東方教会は東西の経済的交流・文化的交流が減少したことにより、西欧の諸教会とは大きく異なる教会音楽伝統を発展させるに至った。また、東方教会内でも正教会と東方諸教会との間には聖歌伝統における差異が存在し、さらに正教会内・東方諸教会内のそれぞれにも地域・時代による多様性が存在する。
諸神品による奉神礼の光景。白地に金色の刺繍を施された祭服を着ている2人が輔祭。左手前に大きく写っている濃い緑色の祭服を着用した人物と、イコノスタシスの向こう側の至聖所の奥に小さく写っている人物が司祭。至聖所の宝座手前で水色の祭服を着用し、宝冠を被って奉事に当たっているのが主教である。正教会では祭日ごとに祭服の色を統一して用いるのが一般的であり、このように諸神品が別々の色の祭服を用いるケースはそれほど多くはない。また、祭服をこのように完装するのは写真撮影などの特別な場合を除いて公祈祷の場面に限られている。
生神女庇護祭のイコン。生神女庇護祭と同日に記憶される聖歌者ロマンが、歌詞:祈祷文を持つ姿で中央下部に描かれている。(1649年、ベラルーシ) |
音楽的特徴による分類としては、ビザンティン聖歌、ロシア・バルカン半島諸国の伝統的聖歌、同地域における西方教会の影響を受けた多声聖歌、グルジア正教会における古代以来の独自の音楽伝統に立脚したグルジア多声聖歌などが正教会で用いられる。もちろんこれらの分類が全ての聖歌に正確に当てはまるとは限らず、各種の様式を折衷したものや、時代による変化の過渡期のものとして位置付けられる聖歌も多い。他地域の聖歌を取り上げて歌うこともしばしば行われている。
近世以降は、世俗曲も手がける作曲家による聖歌が、伝統的な聖歌と併用されつつ正教会でも歌われている。
正教会での奉神礼に用いられる聖歌は、東ローマ帝国の版図において発展したビザンティン聖歌、ロシア帝国の版図において発展したロシア聖歌だけにその伝統はとどまらず、グルジア、バルカン半島諸国など、各地において多様な発展を示してきた。
ボルトニャンスキー
近世に西方文化の流入を受けるまで、バルカン半島、ルーシ諸地域における聖歌は単旋律が基本であったが、現代のバルカン、ルーシ地域における多声聖歌の多くは西欧の多声音楽の影響を大なり小なり受けつつ、古典聖歌と近世以降の聖歌を併用している。
ギリシャ系の正教会は今でも単旋律、もしくはイソンと呼ばれる持続低音をつけたビザンティン聖歌を教会で用いている。他方、独自の多声音楽文化を古くから保持していたグルジアでは独自のグルジア多声聖歌を形成して今日に至っている。
現代のビザンティン聖歌もロシア聖歌もその内実は多種多様であって一様ではない。ただし西方教会に比べて、その変化の度合いは緩やかであり、また多様性についても無制限に行われてきた訳ではなく、正教会聖歌は総じて伝統的であると言える。一部の例外を除いて正教会聖歌は無伴奏声楽が原則であり︵それゆえ﹁正教会音楽﹂よりも﹁正教会聖歌﹂と呼ばれる︶、近世以降に作曲された多くの聖歌もそれは変わらない。
正教会における無記名による聖歌の代表例とも言える、﹁八調﹂︵はっちょう・オクトエーコス︶と呼ばれる週替わりのシステムに組み込まれた定められた8パターンの各種旋律の作曲家は、成立経緯の詳細とともに不明である。
八調は、八種類の定められた旋律を、祈祷文を区切って当て嵌めていくもので、週ごとに替えられるのを基本とする。ただし祭日・斎日などにおいてはそれぞれの祈祷文に週の定めとは異なる八調が指定される場合もある。現代の正教会では地域によって異なる旋律が受け継がれているものの、八調の使用法は共通している。作曲された曲とともに共存して使われており、八調を当て嵌めて歌われることが多い祈祷文と、作曲された曲で歌われることが多い祈祷文とがある。また、八調でも作曲された曲でもなく、受け継がれた伝統的な曲が歌われることもある。
