そ れ に つ づ い て 現 代 社 会 に お け る 抑 圧 状 況 を 描 く 作 品 が 書 か れ , 70 年 代 以 降 は そ の テ ー マ が 主 流 を な し て い る 。 一 般 に ル ポ ル タ ー ジ ュ 的 な 手 法 が 目 だ ち , 新 し い 形 で の 労 働 者 文 学 も 活 発 に な っ た が , 物 語 そ の も の に よ っ て 読 者 を ひ き つ け る 伝 統 的 な 小 説 ジ ャ ン ル は , ク リ ス タ ・ ウ ォ ル フ な ど 主 と し て 東 ド イ ツ の 作 家 た ち に よ っ て 担 わ れ て い る 観 が あ る 。 戦 後 の ド イ ツ 演 劇 の 方 向 を 決 定 し た の は , 60 年 代 に P . ワ イ ス が 確 立 し た ド キ ュ メ ン タ リ ー 劇 ︵ 記 録 演 劇 ︶ で あ る が , そ の 後 は 現 代 を 描 く た め に 歴 史 劇 を 取 り 上 げ る 傾 向 も 見 ら れ る 。 い ず れ も ブ レ ヒ ト 劇 の 発 展 的 継 承 で あ る 。 70 年 以 降 の 西 ド イ ツ で は 自 然 主 義 的 風 俗 劇 が 優 位 を 占 め て お り , ブ レ ヒ ト 劇 の 伝 統 は む し ろ 東 ド イ ツ の P . ハ ッ ク ス , H . ミ ュ ラ ー な ど の 手 に よ っ て 受 け 継 が れ て い る 。 総 じ て ド イ ツ の 現 代 文 学 に は 社 会 性 の 強 い 作 品 が 多 く , ま た そ れ に よ っ て 文 学 そ の も の の 自 律 性 が 維 持 さ れ て い る と も 言 え る が , こ れ は 映 像 文 化 と マ ス コ ミ の 普 及 に よ っ て 元 来 の 役 割 が 大 き く 変 化 し , マ ス ・ メ デ ィ ア が つ く り 出 す 厚 い 意 識 の 層 に 切 り 込 む よ う な 社 会 批 評 こ そ , 文 学 に 課 さ れ た 使 命 と な っ て い る か ら で あ る 。
日 本 に お け る 受 容
日 本 に お け る ド イ ツ 文 学 の 受 容 は 1 8 8 0 年 こ ろ か ら 始 ま る 。 当 時 ド イ ツ に 留 学 し た 森 鷗 外 は 現 地 の 文 学 現 象 を 克 明 に 日 本 へ 伝 え , 世 紀 の 転 換 期 に か け て 登 場 す る シ ュ ニ ッ ツ ラ ー な ど の 作 品 を つ ぎ つ ぎ に 翻 訳 紹 介 し た 。 木 下 杢 太 郎 が こ れ を ひ き 継 ぎ , そ の 世 紀 末 的 土 壌 の 上 に ︿ パ ン の 会 ﹀ や ︿ ス バ ル ﹀ な ど の 耽 美 的 情 調 の 文 学 が 日 本 に 開 花 し た 。 ま た 森 鷗 外 に よ る ゲ ー テ の ︽ フ ァ ウ ス ト ︾ の 完 訳 ︵ 1 9 1 3 ︶ は , 日 本 の 読 者 に ド イ ツ 文 学 の 代 表 作 を 提 供 す る も の と な っ た 。 生 田 長 江 の ︽ ツ ァ ラ ト ゥ ス ト ラ ︾ 訳 ︵ 1 9 1 1 ︶ を は じ め と す る ニ ー チ ェ の 翻 訳 紹 介 も 大 き な 反 響 を よ び お こ し , と り わ け 萩 原 朔 太 郎 に そ の 影 響 が 認 め ら れ る 。 茅 野 蕭 々 ︵ 1 8 8 3 - 1 9 4 6 ︶ の ︽ リ ル ケ 詩 抄 ︾ ︵ 1 9 2 7 ︶ は 名 訳 の 評 判 が 高 く , 堀 辰 雄 や 立 原 道 造 を リ ル ケ の 世 界 に 近 づ け た 。 ヘ ル ダ ー リ ン に 心 酔 し た 伊 東 静 雄 を 含 め , 日 本 浪 曼 派 は ド イ ツ 文 学 か ら 深 い 影 響 を う け て い る が , そ の 一 方 , 生 田 春 月 の 訳 編 に な る ︽ ハ イ ネ 詩 集 ︾ ︵ 1 9 1 7 ︶ の 意 義 も 特 筆 に 値 し よ う 。 