文芸協会(読み)ブンゲイキョウカイ

デジタル大辞泉 「文芸協会」の意味・読み・例文・類語

ぶんげい‐きょうかい〔‐ケフクワイ〕【文芸協会】

明治39年(1906)、坪内逍遥島村抱月らを中心に、演劇・文学・美術などの改革を目的として設立された団体。同42年に演劇団体として改組、日本の新劇運動起点となった。大正2年(1913)解散。

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精選版 日本国語大辞典 「文芸協会」の意味・読み・例文・類語

ぶんげい‐きょうかい‥ケフクヮイ【文芸協会】

 

(一)
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「文芸協会」の意味・わかりやすい解説

文芸協会
ぶんげいきょうかい


190639()()()()1()109()19116132()



19471966 1985

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百科事典マイペディア 「文芸協会」の意味・わかりやすい解説

文芸協会【ぶんげいきょうかい】

 
190619091()19133
 

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改訂新版 世界大百科事典 「文芸協会」の意味・わかりやすい解説

文芸協会 (ぶんげいきょうかい)

坪内逍遥の国劇刷新の意図を実現した新劇団。(1)前期 新帰朝の島村抱月が中心となり,大隈重信を会頭に,広範な文化改革運動をめざし,1906年2月発足した。《早稲田文学》を復刊,演芸部大会を開き,逍遥の《桐一葉》や歌劇《常闇(とこやみ)》《ハムレット》などを上演して終わったが,文化団体としての性格が濃かった。(2)後期 1909年,逍遥が実質的な指導者となり演劇研究所を設立,素人からの男女俳優の養成に当たり,11年改組,逍遥を会長に新劇団として再出発した。同年帝劇での旗揚げに《ハムレット》を上演,ついで《人形の家》《故郷》《思ひ出》などを上演し,松井須磨子の好演で注目を集めた。合わせて逍遥の新舞踊劇《寒山拾得》《お七吉三》などもとりあげられた。しかし協会内部での方針のくいちがいや,抱月・須磨子の恋愛事件が表面化して,13年6月の第6回公演をもって解散した。自由劇場とともに新劇運動の先駆けとなった意義は大きい。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「文芸協会」の解説

文芸協会
ぶんげいきょうかい

明治・大正期に演劇の研究・公演・俳優養成などの活動を行った団体。1906年(明治39)島村抱月(ほうげつ)を中心に坪内逍遥(しょうよう)らを発起人として設立。逍遥やシェークスピアの史劇から,歌劇・喜劇など多くの部門にわたって試演したが,約2年で活動を中止。ここまでを一般に前期文芸協会という。後期は09年に逍遥が自宅の一部を提供し,演劇研究所を設置した時期からをいう。以後俳優養成も行われ,11年第1回公演「ハムレット」を上演。第2回の「人形の家」で松井須磨子が主役を演じて人気女優となった。その間試演場も完成し,本公演も好評だったが,種々の内紛が重なり13年(大正2)第6回公演を最後に解散。近代演劇史に占める位置は大きい。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「文芸協会」の意味・わかりやすい解説

文芸協会
ぶんげいきょうかい

1906年に結成された演劇団体。前・後2期に分けられる。 (1) 前期  06年島村抱月らが,大隈重信を会頭に,文学,美術,音楽,舞踊,演劇,宗教,教育などの文化事業を推進するために結成。第2次『早稲田文学』の復刊,2回にわたる演劇公演を行なっただけで停滞。 (2) 後期  1909年「劇界の刷新をはかり,時代に適応する新芸術を振興」する文化団体として発足。会長坪内逍遙。俳優養成の演劇研究所を開設。 11年第1回公演として『ハムレット』を,続いて『人形の家』『故郷』『思い出』を上演したが,13年恋愛事件から松井須磨子,島村抱月が退会し,『ジュリアス・シーザー』上演後解散,芸術座をはじめ,無名会,舞台協会,新国劇などに分れた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「文芸協会」の解説

文芸協会
ぶんげいきょうかい

1906(明治39)年,島村抱月を中心に結成された文化運動団体
1909年からは坪内逍遙を会長とする純然たる新劇団体となる。シェイクスピア・イプセンの作品を上演,松井須磨子らを育成した。'13年内部対立により解散。

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世界大百科事典(旧版)内の文芸協会の言及

【シェークスピア】より

… 上演としては1885年大阪戎座での中村宗十郎一座による《ベニスの商人》の翻案《何桜彼桜銭世中(さくらどきぜにのよのなか)》が最初である。その後いくつかの作品がいずれも部分的に翻案によって上演されたが,1906年に文芸協会が設立されるに至って,逍遥訳による原作に忠実な上演が可能になった。【笹山 隆】 明治期の劇壇はシェークスピア・ブームといってよいほどの活況を呈したが,それは彼の戯曲世界の物語的豊饒(ほうじよう)が,折から文明開化の時流に沿って新奇な題材を求めていた演劇界の要求にうまく適合したためと考えられる。…

【新劇】より


︿︿

 1906︿

【坪内逍遥】より


1904(1915)

【土肥春曙】より

…05年坪内逍遥のもとで朗読研究会〈易風(えきふう)会〉を組織,初舞台をふんだ。06年文芸協会が設立されると演技主任として《ハムレット》に主演したほか,後期文芸協会では後進の演技指導にあたり,H.イプセンの《人形の家》,H.ズーダーマンの《故郷》などに出演,協会の幹部俳優として初期新劇界に活躍した。協会解散後は14年東儀鉄笛(とうぎてつてき)らと〈無名会〉を組織し中心俳優となった。…

【東儀鉄笛】より


()退1906︿14︿

【松井須磨子】より

…本名小林正子。長野県松代に生まれ,上京して文芸協会の養成所を卒業,初公演の《ハムレット》のオフィーリアでみとめられ,続いて《人形の家》のノラ,《マグダ》(《故郷》)のマグダの大役で劇団のスターとなった。島村抱月との恋愛で協会を除名され,大学教授の座を追われた抱月と芸術座という劇団を1913年(大正2)に結成,女座長として以後毎公演の主役を演じ続けた。…

※「文芸協会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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