正教会においてはオラトリオといった、公祈祷以外の場面においてキリスト教のメッセージを持つ音楽は、それらを形成した西方教会とは異なる歴史的背景・社会的背景を持つゆえにそれほど発展して来なかった。しかしながら近現代に入るとロシア、セルビアなどでそうしたオラトリオなどを作曲する作曲家も登場してきた。
- 作品例
現代においてもロシア正教会の渉外局長であるイラリオン・アルフェエフ府主教が、管弦楽つきのクリスマス・オラトリオを作曲して演奏が行われ、話題となった。管弦楽つきの音楽は奉神礼に用いることはできず、管弦楽つき作品は必然的に演奏会向けの作品である。
また、演奏会以外の場面におけるキリスト教音楽としては、ウクライナ・ロシアなどで歌われるカリャートカが挙げられる。これはクリスマスにおいて主に子どもたちによって歌われてきたイイスス・ハリストス(イエス・キリストのギリシャ語・ロシア語読み)の降誕に題材をとった歌であり、軽快なメロディを持つものが多い。
アルハンゲルスキー
日本正教会はその成立期である19世紀において、亜使徒聖ニコライを通して同時代のロシア文化を色濃く受け継いだ。その影響は聖歌にも及んでおり、使われている聖歌の多くは19世紀に広くサンクトペテルブルクで歌われていたものである。八調を使用するとともに、作曲されたものではドミトリー・ボルトニャンスキーやアレクサンドル・アルハンゲルスキーのものが多く採用されている。明治時代にの黎明期にはピアノ、チェロの奏者でもあったヤコフ・チハイが聖歌の翻訳・作曲・指導にあたった。日本人で活躍した聖歌指揮者・作曲家としては金須嘉之進がいる。
ヤコフ・チハイ
日本正教会では一部例外を除き、ほとんどの聖歌が日本語に訳され、奉神礼においても教会スラヴ語等ではなく日本語が用いられている。明治時代にニコライとパウェル中井天生によって訳された漢文訓読体の文語であるが、この祈祷文の翻訳にはほとんど変更が加えられていない。
司祭司祷の聖体礼儀は説教の時間を含めずに1時間、主教司祷の聖体礼儀の時間は実に3時間弱にもおよぶが、その間もっぱら無伴奏声楽︵ア・カペラ︶で祈祷は歌い続けられ、歌唱を伴わない朗読のみで公祈祷が行われることは皆無である︵これは、全世界の正教会に共通している︶。西方教会の典礼音楽・礼拝音楽に比べて平易な旋律が用いられることが日本正教会では多く、それほど多くない練習時間で歌われることが多いが、他教派と同様、聖歌に対する習熟度と練習の頻度には各地域教会ごとに差がある。
ギリシャ系の正教会とは異なり、東方諸教会では若干の楽器を限定的に用いるものがある。アルメニア使徒教会ではオルガンが比較的広く用いられているほか、エチオピア正教会では鈴が伴奏に用いられる。ただしビザンティン聖歌・グルジア聖歌を保持する正教会と同様、東方諸教会の教会音楽における西欧からの影響は限定的であり、総じて東方諸教会の音楽も伝統的・保守的である。
ローマ帝国の東西分裂以降の東西の交流減少に伴い、西方教会のキリスト教音楽における歩みもまた東方教会と大きく異なってきた。ただし、東西の教会が完全に文化的に断絶し切っていた訳ではないことには注意が必要である。
西欧における音楽の歴史にはキリスト教音楽が密接に結び付いている。西方教会のキリスト教音楽の歴史は、西欧における音楽の発展の歴史と重なる部分が非常に多い。
宗教改革以前は、当然のことながらカトリック教会・聖公会・プロテスタントの別は西方教会内になかった。したがって、宗教改革以前のキリスト教音楽の歴史・内容はカトリック・プロテスタントで分けずに西方教会のものとして一括して述べる。
中世前期はローマ教皇と北部ヨーロッパの新興君主が提携し、ゲルマンの民族宗教やアリウス派を排除していく時代であった。この時、多様に複数あった典礼の形式もまたローマでの典礼の形式に則ったものに統一が図られていった。中世初期、西方教会には﹁ミラノ旋律︵アンブロシオ聖歌︶﹂﹁ガリア旋律︵フランス︶﹂﹁モザラビック・チャント︵スペイン︶﹂、など、複数の典礼・音楽様式があったとされるが、このうちアンブロシウスの名が帰せられるミラノ旋律だけはミラノ司教区で現在でも用いられているものの、ほか2つはほとんどが失われた。