中 野 重 治 や 舟 木 重 信 の ハ イ ネ 研 究 に 受 け 継 が れ て , 革 命 詩 人 と し て の ハ イ ネ の イ メ ー ジ が 早 く か ら 築 か れ た か ら で あ る 。 自 由 民 権 思 想 と の 関 連 で レ ッ シ ン グ の 劇 作 品 や 宗 教 論 な ど も 早 く か ら 翻 訳 紹 介 さ れ , ド イ ツ 文 学 の 啓 蒙 主 義 的 系 譜 も か な り 日 本 に 導 入 さ れ て い た が , 国 家 主 義 的 イ デ オ ロ ギ ー が 強 ま る に つ れ て , そ れ ら は 圧 殺 さ れ て い っ た 。 な お , 1 9 2 0 年 代 に は 秦 豊 吉 ら に よ っ て 表 現 主 義 の 戯 曲 が 数 多 く 翻 訳 紹 介 さ れ , 新 劇 運 動 を 刺 激 し た こ と も 忘 れ ら れ て は な ら な い 。
日 本 に お け る ド イ ツ 文 学 研 究 は , 19 世 紀 末 以 降 の ド イ ツ の 学 界 の 動 向 を 反 映 し , ゲ ー テ を 中 心 と す る 国 民 文 学 成 立 の 時 期 に 重 点 を 置 く こ と に よ っ て , 規 範 の 大 枠 が 設 定 さ れ て き た 。 ド イ ツ の 国 民 性 の 強 調 を 基 底 と し , 研 究 方 法 に は 実 証 主 義 の 流 儀 を 当 然 の こ と と し て 受 け 入 れ , 徐 々 に 精 神 史 的 方 法 を 学 び と っ て い っ た が , そ れ は 純 粋 な 文 学 研 究 と い う よ り は , ド イ ツ 民 族 精 神 の 研 究 と い う 色 彩 を 強 く 含 ん で い た 。 ︿ ︵ 国 家 統 一 後 の ︶ ド イ ツ 帝 国 に お け る 文 学 と 文 学 研 究 が そ の ま ま 日 本 の 大 学 の ド イ ツ 文 学 教 室 に 流 れ こ ん だ ﹀ ︵ 中 野 重 治 ︶ の で あ る 。
し か し こ う し た 基 調 を も ち な が ら も , 日 本 の 学 界 が ま っ た く 画 一 的 だ っ た わ け で は な く , ま た 1 9 3 0 年 前 後 に F . メ ー リ ン グ の 訳 や ︽ ゲ ー テ 批 判 ︾ と 称 す る 翻 訳 論 文 集 が 刊 行 さ れ る な ど , 反 ア カ デ ミ ズ ム の 活 動 も 息 づ い て い た 。 さ ら に ま た 一 般 的 に は , 知 識 層 の 資 と し て の ド イ ツ 文 学 と い う 考 え 方 が し だ い に 定 着 し , 研 究 者 の 多 く は 時 流 の 政 治 の 埒 外 に 立 っ て , い わ ゆ る 普 遍 的 な 人 間 形 成 の た め に 有 効 と 思 わ れ る 詩 人 や 作 品 を 好 ん で 翻 訳 し な が ら 研 究 の 対 象 と し た 。 ド イ ツ の 詩 人 を 論 ず る 場 合 , 現 実 社 会 に お い て 到 達 で き な い 理 想 を 自 由 な 内 面 世 界 に お い て 創 造 し て い く 点 を 積 極 的 に 評 価 す る と 同 時 に , 魂 の 根 源 に ひ そ む 魔 神 の 促 し の ま ま に 限 り な い 追 求 を 重 ね る 精 神 が 畏 怖 の ま と と な っ た 。 そ の 無 限 追 求 が 合 理 的 な 秩 序 づ け の 精 神 と 結 び つ く と き , 最 も 創 造 性 豊 か な 人 生 が 実 現 す る と さ れ , そ の 実 例 が ゲ ー テ で あ り , 彼 を 頂 点 に 置 く 価 値 規 準 が で き あ が っ た 。 