オリバー・クロムウェル

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使
オリバー・クロムウェル
Oliver Cromwell


イングランド共和国の旗 イングランド共和国
初代護国卿

任期 1653年12月16日1658年9月3日

出生 1599年4月25日
イングランド王国の旗 イングランド王国ハンティンドンシャー英語版ハンティンドン
死去 (1658-09-03) 1658年9月3日(59歳没)
イングランド共和国の旗 イングランド共和国ホワイトホール
政党 独立派
配偶者 エリザベス・バウチャー
署名

: Oliver Cromwell1599425 - 165893[1]Lord Protector

1


8

[2]1628162916311638


1620
1649

1640

1642102351,0001,1001,200西

164310111643


使


164472

はかばかしくない戦況を見て、議会派は軍の再編を急いで進めた。東部の諸州が連合してつくられた東部連合軍をはじめ、西部連合軍なども編成され、議会軍の組織化が進んだ。これらの再編によってただちに議会軍が精強になったわけではなく、軍の内外で様々な問題をかかえていた。議会内の見解の一致がとれていないことや、革命の目指す方向がないことなどがその主な理由であった。クロムウェルは当時、東部連合軍の騎兵隊長であった。

1645年頃には、議会軍は辞退条例制定など軍隊の編成改革を行い、優柔不断な行動で戦略に悪影響を与え続けたマンチェスター伯とエセックス伯ロバート・デヴァルーなどの指揮官は排除され、東部連合軍・西部連合軍などを統合し、議会の統制下で一元的に再編成された新しい軍をニューモデル・アーミーとした。総司令官英語版はフェアファクスが就任、クロムウェルはニューモデル軍結成にあたって副司令官となった。

1645年6月14日ネイズビーの戦いでは、議会軍は左翼にヘンリー・アイアトン少将、右翼にクロムウェル中将が布陣した。鉄騎隊は激しい攻撃によってじりじりと国王軍を押し返し、国王本隊に迫りつつある時、チャールズ1世は親衛隊を割いて鉄騎隊を追い払おうとした。ところがこの命令が誤って伝わり、親衛隊は後退してしまった。クロムウェルはこの隙を見逃さず、チャールズ1世の歩兵連隊を壊滅させた。いっぽう左翼でもアイアトンの部隊が攻め、国王軍は左右から挟撃され、国王軍は総崩れとなった。この戦いによって、国王軍は壊滅的な損害を被った。議会派はこの勝利をイングランド中に宣伝し、勝利を印象づけた。兵糧や大砲は議会軍に接収され、国王軍の再建は事実上不可能となった。内戦はさらに1年続いたが、国王軍は劣勢を逆転することはできず、チャールズ1世はスコットランドに亡命を余儀なくされた。だがスコットランドにも見捨てられ、議会の監視下でハンプトン・コート宮殿で軟禁状態に置かれた。

コモンウェルス成立

イングランド共和国の紋章
クロムウェルのバナー

婿

16481850164911

姿


1649165116498

16505127165093165193

1651貿1652


165342012121216

1654西165516571658西

1654931655122111656917165735212907181350

1658[3]1659退

死後・評価

ウェストミンスター宮殿前のクロムウェル像
クロムウェルのデスマスク

166021680

1819[4]

殿姿


16209
  1. ロバート(1621年 - 1639年)
  2. オリバー(1622年 - 1644年)
  3. ブリジット(1624年 - 1662年) - ヘンリー・アイアトンと結婚、次いでチャールズ・フリートウッドと再婚
  4. リチャード(1626年 - 1712年) - 国会議員、護国卿
  5. ヘンリー(1628年 - 1674年) - アイルランド軍最高司令官
  6. エリザベス(1629年 - 1658年) - ジョン・クレイポール英語版と結婚
  7. ジェームズ(1632年)
  8. メアリー(1637年 - 1713年)- フォーコンバーグ伯トマス・ベラシス英語版と結婚
  9. フランシス(1638年 - 1720年) - ウォリック伯ロバート・リッチ英語版の同名の長男ロバート・リッチと結婚、次いで準男爵ジョン・ラッセル英語版と再婚

脚注

  1. ^ ダニエル・スミス『絶対に見られない世界の秘宝99』日経ナショナルジオグラフィック社、2015年、126頁。ISBN 978-4-86313-324-2 
  2. ^ Simon Sebag Montefiore; 平野和子訳. 世界を変えた名演説集 その時、歴史は生まれた. 清流出版株式会社 
  3. ^ 今井宏 (2018年4月20日). クロムウェルとピューリタン革命. 清水書院 
  4. ^ 高濱俊幸『英雄論のなかのオリヴァ・クロムウェル : ジョン・バンクスのクロムウェル伝を中心に』(恵泉女学園大学、2014年)

関連項目

イングランド議会 (en
先代
アーサー・メインウォリング英語版
ジョン・ゴールズバラ
ハンティンドン選挙区英語版選出庶民院議員
1628年 - 1629年
同職:ジェームズ・モンタギュー
空位

1640年まで議会停会

次代の在位者

ロバート・バーナード英語版
ウィリアム・モンタギュー英語版
空位

1629年から議会停会

最後の在位者

トマス・パーチェス
ケンブリッジ選挙区英語版選出庶民院議員
1640年 - 1653年
同職:トマス・ミューティス英語版:1640年
ジョン・ローリー英語版:1640年 - 1653年
空位

ベアボーンズ議会で代表者選出されず

次代の在位者

リチャード・ティムズ
軍職
先代
トーマス・フェアファクス
陸軍総司令官英語版
1650年 - 1653年
空位

クロムウェルが護国卿に選出

次代の在位者

ジョージ・マンク
公職
先代
オーモンド侯
アイルランド総督 (ロード・レフテナント)
1649年 - 1650年
次代
ヘンリー・アイアトン
ロード・デピュティ
先代
国務会議
イングランド、スコットランド及びアイルランド護国卿
1653年12月16日 - 1658年9月3日
次代
リチャード・クロムウェル
先代
チャールズ1世
元首
1653年 - 1658年
次代
リチャード・クロムウェル
学職
先代
ペンブルック伯
オックスフォード大学学長英語版
1650年 - 1653年
次代
リチャード・クロムウェル