「伊良子清白」の版間の差分
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{{Infobox 作家 |
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{{文学}} |
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| name = 伊良子清白 |
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'''伊良子 清白'''(いらこ せいはく、{{和暦|1877}}[[10月4日]] - {{和暦|1946}}[[1月10日]])は、[[日本]]の[[詩人]]。本名、暉造。<ref>『鳥取県百傑伝』81頁に「暉造の名をもって“少年文庫”にあらわれ、のちに、すずしろのやの雅号で“文庫”に投じた清白が、三十四年八月の“文庫”から清白をせいはくにあらためた。一般に清白をすずしろというむきもあるのだが」とある</ref>。 |
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| image = Irako Seihak.jpg |
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| pseudonym = <!-- 作家の筆名、ペンネーム --> |
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| birth_name = 伊良子暉造 |
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| birth_date = [[1877年]](明治10年)[[10月4日]] |
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| birth_place = [[鳥取県]][[八上郡 (鳥取県)|八上郡]]曳田村大字曳田(現在の[[鳥取市]]河原町曳田) |
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| occupation = [[詩人]] |
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| period = <!-- 作家としての活動期間 --> |
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| movement = <!-- 作家に関連した、もしくは関わった文学運動 --> |
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| notable_works = 『[[孔雀船]]』 |
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| awards = <!-- 主な受賞歴 --> |
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| debut_works = <!-- 処女作 --> |
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| spouse = <!-- 結婚年と共に配偶者の名前 --> |
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| partner = <!-- 結婚していない仕事のパートナー(親族など)。人物ごとに (<br />) で分けて記載 --> |
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| children = <!-- 子供の人数か、もし子供の中に著名な人物がいたらその名前。人物ごとに (<br />) で分けて記載 --> |
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| relations = [[岡田美子]](義妹) |
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| influences = <!-- 影響を受けた作家の名前や文学運動 --> |
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| influenced = <!-- 影響を与えた作家の名前や文学運動 --> |
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| signature = <!-- 作家のサイン画像。画像サイズは128px --> |
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| website = <!-- 公式サイトのリンク --> |
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<!--| footnotes = その他、関連情報 --> |
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'''伊良子 清白'''(いらこ せいはく、[[1877年]](明治10年)[[10月4日]] - [[1946年]](昭和21年)[[1月10日]])は、[[日本]]の[[詩人]]。本名、暉造(てるぞう)<ref>『鳥取県百傑伝』81頁に「暉造の名をもって“少年文庫”にあらわれ、のちに、すずしろのやの雅号で“文庫”に投じた清白が、三十四年八月の“文庫”から清白をせいはくにあらためた。一般に清白をすずしろというむきもあるのだが」とある</ref>。もともと[[ペンネーム|筆名]]を「すずしろのや」と称し、後に清白と改めた<ref>{{Cite web|和書|title=伊良子清白(いらこせいはく)とは|url=https://kotobank.jp/word/%E4%BC%8A%E8%89%AF%E5%AD%90%E6%B8%85%E7%99%BD-32359|website=コトバンク|accessdate=2019-02-12|publisher=朝日新聞社}}</ref>。 |
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医業のかたわら詩を書き、[[河井醉茗]]、[[横瀬夜雨]]と並ぶ[[文庫派]]の代表的詩人。詩集は『[[孔雀船]]』。 |