し か し ロ マ ン 主 義 的 な 無 限 の 追 求 は 危 険 な 巨 人 主 義 や 排 他 主 義 に 堕 し や す い こ と も 周 知 の 事 実 で あ る 。 ド イ ツ 精 神 の こ の 誤 っ た 逸 脱 ま で 比 較 的 抵 抗 な く 容 認 さ れ , ナ チ ス 支 配 の 時 期 に ナ チ ス 色 の つ よ い 文 学 が 数 多 く 翻 訳 紹 介 さ れ , そ の 思 想 に も と づ く 文 学 史 ま で 書 か れ た 事 実 は , 日 本 の ド イ ツ 文 学 研 究 史 に な お 打 ち 消 し が た い 傷 痕 を 残 し て い る 。
戦 後 は ル カ ー チ の ︽ ド イ ツ 文 学 小 史 ︾ な ど に よ っ て , ド イ ツ 文 学 に 対 す る さ ま ざ ま な 新 し い 見 方 が 導 入 さ れ , 研 究 者 の 増 加 と と も に 研 究 対 象 の 幅 も 広 く な っ た が , 情 緒 優 先 型 の 体 質 は そ れ ほ ど 大 き く 変 化 し て い な い よ う に 思 わ れ る 。 近 年 の 調 査 で も 日 本 の 読 者 に 愛 好 さ れ て い る ド イ ツ の 作 家 は ゲ ー テ , ハ イ ネ , ヘ ッ セ , ト ー マ ス ・ マ ン , リ ル ケ な ど で あ り , こ れ ら が い ぜ ん 教 養 主 義 の 伝 統 の 根 幹 を な し て お り , そ こ に カ フ カ , ブ レ ヒ ト , ホ フ マ ン ス タ ー ル , G . ビ ュ ヒ ナ ー , ヘ ル ダ ー リ ン な ど が 加 わ っ て , ド イ ツ 文 学 へ の 関 心 の 間 口 は や や 広 が っ て い る と い え る 。 た だ , ベ ル や グ ラ ス な ど 戦 後 の す ぐ れ た 作 家 は , 翻 訳 さ れ て も 一 般 の 読 者 に は 親 し ま れ て い な い 。 こ の よ う な 膠 着 状 態 の 一 因 は , 日 本 に 定 着 し て い る ド イ ツ 文 化 に つ い て の イ メ ー ジ と そ の 実 像 と の あ い だ に か な り の 距 離 が あ る こ と に 求 め ら れ よ う 。
執 筆 者 ‥ 神 品 芳 夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」 改訂新版 世界大百科事典について 情報
ドイツ文学 ドイツぶんがく German literature
ド イ ツ 語 に よ る 文 学 作 品 の 総 称 。 ド イ ツ の み な ら ず , オ ー ス ト リ ア , ス イ ス な ど ド イ ツ 語 圏 の 古 今 の 作 家 に よ る ド イ ツ 語 作 品 も 含 ま れ る 。 閉 塞 的 な 北 方 的 風 土 と 19 世 紀 ま で の 社 会 的 後 進 性 な ど に も 影 響 さ れ て , 非 社 会 的 で 極 度 に 内 面 的 で あ る こ と を 特 色 と す る 。 小 説 の 分 野 で は 教 養 小 説 が 特 に 顕 著 な 傾 向 と し て 主 流 を 占 め , 戯 曲 で は 喜 劇 は ご く 少 な く , 悲 劇 な い し 悲 劇 的 な 作 品 が 主 流 を な し て い る 。
ゲ ル マ ン 民 族 の 文 字 に よ る 最 古 の 記 録 は 8 世 紀 に さ か の ぼ る が , そ れ 以 前 に も 口 承 文 芸 が 存 在 し た と い う 証 拠 が あ り , そ れ ら は 戦 士 の 功 績 を た た え る 英 雄 詩 , キ リ ス ト 教 以 前 の 祭 祀 の 頌 歌 や 戦 い の 歌 な ど か ら な っ て い た 。 ド イ ツ 語 で 書 か れ た 初 期 の 文 献 は , 9 世 紀 に 伝 来 し た キ リ ス ト 教 を 布 教 す る た め の も の で , そ の 多 く は ラ テ ン 語 か ら の 翻 訳 で あ る 。 