こうしたローマでの典礼への統一化を強力に進めた世俗君主として、カール大帝がいる。カール大帝は、ローマ式の典礼への統一に従わない者は死罪に処すとの厳命を領内に下した。統一された典礼を歌うために制定されたのがグレゴリオ聖歌である。
『リベル・ウズアリス』で用いられる、グレゴリオ聖歌の四角ネウマ。ここではキリエ・エレイソン(オルビス・ファクトール)の冒頭を示している。
6世紀末のローマ教皇グレゴリウス1世︵在位590年 - 604年︶に名が帰せられ、伝説上はグレゴリウス1世が旋律の制作者であるとされてはいるものの、グレゴリオ聖歌の成立経緯を6世紀ないし7世紀にまで遡ることは困難である。また、カール大帝当時にどのような歌われ方がなされていたかの考証も極めて困難である︵現代歌われているグレゴリオ聖歌は19世紀以降のベネディクト会修道院での研究の蓄積によって復元されたものであって、どの程度中世当時の実際の歌われ方に近いものであるのかは不明である︶。ただし、カール大帝の時期に至るまでギリシア人修道士が西欧にも居住していたことや、各種旋律の分析から、初期のグレゴリオ聖歌にビザンティン聖歌からの影響が広範に認められるとは夙に指摘される[1]。
グレゴリオ聖歌はこのように、それ以前に存在したこれらの典礼様式を西方教会において画一化した教会音楽体系であって、大部分は中世に作成されたものであり、古代の教会音楽に比べれば相対的に新しい。また、グレゴリオ聖歌は歴史上古い時代・短い時期に作られたものだけで成り立っているものではない。特に新しいものとしては15・16世紀に作られたものすら存在する。
グレゴリオ聖歌には今日一般的に広く用いられている﹁長調﹂﹁短調﹂の音階システムではなく、教会旋法が用いられている。教会旋法は長調・短調のシステムから離れた神秘的にも響く音階を提供するものとも評価され、近現代の作曲家の中には教会音楽のみならず世俗音楽においても、教会旋法を用いて作曲する者もいる。特にドビュッシーらの印象主義音楽によって教会旋法が見直され、彼らの技法に吸収されたことは、近代音楽史上の特筆すべき事である。
イタリアとフランスでアルス・ノーヴァ(新しい技法)が興った。これは、たび重なる十字軍の実施とその失敗により世俗王侯の権力が伸長し、各地域において統一的な教会音楽から離れた技法・歌唱法が実現する社会的・政治的素地ができたことを背景とする。
フィリップ・ド・ヴィリ司教が1320年頃に著作﹃アルス・ノーヴァ﹄によって新たなリズム表記法を組織化した。これにちなんで、この時代の多声音楽の様式をアルス・ノーヴァと呼ぶ。この著作では、それまで長い音が3個の短い音に分けられるだけであったものに対し、長音を2つの短音に分けることが正当化され、音符の種類も増やされた。
伝統的なグレゴリオ聖歌が崩され、13世紀のモテットに教会音楽が嵌められていくことに保守的な教会音楽家・神学者は危機感を抱き、教皇ヨハネス22世は1324年に長文の回勅を発し、典礼用旋律の復古と新しい歌い方の排除を命じており、トマス・アクィナスも同調した。しかし時代の趨勢は動かず、結果的には新しい技法が教会音楽において勝利することとなった。
デュファイ(左)
デ・プレ
パレストリーナ
ミサにおいては、Kirye, Gloria, Sanctus, Agnus Deiの4つの場面において讃歌を歌うことが通例である。︵待降節や四旬節にはGloriaを唱えないなど、例外はある。︶そのためミサ曲と呼ばれるものは、最低でもこの4曲がセットとなっている。
いわゆるカトリックなレクイエムであるが、ブラームス以外でも一般のカトリックとは関係のない作曲家によって﹁レクイエム﹂と称すものが作られている。戦後はベンジャミン・ブリテンが﹁戦争レクイエム﹂、ベルント・アロイス・ツィンマーマンが﹁若い詩人のためのレクイエム﹂を、武満徹が﹁弦楽のためのレクイエム﹂を創作したが、いずれも実際の典礼に使うものではなく演奏会用を大前提としている。
