使

概要

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81


祈祷(礼拝)におけるキリスト教音楽

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イタリア聖歌隊1905年
 
ダマスコの聖イオアン(ヨハネ)イコン
 
パリノートルダム大聖堂カトリック教会)の夜景
 
ベルリン大聖堂ルーテル教会)の夜景

111726301426使2261625







西西1054西西

西西17西西

西西

西使西西W.A.J.S.[1]

西西西

その他のキリスト教音楽

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礼拝の場面ではあまり用いられないが、オラトリオなどは通例キリスト教音楽に数えられる。こうした礼拝の場面であまり用いられないキリスト教音楽も、礼拝とは別個に成立したものばかりでなく、礼拝音楽とお互いに影響を与えあいながら成立している。

東方教会

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東方教会は東西の経済的交流・文化的交流が減少したことにより、西欧の諸教会とは大きく異なる教会音楽伝統を発展させるに至った。また、東方教会内でも正教会東方諸教会との間には聖歌伝統における差異が存在し、さらに正教会内・東方諸教会内のそれぞれにも地域・時代による多様性が存在する。

正教会

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奉神礼における聖歌

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神品による奉神礼の光景。白地に金色の刺繍を施された祭服を着ている2人が輔祭。左手前に大きく写っている濃い緑色の祭服を着用した人物と、イコノスタシスの向こう側の至聖所の奥に小さく写っている人物が司祭。至聖所の宝座手前で水色の祭服を着用し、宝冠を被って奉事に当たっているのが主教である。正教会では祭日ごとに祭服の色を統一して用いるのが一般的であり、このように諸神品が別々の色の祭服を用いるケースはそれほど多くはない。また、祭服をこのように完装するのは写真撮影などの特別な場合を除いて公祈祷の場面に限られている。
 
生神女庇護祭イコン。生神女庇護祭と同日に記憶される聖歌者ロマンが、歌詞:祈祷文を持つ姿で中央下部に描かれている。(1649年ベラルーシ



 ()

西西

音楽的特徴による分類

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西


歴史

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正教会での奉神礼に用いられる聖歌は、東ローマ帝国の版図において発展したビザンティン聖歌ロシア帝国の版図において発展したロシア聖歌だけにその伝統はとどまらず、グルジアバルカン半島諸国など、各地において多様な発展を示してきた。

古代・中世
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676 - 749


近世以降
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ボルトニャンスキー



彿








現代
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西西



西

八調

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調8

調調調使使調調

公祈祷以外の場面における正教音楽

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正教会においてはオラトリオといった、公祈祷以外の場面においてキリスト教のメッセージを持つ音楽は、それらを形成した西方教会とは異なる歴史的背景・社会的背景を持つゆえにそれほど発展して来なかった。しかしながら近現代に入るとロシア、セルビアなどでそうしたオラトリオなどを作曲する作曲家も登場してきた。

作品例

現代においてもロシア正教会の渉外局長であるイラリオン・アルフェエフ府主教が、管弦楽つきのクリスマス・オラトリオを作曲して演奏が行われ、話題となった。管弦楽つきの音楽は奉神礼に用いることはできず、管弦楽つき作品は必然的に演奏会向けの作品である。

また、演奏会以外の場面におけるキリスト教音楽としては、ウクライナ・ロシアなどで歌われるカリャートカが挙げられる。これはクリスマスにおいて主に子どもたちによって歌われてきたイイスス・ハリストス(イエス・キリストのギリシャ語・ロシア語読み)の降誕に題材をとった歌であり、軽快なメロディを持つものが多い。

日本正教会の聖歌

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アルハンゲルスキー

19使使19調使
 



13西

東方諸教会

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ギリシャ系の正教会とは異なり、東方諸教会では若干の楽器を限定的に用いるものがある。アルメニア使徒教会ではオルガンが比較的広く用いられているほか、エチオピア正教会では鈴が伴奏に用いられる。ただしビザンティン聖歌・グルジア聖歌を保持する正教会と同様、東方諸教会の教会音楽における西欧からの影響は限定的であり、総じて東方諸教会の音楽も伝統的・保守的である。