1 0 5 0 年 頃 に な っ て 世 俗 文 学 が 復 活 し , 一 般 に 中 高 ド イ ツ 語 時 代 ︵ → 中 高 ド イ ツ 語 ︶ と 呼 ば れ る こ の 時 期 の 中 心 的 な 分 野 は , 宮 廷 叙 事 詩 で あ っ た 。 こ の 種 の 作 品 は 宮 廷 ロ マ ン ス や 封 建 騎 士 ︵ → 騎 士 ︶ の 戦 い な ど を 物 語 る も の で , ハ ル ト マ ン ・ フ ォ ン ・ ア ウ エ , ウ ォ ル フ ラ ム ・ フ ォ ン ・ エ シ ェ ン バ ハ , ゴ ッ ト フ リ ー ト ・ フ ォ ン ・ シ ュ ト ラ ス ブ ル ク の 3 人 が 傑 出 し て い た 。 ま た , こ の 時 代 に は , 中 世 ド イ ツ 最 大 の 民 族 叙 事 詩 ﹃ ニ ー ベ ル ン ゲ ン の 歌 ﹄ が 生 ま れ た 。 こ の 時 期 の も う 一 つ の 重 要 な 分 野 と し て , ミ ン ネ ザ ン グ と 呼 ば れ る 宮 廷 抒 情 詩 が あ り , ワ ル タ ー ・ フ ォ ン ・ デ ル ・ フ ォ ー ゲ ル ワ イ デ ら の ミ ン ネ ジ ン ガ ー は , 宮 廷 の し き た り に 従 っ て 愛 す る 女 性 へ の 憧 れ を う た っ た 。
1 4 5 0 年 頃 か ら 人 文 主 義 を 標 榜 す る 新 し い ブ ル ジ ョ ア ・ リ ア リ ズ ム が 興 り , 風 刺 的 , あ る い は 説 教 的 な 調 子 を 帯 び た 文 学 が 発 展 し た 。 そ の 例 が セ バ ス チ ア ン ・ ブ ラ ン ト の ﹃ 愚 者 の 船 ﹄ ︵ 1 4 9 4 ︶ で あ る 。 16 世 紀 の 宗 教 改 革 は ド イ ツ 文 学 に い く つ か の 影 響 を 与 え た が , そ の 最 大 の も の は マ ル チ ン ・ ル タ ー に よ る 聖 書 の ド イ ツ 語 訳 で あ る 。 ル タ ー が 用 い た マ イ セ ン 方 言 は , 最 終 的 に ド イ ツ 全 土 で 文 語 と し て 採 用 さ れ た 。 ほ か に は ハ ン ス ・ ザ ッ ク ス の ウ ィ ッ ト に 富 ん だ 寓 話 詩 や 謝 肉 祭 劇 が 重 要 で あ る 。 17 世 紀 の ド イ ツ の バ ロ ッ ク 文 学 は , 道 徳 性 と 幻 想 が な い ま ぜ と な っ て 長 く 散 漫 に 展 開 す る 小 説 を 特 徴 と す る 。 な か で も ハ ン ス ・ ヤ ー コ プ ・ ク リ ス ト フ ェ ル ・ フ ォ ン ・ グ リ ン メ ル ス ハ ウ ゼ ン の ﹃ ジ ン プ リ チ シ ム ス ﹄ ︵ 1 6 6 8 ︶ は 一 般 的 な 主 題 を 宗 教 的 , 形 而 上 学 的 考 察 と 組 み 合 わ せ て お り , 今 日 で も ド イ ツ 文 学 の 最 高 傑 作 の 一 つ と さ れ て い る 。 抒 情 詩 で は ア ン ド レ ア ス ・ グ リ ュ フ ィ ウ ス , ア ン ゲ ル ス ・ ジ レ ジ ウ ス , パ ウ ル ・ フ レ ミ ン グ が 宗 教 的 熱 情 と こ の 時 代 の 希 望 と 恐 れ を 表 現 し た 。 グ リ ュ フ ィ ウ ス の 悲 劇 に も 同 様 の 張 り つ め た 感 情 が み ら れ る 。 18 世 紀 中 頃 に は 啓 蒙 思 想 と 結 び つ い た ゴ ッ ト ホ ル ト ・ エ ー フ ラ イ ム ・ レ ッ シ ン グ の 戯 曲 , ク リ ス ト フ ・ マ ル チ ン ・ ウ ィ ー ラ ン ト の 散 文 小 説 が 登 場 し , 倫 理 的 問 題 へ の 関 心 と 人 間 の 完 全 性 に つ い て の 楽 天 的 な 確 信 が 表 現 さ れ た 。