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医業のかたわら詩を書き、詩集『[[孔雀船]]』を出版し[[河井醉茗]]、[[横瀬夜雨]]と並ぶ文庫派の代表的詩人。 |
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==経歴== |
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[[鳥取県]][[八上郡 (因幡国)|八上郡]]曳田村大字曳田︵現在の[[鳥取市]][[河原町]]曳田︶に医師[[伊良子政治]]、ツネの長男として生まれた。父政治は[[郡家町]]大門の医師岡田道叔の次男だが、[[明治]]8年︵[[1875年]]︶7月に曳田村にいた伊良子春郊の長女つねと結婚し、伊良子の姓を名乗った。母つねは、清白が生まれて満1歳にもならない、[[明治]]11年︵[[1878年]]︶9月5日に死去した。<ref>﹃鳥取県百傑伝﹄76-77頁</ref>。
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== 経歴 == |
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1899年京都府立医学校(現在の[[京都府立医科大学]])卒業。東京日本赤十字病院に勤務する。 |
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[[鳥取県]][[八上郡 (鳥取県)|八上郡]]曳田村大字曳田︵[[八頭郡]]を経て、現在は[[鳥取市]][[河原町 (鳥取県)|河原町]]曳田︶に、伊良子政治とツネの長男として出生。父政治は医師で、[[郡家町 (鳥取県)|郡家町]]大門の医師だった岡田道叔の次男だが、[[1875年]]︵[[明治]]8年︶7月に曳田村にいた伊良子春郊の長女つねと結婚し、伊良子の姓を名乗った。母つねは、清白が生まれて満1歳にもならない、[[1878年]]︵[[明治]]11年︶9月5日に死去した<ref>﹃鳥取県百傑伝﹄76-77頁</ref>。
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[[1899年]]京都府医学校(現:[[京都府立医科大学]])卒業。1900年上京。[[日本赤十字社医療センター|東京日本赤十字病院]]に勤務する。1902年、東京外国語学校ドイツ語科に入学、1903年、退学。いちじ、『明星』編集に参加した。 |
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1906年に唯一の詩集『[[孔雀船]]』に厳選をかさねた作品18編を残したまま中央詩壇と決別、浜田、大分 |
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[[台湾]]、京都を経て、1922年[[三重県]]鳥羽の小浜で開業した。 |
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[[1906年]]に唯一の詩集『[[孔雀船]]』を刊行、浜田([[島根県]])、大分、[[台湾]](1918年帰国)、京都を経て、[[1922年]](大正11年)[[三重県]][[志摩郡 (三重県)|志摩郡]][[鳥羽町]]小浜(現・[[鳥羽市]]小浜町)で医院開業した。鳥羽に定住以降は詩作を再開し、[[岩田準一]]の兄・宮瀬規矩が主宰する『白鳥』に短歌を投稿したほか、同誌で指導者・選者を務めた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tobakanko.jp/modules/know/index.php?p=774|title=宮瀬規矩編『白鳥』に見る清白と鳥羽|work=鳥羽市観光情報サイト|publisher=鳥羽市観光課|accessdate=2019-12-29}}</ref>。 |
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1946年三重県度会郡七保村で没した。 |
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[[1945年]]︵昭和20年︶に戦火を避けるため三重県[[度会郡]][[七保村]]打見︵現・度会郡[[大紀町]]打見︶に[[疎開]]<ref name="鳥羽">鳥羽市教育委員会生涯学習課社会教育係"[http://www.city.toba.mie.jp/shakai/documents/irakoseihaku.pdf 伊良子清白︵いらこせいはく︶]"︵2011年5月6日閲覧。︶</ref>。翌1946年︵昭和21年︶1月10日、同地で往診に向かう途中[[脳溢血]]で倒れ、別の医者の手当てを受けた後に戸板に乗せられ自宅へ運ばれている時に死去した<ref>[[工藤寛正|岩井寛]]﹃作家の臨終・墓碑事典﹄︵東京堂出版、1997年︶41頁</ref>。戒名は雲乗院諦翁観山居士。
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1980年生地であり、名作「漂泊」の舞台である曳田の正法寺境内に、同作の第4連を山本嘉将が筆にした詩碑が建立された。 |
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[[1980年]](昭和55年)生地であり、名作「漂泊」の舞台である曳田の正法寺境内に、同作の第4連を山本嘉将が筆にした詩碑が建立された。 |
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== 文献 == |
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; 全集 |
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* 伊良子清白全集(全2巻、平出隆編、岩波書店、2003年6月) |
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== 文献 == |
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; 詩集 |
; 詩集 |
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*『[[孔雀船]]』(初刊・[[左久良書房]]、1906年/梓書房、1929年) |
