中華民国
東アジアの国
- 中華民国
- 中華民國
-
(国旗) (国章) - 国の標語:なし
- 国歌:中華民國國歌国旗歌:中華民國國旗歌
-
公用語 中華民国国語[1] 首都 台北市 [2][3](事実上[4]) 最大の都市 新北市 - 政府
-
総統 蔡英文 行政院長 蘇貞昌 副総統 頼清徳 立法院長 游錫堃 司法院長 許宗力 監察院長 張博雅 考試院長 伍錦霖 - 面積
-
総計 36,189.505km2(134位) 水面積率 10.3% - 人口
-
総計(2018年) 23,780,452人(56位) 人口密度 650.95人/km2 - GDP(自国通貨表示)
-
合計(2019年) 19兆2820億新台湾ドル (NT$) - GDP(MER)
-
合計(2019年) 6220,10億ドル(22位) 1人あたり xxxドル - GDP(PPP)
-
合計(2019年) 1兆3060億ドル(22位) 1人あたり 55,244ドル - 建国
-
辛亥革命勃発 1911年10月10日 建国宣言 1912年1月1日 北伐完了 1928年12月29日 台湾光復 1945年10月25日 台北遷都 1949年12月7日
通貨 新台湾ドル (NT$)(TWD) 時間帯 UTC+8 (DST:なし) ISO 3166-1 TW / TWN ccTLD .tw 国際電話番号 886 -
注:このリストは中華民国政府が実効支配している地域(台湾地区)のみのデータである。中華民国の名目的な全領域については、中華民国#地理の欄を参照。
中華民国 | |||||||||||||||||||||||
繁体字 | 中華民國 | ||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
簡体字 | 中华民国 | ||||||||||||||||||||||
文字通りの意味 | Republic of China | ||||||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||||||
フランス語 | |||||||||||||||||||||||
フランス語 | République de Chine |
アジアで2番目の共和国[6]として1912年に大陸地区で成立したが、国共内戦で中華人民共和国に大陸地区から放逐され、1950年[7]以降は台湾省の全域[8]と福建省の極一部の島嶼︵台湾地区︶を実効支配する海洋国家となった。台湾地区は、日本やフィリピン、中華人民共和国と領海を接する。
五権憲法に基づく議会制民主主義・資本主義体制国家であり、1971年までは国際連合安全保障理事会常任理事国として国際社会に大きな影響を与えていた。しかし国連の代表権問題や一つの中国政策により、中華人民共和国が中華民国を国家承認しないように要求しているため、2020年現在では中華民国を正式に国家として承認している国は15ヶ国に留まる。このような経緯があるため、日本など以前は国交を結んでいた国々などとの間で、経済や文化面などの交流が行われている。
日中共同声明により中華人民共和国政府を﹁中国の唯一の合法政府﹂と承認して国交を樹立したことに伴い、中華民国政府︵台湾︶との国交を断絶した。これによって双方の大使館等が閉鎖された。また、国交断絶時に、民間の実務関係を維持するために、日台相互に非政府組織としての連絡機関︵日本側は日本台湾交流協会、台湾側は台湾日本関係協会︶を設置し、現在に至っている。
台湾島及びその周辺島嶼群を含む地域名である台湾︵たいわん、英: Taiwan︶と表記されるのが一般的である。
概要
成立
1912年1月1日に、革命家の孫文を臨時大総統として、中国大陸を中心とする中国を代表する国家として﹁中華民国臨時政府﹂が成立した。
同年2月12日には、清朝の皇帝である愛新覚羅溥儀が退位することによって、その後袁世凱が大総統︵大統領︶に就任した。その後、袁世凱と対立した孫文は1919年に中国国民党を創建し、1921年には後の国民政府の基となる革命政府を広州に樹立したものの、1925年に死去した。
1924年には中国共産党との間で第一次国共合作を行ったが、1927年南京事件が起こったことで同年4月に国共合作を解消すると、孫文の後継者となった蒋介石の指揮下で上海や武漢などの各地方で中国共産党員を掃討する運動、いわゆる上海クーデターを起こした。
その後国民政府は蒋介石の南京国民政府と、これに反対する汪兆銘らの﹁武漢国民政府﹂に分裂するが、間もなく両者は合流、北方軍閥の張作霖が日本軍によって爆殺された後、張作霖の息子の張学良が蒋介石の傘下に入る。
日中戦争
その後、満洲事変を契機に大日本帝国︵日本︶の後援により、愛新覚羅溥儀を執政として東北部に満洲国が設立され、さらに1937年に起きた盧溝橋事件を契機として、中華民国は日本との全面戦争状態に入った︵なお宣戦布告はどちらからも為されていない︶。
これに対抗して日本軍は、国民党の反蒋介石派であった汪兆銘を首班とした新たな国民政府︵汪兆銘政権︶を樹立する。その後、西安事件で第二次国共合作が成立し、1941年12月に日本とイギリス・アメリカ合衆国などとの間で戦争が始まり、英米と友好関係にある中華民国は連合国の主要国として枢軸国と対峙した。
中華民国の台湾進出
1945年9月2日の降伏文書調印により、中華民国は第二次世界大戦での勝利が決定した。そして、主要戦勝国の1国として国際連合の設立メンバーとなり、GHQからの委託に基づき、1945年10月15日に台湾に進駐した。
1945年10月25日に台北で日本側の安藤利吉台湾総督・第十方面軍司令官が降伏文書に署名し、中華民国は光復式典を行って台湾の実効支配を開始した。日本が台湾などを中華民国へ返還することは1943年12月1日のカイロ宣言に謳われているが︵台湾の外交部は一貫してこの宣言を受け入れている︶、この時点では行政権を中華民国に移譲しただけであり、国際法上、台湾島地域は依然として日本の領土であった。台湾光復後の1947年2月28日に二・二八事件が発生した。
1945年10月にアメリカの調停で結ばれた双十協定は破綻し、1946年6月から本格化した国共内戦ではアメリカからの支援が打ち切られたことなどが災いして、ソ連が支援する中国共産党に対して劣勢に陥り、1949年初めには中華民国の実効支配地域が縮小し、同年1月に蒋介石総統は内戦不利の責任をとって辞任して副総統だった李宗仁が総統︵代理︶となるも中国共産党との北平和談で最終案の国内和平協定に署名しなかったため、1949年10月1日には中国共産党が中華人民共和国を樹立した。
台湾遷都
1949年12月7日、総統に復帰した蒋介石率いる中国国民党政府が、首都を中国共産党に実効支配された南京から、臨時首都として台湾島の台北に移転したことにより、台湾島地域および金馬地区などのみを実効支配する国家として、1950年までに再編成された︵台湾国民政府︶。同時に動員戡乱時期臨時条款が制定され戒厳体制が発布された︵党国体制︶。
日本は、1951年のサンフランシスコ講和条約および1952年の日華平和条約において、台湾島地域に対する権原を含める一切の権利を放棄したが、それらの帰属先が明言されていないため、台湾島地域の国際法上の領有権は﹁未確定である﹂という見方︵台湾地位未定論︶がある。
国連脱退
冷戦下の1971年に、中ソ対立の文脈の中で、アメリカ合衆国をはじめとする西側諸国と、ソビエト連邦をはじめとする東側諸国との間で政治的駆け引きが行われた結果、国際連合における﹁中国代表権﹂が、国際連合総会決議2758によって中華人民共和国に移され、中華民国は国連とその関連機関から脱退。
また、1972年にアメリカのリチャード・ニクソン大統領が北京を訪問し、中華人民共和国を承認する意向を見せると、アメリカの影響下にある多数の西側国家がこれに同調し、日本はモンゴル人民共和国・中華人民共和国を承認し中華民国と断交。その後1979年にアメリカが最終的に中華人民共和国を﹁中国の代表権を有する正統政府﹂として承認した。
民主共和制
