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{{Otheruses|アイルランドにキリスト教を広めた |
{{Otheruses|アイルランドにキリスト教を広めた修道士|古代ローマの称号|パトリキ|英語圏の人名一般|パトリック|アイルランド語の人名一般|w:Pádraig}} |
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{{Infobox 聖人 |
{{Infobox 聖人 |
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|守護対象=[[アイルランド]]、{{仮リンク|カトリック教会ニューヨーク大司教区|en|Roman Catholic Archdiocese of New York}}等 |
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|崇敬対象除外日= |
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|崇敬対象除外者= |
|崇敬対象除外者= |
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[[ファイル:Saint Patrick Catholic Church (Junction City, Ohio) - stained glass, Saint Patrick - detail.jpg|サムネイル|[[シャムロック]]の葉を手にしたパトリキウスのステンドグラス([[アメリカ合衆国|米国]][[オハイオ州]]聖パトリック教会)]] |
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'''聖パトリキウス'''︵{{lang-la|Sanctus Patricius}}{{efn2|[[古典ラテン語]]ではパトリキウス {{IPA-la|päˈt̪ɾɪkiʊs̠|}}, [[教会ラテン語]]ではパトリチウス {{IPA-la|pɑˈt̪riːt͡ʃius|}}‥英語版[[ウィクショナリー]] “[[wiktionary:Patricius|Patricius]]” の項より。}}、[[387年]]?<!-- 英文ウィキから --> - [[461年]][[3月17日]]︶、'''聖パトリック'''は、[[アイルランド]]に[[キリスト教]]を広めた[[修道士]]、[[司教]]︵[[主教]]︶。[[カトリック教会]]・[[聖公会]]・[[ルーテル教会]]・[[正教会]]で[[聖人]]とされる。アイルランドでのキリスト教の始祖として仰がれ、﹁アイルランドの[[使徒]]﹂と呼ばれる{{sfn|テイラー|p=114}}。[[コルンバ|聖コルンバ]]︵{{lang|ga|コルム・キル}}︶、[[キルデアのブリギッド|聖ブリギッド]]とともに、アイルランドの三[[守護聖人]]の筆頭格とされる。
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日本のカトリック教会の聖人暦<ref name="laudate">[[#laudate|Laudate 女子パウロ会]]</ref>や、[[日本聖公会]]の小祝日<ref name="nskk1990">{{citation|和書|title=日本聖公会祈祷書|volume-title=1990年版|publisher=日本聖公会管区事務所|year=1991}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://hollycross.butanishinju.com/saint/sainttop.htm|title=聖公会の聖人たち|publisher=日本聖公会 桃山基督教会|accessdate=2021-09-14}}</ref>などにおいても、しばしば英語名で'''聖[[パトリック]]''' ({{en|Saint Patrick}}) と呼ばれる。[[アイルランド語]](ゲール語)では “{{lang|ga|Naomh [[w:Pádraig|Pádraig]]}}” と綴り、ニーヴ・ポーリクなどと発音する{{efn2|[[コノート|コナハト]]方言:ニーヴ・ポーリク {{IPA-ga|n̪ˠiːvˠ ˈpˠɑːɾˠɪc|}}, [[マンスター]]方言:ニェーヴ・ポーリグ {{IPA-ga|n̪ˠeːvˠ ˈpˠɑːɾˠɪɟ|}}, [[アルスター]]方言:ニーウ・パーリク {{IPA-ga|n̪ˠiːw ˈpˠæːɾˠɪc|}}:英語版[[ウィクショナリー]] “[[wiktionary:Naomh|Naomh]]” および “[[wiktionary:Pádraig|Pádraig]]” の項より。“Naomh” は “Saint” の意。}}。正教会では[[教会スラヴ語]]でパトリキイ ({{ru|Патри́кий}}) とも。 |
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⚫ | '''パトリキウス'''({{lang-la|Patricius}}, [[387年]]?<!-- 英文ウィキから --> - [[461年]][[3月17日]])、'''聖パトリック'''は、[[アイルランド]]に[[キリスト教]]を広めた[[司教]]([[主教]])。[[カトリック教会]]・[[聖公会]]・[[ルーテル教会]]・[[正教会]]で[[聖人]]。「アイルランドの使徒」と呼ばれ |