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*『孔雀船』([[岩波文庫]]、初版1938年、復刊2004年ほか/ワイド版岩波文庫、1993年) |
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*『伊良子清白蒐遺詩集』(山路峰男編著、伊勢志摩文学館、2003年5月) |
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; 全集 |
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*『伊良子清白全集』(全2巻、平出隆編、[[岩波書店]]、2003年6月) |
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; 伝記 |
; 伝記 |
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* [[平出隆]] |
* [[平出隆]]『伊良子清白』([[新潮社]]、2003年10月)- 「月光抄」「日光抄」の2分冊 |
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== 参考文献 == |
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*『鳥取県百傑伝』 1970年、76-82頁 |
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*『鳥取県大百科事典』(編集・新日本海新聞社鳥取県大百科事典編集委員会)1984年 71-72頁 |
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== 史料 == |
== 史料 == |
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=== 伊良子清白詩碑 === |
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[[File:Poetry_monument_of_Irako_Seihaku.JPG|thumb|250px|伊良子清白の詩碑(正法寺)]] |
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*[[鳥取県]][[八頭郡]][[河原町]]曳田 正法寺 |
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*[[鳥取県]][[八頭郡]][[河原町]]曳田「正法寺」 |
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:ふるさとの谷間の歌は |
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*:ふるさとの谷間の歌は |
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:続きつゝ断えつゝ哀し |
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*:続きつゝ断えつゝ哀し |
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:大空のこだまの音と |
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: |
*:大空のこだまの音と |
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*:地の底のうめきの声と |
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:交りて調は深し |
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*:交りて調は深し |
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*三重県鳥羽市小浜町城山 |
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*:水底の泥を逆上げ |
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*:かきにごす海の病 |
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*:そゝり立つ波の大鋸 |
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*:過げとこそ船をまつらめ |
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*三重県度会郡大紀町打見 |
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*:今朝立ちいでて宮川の |
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*:水のほとりに佇むに |
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*:流れて落つる河浪の |
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*:石に轟き瀬に叫び |
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*:岸の木魂(こだま)を伴いて |
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*:秋の悲曲を奏しけり |
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=== 伊良子清白の家 === |
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*[[三重県]][[鳥羽市]]小浜町城山 |
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[[File:House of Irako Seihaku in Toba.jpg|thumb|250px|伊良子清白の家]] |
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:水底の泥を逆上げ |
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:かきにごす海の病 |
