伊良子清白
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伊良子清白 | |
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誕生 |
伊良子暉造 1877年(明治10年)10月4日 鳥取県八上郡曳田村大字曳田(現在の鳥取市河原町曳田) |
死没 |
1946年(昭和21年)1月10日 三重県度会郡七保村(現・大紀町) |
職業 | 詩人 |
国籍 | 日本 |
代表作 | 『孔雀船』 |
親族 | 岡田美子(義妹) |
ウィキポータル 文学 |
伊良子 清白︵いらこ せいはく、1877年︵明治10年︶10月4日 - 1946年︵昭和21年︶1月10日︶は、日本の詩人。本名、暉造︵てるぞう︶[1]。もともと筆名を﹁すずしろのや﹂と称し、後に清白と改めた[2]。
医業のかたわら詩を書き、詩集﹃孔雀船﹄を出版し河井醉茗、横瀬夜雨と並ぶ文庫派の代表的詩人。
伊良子清白の詩碑︵正法寺︶
●鳥取県八頭郡河原町曳田﹁正法寺﹂
ふるさとの谷間の歌は
続きつゝ断えつゝ哀し
大空のこだまの音と
地の底のうめきの声と
交りて調は深し
●三重県鳥羽市小浜町城山
水底の泥を逆上げ
かきにごす海の病
そゝり立つ波の大鋸
過げとこそ船をまつらめ
●三重県度会郡大紀町打見
今朝立ちいでて宮川の
水のほとりに佇むに
流れて落つる河浪の
石に轟き瀬に叫び
岸の木魂︵こだま︶を伴いて
秋の悲曲を奏しけり
伊良子清白の家
清白が鳥羽で医師を開業していた頃に診療所兼住居としていた家が﹁伊良子清白の家﹂として三重県鳥羽市鳥羽一丁目の赤福鳥羽支店の隣に移築され、一般公開されている[5]。この家は1979年︵昭和54年︶に鳥羽市小浜町から多気郡大台町に移築されたが、2009年︵平成21年︶に再び鳥羽の地へ戻った[5]。