美麗島事件をきっかけに、1987年に蒋介石の息子で総統職を世襲した蒋経国が戒厳を解除。続いて李登輝政権下の1996年に、国民党一党独裁︵党国体制︶による寡頭共和制は終わり、複数政党制と大統領制を主体とした民主共和制に変わった︵総統民選期の中華民国︶。
その経済や貿易規模も大きいことなどから、日本やアメリカ、イギリスやフランスなどをはじめとする主要国とは国交こそないものの、形式上非政府組織の窓口機関を通じて外交業務を行っているため、事実上の国交があると言える状態にある。世界貿易機関 (WTO) のように、主権国家ではなく、領域を代表するものとして中華民国政府の加盟を認めた国連機関もある。
21世紀初頭では、大統領制の議会制民主主義を主体とした民主共和制国家として、台湾海峡を挟んで中国大陸と接している台湾島・澎湖諸島︵台湾省・台湾地区︶および福建省沿岸の金門島・馬祖島︵金馬地区︶、南シナ海の東沙諸島および南沙諸島の太平島を実効支配している。
アメリカとの同盟成立
アメリカ合衆国は、第二次世界大戦勃発以来、中華民国と事実上の同盟関係にあり、中華民国が軍事的脅威にさらされた︵台湾海峡危機︶場合は、台湾関係法に基づき、あらゆる行動を取ることになっている。実際に、1996年に行われた総統選挙に伴い、中華人民共和国の人民解放軍︵中国共産党軍︶が、選挙への恫喝として軍事演習を強行し、基隆沖海域にミサイルを撃ち込むなどの威嚇行為﹁第三次台湾海峡危機﹂が起きた際には、アメリカ軍はこれに対して台湾海峡に空母打撃群を派遣し、連邦政府のウォーレン・クリストファー国務長官は﹁アメリカは必要な場合には、台湾を助けるために台湾に近づく﹂と中華人民共和国に対して警告した。
2008年3月に行われた総統選挙の際も、台湾近海に空母2隻を派遣した。その総統選挙で当選した馬英九は、2010年に大陸との間で両岸経済協力枠組協議という自由貿易協定を締結、事実上の経済同盟を発足させるなど、2010年代からは中台関係は回復する方向に進んだ。2014年3月18日から4月10日にかけて、中華人民共和国とのサービス貿易協定の署名を阻むために、学生と市民の一部は、日本の国会議事堂に当たる立法院議事堂を占拠した。この時点は﹁ひまわり学生運動︵太陽花学生運動︶﹂という、中華民国の社会運動への端緒にも当たる。
国名
「台湾の名称の一覧」も参照
中国語︵北京語、正体字表記︶での正式名称は、中華民國︵拼音: 、ウェード式‥Chung-hua Min-kuo、注音符号‥ㄓㄨㄥ ㄏㄨㄚˊ ㄇㄧㄣˊㄍㄨㄛˊ︶であり、国内では中華民國のことを中華と表記することもある。公式の英語表記は、英語: Republic of China︵リパブリック・オブ・チャイナ︶で、略称は R.O.C. である。
﹁中華﹂は、世界の中心にある、もっとも華やかな文明という意味であり、元々は黄河文明発祥の地とされる河南省のあたりを指した。ちなみに中華の華はもともと世界の中心の夏︵古代の王朝︶という意味の中夏だった[9]。
国名表記をめぐる諸問題
中華民国という国名は、中華民国政府が﹁一つの中国︵China︶を代表する主権国家﹂であるという認識に基づいている。そのために、1971年に国際連合のアルバニア決議で、中華人民共和国が﹁全中国を代表する主権国家﹂として承認後は、国際連合機関では﹁中華民国﹂ (Republic of China) と称するケースがなくなり、オリンピック︵1984年冬季大会以後︶などのスポーツ大会や国際機関においては、Chinese Taipei︵チャイニーズタイペイ、中華台北︶という名称が使用されている。これは、国際連合ならびに同加盟国の多くが、中華民国政府を﹁全中国を代表する主権国家﹂として承認しない一方で、台湾地域を実効支配する中華民国政府との非公式関係を維持していることによる。なお世界貿易機関 (WTO) に関しては、Separate Customs Territory of Taiwan, Penghu, Kinmen and Matsu︵台湾・澎湖・金門・馬祖個別関税領域、略称‥台澎金馬、TPKM︶という名称で加盟しており、Chinese Taipei と伴に、中華民国を指す名称として使用されている。
一方、中華民国という国名や Chinese Taipei という名称について、20世紀末以降は台湾地域を中心として反発が生じるようになり、李登輝元総統︵任期‥1988年 - 2000年︶をはじめとする泛緑派は、中華民国という国号を﹁台灣﹂︵臺灣︶という名称に変更しようという台湾正名運動を興している。これに対し﹁中国の政党﹂を自任する中国国民党を始めとした泛藍派は国号変更に反対しており、この件に関する国論は二分されている。それと同時に、中華民国の民衆の国に対する意識も1990年代から変化し始めていると喧伝される。
このような背景もあり、中華民国政府は2003年9月以後、中華民国旅券に、中華民国の正式名称とともに TAIWAN を付記して発行するようになった。2004年9月7日に中華民国外交部のスポークスマンは﹁国交のない国に対しては﹁台湾﹂を強調することを最優先課題にし、将来的には国交を持つ国との間でも条約文書などで Taiwan を使用し、中華人民共和国との混同を避けるようにしたい﹂と話し、﹁9月7日の時点で行政院は、自国の略称として第一に R.O.C. 、第二に Taiwan 、第三に Taiwan, R.O.C. 、第四に R.O.C. (Taiwan) 、第五に TPKM︵台湾 Taiwan, 澎湖 Penghu, 金門 Kinmen, 馬祖 Matsu︶を使用しているが、陳水扁総統の指示があれば使用順位を入れ替えて Taiwan を第一とする﹂とも話した。2020年の総統選挙で再選された蔡英文は立候補時より中華民国台湾という名称を使用し、双方の立場に配慮している[10][11]。
日本における国名表記
日本語表記は中華民国。マスメディアでは﹁中華民国﹂ではなく﹁台湾﹂という表記・呼称を使用し、他の国家と併せて数える際は﹁地域﹂として中華民国︵台湾︶を国家に数えないこととしている[12][13][14]。
中華民国を﹁華﹂、﹁台湾﹂を﹁台﹂と略称する例もある。スポーツ関連では上記の通り﹁チャイニーズタイペイ﹂を使用することもある。これは主催する団体がチーム名としてこの表記を採用しているためである。旅行業界など経済・文化一般の呼称は大抵﹁台湾﹂表記を使用する。
日本国政府は、1972年以降中華民国を国家として承認していないが、サンフランシスコ講和条約において、台湾島一帯の領有権放棄後の帰属については言明していない。日中共同声明でも、日本国政府は中華人民共和国の立場を﹁十分に理解し尊重する﹂と表明したが、中華民国および台湾島一帯の地位については明確にしていない。
戦後の一時期は﹁チョンホワ民国﹂と表記する地図もあった。
国旗
詳細は「中華民国の国旗」を参照
歴史
先史時代 中石器時代 新石器時代 | |||||||||||
三皇五帝 (古国時代) |
(黄河文明・ 長江文明・ 遼河文明) | ||||||||||
夏 | |||||||||||
殷 | |||||||||||
周(西周) | |||||||||||
周 (東周) |
春秋時代 | ||||||||||
戦国時代 | |||||||||||
秦 | |||||||||||
漢(前漢) | |||||||||||
新 | |||||||||||
漢(後漢) | |||||||||||
呉 (孫呉) |
漢 (蜀漢) |
魏 (曹魏) | |||||||||
晋(西晋) | |||||||||||
晋(東晋) | 十六国 | ||||||||||
宋(劉宋) | 魏(北魏) | ||||||||||
斉(南斉) | |||||||||||
梁 | 魏 (西魏) |
魏 (東魏) | |||||||||
陳 | 梁 (後梁) |
周 (北周) |
斉 (北斉) | ||||||||
隋 | |||||||||||
唐 | |||||||||||
周(武周) | |||||||||||
五代十国 | 契丹 | ||||||||||
宋 (北宋) |
夏 (西夏) |
遼 | |||||||||
宋 (南宋) |
金 | ||||||||||
元 | |||||||||||