西方教会

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ローマ帝国の東西分裂以降の東西の交流減少に伴い、西方教会のキリスト教音楽における歩みもまた東方教会と大きく異なってきた。ただし、東西の教会が完全に文化的に断絶し切っていた訳ではないことには注意が必要である。

西欧における音楽の歴史にはキリスト教音楽が密接に結び付いている。西方教会のキリスト教音楽の歴史は、西欧における音楽の発展の歴史と重なる部分が非常に多い。

宗教改革以前

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宗教改革以前は、当然のことながらカトリック教会聖公会プロテスタントの別は西方教会内になかった。したがって、宗教改革以前のキリスト教音楽の歴史・内容はカトリック・プロテスタントで分けずに西方教会のものとして一括して述べる。

中世前期

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西2


 
リベル・ウズアリス』で用いられる、グレゴリオ聖歌の四角ネウマ。ここではキリエ・エレイソン(オルビス・ファクトール)の冒頭を示している。

61590 - 60416719西[1]

西1516

グレゴリオ聖歌には今日一般的に広く用いられている「長調」「短調」の音階システムではなく、教会旋法が用いられている。教会旋法は長調・短調のシステムから離れた神秘的にも響く音階を提供するものとも評価され、近現代の作曲家の中には教会音楽のみならず世俗音楽においても、教会旋法を用いて作曲する者もいる。特にドビュッシーらの印象主義音楽によって教会旋法が見直され、彼らの技法に吸収されたことは、近代音楽史上の特筆すべき事である。

中世中期

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西西西西1011

11

1250

中世後期(1300年代)

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イタリアフランスアルス・ノーヴァ(新しい技法)が興った。これは、たび重なる十字軍の実施とその失敗により世俗王侯の権力が伸長し、各地域において統一的な教会音楽から離れた技法・歌唱法が実現する社会的・政治的素地ができたことを背景とする。

フィリップ・ド・ヴィリ司教が1320年頃に著作『アルス・ノーヴァ』によって新たなリズム表記法を組織化した。これにちなんで、この時代の多声音楽の様式をアルス・ノーヴァと呼ぶ。この著作では、それまで長い音が3個の短い音に分けられるだけであったものに対し、長音を2つの短音に分けることが正当化され、音符の種類も増やされた。

伝統的なグレゴリオ聖歌が崩され、13世紀のモテットに教会音楽が嵌められていくことに保守的な教会音楽家・神学者は危機感を抱き、教皇ヨハネス22世1324年に長文の回勅を発し、典礼用旋律の復古と新しい歌い方の排除を命じており、トマス・アクィナスも同調した。しかし時代の趨勢は動かず、結果的には新しい技法が教会音楽において勝利することとなった。

ルネサンス時代

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デュファイ(左)
 
デ・プレ
 
パレストリーナ

100

沿100使使

調調

カトリック教会

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Kirye, Gloria, Sanctus, Agnus Dei4Gloria4

使

カトリックの教会音楽家

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フランク
 
ブルックナー



退退1920

2

日本のカトリック教会

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ローマ教会では伝統的にラテン語の聖歌が歌われ、日本ではラテン語の典礼聖歌と併せて日本語のカトリック聖歌集が用いられてきたが、第2バチカン公会議以降、高田三郎をはじめとする現代の作曲家による日本語の典礼聖歌が使われるようになった。

日本のカトリック教会では「讃美歌」という言葉を用いず「聖歌」と呼ぶ。讃美歌というと、プロテスタント諸派で用いられている讃美歌集の中の曲を特別に扱うことを指すが、普通の礼拝には「典礼聖歌」および「カトリック聖歌集」を用いるのが原則である。カトリック聖歌集には伝統的なグレゴリオ聖歌もいくつか載っているが、多くは一般的に讃美歌と呼ばれる曲であり、プロテスタントの讃美歌集との重複曲も多い。しかし歌詞がカトリック独特のものであることも多く、例えば讃美歌集での「きよしこの夜」はカトリック聖歌集では「しずけき」という題名で、その歌詞も異なる。また、プロテスタントの讃美歌集の多くが4声で記されているのに対し、カトリック聖歌集の多くの曲は会衆用の手帳様楽譜には主旋律のみしか載っておらず、オルガン奏者の伴奏用楽譜にのみ4声の和声が載っている。しかし、聖歌集末尾に追記された讃美歌集から取り入れられた少数の曲は、会衆用楽譜にも4声で記されている。