1 7 7 0 ~ 80 年 代 に は シ ュ ト ゥ ル ム ・ ウ ン ト ・ ド ラ ン グ と 呼 ば れ る 文 学 運 動 が 興 り , ヨ ハ ン ・ ウ ォ ル フ ガ ン グ ・ フ ォ ン ・ ゲ ー テ , ヨ ハ ン ・ ク リ ス ト フ ・ フ リ ー ド リ ヒ ・ フ ォ ン ・ シ ラ ー ら が 自 然 , 感 情 , 独 自 性 , 権 威 に 対 す る 反 抗 を う た い 上 げ た 。 ﹃ タ ウ リ ス の イ フ ィ ゲ ニ ー ﹄ ︵ 1 7 8 7 ︶ な ど の ゲ ー テ の 後 期 の 作 品 や , シ ラ ー の ﹃ ワ レ ン シ ュ タ イ ン ﹄ ︵ 1 7 9 8 ~ 99 ︶ な ど に は , ヨ ハ ン ・ ゴ ッ ト フ リ ー ト ・ フ ォ ン ・ ヘ ル ダ ー の ﹁ 知 性 と 感 情 の 和 解 ﹂ と い う 理 想 へ の 発 展 が み ら れ , こ れ は ド イ ツ の 新 古 典 主 義 の 典 型 と さ れ る 。
19 世 紀 初 め の 文 学 運 動 の 主 流 は ロ マ ン 主 義 で あ る 。 と り わ け フ リ ー ド リ ヒ ・ ヘ ル ダ ー リ ー ン の 詩 に は 古 い も の へ の 憧 れ が 色 濃 く 表 現 さ れ て い る 。 初 期 の ロ マ ン 派 の 主 要 な 理 論 家 は , ア ウ グ ス ト ・ ウ ィ ル ヘ ル ム ・ フ ォ ン ・ シ ュ レ ー ゲ ル と フ リ ー ド リ ヒ ・ フ ォ ン ・ シ ュ レ ー ゲ ル の 兄 弟 で あ る 。 第 2 の ロ マ ン 派 は , 詩 の 題 材 と し て 民 謡 や 中 世 ロ マ ン ス に 対 す る 関 心 を 復 活 さ せ た 。 後 期 ロ マ ン 派 は , ハ イ ン リ ヒ ・ フ ォ ン ・ ク ラ イ ス ト の 戯 曲 に み ら れ る よ う に , 人 生 の 暗 い 側 面 に 焦 点 を あ て た 。 エ ル ン ス ト ・ テ オ ド ー ル ・ ア マ デ ウ ス ・ ホ フ マ ン は 幻 想 と グ ロ テ ス ク を 扱 っ た 数 多 く の 物 語 を 書 い た 。 オ ー ス ト リ ア の 劇 作 家 フ ラ ン ツ ・ グ リ ル パ ル ツ ァ ー は , 新 古 典 主 義 の 伝 統 に の っ と っ た 戯 曲 を 書 い た が , 同 時 に 写 実 主 義 を 導 入 し た 。 1 8 2 0 年 代 に な る と ロ マ ン 主 義 は ハ イ ン リ ヒ ・ ハ イ ネ ら の 詩 人 か ら 厳 し く 批 判 さ れ る よ う に な っ た 。 1 8 3 0 年 代 に は ﹁ 若 き ド イ ツ ﹂ と い う 運 動 が 興 り , 文 学 を 政 治 批 判 の 手 段 と し て 用 い よ う と し た 。 ま た , 日 常 生 活 自 体 の 積 極 的 な 要 素 を 強 調 す る こ と を 目 的 と す る 詩 的 リ ア リ ズ ム の 発 展 は , ド イ ツ 文 学 史 上 非 常 に 重 要 な こ と で あ る 。 こ の 運 動 の 主 要 な 提 唱 者 に , オ ー ス ト リ ア の ア ー ダ ル ベ ル ト ・ シ ュ テ ィ フ タ ー , ス イ ス の ゴ ッ ト フ リ ー ト ・ ケ ラ ー , ド イ ツ の ク リ ス チ ア ン ・ フ リ ー ド リ ヒ ・ ヘ ッ ベ ル , テ オ ド ー ル ・ フ ォ ン タ ー ネ が い る 。 19 世 紀 の 最 後 の 10 年 に は , 社 会 の 現 実 と 人 生 の 醜 く 汚 い 側 面 を ﹁ 科 学 的 ﹂ 客 観 性 を も っ て 描 い た 自 然 主 義 の 運 動 が 発 生 し , こ の 運 動 の 指 導 者 ゲ ル ハ ル ト ・ ヨ ハ ン ・ ロ ー ベ ル ト ・ ハ ウ プ ト マ ン は , 戯 曲 ﹃ 織 り 工 ﹄ ︵ 1 8 9 2 ︶ で シ ュ レ ジ エ ン の 機 織 り 職 人 の 苦 難 を 描 い て い る 。