明 | 元 (北元) | ||||||||||
明 (南明) |
順 | 後金 | |||||||||
清 | |||||||||||
中華民国 | 満洲 | ||||||||||
中華人民 共和国 |
中華 民国 (台湾) | ||||||||||
中国大陸統治時代
●1912年1月1日‥中華民国臨時政府が成立。孫文が臨時大総統職に就任。その後袁世凱が大総統に就任︵北京政府︶。
●1913年10月6日‥日本政府をはじめ、13カ国が中華民国を承認[15]。日本政府は﹁支那共和国﹂と呼ぶことに決めた[16]。
●1916年‥袁世凱が中華帝国皇帝即位を宣言するが、内外の反対により断念。間もなく、袁世凱の死去により、各地の軍閥による全面的な内乱状態になる。いわゆる北京政府、北洋軍閥政府が対外的に中国を代表する中華民国政府として1928年まで存続。
●1919年‥徐樹錚、外蒙古庫倫に進攻、モンゴルの自治権を奪う︵翌年ボグド・ハーンを冊封︶。
●1920年‥ニコラエフスクで赤軍を支援して日本軍を撃破する︵尼港事件︶。
●1921年‥中国軍、外蒙古より撤退。ソ蒙修好条約でソ連がモンゴルの独立を承認。
●1927年3月‥南京事件で国民革命軍が列国の大使館・租界を襲撃し、アメリカ軍・イギリス軍による反撃を受ける。蒋介石は上海クーデターを起こし共産主義者を検挙する。
●1928年6月9日‥蒋介石が中国国民党を支持基盤とする南京国民政府を樹立︵首都‥南京︶。北京を北平と変更する。
●1929年7月‥満洲に侵攻したソ連軍によって奉天軍閥が撃破される︵中ソ紛争︶。
●1931年9月18日‥満洲事変勃発。
●1932年3月1日‥満洲国建国宣言。1945年崩壊。
●1933年5月31日‥国民革命軍と日本軍との間で塘沽停戦協定が締結される。
●1936年12月12日‥西安事件により剿共作戦を止め対日戦へ転換。
●1937年7月7日‥日本と南京国民政府との間で日中戦争が勃発。首都南京陥落後、蔣介石率いる南京国民政府は武漢、重慶へ撤退。
●1938年‥日本政府の支援によって、汪兆銘を首班とする汪兆銘国民政府が南京に成立。
●1943年‥アメリカ合衆国・イギリスとの新条約を締結。これにより、約100年に及ぶ治外法権と租界が事実上解消。
陸台両地域統治時代︵国共内戦︶
●1945年
●8月14日‥中ソ友好同盟条約に調印[17]。
●9月2日‥降伏文書に調印。第二次世界大戦における中華民国の勝利と日本の敗戦が決定し、汪兆銘国民政府が崩壊。
●10月15日‥GHQの一般命令第1号に基づき、国民革命軍が台湾に進駐。10月25日に台湾光復式典を開く。
●10月24日‥南京国民政府が国際連合に﹁中国﹂代表として加盟し、安全保障理事会における常任理事国の地位を獲得。蒋介石が中国共産党の毛沢東と会談︵国共首脳会談︶。
●1946年‥国共内戦が激化。南京国民政府が南京に復す。モンゴル人民共和国の独立を正式に承認︵後に取り消したものとされる︶。
●2月3日‥国民政府に協力・蜂起した日本人居留民が八路軍に処刑される︵通化事件︶。
●1947年‥
●2月28日‥台湾で二・二八事件が発生。
●12月25日‥中華民国憲法を公布[18]。
●1948年4月18日‥動員戡乱時期臨時条款︵戒厳︶施行。
●1949年10月1日‥ソビエト連邦からの間接支持を受けた共産党軍の反撃を受け、アメリカ政府の支援と援助を受けたにもかかわらず、中華民国軍が敗退。南京国民政府が崩壊。
台湾国民政府時代
●1949年12月7日‥蒋介石、一旦崩壊した南京国民政府を台北において再始動し、実効統治区域内で﹁動員戡乱時期臨時条款﹂に基づく戒厳を発令。
●1950年1月‥イギリス、中華民国と断交し中華人民共和国を承認。蒋介石、総統職に就任。政府の活動が本格化。マッカーサー米陸軍元帥訪台。
●1951年‥サンフランシスコ講和会議においてイギリスが中華民国代表の招請を拒否。
●1952年4月28日‥サンフランシスコ講和条約︵1951年9月8日調印︶の発効と日華平和条約の調印︵8月5日発効︶。これらの条約により、日本は台湾・西沙諸島南沙諸島の権利、権原および請求権を保持しないことを宣言︵ただし、両条約とも台湾の帰属先を明言したものではない︶。中華民国政府と日本の国交が成立。
●1953年‥中ソ友好同盟条約を破棄しモンゴル独立の承認を取り消す。
●1958年‥福建省金門県で、共產党軍との間に八二三砲戦が勃発。
●1960年‥アイゼンハワー米大統領訪台。
●1961年‥ビルマの雲南人民反共志願軍第1、2、4軍が台湾へ撤収。残り第3軍︵軍長:李文煥︶、第5軍︵軍長:段希文︶がタイへ転進。
●1971年10月25日‥国際連合総会にて、国際連合総会決議2758が可決され、﹁中国﹂の広範な代表権の喪失。同時に国際連合から脱退。
●1972年‥日本政府がモンゴル人民共和国と国交正常化。日本国と中華人民共和国の国交樹立により日華平和条約が失効。日本との国交を断絶。
●1975年4月5日‥蒋介石総統死去。厳家淦が総統代行に就任。
●1978年に息子蒋経国が跡を継ぎ総統となる。
●1979年12月‥美麗島事件が勃発。
●1987年‥台湾省で戒厳を解除、その後に他地域でも順次解除。
●1988年1月‥蒋経国総統死去。李登輝が総統代行に就任。
●1990年5月‥李登輝が正式に総統に就任。
台湾総統民選時代
●1996年3月23日‥直接選挙による総統選出が実施され、李登輝が当選。
●2000年‥総統に民主進歩党の陳水扁が選出され、中国国民党が初めて野党となる。
●2002年‥台湾・澎湖・金門・馬祖個別関税領域として、世界貿易機関に加盟。
●2004年‥陳水扁が民選総統として初めて再選される。
●2005年‥連戦国民党主席が中華人民共和国を訪問。胡錦濤共産党総書記と1945年以来60年ぶりの国共首脳会談を行う。
●2008年‥総統選で中国国民党主席の馬英九が民進党の謝長廷を破って当選し、国民党が8年ぶりに政権を掌握。
●2012年‥馬英九が総統に再選される。
●2016年‥総統選で初の女性総統として蔡英文が選出される。
政治
蔡英文 中華民国総統 |
頼清徳 中華民国副総統 |
中華人民共和国やベトナムやシンガポール、かつてはインドネシアやマレーシアなど、周辺には実質的な一党独裁制を敷いている・敷いていた国家が多いが、中華民国も例外ではなかった。中華民国では1928年より党国体制が敷かれ、蒋介石とその息子蒋経国による世襲の独裁の下で戒厳が施行され、共産主義政党や本省人による台湾独立や完全選挙(国民大会や立法院での大半の議席は大陸選出枠としてほぼ固定化していた)を求める政党は﹁国家安全法﹂と﹁人民団体法﹂により存在を許されなかった。このような状況が改められたのは戒厳が解かれた1987年からである。
「二つの中国」
詳細は「二つの中国」を参照
中華民国の政治において特筆すべきことは、中華民国政府も中華人民共和国の中国共産党政府と同様、自らを﹁﹃中国﹄の正統政府﹂であるとしている点である。これは、歴代の中華民国政府が、蒋介石率いる中国国民党が中国大陸を統治していた1947年に施行した﹃中華民国憲法﹄に基づいて政府を樹立していることに由来しており、1949年の毛沢東率いる中国共産党による北京を首都とする中華人民共和国樹立は﹁反乱団体︵﹁共匪﹂︶による非合法行為﹂としてきた。
このような中華民国政府の主張は国際的に受け入れられており、中華人民共和国成立後も国連をはじめとする国際社会における﹁中国﹂の代表権も中華民国政府にあった。香港問題を抱え中華人民共和国に対して政治的配慮を必要としていたイギリスを除き、ほとんどの西側諸国が当初は中華民国政府を﹁﹃中国﹄の正統政府﹂として認めていた。
冷戦下におけるアメリカ合衆国とソビエト連邦を中心とした東西両陣営の政治的駆け引きの中、アルバニア決議によって中華民国政府が国連の中国代表権を失い脱退してからは、西側諸国においても中華民国政府を﹁﹃中国﹄の正統政府﹂として承認する国が減少した。そのため2018年現在では、バチカンやパラグアイなど、16カ国のみが承認しているという状況である。ただし中華民国政府は、日本やアメリカ、フランスなどをはじめとする多くの非承認国にも﹁台北経済文化代表処﹂などと称される利益代表部を置いており︵中華民国の在外機構の一覧参照︶、相手国も台湾にそのカウンターパートを設置しているため、国際的な交流は一定程度保たれている。
