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王殺し

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ポーランドプシェミスウ2世暗殺ヤン・マテイコ

[ 1]: regicide

Regicide(rex)(cede)

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415

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3

161[ 3]


アジア[編集]

中国[編集]



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[ 4][2]稿

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有名な王殺しの例[編集]

年代 君主等 殺害者
紀元前20世紀 エジプト第12王朝 アメンエムハト1世 自身の衛兵によって暗殺
紀元前11世紀 帝辛 牧野の戦い武王によって殺害
イスラエル王国 イシュ・ボシェテ 自国の軍隊によって殺害
紀元前12世紀 エジプト第20王朝 ラムセス3世 王子ペンタウアーによるクーデター
紀元前338年 アケメネス朝ペルシア アルタクセルクセス3世 宦官バゴアス英語版によって暗殺
紀元前336年 マケドニア王国 ピリッポス2世 護衛のパウサニアスによって暗殺
紀元前330年 アケメネス朝ペルシア ダレイオス3世 バクトリア総督ベッソスによって殺害
紀元前207年 胡亥 宦官趙高によって殺害
紀元前206年 子嬰 楚王項羽によって処刑
146年 後漢 質帝 大將軍梁冀によって殺害
190年 後漢 少帝弁 太師董卓によって殺害
260年 曹髦 晋王司馬昭配下の成済による殺害
385年 前秦 苻堅 秦王姚萇によって処刑
419年 東晋 安帝 相国劉裕によって殺害
421年 東晋 恭帝
453年 宋 (南朝) 文帝 皇太子劉劭によって殺害
551年 梁 (南朝) 簡文帝 相国侯景によって殺害
552年 東魏 孝静帝 相国高洋によって殺害
535年 北魏 孝武帝 太師宇文泰によって殺害
554年 西魏 廃帝
557年 西魏 恭帝 太師宇文護によって殺害
北周 孝閔帝
560年 北周 明帝
581年 北周 静帝 大丞相楊堅によって殺害
592年 日本 崇峻天皇 大臣蘇我馬子配下の東漢駒によって暗殺
618年 煬帝 将軍宇文化及宇文智及らによって殺害
904年 昭宗 梁王朱全忠によって殺害
908年 哀帝
912年 後梁 朱全忠 皇子朱友珪によって暗殺
1413年 琉球南山王国 汪応祖 実兄の達勃期によって殺害
1589年 フランス アンリ3世 ジャック・クレマンによって暗殺
1610年 フランス アンリ4世 フランソワ・ラヴァイヤックによって暗殺
1622年 オスマン帝国 オスマン2世 大宰相 ダヴト・パシャによって暗殺
1649年 イングランド チャールズ1世 清教徒革命で裁判によって処刑
1662年 南明 永暦帝 平西王呉三桂配下の呉国貴による処刑
1747年 アフシャール朝ペルシア ナーディル・シャー Salah Beyによって暗殺
1762年 ロシア帝国 ピョートル3世 アレクセイ・オルロフフョードル・セルゲイェヴィッチ・バリャチンスキーロシア語版によって殺害
1792年 スウェーデン グスタフ3世 ヤコブ・ヨハン・アンカーストレムによって暗殺
1793年 フランス ルイ16世 国民公会による投票により処刑
1801年 ロマノフ朝ロシア パーヴェル1世 クーデターによって殺害
1828年 ズールー王国 シャカ・ズールー 異母弟ディンガネ・カセンザンガコナらによって殺害
1867年 メキシコ帝国 マクシミリアーノ1世 ベニート・フアレス率いる共和派軍によって処刑
1881年 ロシア帝国 アレクサンドル2世 テロ組織人民の意志』によって暗殺
1900年 イタリア王国 ウンベルト1世 アナーキストの政治家ガエタノ・ブレーシによって暗殺
1903年 セルビア アレクサンダル1世夫妻 5月クーデターセルビア語版英語版によって殺害
1908年 ポルトガル カルロス1世
その息子ルイス・フィリペ
共和主義者アルフレド・コスタと、
マヌエル・ブイサらによって暗殺
光緒帝 西太后もしくは袁世凱による毒殺
1913年 ギリシャ ゲオルギオス1世 アレクサンドロス・スヒナスによって殺害
1918年 ロシア帝国 ニコライ2世とその家族 チェーカーによって殺害
1934年 ユーゴスラビア アレクサンダル1世 ヴラド・チェルノセムスキーによって殺害
1946年 タイ王国 ラーマ8世 未解明(自殺の可能性も含む)
1951年 ヨルダン アブドゥッラー1世 過激派パレスチナ人
ムスタファ・シュクリ・アシュによって暗殺
1958年 イラク ファイサル2世 7月14日革命のクーデター部隊によって殺害
1975年 サウジアラビア ファイサル王 甥のファイサル・ビン・ムサーイド王子によって殺害
1975年 エチオピア帝国 ハイレ・セラシエ1世 エチオピア革命後、拘禁中に暗殺
2001年 ネパール ビレンドラ・ビール・ビクラム・シャハ
を含む王族多数
ネパール王族殺害事件でディペンドラ王太子によって殺害

※皇太子(サラエボ事件フランツ・フェルディナントなど)、カエサルのような強権を持った政治家、将軍(嘉吉の乱足利義教)などは含まず

脚注[編集]

注釈[編集]



(一)^ 

(二)^ [1] 

(三)^ Le régicide

(四)^ 

出典[編集]

  1. ^ 弑逆(しいぎゃく) の意味 - goo国語辞書”. 2021年4月6日閲覧。
  2. ^ シロニー(2003)、33頁。
  3. ^ 佐藤長門「七世紀における倭王権の展開過程」(初出:『国学院大学研究紀要』39号、2001年/所収:佐藤『日本古代王権の構造と展開』吉川弘文館、2009年 ISBN 978-4-642-02471-6

参考文献[編集]

関連項目[編集]