20 世 紀 初 頭 は ウ ィ ー ン の フ ー ゴ ー ・ フ ォ ン ・ ホ ー フ マ ン ス タ ー ル や ア ル ト ゥ ー ル ・ シ ュ ニ ッ ツ ラ ー ら が , 印 象 主 義 の 手 法 を 用 い て 気 分 や あ る 精 神 状 態 を 喚 起 す る 作 品 を 書 い た 。 シ ュ テ フ ァ ン ・ ゲ オ ル ゲ , ラ イ ナ ー ・ マ ー リ ア ・ リ ル ケ と い っ た 詩 人 は 象 徴 主 義 の 影 響 を 受 け て い る 。 ト ー マ ス ・ マ ン も 同 様 に , い く つ か の 小 説 で 象 徴 と 神 話 を 用 い , そ の 最 高 傑 作 が ﹃ 魔 の 山 ﹄ ︵ 1 9 2 4 ︶ で あ る 。 ヘ ル マ ン ・ ヘ ッ セ は ﹃ デ ミ ア ン ﹄ ︵ 1 8 1 9 ︶ , ﹃ 荒 野 の 狼 ﹄ ︵ 1 8 2 7 ︶ で , 詩 的 象 徴 , 幻 想 , 精 神 分 析 へ の 傾 倒 を 示 し て い る 。 フ ラ ン ク ・ ウ ェ デ キ ン ト の 戯 曲 に 予 見 さ れ る 表 現 主 義 は , 第 1 次 世 界 大 戦 直 後 に 重 要 な 流 れ と な っ た 。 主 要 な 表 現 主 義 作 家 と し て , 戯 曲 で は エ ル ン ス ト ・ ト ラ ー と ゲ オ ル ク ・ カ イ ザ ー が , 詩 で は ゲ オ ル ク ・ ト ラ ー ク ル , ゴ ッ ト フ リ ー ト ・ ベ ン , エ ル ゼ ・ ラ ス カ ー = シ ュ ー ラ ー , 散 文 で は ア ル フ レ ー ト ・ デ ー ブ リ ン が い る 。 フ ラ ン ツ ・ カ フ カ は 多 く の 短 編 小 説 で 表 現 主 義 を 思 わ せ る 主 題 を 扱 い , 人 間 の 存 在 の 恐 怖 と 不 確 定 さ を 鋭 く 浮 き 彫 り に し た 。 第 1 次 世 界 大 戦 後 か ら ナ チ ス 政 権 時 代 に は , 客 観 性 に 重 点 を お い た 社 会 主 義 リ ア リ ズ ム が 主 流 を 占 め た 。 代 表 的 な 作 品 に , ア ン ナ ・ ゼ ー ガ ー ス の ﹃ 第 七 の 十 字 架 ﹄ ︵ 1 9 4 2 ︶ , ア ー ノ ル ト ・ ツ ワ イ ク の ﹃ グ リ ー シ ャ 軍 曹 を め ぐ る 争 い ﹄ ︵ 1 9 2 7 ︶ が あ る 。 第 2 次 世 界 大 戦 後 の 空 気 と 問 題 を と ら え た の が ウ ォ ル フ ガ ン グ ・ ボ ル ヒ ェ ル ト , イ ル ゼ ・ ア イ ヒ ン ガ ー , ハ イ ン リ ヒ ・ ベ ル の 散 文 小 説 で あ る 。 ギ ュ ン タ ー ・ グ ラ ス は 1 9 5 0 ~ 60 年 代 の 一 連 の 小 説 で , 近 代 ド イ ツ 史 を グ ロ テ ス ク な が ら 生 き 生 き と 描 い た 。 い わ ゆ る 叙 事 演 劇 の 創 始 者 ベ ル ト ル ト ・ ブ レ ヒ ト は 冷 笑 的 な ユ ー モ ア と 痛 烈 な 社 会 批 評 で 国 際 的 な 評 価 を 得 た 。 ス イ ス の 作 家 マ ッ ク ス ・ フ リ ッ シ ュ と フ リ ー ド リ ヒ ・ デ ュ レ ン マ ッ ト は 現 代 生 活 に お け る 感 情 の 不 毛 を 批 判 し た 。 20 世 紀 の 重 要 な ド イ ツ 作 家 に は , ほ か に オ ー ス ト リ ア 人 ペ ー タ ー ・ ハ ン ト ケ , ク リ ス タ ・ ウ ォ ル フ が い る 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報