なお中華民国とバチカンの外交関係の歴史は古く、第二次世界大戦中の1942年に確立されている。一方で、中華人民共和国は1951年からバチカンと断交状態にある。しかし、近年になって両国は国交樹立に前向きな姿勢を示しており[19]急速に接近している[20]。
タイムライン
歴代総統
「中華民国総統」を参照
治安・消防組織
情報機関
軍事
詳細は「中華民国国軍」を参照
中華民国国軍
国民革命軍を前身とする中華民国国軍は中華民国憲法第36条に規定されており、中華民国総統が陸海空軍の統帥権を持つ。国防部組織法・国防部参謀本部組織法・国防部政治作戦局組織法・国防部軍備局組織法・国防部軍医局組織法・国防部主計局組織法の、いわゆる国防六法で定義されている。
中華民国憲法第20条により徴兵制度が敷かれていたが、徴兵規則の変更で2012年1月1日から徴兵を﹁停止﹂し、2018年12月26日徴兵制が﹁廃止﹂され志願制度に移行した。[21]当初は2014年に完全な志願制への移行︵4箇月の軍事訓練も廃止︶を予定していたが[22]軍事訓練は残ることとなった[23][24]。
2012年以前の徴兵制度では、満19歳以上の男子国民は、常備兵役として12カ月間の兵役義務︵2003年までは22カ月︶を有していたが、良心的兵役拒否権が認められていた。制度の移行期間中は、1994年1月1日以降に出生した男性については2013年1月1日より4箇月の常備兵役の軍事訓練を受けることにし、1993年12月31日以前に出生した男性については、徴兵を受けていない者あるいはまだ徴兵に就いていない者は兵役法第25条3項の規定に基づいて1年間の期限で代替役︵兵役の代わりに公的機関で勤務︶につく。兵役では、基礎訓練と専門訓練をそれぞれ8週間ずつ行う。基礎訓練は1日8時間の計320時間、専門訓練は1日7時間の計280時間。訓練終了後は予備役に編入される。訓練終了時の合格基準は、基礎は腹筋運動と腕立てを2分間25回ずつと19分以内の3000メートル完走、専門段階では腹筋と腕立てを2分間32回ずつと17分以内の3000メートル完走となっている。
中華民国国軍は、正規軍で約21.5万人、予備役で約180万人の兵力を擁しており、正規軍の内訳は陸軍13万人、海軍3万5000人︵陸戦隊9000人︶、空軍3万8000人、憲兵5000人である。主力戦車926両以上、駆逐艦・フリゲート艦24隻、潜水艦4隻、作戦機約400機となっている。なお、中華民国国軍の最も重要な軍事基地は中国大陸沿岸の金門島である。アメリカ合衆国は、米華間の協定である﹁台湾関係法﹂を根拠に兵器の輸出を行っている。
1949年以降の中華人民共和国との軍事的対立を背景として、中華民国の軍事施設には自国製のみならずフランス製やアメリカ製の最新鋭の兵器、軍用機、軍用船が装備されている。だが、中華民国の国防関係予算が2015年度を基準として過去20年間ほぼ横ばいの増減となっている一方、中華民国と敵対する中華人民共和国が継続的に高い水準で国防費を増加させており[24]、政府は特別予算を組むなどして対応している。将来的には総兵力を27万5000人から21万5000人まで削減し、兵士の専門性を高める予定でいる[24]。女性兵士の割合は7.7%で、女性軍人は約1万5000人となっている。上限は8%だが、将来的には女性定員枠を拡大する方針を明らかにしている。
2015年︵民国104年︶度の国防関係予算は、3,128億元で、国家予算全体に占める割合は16.17%となっている[25]。過去10年の国家予算に占める国防関係費の比率は2008年以降減少しており[25]、GDPに対する比率も約2%で推移している[26]。
台湾関係法
「台湾関係法」も参照
国際関係
国交を結んでいる国(邦交國)
非公式な外交関係を持つ国
国家承認している国
詳細は「中華民国の在外機構の一覧」を参照
2019年9月時点で、中華民国を国家承認している国家は15ヶ国である[27]。﹁国民政府を認めるか、北京政府を認めるか﹂という﹁一つの中国﹂論により、これらの国は中華人民共和国との国交を結んでいないが[28]、このうちニカラグアとナウル、セントルシアなどは、かつて中華人民共和国と国交を結んだが、後に中華民国と国交を回復した[29][30]。中華人民共和国の国際的な影響力が増大した2000年代以降、中華民国を承認する国は減りつつある。
オセアニア:4ヶ国
|
ヨーロッパ:1ヶ国 アフリカ:1ヶ国
|
ラテンアメリカ:9ヶ国
|
|
「中華民国とパラグアイの関係」も参照
国家承認をしていないが実質的に外交関係を継続している国
第二次世界大戦以前に多くの国々と国交を樹立していた経緯から、現在国交を結んでいない国々との間でも実質的に外交関係を継続している。その中でも台湾島や澎湖諸島の旧統治国である日本や旧同盟国のアメリカ合衆国、西欧諸国との関係を重視している。こうした国々の多くでは、事実上の大使館として台北経済文化代表処が設置されている。
![アメリカ合衆国の旗](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a4/Flag_of_the_United_States.svg/25px-Flag_of_the_United_States.svg.png)
![日本の旗](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/9e/Flag_of_Japan.svg/25px-Flag_of_Japan.svg.png)
冷戦後の動向
李登輝総統︵任期‥1988年 - 2000年︶時代に入り、中華民国政府は中華人民共和国の存在を﹁反乱団体による非合法行為﹂と規定しなくなったが、今でも﹁﹃中国﹄の正統政府﹂という主張は変えていない。そのため、中華民国国内では、﹁﹃中国﹄の正統政府﹂であることをやめ実効支配地域のみを統治する政府として国家を再編することで、中華民国の新たな国際社会復帰を模索する動きも活発化している。2005年8月1日には、陳水扁総統が﹁中華民国は台湾﹂と語っており、中華民国の国家としての定義は国内において二分している状況である。
さらに21世紀初頭では、中国大陸と台湾地域を統治することを前提とした中華民国の国家体制から脱却し、台湾地域のみの統治を前提とした国家を創出する台湾独立運動︵台独運動、または台独︶も活発化しており、そのことが問題をより複雑化している。もっとも、台湾地域においては、この問題に関するさまざまな意見が存在しているものの、少なくとも台湾地域が中華人民共和国に属するものではないという点では世論の大勢が一致している。そのため、中華民国の立法府たる立法院の議員は、主に﹁台湾の主権は中華民国に属する﹂とする泛藍派と、﹁台湾の主権は中国の国家には属さない﹂とする泛緑派︵台独派︶のいずれかに大別される。
世論調査では、﹁実質的に共産主義政党の中国共産党による一党独裁国家であり、言論や思想、宗教選択の自由すら許されていない中華人民共和国﹂と完全に分離して、議会制民主主義体制が堅持されている現在の状況を維持したいとの意見が大勢であり、中華人民共和国との統一や中華民国体制からの独立を望む声は少数意見である。そのため、中華民国の世論は基本的には現状での安定志向にあると言え、各党も世論を配慮しながら政治活動を行っている。
アメリカ、イギリスなどの中華人民共和国と国交のある諸国の政府も、公式には中華人民共和国の唱える﹁一つの中国﹂政策を支持しているものの、大統領制議会民主国家を維持することを望む中華民国の国民の意向を尊重することと、中国共産党の一党独裁国家であり、言論の自由が抑圧されている中華人民共和国[32][33]によるアジアにおける軍事的覇権を牽制する意味からも、この状態の維持を事実上支持している。また、日本は中華人民共和国の唱える﹁一つの中国﹂政策を﹁理解し、尊重する﹂という表現にとどめ、承認しているわけではないが、中華民国との正式な国交はなく、事実上アメリカ、イギリスなどと同様の立場を取っている。なお、第二次安倍政権下では台湾と中国が明確に別の国であるとして取り扱う事が多くなるなど、情勢の変化が起こっている[34]。