フランク
ブルックナー
大きなオルガンを構える多くの教会では、メインの大オルガンは日曜祝日の主日ミサ︵あるいはそれに準ずる土曜夕方など︶において用いられる。それに対して平日のミサ、あるいはミサ以外にも晩課やロザリオの祈りなど多くの礼拝行事においても聖歌を歌うが、これらには大オルガンは用いず、合唱用の足鍵盤のない小オルガン︵オルゲル・ポジティーヴ︶を用いたり、ギターや電子キーボード、また伝統的なものではツィター︵主に修道院などで用いられる︶など、オルガン以外の小音量の楽器で伴奏を代用したり、あるいは無伴奏合唱で聖歌を歌う。また、若者たちのための礼拝では、ドラムセットやエレキギターなどのバンドを用いて踊りながらのゴスペルに伴奏を付けることも許可されている。
優秀なオルガニストがいる伝統的で大規模な教会では、ミサの最中に司祭の動きに合わせてオルガニストが即興で伴奏を付ける。讃歌の後にその旋律を引き継いで司祭が次の所作に入るまで後奏をつけたり、献金や聖体拝領の最中に完全な即興をしたり、あるいはまず会衆が簡単な聖歌/讃美歌を歌い、その後を引き継いで即興したりする。最も重要なのは入退場曲の時で、司祭の入退場に合わせて音楽を盛り上げる高度な即興技術が求められる。このオルガン即興技術は、19世紀後半から20世紀にかけてフランスで特に発達したものであり、現在もパリ音楽院をはじめとする高等音楽教育機関によって即興技術が受け継がれていることはもちろん、優秀なオルガニストにとって名だたる教会の専属奏者になることは大変な名誉とされる。歴史的な作曲家/オルガニストにセザール・フランク、ルイ・ヴィエルヌ、モーリス・デュリュフレ、オリヴィエ・メシアン、現在ではティエリー・エスケシュなどがいる。パリ音楽院ではないがオーストリアの作曲家のアントン・ブルックナーらもカトリックでは優秀なオルガン奏者だった。
その他ロシア出身のシュニトケの大作、交響曲第2番﹁聖フローリアン﹂や﹁レクイエム﹂などは各楽章がミサの形式を踏襲したものであるが、それ以外の宗教的作品は極度に少なく、少なくとも宗教音楽の作曲家とはいえない。
ローマ教会では伝統的にラテン語の聖歌が歌われ、日本ではラテン語の典礼聖歌と併せて日本語のカトリック聖歌集が用いられてきたが、第2バチカン公会議以降、高田三郎をはじめとする現代の作曲家による日本語の典礼聖歌が使われるようになった。
日本のカトリック教会では「讃美歌」という言葉を用いず「聖歌」と呼ぶ。讃美歌というと、プロテスタント諸派で用いられている讃美歌集の中の曲を特別に扱うことを指すが、普通の礼拝には「典礼聖歌」および「カトリック聖歌集」を用いるのが原則である。カトリック聖歌集には伝統的なグレゴリオ聖歌もいくつか載っているが、多くは一般的に讃美歌と呼ばれる曲であり、プロテスタントの讃美歌集との重複曲も多い。しかし歌詞がカトリック独特のものであることも多く、例えば讃美歌集での「きよしこの夜」はカトリック聖歌集では「しずけき」という題名で、その歌詞も異なる。また、プロテスタントの讃美歌集の多くが4声で記されているのに対し、カトリック聖歌集の多くの曲は会衆用の手帳様楽譜には主旋律のみしか載っておらず、オルガン奏者の伴奏用楽譜にのみ4声の和声が載っている。しかし、聖歌集末尾に追記された讃美歌集から取り入れられた少数の曲は、会衆用楽譜にも4声で記されている。
パーセル
礼拝形式には「カトリック」的な色彩が色濃く残されている。礼拝においてはドイツの「ルーテル・ミサ」に近い形式で音楽が行われる。
トマス・ウィールクス、オーランド・ギボンズ、ヘンリー・パーセルが代表的である。
ルター
大バッハ
メンデルスゾーン
Soli Deo gloria