聖公会

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パーセル

礼拝形式には「カトリック」的な色彩が色濃く残されている。礼拝においてはドイツの「ルーテル・ミサ」に近い形式で音楽が行われる。

トマス・ウィールクスオーランド・ギボンズヘンリー・パーセルが代表的である。

プロテスタント

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プロテスタントの作曲家概論

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ルター
 
大バッハ
 
メンデルスゾーン
 
Soli Deo gloria

95

[2]

[3] (Veni Creator Spiritus) (Veni, Redemptor gentium) 

26

調Soli Deo gloria[4]西

使199550142000歿250490

調使

礼拝音楽の形式

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BGM


プロテスタントの教会音楽家

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D/C/B/ACA4使

日本のプロテスタント

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190319311954199721 ()195820012002 ()西使

近代・現代音楽の中のキリスト教音楽

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ドビュッシー
 
ストラヴィンスキー

概説

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20

20420



西

近代のキリスト教音楽

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1920[4][4]




戦中と戦後派のキリスト教音楽

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メシアン(右端)とデュリュフレ(右から2人目)。中央の白髭の男性はデュカス

20

203

セリエル系のキリスト教音楽

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2

非セリエル系のキリスト教音楽

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使調#調77調

21世紀にまたがる作曲家のキリスト教音楽

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メシアン以降の世代でキリスト教的思想の音楽を多く書き、かつ現代音楽界に影響力を持つ作曲家としてはまずスイス出身のクラウス・フーバー空間音楽を駆使したノーノもどきの演奏会用宗教音楽が挙げられる。一方、親がプロテスタントの教会音楽家だったドイツのヘルムート・ラッヘンマンはその合唱曲の「慰め」 (Consolations) IからIIIにおいて宗教的題材の作品があるが、本人が声楽曲を避ける傾向にあるために、それ以降には宗教作品は作られていない。フーバーの弟子でありラッヘンマンの後輩のイギリス出身のブライアン・ファーニホウは、「ミサ・ブレヴィス」などの宗教テキストを時々取り上げている。これら3人はシュトゥットガルトあるいはフライブルクを拠点に活動しており(ファーニホウはその後カリフォルニアに移る)、また1970年代以降ダルムシュタット夏季現代音楽講習会で多く教鞭をとり、セリエル音楽のトンネルを抜けた経験を持つという共通点がある。

東欧圏の作曲家のキリスト教音楽

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西27



使

現在のキリスト教音楽の委嘱・初演活動

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J.S.25044

脚注

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注釈

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  1. ^ ただし、現在でもコラールは礼拝で比較的よく用いられる。

出典

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  1. ^ ジャン・ド・ヴァロワ著・水嶋良雄訳『グレゴリオ聖歌』9頁〜10頁、白水社文庫クセジュ ISBN 4-560-05811-3
  2. ^ びぶりか』「賛美のこころ」岳藤豪希
  3. ^ 奥忍 「Martin Lutherの音楽観」(2014年11月9日閲覧)
  4. ^ a b c P・カヴァノー『大作曲家の信仰と音楽』教文館

参考文献

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  • コンスタンチン・P. コワリョフ(著)、ウサミ ナオキ(翻訳)『ロシア音楽の原点―ボルトニャンスキーの生涯』新読書社 ISBN 978-4788061057
  • 辻荘一『キリスト教音楽の歴史』日本基督教団出版局 ISBN 4-8184-2027-1
  • ドナルド・H・ヴァン・エス『西洋音楽史』新時代社
  • 藤田浩著、宗教音楽大辞典
  • 武田明倫「20世紀音楽」『音楽大辞典』第4巻(平凡社 1982)1714-17
  • E・ソーズマン『20世紀の音楽』松前紀男、秋岡陽訳(東海大学出版会 1993)

関連項目

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外部リンク

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