2000年代後半に入り、中華民国と国交を有していた中央アメリカのコスタリカが2007年に中華人民共和国と国交を開き、その他パナマ、ニカラグア、ホンジュラスなどの中央アメリカ諸国も世界第二位の経済大国となった中華人民共和国との経済関係を重視する方針を打ち出しているが、中国国民党の馬英九政権の立場を尊重する中国共産党の意向により、中華人民共和国はこれら経済的な関係の深まる中央アメリカ諸国との国交を樹立していなかった[35]。しかし、民主進歩党の蔡英文政権に交代してからはガンビア、サントメ・プリンシペ、パナマ、ブルキナファソと相次いで国交を樹立するなど、中華民国との断交を迫る外交路線に回帰した[28]。
2018年8月、中華民国はエルサルバドルと外交関係を断絶[36]。
2019年9月16日、ソロモン諸島は中華民国と断交し、中華人民共和国と国交を樹立することを決定した[37]。
2019年9月20日、太平洋の島国キリバスとの国交を断絶した[38][39][27]。
地理
実効支配域(台湾地区)
領有権を主張する地域
中華民國全圖(外部リンク)も参照詳細は「中国の地理」を参照
中華民国の主張する国土の総面積は 11,418,174km2 である。中華民国の国土は、中華民国憲法増修条文によって下記の通りに区分されている。
(一)自由地区︵台湾地区︶‥中華民国政府の実効支配が及ぶする範囲。台湾島︵台湾︶、澎湖諸島、金馬地区︵金門県、連江県︶、東沙諸島、及び南沙諸島の一部から成り立っており、日本や中華人民共和国、フィリピン等と領海を接している。
詳細は「台湾の地理」を参照
・大陸地区︵中国大陸︶‥自由地区を除いた中華民国の領土。中華人民共和国政府が実効支配している区域︵中国大陸、及びに香港・マカオ︶に加え、以下の地域の領有権主張も含まれている。
●外蒙古︵モンゴル国、ロシアのトゥヴァ共和国︶
●清朝がロシア帝国に割譲させられた領土
●江東六十四屯︵ロシア領︶
●パミール高原︵タジキスタン・パキスタン・アフガニスタン領に分かれている︶
●インドのアルナーチャル・プラデーシュ州
●ミャンマー北部の地域
●ミッチーナ以北の地域
●胡康河谷
●江心坡
●南坎
●ブータンの東の一部
●日本の東シナ海にある尖閣諸島
●南シナ海海域︵いわゆる九段線︶
これは、中華民国が清朝の全てを継承した国家という認識によるものであり、中華民国は国交のないモンゴル人民共和国︵現在のモンゴル国の前身︶の独立を一旦承認したものの、1953年に取り消したものとされてきた︵詳細は対モンゴル国関係を参照︶が、2003年に中華民国とモンゴルとの間に事実上の大使館が建設された他、2010年に中華民国政府は、﹁我が国の領土にモンゴルは含まない。﹂との見解を示している。当然2004年に中華人民共和国がロシアと確定させたアムール川の現国境線も認めていない。さらに日本の主権下にある尖閣諸島に1969年、﹁青天白日旗﹂を掲揚し、付近海域の石油採掘権をアメリカ企業に与えた上に、1971年6月以降は中華人民共和国による同様の主張に対抗すべく、領有権を主張している。南シナ海の東沙諸島および南沙諸島の全域︵九段線︶の領有権も主張している。
建国当初の中華民国は中国大陸を領有する国家であり、1895年に日清間で締結された下関条約により、清朝から日本に割譲された台湾島一帯はその版図に含まれていなかった。しかし前述の通り、第二次世界大戦中の1943年に出されたカイロ宣言において同地域は中華民国に返還すべきであるとされている。
中華民国は、1945年の日本の敗戦により、台湾島一帯を﹁中国の一部﹂として実効支配下においた。その後、国共内戦の結果、中華民国は1955年までに台湾省︵1947年成立︶、福建省の一部以外の領地を全て喪失し、1912年の建国から一貫して統治している地は福建省の金馬地区のみとなっている。しかし﹁﹃中国﹄における唯一の正統政府﹂を自任する中華民国は大陸部の統治権の主張を放棄せず、中華民国政府が発行する官製地図﹃中華民国全図﹄には前記地域を中華民国国土として掲載してきた。しかし2004年1月、内政部は、実効支配地域外を含めた﹃中華民国全図﹄の新規発行を停止する決定を発表し、今後公式な国土範囲にも変化がある可能性が示唆されている。
気候
領土問題
上記のように、中華民国は中国大陸︵中華人民共和国の実効支配地域︶、モンゴル、パミールなどを自国の領土であると主張している。中華人民共和国も、台湾および福建省金門県、連江県の領有を主張している。日本の尖閣諸島についても、双方が自国の領土であると主張している︵詳細は尖閣諸島問題を参照︶。
東沙諸島と南沙諸島については、中華人民共和国と実効支配を、フィリピン、ベトナム、マレーシア、ブルネイとは領有権を争っている。
中華民国の実効支配地域(台湾地区)
沖縄県への認識
行政区分
- 中華民国の公式な行政区分については南京国民政府の行政区分を、台湾地区(政府の実効統治範囲)の行政区分については台湾の行政区分を参照。
概要
中華民国の行政区分は中華民国憲法第11章の条文によって規定されており、第一級行政区分として省と直轄市、蒙古・西蔵の自治区域、及び海南特別行政区[41]が1949年時点で定められていた。
だが、この行政区分は南京国民政府が大陸地区を実効支配している時代に規定されたため、国共内戦で中華民国の実効支配区域が台湾地区のみに狭められると、実際の行政実務︵地方自治︶との整合性が欠如した内容となってしまった[42]。そのため、中華民国政府は非効率な行政組織の改善を目的として、1997年の憲法増修条文第四次改正で省が持つ地方自治の権限を実質的に廃止し、省政府の機構を行政院の出先機関として中央政府に組み込んだ。1997年の省政府に対する措置を台湾では﹁虚省化﹂︵省の名目化︶あるいは﹁凍省﹂︵省機能の凍結︶と呼んでおり、これ以降の中華民国で台湾省および福建省は地方行政区分として機能していない。
ただし、憲法増修条文によって省の機能に変更が加えられてはいるものの、省という行政組織自体は今なお存続している。また、1949年に南京国民政府が制定した中華民国全土の行政区分についても、直轄市が6市増えた点を除いては変更措置が取られていないため、公式には今なお大陸地区を含めて有効とされている。
なお、中華民国海軍の艦艇の中には、大陸を統治していた当時の地名で、中国大陸の都市に由来する名称を採用した艦艇が存在している︵康定級フリゲート等︶。また、台北市にはウルムチの旧名である﹁迪化﹂に由来する迪化街がある。
主要都市
- 台湾の主要都市については、台湾の項目を参照。
中華民国自由地区の主要都市としては、台湾島の北部盆地に位置し、1949年から﹁中華民国中央政府所在地﹂[43]となっている台北市が先ず挙げられる。台北市は1947年に設置された台湾省の省都も兼ねていたが、省都については1957年に台北市から台湾島中部にある南投県南投市中興新村へと移されている。その他の主要都市には、直轄市の新北市、桃園市、台中市、台南市、及び高雄市があり、いずれも台湾島北部から西部にかけて位置している。
首都
詳細は「中華民国の首都」を参照
「総統府」の文字が掲げられている
経済
詳細は「台湾の経済」を参照
2009年のGDPは3785億ドル︵約32兆円︶であり[44]、神奈川県とほぼ同じ経済規模である[45]。しかし、2015年には5230.1億ドルになり[46]、しばらくは増え続けると予想されている。同年の一人当たりのGDP(購買力平価PPP)は46,833ドルであり[47]、世界21位である。
1912年の中華民国の成立当初、清朝の対外賠償金を継承し、鉄道や税関などの収入源を賠償金の担保として列強の支配下に置かれていたため危機的な経済状況にあった。
建国当初の政争に加え、中国共産党軍との対立、さらに日中戦争と国内での混乱が続いたことで経済状況が悪化し、物資が軍需用として優先使用され、その物資の輸送も限定された交通手段に頼っており国民経済は困窮を極めた。