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清白が鳥羽で医師を開業していた頃に[[診療所]]兼住居としていた家が「伊良子清白の家」として三重県鳥羽市[[鳥羽 (鳥羽市)#鳥羽一丁目|鳥羽一丁目]]の[[赤福]]鳥羽支店の隣に移築され、一般公開されている<ref name="鳥羽"/>。この家は[[1979年]](昭和54年)に鳥羽市小浜町から[[多気郡]][[大台町]]に移築されたが、[[2009年]](平成21年)に再び鳥羽の地へ戻った<ref name="鳥羽"/>。 |
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:そゝり立つ波の大鋸 |
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:過げとこそ船をまつらめ |
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== 脚注 == |
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<references /> |
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== 参考文献 == |
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*『鳥取県百傑伝』 、1970年、76-82頁 |
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*『鳥取県大百科事典』(編集:[[新日本海新聞社]]・「同」編集委員会)、1984年 71-72頁 |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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*[http://www.library.pref.tottori.jp/kyodo/irako.html 伊良子清白紹介コーナー|鳥取県立図書館] |
* [http://www.library.pref.tottori.jp/kyodo/irako.html 伊良子清白紹介コーナー|鳥取県立図書館] |
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*[http://www.info.city.tsu.mie.jp/modules/shogaigakushusupotsuka/article.php?articleid=188 津市 - 生涯学習課-「文化」 「漂泊の詩人」伊良子清白] |
*[http://www.info.city.tsu.mie.jp/modules/shogaigakushusupotsuka/article.php?articleid=188 津市 - 生涯学習課-「文化」 「漂泊の詩人」伊良子清白] |
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* [https://www.city.toba.mie.jp/soshiki/k_shakaikyoiku/gyomu/rekishi_bunkazai/bunkazai/3/3041.html 伊良子清白の家/鳥羽市ホームページ] |
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2024年2月1日 (木) 08:03時点における最新版
伊良子清白 | |
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誕生 |
伊良子暉造 1877年(明治10年)10月4日 鳥取県八上郡曳田村大字曳田(現在の鳥取市河原町曳田) |
死没 |
1946年(昭和21年)1月10日 三重県度会郡七保村(現・大紀町) |
職業 | 詩人 |
国籍 |
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代表作 | 『孔雀船』 |
親族 | 岡田美子(義妹) |
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経歴[編集]
鳥取県八上郡曳田村大字曳田︵八頭郡を経て、現在は鳥取市河原町曳田︶に、伊良子政治とツネの長男として出生。父政治は医師で、郡家町大門の医師だった岡田道叔の次男だが、1875年︵明治8年︶7月に曳田村にいた伊良子春郊の長女つねと結婚し、伊良子の姓を名乗った。母つねは、清白が生まれて満1歳にもならない、1878年︵明治11年︶9月5日に死去した[3]。 1899年京都府医学校︵現‥京都府立医科大学︶卒業。1900年上京。東京日本赤十字病院に勤務する。1902年、東京外国語学校ドイツ語科に入学、1903年、退学。いちじ、﹃明星﹄編集に参加した。 1906年に唯一の詩集﹃孔雀船﹄を刊行、浜田︵島根県︶、大分、台湾︵1918年帰国︶、京都を経て、1922年︵大正11年︶三重県志摩郡鳥羽町小浜︵現・鳥羽市小浜町︶で医院開業した。鳥羽に定住以降は詩作を再開し、岩田準一の兄・宮瀬規矩が主宰する﹃白鳥﹄に短歌を投稿したほか、同誌で指導者・選者を務めた[4]。 1945年︵昭和20年︶に戦火を避けるため三重県度会郡七保村打見︵現・度会郡大紀町打見︶に疎開[5]。翌1946年︵昭和21年︶1月10日、同地で往診に向かう途中脳溢血で倒れ、別の医者の手当てを受けた後に戸板に乗せられ自宅へ運ばれている時に死去した[6]。戒名は雲乗院諦翁観山居士。 1980年︵昭和55年︶生地であり、名作﹁漂泊﹂の舞台である曳田の正法寺境内に、同作の第4連を山本嘉将が筆にした詩碑が建立された。文献[編集]
詩集 ●﹃孔雀船﹄︵初刊・左久良書房、1906年/梓書房、1929年︶ ●﹃孔雀船﹄︵岩波文庫、初版1938年、復刊2004年ほか/ワイド版岩波文庫、1993年︶ ●﹃伊良子清白蒐遺詩集﹄︵山路峰男編著、伊勢志摩文学館、2003年5月︶ 全集 ●﹃伊良子清白全集﹄︵全2巻、平出隆編、岩波書店、2003年6月︶ 伝記 ●平出隆﹃伊良子清白﹄︵新潮社、2003年10月︶- ﹁月光抄﹂﹁日光抄﹂の2分冊史料[編集]
伊良子清白詩碑[編集]
伊良子清白の家[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/ce/House_of_Irako_Seihaku_in_Toba.jpg/250px-House_of_Irako_Seihaku_in_Toba.jpg)