四国地方(読み)シコクチホウ

デジタル大辞泉 「四国地方」の意味・読み・例文・類語

しこく‐ちほう〔‐チハウ〕【四国地方】

徳島香川愛媛高知の4県の地域。

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精選版 日本国語大辞典 「四国地方」の意味・読み・例文・類語

しこく‐ちほう‥チハウ【四国地方】

 

(一)
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「四国地方」の意味・わかりやすい解説

四国地方
しこくちほう


西8()西()()()()444()()

 188055200640864573.220051217調


自然


沿西()()沿()()西()()1060()()()()()()1233

 ()()()()()()()()()()()()()沿32

 西()湿

 ()50001000()()


産業


199513.47.15.31993調

 

 ()

 1995744606754.3()()()

 ()1973

 2.7()西西()()()YKK

 ()()()()()()()()


交通


188821()JR192721935()西JRJR()()()()19924

 198863()()199810()1999()()113233V5556W33

 1998


開発

四国の開発プロジェクトは交通関係が中心である。第一が本州四国連絡架橋で、1978年(昭和53)児島(こじま)―坂出(さかいで)ルートの瀬戸大橋の着工式があり、1988年に開通した。また神戸―鳴門ルート(神戸・淡路(あわじ)・鳴門自動車道)は1998年(平成10)4月、尾道(おのみち)―今治(いまばり)ルート(西瀬戸自動車道=瀬戸内しまなみ海道)は1999年5月に、それぞれ全面開通した。四国幹線自動車道は、8の字型に交差する川之江市(現、四国中央市)で1980年起工式が行われ、横断自動車道462キロメートル、縦貫自動車道224キロメートルの建設に着手した。1995年時点の供用率32.3%である。原子力発電は愛媛県伊方町で実用化されているが、他の候補地は地元の賛否両論で決定に至らない。1997年度末、四国の電力の原子力発電比(発受電力量比)は43%で、比率は漸増している。

[坂口良昭]

人口

1920年(大正9)に第1回国勢調査が行われたが、そのときの四国の人口は306万5643人で、全国の5.5%を占めた。2005年(平成17)の国勢調査では人口408万6457人で、全国比3.2%、人口密度217人である。第二次世界大戦後の人口の推移をみると、いちばん多かったのが1955年(昭和30)の424万5000人(全国比4.8%)、少ないのが1970年の390万4000人(3.7%)である。すなわち、第二次世界大戦中の疎開などで四国の人口は急増したが、1960年代の高度成長期には人口が大都市に流出し、1970年までの10年間に31万7000人の減少をみた。これが四国山地を中心にした過疎化の波となって現れた。

 4県のなかで1970年以降最初に人口増に転じたのは香川県で、1965年の90万1000人を最低に上昇に転じ、1980年12月には100万人を突破した。ついで愛媛県が1970年141万8000人を最低に増に転じた。高知・徳島両県も1970年をボトムに1975年から増に転じてはいるが、年度別にみると愛媛は1971年から、高知、徳島は1974年からで、それも増の幅はきわめて少ない。1990年からふたたび、香川を除く3県が減少に転じた。1970年の国勢調査によると、人口減少率10%以上の町村数は香川が0、徳島が12、愛媛、高知がそれぞれ17であるが、1995年では香川が0、徳島が4、愛媛が14、高知が3と愛媛の減が多い。人口流出の下げ止まりという点からいえば、安定成長期は四国にプラスしていたといえる。

 65歳以上の老齢人口の率の高いのが問題で、高知が全国3位、徳島8位、愛媛12位、香川が18位で、今後老人問題の処理は四国4県にとって重大な問題となろう。これは裏返せば出生率の低率ということで、香川県をのぞけば低位で、当然死亡率も高く、全国2位の高知県をはじめとして高位にある(2005)。

[坂口良昭]

歴史


43()()()4119981037()()()

 ()()()()()()()

 ()()()158513西()()7()()242026()12()61()815()3500010()3()6()1西31()87()

 ()()退

 ()綿()綿綿


民俗


()()()()

 ()()

 ()西()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()

 沿()()()()()

 4()()()

 ()()()西()()()()()()


民話

四国地方の口承資料は、昭和10年代の『西讃岐昔話集』や『阿波祖谷(あわいや)山昔話』が古い。そして、そのころの収集をのちに増補改訂した『土佐昔話集』も比較的時期の早い伝承を記録している。

 四国地方には笑い話が多い。そして民話の優れた語り手は、四国では男性に偏っている。ほとんどの場合炉辺で客を接待し相手になるのが男性であったといい、また村寄合や山の仕事宿で、男たちの集団が歴史的に語りを維持してきた。四国の昔話が笑話化される著しい現象は、こうした習慣や暮らしのあり方に直結するものであろう。この地方の語りは世間話化されて定着し、実在の人物の滑稽(こっけい)な所作(しょさ)と結び付いて伝えられているのが、おおよその姿といえる。

 四国には昔話の主人公が実存する例が多い。ときにはその人物が、同時に語り手であったりする。土佐の泰作(たいさく)ばなしはその典型的な例である。泰作には子孫があり墓地も実在する。さかな屋、塩売り、木綿売りとして泰作の名は行商の先々で、人々をたぶらかしたり、機知を発揮する人物として四国各地に残っている。こうした世間師を土地人はテンクロといった。ほかにも半七、与八、キザさん、米蔵などの人物が笑い話に登場する。これらの人々に共通するのは、行商人、農家の奉公人や駄賃取りの仕事をしていることである。

 四国はお遍路さんの地として、長い間巡礼や諸国修行者を受け入れてきた。それらの人々が運んだ伝承が定着する例も多い。四国八十八か所の寺のなかには、昔話が寺社縁起になっている場合もある。それらのなかでは、宝手拭(てぬぐい)、炭焼長者、猫檀家(だんか)などが知られている。また海に面する土地では、潮待ち、風待ちの船人を遇してきた歴史がある。瀬戸内には、江戸時代の北前船が残していった話もみられる。

[野村純一]

『大明堂編集部編『新日本地誌ゼミナール6 中国・四国地方』(1987・大明堂)』『『風土記日本2 中国・四国編』(1960・平凡社)』『『日本の地理6 中国・四国編』(1962・岩波書店)』『日本地誌研究所編『日本地誌18巻 四国地方』(1981・二宮書店)』『『図説日本文化地理大系3 四国』(1961・小学館)』『山本大・田中歳雄著『四国の風土と歴史』(1977・山川出版社)』『網野善彦ほか編『日本民俗文化大系 全14巻・別巻1』(1994・小学館)』

 

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改訂新版 世界大百科事典 「四国地方」の意味・わかりやすい解説

四国地方 (しこくちほう)


40018807km25%39820103.3%844西4664143.1201099.678.576.43851.542.4233.925.841994

沿西西西西西1982m1955m西12西

 1020%10%199514%6.3%2666mm5000mm12001300mm816000196019651953197374

貿綿21970退2/3便湿

19942.7%44%30%74%西

1910JR31927357071西11西西3233V沿5556W4889899203


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四国地方
しこくちほう

 
西4446西退18806.54km2 36961712020  

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百科事典マイペディア 「四国地方」の意味・わかりやすい解説

四国地方【しこくちほう】

 
西西西()4418803.41km239772822010  

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