1945年の第二次世界大戦終結により、特に満洲および台湾では大日本帝国が遺した資産を活用した工業化などによる経済建設を計画したが、まもなく開始された国共内戦により経済政策の実施は頓挫、国民党が行った紙幣の濫発による急激なインフレなどで台湾地域の国民経済は崩壊の淵に立たされることとなった。
1949年に国共内戦に敗れ、領土を台湾のみに縮小された国民党政府は﹁大陸反攻﹂を実現すべく国力の充実を図り、経済方面でも濫発した貨幣︵国民党軍が発行した旧台湾ドル︶を廃してニュー台湾ドルを発行しインフレを抑制、傾斜生産方式を採用した工業化を図るとともに、冷戦下のアメリカからの経済援助を活用しての経済政策を実施、それまで農業と農業関連の加工業が主であった台湾の経済を軽工業、やがては重工業へと転換させることに成功し、現在ではアジア有数の先進工業国としての地位を確立、特にパーソナルコンピュータやマザーボード、液晶、レーザーモジュールやなどの高度な技術開発力を必要とする情報技術関連機器や、自動車やオートバイとその部品、付加価値の高い自転車、家電製品とそのための電子部品をはじめとする製造業、海運や航空業でその強みを発揮し、世界トップクラスの外貨準備高を擁する経済大国へと変貌している。
2000年代以降は、中華人民共和国やインドなどの、低賃金の単純労働力を提供する発展途上国の台頭によって、高度な開発、生産力を必要としない製造業においては、工場の海外進出に伴う産業の空洞化が進行したが、これに対し政府は情報技術へのさらなる投資とあわせて、バイオ産業などより高い技術を有する産業に重点を置く政策に転換しつつある。
世界中に広がる華僑ネットワークに駆使した世界戦略も強みである。アメリカや日本で注文を取り、中華人民共和国やベトナムに製造させる仲介的戦略も、この華僑ネットを利用している。近年は高雄港や基隆港、台中港が中国大陸や東南アジア、および太平洋地域における海運の重要なハブとしての地位を獲得しており、コンテナ取扱高世界一を誇る一大海運企業である長栄海運などがそれを後押しする形となっている。
中華民国の経済は日本経済との共通点が多い。資源小国であることから技術力、工業生産力に依拠し、世界市場で優位に立てる高付加価値製品を開発製造することによって、外貨を獲得する加工貿易が基本である。独立志向の強さが国民性であり、それが経済に活力を与えると同時に、大企業の成長に必要な人材の確保が困難な一面もある。
1000万人以上の観光客を目標にした観光戦略を打ち出し、2010年に中華人民共和国と締結した海峡両岸経済協力枠組協議や日台投資協定・日台オープンスカイ協定締結などにより2011年には600万人以上の観光客が訪れた。そして、外貨収入は1兆円を超えている。
シンガポールなどとの自由貿易協定 (FTA) や環太平洋戦略的経済連携協定 (TPP) 参加を検討しており、経済自由化や金融緩和にも力を入れるとされている。2016年11月の失業率は3.87% (45万5000人) になっており、経済協力開発機構 (OECD) 平均と比較しても大きく下回っていて、雇用も比較的安定している。
日本経済との関係
中華民国と日本とは、実効統治する台湾がかつて日本領であったなど歴史的に関係が深く、地理的に近いことから、貿易をはじめとした経済的交流が非常に緊密である。その象徴として、台北の台北国際金融センタービルは日本の熊谷組を中心としたJV︵共同事業体︶が施工しているほか、日本の新幹線の信号・車両技術を導入した台湾高速鉄道︵台湾新幹線︶も南港︵台北市︶〜左営︵高雄市︶間に運行中である。多くの日本企業が進出しているだけでなく、中華民国の企業も日本に進出するなど、経済的交流は年々強まっている。工業団地に日本企業を積極的に誘致を続けている他にも、中華人民共和国に日本企業が進出する際に、台湾企業と組むケースが多くなっている。
2011年現在、日本は台湾にとって最大の輸入先であり、日本から台湾への投資件数もトップであり、台湾にとって2番目の貿易相手国である。台湾は日本にとって4番目の貿易パートナーである。
中華民国の代表的な大企業
●漢翔航空工業 中華民国の元国営企業である軍用機メーカー。中華民国空軍傘下の組織をルーツとするが、現在では国内外の民間機の製造分担請負等も担当。
●ITEC アメリカ合衆国のハネウェル社との合弁企業である航空用エンジンメーカー。国産戦闘機IDF経国号のエンジンを開発したほか、各国の軍用練習機向けエンジンを製造している。
●鴻海精密工業 世界最大の EMS 企業
●TSMC 世界最大の半導体製造ファウンダリー
●ASUS
●Acer 世界有数のパソコン・PC関連機器メーカー。
●BenQ︵ベンキュー︶2001年にエイサーグループから独立
●AU Optronics (AUO) BenQ グループの液晶パネルメーカー
●GIGABYTE
●MediaTek ファブレスIC設計企業である
●クアンタ・コンピュータ
●Micro-Star International (MSI)
●HTC
●裕隆汽車 (Luxgen)
●SYM ︵三陽機車︶台湾を代表するスクーターメーカー
●KYMCO ︵光陽機車︶SYMと同じく台湾を代表するスクーターメーカー
●東元電機
●大同公司
●ジャイアント・マニュファクチャリング
●台湾銀行
●中国信託商業銀行
●エバーグリーン・グループ
●長栄海運
●エバー航空︵長栄航空︶
●ユニー航空︵立栄航空︶
●チャイナエアライン︵中華航空︶
●マンダリン航空
●國泰人壽︵生保︶グループ
●新光人壽︵生保︶グループ
●新光三越 日本の三越︵現三越伊勢丹ホールディングス︶グループと共同設立された、台湾最大のデパート
●統一企業グループ︵小売業界最大手︶
●統一超商︵台湾セブンイレブン︶
●統一時代百貨
●台湾プラスチックグループ︵台湾最大の企業グループ︶
●ナンカンタイヤ
交通
「台湾の交通」を参照
科学技術
上記のように世界的な競争力を持つ企業もあり、高度な科学技術力を有している。台湾出身の李遠哲は1986年にノーベル化学賞を受賞した。後に李が院長に就任した中央研究院が、自然科学と社会科学を含めた国家アカデミーの役割を担っている。
宇宙開発
1991年に宇宙開発に着手した。台湾国家宇宙センターが中心となり、アメリカに委託しての人工衛星の打ち上げと運用、ロケットの開発に取り組んでいる。地球観測衛星「FORMOSAT(フォルモサット)」シリーズのうち、初めて自主開発した「FORMOSAT-5」(フォルモサット5号)を2017年8月25日、スペースX社のロケットにより打ち上げる予定である[48]。
国民
国民の定義と人口
中華民国の国民は、中華民国憲法第3条の規定によって﹁中華民国の国籍を有する者﹂とされており、2016年の時点で 2353万9816人となっている。人口密度は平均 650.42人/km2︵2017年1月︶である。人口が1千万人以上の国では世界2位になった。
中華民国の国民は、更に中華民国自由地区人民と無戸籍国民に分けられる。
●中華民国自由地区人民
中華民国政府が実際に統治している台湾、澎湖、金門、馬祖列島等地の国民、﹁無戸籍国民﹂や﹁大陸地区人民﹂などと区別する意味合いで用いられる。
●無戸籍国民
海外華人など、中華民国の国籍を保持しているが﹁中華民国自由地区﹂に戸籍がない国民、中華民国内政部によると、﹁無戸籍国民﹂は数万人が存在している。日本やアメリカなど一部の国で中華民国国民を対象に短期滞在ビザを免除している場合、中華民国国民身分証の番号記載がないため、無戸籍国民の旅券所持者は対象外となっている。
また、中華人民共和国支配下の大陸地区人民、香港居民、マカオ居民の国籍帰属については、憲法および法律では明確な規定していないので、外国人には属さず、国民にも属さないという微妙な立場にある。
●大陸地区人民
﹁台湾地区と大陸地区の人民関係条例﹂によると、台湾地区以外の中華民国領土の人民を指す、大陸委員会という専門の行政機関があり、大陸地区人民関連する事務を処理する。
●香港居民、マカオ居民
1997年の﹁香港マカオ関係条例﹂制定まで、香港地区とマカオ地区の華人については自由地区人民と同じ、中華民国の国民の権利と義務が保持されていたが、香港およびマカオの返還により、香港居民およびマカオ居民は通常の中華民国の国民の資格を撤廃した。現在は大陸地区人民と同じく、大陸委員会が管理する。
