松井須磨子(読み)マツイスマコ

デジタル大辞泉 「松井須磨子」の意味・読み・例文・類語

まつい‐すまこ〔まつゐ‐〕【松井須磨子】

 
18861919  

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精選版 日本国語大辞典 「松井須磨子」の意味・読み・例文・類語

まつい‐すまこ【松井須磨子】

 

(一)
 

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百科事典マイペディア 「松井須磨子」の意味・わかりやすい解説

松井須磨子【まついすまこ】

 
190912
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「松井須磨子」の意味・わかりやすい解説

松井須磨子
まついすまこ
(1886―1919)


1938()1719094211519()11退132()14()()()1811()815()()32



1966

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改訂新版 世界大百科事典 「松井須磨子」の意味・わかりやすい解説

松井須磨子 (まついすまこ)
生没年:1886-1919(明治19-大正8)


19132︿19

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朝日日本歴史人物事典 「松井須磨子」の解説

松井須磨子

 
8.1.5(1919)
19.7.20(1886)
(),41(1908)1,44(1911)519,,退2(1913),,,,,7,2<著作><参考文献>  
()
 

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「松井須磨子」の意味・わかりやすい解説

松井須磨子
まついすまこ

[生]1886.11.1. 長野
[没]1919.1.5. 東京
女優。本名小林正子。文芸協会演劇研究所の第1期生。 1911年帝国劇場における文芸協会改組後の第1回公演『ハムレット』でオフィーリアを演じ,続いて『人形の家』のノラ,『故郷』のマグダを好演し,新劇女優としての地位を確立。 1913年島村抱月との恋愛関係から諭旨退会の処分を受け,自発的に退会した抱月とともに芸術座を結成,『モンナ・バンナ』『海の夫人』『サロメ』『カルメン』『復活』などに主演。『復活』をもって新劇初の全国巡演を行ない,主題歌『カチューシャの唄』の大流行とともにスターとしての人気は不動のものになった。 1918年にスペイン風邪で急死した抱月のあとを追い,翌 1919年縊死。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松井須磨子」の解説

松井須磨子 まつい-すまこ

1886-1919 明治-大正時代の舞台女優。
明治19年11月1日生まれ。文芸協会演劇研究所の第1期生。「人形の家」のノラ役でスターとなる。恋愛関係にあった島村抱月(ほうげつ)と大正2年芸術座を結成し,翌年「復活」のカチューシャ役はその主題歌とともに好評を博した。抱月急死の2ヵ月後,大正8年1月5日あとをおって自殺した。34歳。長野県出身。本名は小林正子。
【格言など】強い自覚でなければ「人形の家」を打ちこわして「人間の家」に造りかえることは出来ないとおもいます(「牡丹刷毛」)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「松井須磨子」の解説

松井須磨子
まついすまこ

1886.7.20~1919.1.5

明治・大正期の俳優。長野県出身。本名小林正子。1909年(明治42)坪内逍遥(しょうよう)主宰の文芸協会演劇研究所の第1期生として入所。「ハムレット」や「人形の家」に主演し評価を得る。島村抱月(ほうげつ)との恋愛事件により文芸協会を退会後,抱月と芸術座をおこし,「復活」「サロメ」「カルメン」などで有名となる。「復活」の劇中歌「カチューシャの唄」は一世を風靡(ふうび)したが,急死した抱月の後を追い,2カ月後に自殺をとげた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「松井須磨子」の解説

松井須磨子
まついすまこ

1886〜1919
明治・大正時代の新劇女優
本名小林正子。長野県の生まれ。1909年文芸協会に入り『ハムレット』のオフェリアなど情熱的演技で名声を博す。'13年師の島村抱月と恋愛して脱会,ともに芸術座を組織。『復活』のカチューシャで全国的人気を得る。抱月の後を追い翌年自殺した。

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世界大百科事典(旧版)内の松井須磨子の言及

【イプセン】より

…本格的上演の最初は1909年の小山内薫,2世左団次らによる〈自由劇場〉旗上げ公演《ジョン・ガブリエル・ボルクマン》(1896)であった。2年後の文芸協会の《人形の家》公演はノーラ役の松井須磨子をスターにし,折からの女性運動とあいまってイプセン・ブームのきっかけをつくった。夏目漱石,森鷗外,島崎藤村,有島武郎等々,多くの文学者が影響を受けており,その後もイプセン劇は新劇の重要演目として上演され続けている。…

【芸術座】より

…劇団名。(1)第1次は,1913年(大正2)文芸協会を恋愛事件で除名された島村抱月松井須磨子が創立したもので,モスクワ芸術座の名称を借りたといわれる。須磨子の演目に中山晋平作曲の主題歌を挿入したのが人気を呼び,とくに《復活》(トルストイ原作)の〈カチューシャの歌〉が名高い。…

【沢田正二郎】より


退19174退

【島村抱月】より


調使13︿8

【新劇】より

…のちに〈帝劇附属技芸学校〉となる)のみであったから,ここに男女共学の近代的俳優養成機関が初めて実現したことの意義は大きかった。そして第1期生の卒業公演にも当たる《ハムレット》上演(1911)から解散の13年にいたるまで,文芸協会は活発な活動を行い,女優松井須磨子らを世に出した。逍遥はシェークスピア劇の移植と歌舞伎の改革を目ざし,また西欧近代を呼吸して帰国した弟子の島村抱月は,イプセンの《人形の家》など,逍遥以上に西欧近代劇の移入に熱心であった。…

【中村吉蔵】より

…東京専門学校(現,早大)在学中の1901年,小説《無花果》が《大阪毎日新聞》の懸賞に当選して認められ,06年渡米,イプセンの影響を受けて,帰国後新社会劇《牧師の家》(1910)を発表。13年芸術座創立に参加,《剃刀》(1914),《飯》(1915)等松井須磨子の当り役となった社会劇を提供し,脚本部主任として活躍した。その後《淀屋辰五郎》(1918),《井伊大老の死》(1920)等の長編歴史劇,《原始時代》(1924)等の現代劇,《星亨》(1927)等の伝記劇と大作が多く,また大正末から母校で演劇史を講じ,浄瑠璃・歌舞伎研究を集大成した《日本戯曲技巧論》(1942)がある。…

【人形の家】より

…イプセンは晩年,この劇は女性解放ではなく人間描写の劇だと言った。日本での初演は1911年の島村抱月の訳・演出によるもので,松井須磨子のノーラが評判になった。【毛利 三弥】。…

【ノーラ】より

…世界で最初のノーラ役はデンマークの女優ベティ・ヘニングスBetty Henningsだが,イタリアのE.ドゥーゼはじめ多くの大女優が好んでノーラを演じている。日本では松井須磨子が最初に演じた(1911)。女性解放雑誌《青鞜》がノーラの特集を組んで世間に訴えたが,無理解・反発も多く,特に男の側からは,家出しても〈野良(ノラ)犬〉になるばかりと揶揄されたり,婿が目覚めて家を出るパロディ劇が書かれたりもした。…

※「松井須磨子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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