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しばしば英語名で'''聖[[パトリック]]''' (Saint Patrick) とも呼ばれる。'''パトリキイ'''とも。[[アイルランド語]]ではPádraigと綴り、ポーリクなどと発音する。 |
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== 伝記 == |
== 伝記 == |
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パトリキウスの生涯については、同年代の[[史料]]は残されておらず、パトリキウス自身が記述したと伝わるわずかなラテン語文書と、200年以上後に書かれた[[年代記]]等からの推測、そして数多の[[伝承|民間伝承]]から読み取るほかない<ref name="saints">[[#saints|聖人の島アイルランド]]</ref>。 |
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[[グレートブリテン島]]西部の[[ウェールズ]]で[[ケルト人]]︵[[ローマ人]]とも︶の家庭に生まれた。場所は﹁バナベム・タバニアイ﹂と |
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パトリキウスは[[387年]]頃、[[西ローマ帝国]][[ブリタンニア]][[属州]]、恐らく現在の[[イギリス|英国]][[グレートブリテン島]]西部の[[ウェールズ]]<ref name="wales">[[#wales|ウェールズとアイルランドの絆]]</ref>で、[[ケルト人]]︵[[ローマ人]]とも︶の家庭に生まれた。場所は﹁バナベム・タバニアイ﹂(Bannavem Taburniae) と伝わるが、それがどこにあたるのかは現在まで特定されていない。一説には[[ニース・ポート・タルボット]]の{{仮リンク|バンウェン|en|Banwen}}だという推測もある<ref name="wales" />。両親とも[[キリスト教徒]]であり、母は﹁[[詩篇|詩編]]﹂を教えた{{sfn|テイラー|p=114}}。16歳でアイルランドの海賊に拉致され、アイルランドに[[奴隷]]として売られてしまう。アイルランド︵恐らくは北アイルランドの[[アントリム県]]︶で6年間羊飼いとして働き、ある時﹁アイルランドにキリスト教を広めなさい﹂という神の[[召命]]を聞く。﹃告白﹄と題する一人称で書かれた文書が残っている。み告げに従い牧場を脱走して、およそ300[[キロメートル]]を歩き、通りがかりの船に乗って、故郷のウェールズへ戻った<ref name="momoyama">[[#momoyama|桃山基督教会]]</ref>。
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その後、[[キリスト教神学]]を学ぶため[[ヨーロッパ大陸]]へ渡り、[[ガリア]]([[フランス]])の{{仮リンク|レラン|fr|Léran}}や[[オセール]]の[[修道院]]で、[[修道士]]として{{仮リンク|オセールのゲルマヌス|en|Germanus of Auxerre}}らに師事し学んだ<ref name="kotobank">[[#kotobank|コトバンク]]</ref><ref name="greelane">[[#greelane|アイルランドの守護聖人、聖パトリックの生涯について学ぶ]]</ref>。 |
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⚫ | パトリキウスは |
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また、讃美歌作者としても知られる{{sfn|テイラー|p=116}}。彼は365の教会を立て、12万人が回心したと
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伝えられている{{sfn|テイラー|p=117}}。 |
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ここでパトリキウスは、アイルランドの在来信仰を排斥するのではなく、キリスト教と在来信仰を融和させる形でキリスト教を布教したという。そのため、アイルランドでは以後一人の[[殉教者]]も出さず、急速にキリスト教が広まった。そして、アイルランドと[[スコットランド]]を中心とする[[ブリテン諸島]]には、[[西方教会]]にありながらローマ・カトリック教会とは様々な点で異なり、初期には土着的特色のある信仰が育まれた<ref name="saints" />。そのことは、[[太陽神|太陽信仰]]の名残とも考えられる、[[十字架]]に円環を組み合わせたハイクロスに象徴される{{efn2|この歴史により、[[聖公会]]では、ブリテン諸島ではローマ・カトリックより前から独自のキリスト教文化があったとして、ケルト系キリスト教にアイデンティティーを見出す動きが一部に見られ、[[ケルト十字]]が好んで用いられるという傾向もある<ref>{{citation|和書|last=西原|first=廉太|title=聖公会が大切にしてきたもの|publisher=[[教文館]]|year=2016|isbn=978-4-7642-6125-9|pages=37-45}}(初版:聖公会出版、2012年。)</ref>。詳細は「[[聖公会#歴史]]」を参照。}}。 |