民族と省籍矛盾
中華民国の国民は大きく漢民族と原住民族にわかれる。中華民国政府が認定した原住民族は、2016年現在で16民族55万人弱であり全人口の約2.3%である[49][50]。中華民国では、国民である国内各民族が融合して中華民族を形成するとされており、中華民国憲法第5条によって各民族間の平等が定められている。また中華民国国民には省籍が存在し、在籍する省によって本省人と外省人に分けることがある。原住民族は広義には本省人に含まれるが、通常は分けて考えられる。この区分に従うと、中華民国編入後の台湾島一帯では、人口が多い本省人が政治的には少数派の外省人に支配される構図が浮かび上がるが、これは省籍矛盾と呼ばれ、長年にわたり社会問題とされてきた。
客家と移民
広義の客家人は約500万人であり、全人口の約22%である。中華民国に帰化している人口は7万1398人であり、全人口の約0.3%である。
新移民(外国籍)
外国籍配偶者の数は約40万人で中国大陸とベトナム国籍(在台ベトナム人)が最も多く、約8万6000人であり他にはタイ・インドネシア・フィリピンの順である。外国籍の人口は約65万人である。
言語
詳細は「台湾#言語」を参照
中華民国では中国語の国語が事実上の国家言語とされていたが2018年に可決された言語発展法により土着の台湾語、客家語、台湾原住民の諸言語、手話が国家言語と平等であるとされている[51][52]。
国語は基本的には中華人民共和国で使われている普通話と同一言語とされるが、21世紀初頭では政治・文化・社会の違いにより語彙や発音などの細かい部分に多少の相違点が生じているため台湾国語や台湾華語と称されることも多い。
正体字︵繁体字︶と呼ばれる簡略化されていない漢字の字体を標準としている。これは日本の旧字体に近いが、中華人民共和国で大幅に簡略化された簡体字とは大きく異なる。ただし実際の生活においてはある程度の略字や俗字が使用されている。漢字の発音表記には北京政府時代に制定された注音符号を教育で使用しており、コンピュータやスマートフォンへの入力に広く用いられている。
日常生活では台湾語︵閩南語︶、客家語なども用いられている。
宗教
詳細は「台湾の宗教」を参照
教育
詳細は「台湾の教育」を参照
中華民国は教育制度として国民小学︵小学校︶6年間と国民中学︵中学校︶3年間が義務教育とされている。21世紀初頭では小中学をあわせた﹁九年一貫課程綱要﹂に基づいてカリキュラムが編成されている。儒教圏の例に漏れず学歴社会であり、高等教育を受ける者が多い。
民主化後、国語以外の言語、すなわち台湾語、客家語、台湾原住民語の教育が義務付けられたが、中国国民党による戒厳令時代はすべて国語のみで教育することとされていた。このため、1920年代生まれ前後の世代は台湾語︵または客家語︶のみで国語が話せない者がおり、その下の世代では両方を解するが、1950年生まれ世代前後以下では国語のみで台湾語を解しない者が少なくない︵特に北部の都市部︶。たとえ話せたとしても発音に国語の訛りがある場合も多い。
従って同じ﹁台湾人﹂でも高齢者と若者との間でコミュニケーションが成り立たないということも珍しくない。日本統治時代には日本語での教育が義務付けられていたため日本語を話すことのできる高齢者も多い。
医療
詳細は「台湾の医療」を参照
LGBT
詳細は「中華民国におけるLGBTの権利」を参照
2019年5月17日、同性結婚を認める特別法が立法院で可決された[53]。
文化
代表的な文化施設
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d2/Chiang_Kai-shek_memorial_amk.jpg/300px-Chiang_Kai-shek_memorial_amk.jpg)
象徴的な施設
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/08/R9_ZhongShan_S._Rd._Wiki.jpg/250px-R9_ZhongShan_S._Rd._Wiki.jpg)
食文化
世界遺産登録
詳細は「台湾の世界遺産候補地」を参照
中華民国は、国際連合から脱退しているため、国際連合教育科学文化機関︵ユネスコ︶への加盟を認められておらず、世界遺産が一つも登録されていない。しかし、陳水扁政権発足後から、行政院を中心に世界遺産登録を目指す動きが活発化しており、2003年には世界遺産登録候補地として12か所が選定されている。
暦と祝祭日
脚注
(一)^ 公共交通機関での放送言語として台湾語、客家語も指定されている。
(二)^ ab台北案内 - 歴史と政治︵公益財団法人日本台湾交流協会台北事務所︶
(三)^ ab臺灣簡史>國際危機與兩岸關係︵中華民国行政院新聞局︶
(四)^ 中華民国の首都を台北市と定める法令は現存しない。詳しくは中華民国の首都、中華民国#首都を参照。
(五)^ 2019-2020 台湾のしおり - 中華民国外交部︵日本語版︶
(六)^ アジア初の共和国はフィリピン第一共和国であると見なす場合。ただし、当時のフィリピンはスペインの植民地支配からアメリカの植民地支配下への移行期間にあり、アメリカの支配下から脱し切れていなかったため異論がある。
(七)^ 中華人民共和国は1949年10月1日に建国されたが、この時点で国共内戦は未だ継続中であり、中華民国政府は華南三省と西南部三省の広範囲を支配し、広州市を臨時首都としていた。中華民国政府が大陸地区から台湾へと転戦したのは同年12月7日で、大陸地区における大規模な戦闘は1950年5月1日の海南戦役終結まで、中華民国の支配地域喪失は1955年2月24日の大陳列島喪失まで続いた。
(八)^ 1949年末時点の行政区画。その後の行政区画再編により、6つの都市が台湾省から分離している。
(九)^ NHKスペシャル﹁中国文明の謎﹂第1集﹁中華の源流・幻の王朝を追う﹂︵2012年10月14日放送︶の中で、﹁夏 (三代)﹂王朝の夏が﹁華﹂に変化したという内容がある。
(十)^ “︻国際情勢分析︼﹁台湾は中華民国﹂か 総統選の隠れた争点”. 産経新聞. (2019年11月27日) 2020年5月27日閲覧。
(11)^ “蔡総統掲げる﹁中華民国台湾﹂ 独立か統一、2択を超越”. フォーカス台湾. 中央通訊社. (2020年5月21日) 2020年5月27日閲覧。
(12)^ 時事通信社﹃最新用字用語ブック﹄第6版 624ページ
(13)^ 共同通信社﹃記者ハンドブック﹄第12版714ページ
(14)^ ﹃朝日新聞の用語の手引﹄2010年 571ページ
(15)^ 宇野俊一ほか編 ﹃日本全史︵ジャパン・クロニック︶﹄ 講談社、1991年、1008頁。ISBN 4-06-203994-X。
(16)^ 宇野俊一ほか編 ﹃日本全史︵ジャパン・クロニック︶﹄ 講談社、1991年、1009頁。ISBN 4-06-203994-X。
(17)^ ソ華友好同盟条約︵﹁ソヴィエト﹂社会主義共和国聯邦中華民国間友好及同盟条約︶ 東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室
(18)^ 中華民國憲法 中華民国司法院大法官
(19)^ “Vatican Sec of State hopes for improved diplomatic relations with China”. バチカン放送. (2016年8月27日)
(20)^ “中国・バチカン 雪解け 関係正常化へ 習氏﹁台湾統一﹂の布石”. 毎日新聞. (2017年2月3日)
(21)^ ただし、2012年以降も﹁4箇月間の軍事訓練﹂を受ける義務は残っているので、本来の意味での徴兵制廃止ではなく、実質的には﹁兵役期間の1年から4箇月への短縮﹂である。
(22)^ 台湾‥2014年末までに徴兵制廃止—緊張緩和などで︵サーチナ︶
(23)^ “台湾、徴兵制を終了 4カ月の訓練は義務”. 2019年2月4日閲覧。