礼拝音楽の順序としては、まず前奏、次に導入歌、リトゥルギー、説教の前の歌、説教のあとの献金歌、終わりの前の歌、そして後奏となるのが一般であるが、カトリックのように厳格ではなく、用途によって自由に変更できる。楽器は多くの場合オルガンは用いられるが、祝典などには教会の混声合唱やポザウネンコアなどが入る。それ以外のギターなどの楽器も用途によって自由に挿入される。オルガンが全くのソロで弾くのはもっぱら前奏と後奏のみであるが、聖餐時などにもBGMなどとして小さい音で奏されることもある。また、これも含めて間奏として欧米では即興音楽を挿入することも多い。
バッハの一連のカンタータ作品は当時実際に用いられた形式で、現在でもドイツのシュトゥットガルトなどの大きな教会ではそれに則って行われている。実際にはその間に牧師の祝福や説教・主の祈り、一般賛美歌、オルガンによる賛美歌に則った自由で即興的な間奏などが挿入され、カトリックの典礼文ほど形式に厳しくはないが、北ドイツの一部には東ドイツ風のルーテル・ミサの形式のキリエからクレードまでの形式を踏むのもある。
その教会音楽をオルガナイズして、実際にオルガンを演奏したり合唱などを指揮したりする人を﹁教会音楽家﹂という。ドイツの音大などでは﹁オルガン科﹂とは別に﹁教会音楽科﹂が併設されていて、専攻が主にカトリック宗教音楽とプロテスタント宗教音楽に別れ、オルガンを含むそれに関するすべてのことを学ぶ。更に一般の州立の音楽大学以外でも特別に﹁教会音楽大学﹂が設けられていてそこでも学ぶことができる。その場合にはカトリックとプロテスタントは別れて設立されるのが普通である。また学外でも資格が取れ、簡単な順にD/C/B/Aのグレードがあり、それぞれオルガニストの資格や合唱指揮者の資格、ポザウネンコア指揮者の資格などと分かれているのが普通である。例えばCクラスではオルガンについては普通の譜面を楽譜どおり弾くだけであるが、Aクラスの教会音楽家になるとオルガンで賛美歌は旋律の譜面だけ見て伴奏は自由にすべての前奏やシュトローフェにおいて即興されるし、前奏や後奏にはバッハ様式で﹁パッサカリア﹂や﹁アリアとヴァリエーション﹂、﹁インヴェンション﹂、アレグロで4声部の﹁トッカータもしくは幻想曲、前奏曲︵プレリュード︶とフーガ﹂などを、メリスマも含めて厳格に完璧に即興できる実力も持ち合わせている。最近はどこの教会も財政難で、カトリック・プロテスタント双方ともオルガニストと合唱指揮者とポザウネンコア指揮者︵カトリックはショラも含む︶のすべての音楽ができる能力の音楽家を採用する場合が多い。特にプロテスタントのエキュメニカル派では信者の減少と無数の教派の数のために、キリスト教の教派などは特に考慮しないで能力さえあれば使う、エコメーニッシュの傾向が強い。一方、教会音楽家に音楽的能力だけでなく、一定の信仰が必要であるが、最近は人材不足のために余り細かい宗派は問わない傾向がある。したがって﹁プロテスタント教会﹂は﹁カトリック教会﹂よりもエキュメニズムが遥かに浸透しているので、カトリック教徒でも﹁プロテスタント様式﹂の礼拝に協力できるものであれば、プロテスタントの教会音楽家になることができるが、その逆はまだ認められていない。
- ^ ただし、現在でもコラールは礼拝で比較的よく用いられる。
- コンスタンチン・P. コワリョフ(著)、ウサミ ナオキ(翻訳)『ロシア音楽の原点―ボルトニャンスキーの生涯』新読書社 ISBN 978-4788061057
- 辻荘一『キリスト教音楽の歴史』日本基督教団出版局 ISBN 4-8184-2027-1
- ドナルド・H・ヴァン・エス『西洋音楽史』新時代社
- 藤田浩著、宗教音楽大辞典
- 武田明倫「20世紀音楽」『音楽大辞典』第4巻(平凡社 1982)1714-17
- E・ソーズマン『20世紀の音楽』松前紀男、秋岡陽訳(東海大学出版会 1993)
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