デジタル大辞泉
「復古神道」の意味・読み・例文・類語
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ふっこ‐しんとうフクコシンタウ【復古神道】
(一)〘 名詞 〙 古典解釈に基づき、儒教・仏教の影響を排して、純粋に日本古代の神道に復することを主唱した神道説。江戸中期以来、荷田春満・賀茂真淵・本居宣長らが唱え、平田篤胤に至り社会的勢力を占めた。
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復古神道 (ふっこしんとう)
江戸時代中期の国学者たちによる復古主義の神道。江戸時代は武士を中心とした身分社会であったから,この身分社会を維持する根本思想として儒教が思想の主流となり,神道も儒教思想の影響下に新しい流派が成立した。林羅山の理当心地神道,吉川惟足︵これたり︶の吉川神道,度会︵出口︶延佳の伊勢神道など,近世初期に提唱された神道思想はいずれも神儒合一的傾向の所産である。しかし中期より日本古来の文献を客観的態度で合理的に研究しようとする学風が現れる。それが契沖らによって唱導された国学の勃興である。国学は伏見稲荷大社の祠官荷田春満︵かだのあずままろ︶,春満の門人賀茂真淵,真淵門人本居宣長,宣長門人平田篤胤によって学派的に継承され,この4人を世に国学の四大人と称する。この4人の学風にはそれぞれ相違があるが,いずれも古語・古文辞の実証的研究者つまり日本のフィロロジストphilologistであった。最後に出現した篤胤はフィロロジストであるとともに,それによって闡明︵せんめい︶された古道を信仰的に信奉する立場を強く打ち出した。その門下から大国隆正,鈴木重胤,矢野玄道,権田直助のような思想家が出現し,彼らの提唱した神道思想は,明治維新の思想的原動力となった。なお復古神道の祖平田篤胤は1843年︵天保14︶に没したが,その著︽古道大意︾︽俗神道大意︾︽霊能御柱︾︽出定笑語︾はいずれも神道に関する著書であり,とくに︽古史伝︾は古神道闡明の立場で日本の神典を再編しようとした仕事であった。
→国学 →国家神道
執筆者‥平 重道
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復古神道
ふっこしんとう
近世国学者の唱えた神道の一流派。国学神道とはほとんどいわず多く復古神道というのは、古代のわが国の道こそ本来の純粋な神の道であるとし、儒教や仏教などの渡来以前の古代に復帰することを強調するからである。時期的には林羅山(らざん)や山崎闇斎(あんさい)らの儒家の神道説が形成をみたあとであり、これらへの批判を伴っておこってきた。荷田春満(かだあずままろ)、賀茂真淵(かもまぶち)を経て、これを継いで登場する本居宣長(もとおりのりなが)に至り確立された。宣長は、儒家が多く五倫五常(ごりんごじょう)や陰陽(いんよう)五行説を基として、﹃日本書紀﹄神代(じんだい)巻を解釈し神道説をたてることを漢心(からごころ)であると批判、﹃源氏物語﹄﹃万葉集﹄、記紀、とくに﹃古事記﹄を尊重し、これらわが古典に拠(よ)って古語、古事、古意の真意を帰納的に導き出し、そこにみいだされた神の道の意義と様相を強調した。すなわち復古神道とは、中世の神仏習合、近世の神儒習合に対し、仏儒思想を排除した純粋な神道ということになる。その内容は、八百万(やおよろず)の神々のなかで天照大御神(あまてらすおおみかみ)を中心に仰ぎ、その神勅(しんちょく)による子孫たる天皇を蒼生(そうせい)︵人々︶の中心的存在として、両者ともに無窮(むきゅう)に存続し繁栄すること、ここに神の道があり、かつ人の道もこのことを確認し敬仰することから始まるとした。この点、学的研究と信仰とが分かちがたく一体となっている。この後継に平田篤胤(あつたね)、伴信友(ばんのぶとも)、橘守部(たちばなもりべ)、大国隆正(おおくにたかまさ)、鈴木重胤(しげたね)ら深い学識と信仰を備えた国学者が輩出して、幕末から明治維新にかけて人々に大きな影響を与えた。以上の人々にはすべて個人の全集があり、復刊もある。
﹇小笠原春夫﹈
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復古神道
ふっこしんとう
江戸時代後期の神道説の一つ。儒教,仏教と混交した中世以来の神道を批判,「記紀」を中心とする日本の古典に依拠し,その解明を通じて明らかになる古道,惟神の道を説く。中世以来,神道説はあるときは仏教,あるときは儒教,道教などの影響のもとに諸派が分立したが,江戸時代に儒学の復古主義とともに国学の復古主義も台頭し,その機運のなかで,荷田春満,賀茂真淵らによって創始され,本居宣長において深められ,体系化し,平田篤胤以降はさらに色合いの異なる分化,発展をとげた。その説くところは,神道とは古史の伝える史実のなかに現れた惟神の道であり,日本国の成立に先立ち,産霊神の徳で,イザナギ,イザナミの2神が始められアマテラスオオミカミの受継いだものである。これは,儒仏の「さかしら」を加えぬ以前の固有の道であり,社会のあらゆる現象は,すべて善悪の2神のなしたまうところであり,われわれは御心のままに安心して生活すべきであるというもの。日本はアマテラスオオミカミの子孫たる天皇が統治する国であるとする国体論は,明治維新の推進に多大な影響を与えた。
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復古神道
ふっこしんとう
近世後期に国学の影響をうけて整備された神道。国学の研究を通じて「日本書紀」などに記されている神話や古代の神観念が注目され,その精神への回帰を主張する考え・信仰が発展した。荷田春満(かだのあずままろ)・賀茂真淵と継承され,本居宣長(もとおりのりなが)により大成された。宣長は天照(あまてらす)大神を最高神と位置づけながら多神信仰を正当化し,神社に祭られている神への信仰を説き,万物を生成する産霊(むすひ)の重視を主張。これを継承した平田篤胤(あつたね)は,国体を重視して日本精神を強調し,尊王攘夷運動の思想的な支柱を形成した。明治期以降もこの考えは継承され,神仏分離や国家神道などの神道関係の諸政策のイデオロギーとなった。
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復古神道
ふっこしんとう
江戸中期以降,平田篤胤がひらいた神道説
古典の研究により,儒教・仏教などの外来思想の影響をうけない古代日本の純粋な精神(古道)への復古を主張した神道説。賀茂真淵 (まぶち) ・本居宣長らは古神道を唱えたが,平田篤胤 (あつたね) はこれを継承して宗教的に体系づけた。幕末から明治維新にかけて尊王攘夷運動・廃仏毀釈運動などに与えた影響は大きい。
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世界大百科事典(旧版)内の復古神道の言及
【神道】より
…近世に入って全国の神職のほとんどが吉田神道の支配下に置かれたが,吉川惟足は儒学を摂取した神道説を唱え,[吉川神道]︵よしかわしんとう︶を学んだ山崎闇斎は,儒学の立場をさらに深めた[垂加神道]︵すいかしんとう︶を主張した。また真言僧慈雲は,記紀などの神典を密教で解釈する雲伝神道を立てたが,その主張は仏教や儒教などの思想を習合した神道を,すべて俗神道としてしりぞけ古典の精神に帰ろうとする国学の立場([復古神道])に近いものであった。[本地垂迹]
﹇近代の神道﹈
明治政府は,強力な統一国家を建設していくために,宗教的な支えが必要であると考えたが,旧時代の象徴のように思われた仏教に依拠するわけにはいかず,神道が注目されることになった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」