(24)^ abc平成27年版防衛白書 第1章第3節-4 台湾の軍事力など︵防衛白書︶
(25)^ ab中華民國104年國防報告書 第三編第六章第二節 策劃國防財力︵中華民国国防部の防衛白書︶
(26)^ SIPRI Military Expenditure Database︵ストックホルム国際平和研究所︶
(27)^ ab“キリバス、台湾と断交=中国が資金援助約束か”. 時事通信 (2019年9月20日). 2019年9月20日閲覧。
(28)^ ab“パナマが中国と国交樹立へ、台湾と断交-蔡政権さらに追い込まれる”. ブルームバーグ (2017年6月13日). 2017年6月13日閲覧。
(29)^ Shinn, David H.; Eisenman, Joshua (2012). China and Africa: A Century of Engagement. Philadelphia: University of Pennsylvania Press. p. 248. ISBN 081-220-800-5
(30)^ “Taiwan President to Stop in US”. ワシントン・ポスト. (2007年1月5日) 2017年6月19日閲覧。
(31)^ 米下院議員、台湾との国交回復求める決議案提出2019-09-26閲覧
(32)^ IDG Japan (2004年6月15日). “中国政府、Chinese Wikipediaへのアクセスを遮断”. ITmedia ニュース (アイティメディア) 2012年2月18日閲覧。
(33)^ ロイター (2009年6月3日). “天安門事件の記念日を前に、中国でTwitter遮断”. ITmedia ニュース (アイティメディア). オリジナルの2009年6月11日時点におけるアーカイブ。 2012年2月18日閲覧。
(34)^ “民進党の政権復帰と両岸関係︵下︶慎重だが日台関係強化に期待 当面は﹁冷たい平和﹂維持か メールマガジン﹁オルタ﹂”. 海峡両岸論65号. (2016-04-XX) 2016年4月23日閲覧。
(35)^ “アングル‥中国と経済的な関係深める中米諸国、台湾の孤立化進む恐れ ロイターニュース 国際”. 朝日新聞デジタル、ロイタージャパン. (2013年8月7日) 2013年8月12日閲覧。
(36)^ “台湾がエルサルバドルと断交 外交部長が発表”. 産経ニュース. 産経デジタル (2018年8月21日). 2019年9月16日閲覧。
(37)^ “ソロモン諸島、台湾と断交 = 中国と国交樹立へ”. 時事通信 (2019年9月16日). 2019年9月16日閲覧。
(38)^ “台湾、キリバスとの断交を発表 今週2か国目”. www.msn.com. 2019年9月20日閲覧。
(39)^ “台湾、キリバスと断交 今週2ヶ国目”. 中央社フォーカス台湾 (2019年9月20日). 2019年9月20日閲覧。
(40)^ “中琉協会の名称変更 中国時報﹁沖縄は日本の領土﹂”. 琉球新報 (琉球新報社). (2006年5月31日). オリジナルの2011年7月22日時点におけるアーカイブ。 2012年2月18日閲覧。
(41)^ 行政院直属の区域。ただし、中華民国憲法上に特別行政区に関する規定はない。
(42)^ 台湾地区と台湾省の範囲がほぼ重なるため、中央政府と台湾省政府の管轄区域もほぼ重複してしまい、省単位での地方自治が事実上機能しなくなっていた。
(43)^ 重編國語辭典の﹁臺北市﹂の項目より。
(44)^ IMF
(45)^ 国民経済計算 Archived 2010年2月10日, at the Wayback Machine.
(46)^ World Economic Outlook Database, October 2016 IMF 2017年2月3日閲覧。
(47)^ World Economic Outlook Database, October 2016 IMF 2017年2月3日閲覧。
(48)^ 台湾、初の自主開発衛星打ち上げへ/対中偵察衛星には難関産経新聞ニュース︵2017年8月21日︶
(49)^ “台湾の先住民55万人 総人口の2.3%=内政部調査”. 2018年10月21日閲覧。
(50)^ “蔡英文総統、先住民に謝罪”. 2018年10月21日閲覧。
(51)^ “多元的な言語発展を目指す法律が成立 文化相﹁母語に誇りを﹂/台湾”. 2019年4月3日閲覧。
(52)^ “台湾、使用言語の﹁平等法﹂可決 北京語重視を修正”. 2019年4月3日閲覧。
(53)^ “台湾、同性婚を合法化 アジア初、立法院で可決”. 日本経済新聞 朝刊 (2019年5月18日). 2020年3月2日閲覧。
参考文献
- 若林正丈『台湾の政治——中華民国台湾化の戦後史』東京大学出版会 2008年 ISBN 9784130301466
- 若林正丈『台湾——分裂国家と民主化』東京大学出版会, 1992年
- 酒井亨『「親日」台湾の幻想』 扶桑社 2010年
- 黄霊芝/下岡友加 編『戦後台湾の日本語文学 黄霊芝小説選』 渓水社 2012 ISBN 9784863271869
- 松岡格『台湾原住民社会の地方化ーーマイノリティの20世紀 』研文出版 2012年 ISBN 9784876363421
- 龍應台著、天野健太郎訳 『台湾海峡一九四九』 白水社 2012年 ISBN 9784560082164
- 川上桃子『圧縮された産業発展 台湾ノートパソコン企業の成長メカニズム』名古屋大学出版会 2012年 ISBN 9784815807030
関連項目
- 中国関係記事の一覧
- 中華民国の歴史
- 台湾
- 台湾関係記事の一覧
- Taiwan Today(今日の台湾) - 政府が開設したニュースサイト
- 継承国
- 光華寮訴訟
- 日本が承認していない国一覧
- 国家承認を得た国連非加盟の国と地域の一覧
- 独立主張のある地域一覧
- 国性爺合戦(近松門左衛門)
外部リンク
政府
●我的E政府 - 中華民国の政府総合サイト
●中華民国総統府
●台北駐日経済文化代表処 - 実質的に日本における中華民国の大使館、領事館の機能を果たす
日本政府
●日本外務省 - 台湾
●公益財団法人日本台湾交流協会 - 実質的に中華民国における日本大使館の機能を果たす
観光
●台湾交通部観光局
ウィキボヤージュには、中華民国 に関する旅行情報があります。
ウィキボヤージュには、中華民国 に関する旅行情報があります。
ウィキトラベルには、中華民国に関する旅行ガイドがあります。
その他
●JETRO - 台湾
●Youtube 中華民国国歌
●"Taiwan". The World Factbook (英語). Central Intelligence Agency.
●中華民国 - DMOZ
● 中華民国のウィキメディア地図
中華民国に関連する地理データ - オープンストリートマップ
このページはウィキプロジェクト 国のテンプレートを使用しています。
座標: 北緯23度30分 東経121度00分 / 北緯23.500度 東経121.000度
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/dd/Wikivoyage-Logo-v3-icon.svg/16px-Wikivoyage-Logo-v3-icon.svg.png)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/dd/Wikivoyage-Logo-v3-icon.svg/16px-Wikivoyage-Logo-v3-icon.svg.png)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e7/Wikitravel-icon.png/21px-Wikitravel-icon.png)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b0/Openstreetmap_logo.svg/16px-Openstreetmap_logo.svg.png)