小宮豊隆(読み)コミヤトヨタカ

デジタル大辞泉 「小宮豊隆」の意味・読み・例文・類語

こみや‐とよたか【小宮豊隆】

 
18841966  

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精選版 日本国語大辞典 「小宮豊隆」の意味・読み・例文・類語

こみや‐とよたか【小宮豊隆】

 

(一)
 

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20世紀日本人名事典 「小宮豊隆」の解説

小宮 豊隆
コミヤ トヨタカ

 

,, ; 





17(1884)37



41(1966)53







41



28



4211121321退252628


 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「小宮豊隆」の意味・わかりやすい解説

小宮豊隆
こみやとよたか
(1884―1966)


()()19421938()()191119141942()1913()1933()1935

 

75 (2)1968  21962

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小宮豊隆」の意味・わかりやすい解説

小宮豊隆
こみやとよたか

[生]1884.3.7. 福岡,犀川
[没]1966.5.3. 東京
評論家。第一高等学校を経て 1908年東京大学独文科卒業,大学院に進んだ。慶應義塾大学,東北大学でドイツ文学を講じ,46年東京音楽学校校長。夏目漱石門下の逸材として『「三四郎」を読む』 (1909) で日本における西欧印象批評の方法を確立。『伝統芸術研究』 (23) で日本の伝統芸術の再評価に努め,綿密な調査のもとに書き上げた『夏目漱石』 (38) ,『漱石の芸術』 (42) も名著として定評がある。 54年日本芸術院賞受賞。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小宮豊隆」の解説

小宮豊隆 こみや-とよたか

1884-1966 大正-昭和時代のドイツ文学者,文芸評論家。
明治17年3月7日生まれ。東京帝大在学中夏目漱石(そうせき)の薫陶をうけ,卒業後は文芸・演劇評論に活躍。「漱石全集」の編集にもたずさわる。大正13年東北帝大教授となり,伝統芸術の研究でも知られた。昭和21年東京音楽学校(現東京芸大)校長。のち学習院大教授。29年「夏目漱石」で芸術院賞。学士院会員。昭和41年5月3日死去。82歳。福岡県出身。著作に「芭蕉(ばしょう)の研究」「能と歌舞伎」など。

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百科事典マイペディア 「小宮豊隆」の意味・わかりやすい解説

小宮豊隆【こみやとよたか】

 
 

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367日誕生日大事典 「小宮豊隆」の解説

小宮 豊隆 (こみや とよたか)

生年月日:1884年3月7日
大正時代;昭和時代のドイツ文学者;文芸評論家
1966年没

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世界大百科事典(旧版)内の小宮豊隆の言及

【舞台協会】より

…1913年(大正2)文芸協会解散直後,同劇団の若手(加藤精一,佐々木積,山田隆弥(たかや),吉田幸三郎ら)が設立し,G.B.ショーの《悪魔の弟子》ほかで同年11月28日に帝国劇場で第1回公演をもった。夏目漱石門下の評論家・ドイツ文学者小宮豊隆(1884‐1966)が文芸面を担当していた。しかしのち経済的困難に陥り,離散状態となった。…

※「小宮豊隆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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