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<!-- このとき、アイルランドに元々存在した土着の信仰([[ケルト人|ケルト]]系の信仰)を排斥させるのではなく、キリスト教とアイルランドの土着信仰を融和させる形でキリスト教を布教した。そのことは[[ケルト十字]]に象徴される。その際、-->パトリキウスについてはいくつもの伝承が語られており、そのうち有名なものの1つは、三つ葉の[[シャジクソウ属|クローバー]]に似た[[シャムロック]]を手に『[[三位一体]]』を説いたというもので、シャムロックは聖パトリキウスのシンボルとなっている。またアイルランドにヘビが居ないことの理由として彼の名前が挙げられることがあり、かつてアイルランド南部のキラニーのそばの湖に賢いヘビがおり、パトリキウスは彼と交渉し、箱のなかに閉じ込めて湖の中に投げ捨てたという物語りがある<ref>{{Cite book |author=Peter Parley |title=Universal History,on the basis of Geography |date=1869 |page=542}}</ref>。そのさい「明日になったら出してやる」と約束されたので「もう、あしたになったかな?(Is to-morrow come yet?)」という哀れな声を漁師が聞いたという。 |
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パトリキウスについてはいくつもの伝承が語られており、そのうち最も有名なものは、三つ葉の[[シャジクソウ属|クローバー]]に似た[[シャムロック]]の葉を手にして「[[三位一体]]」の教義を説いたというもので、シャムロックはパトリキウスのシンボル、またアイルランドのシンボルともなっている。これも、在来信仰において「3」という数字が神聖視されていたことや、[[ケルト神話]]の「三組神」信仰がベースにあったため、アイルランド人にとって受け入れやすいモチーフであったとも考えられる<ref name="shamrock">{{wayback|url=http://inj.or.jp/seanachai/ireland/05shamrock.html|title=アイルランドのシンボル 「シャムロック」|publisher=アイリッシュ・ネットワーク・ジャパン|date=20100403094901}}</ref>。 |
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[[444年]]、[[アルスター]]地方の[[アーマー]](現在は[[イギリス]]領[[北アイルランド]]南部、[[アーマー県]])に布教活動拠点となる教会を建てたと伝わり<ref name="saints" />、「{{仮リンク|全アイルランドの首座司教|en|Primate of All Ireland}}」たる{{仮リンク|アーマー大司教|en|Archbishop of Armagh}}{{efn2|現在はローマ・カトリック教会のアーマー大司教と、[[アイルランド聖公会]]のアーマー大主教が並立している。両者とも英語では “Archbishop of Armagh” である。}}の初代とされる。 |
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パトリキウスは、キリスト教の伝道のためにアイルランドへ行った最初の人物でも、唯一の人物でもなかったが、本格的なキリスト教の歴史開始の象徴となっている。彼は365の教会を建て、12万人が改宗し、2000人の[[司祭]]、200人の[[司教]]を[[叙階]]したと伝えられている{{sfn|テイラー|p=117}}<ref name="momoyama" />。多くの場合、司教を[[修道院]]長、司祭を[[修道士]]として、[[教会 (キリスト教)|教会]]と[[修道院]]が密接に結びついた組織体系を築いたが、これは以後のアイルランドの特徴となった<ref name="momoyama" />。 |
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著書に『聖パトリックの告白』と『コロティクスの兵士への手紙』があると伝わる。また、「聖パトリックの胸板の祈り」([[w:Saint Patrick's Breastplate|Saint Patrick's Breastplate]]) などの[[イムヌス|ラテン語讃歌]]の作詞者とも言い伝えられている{{sfn|テイラー|p=116}}。 |
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==聖パトリックの日== |
==聖パトリックの日== |
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{{main|聖パトリックの祝日}} |
{{main|聖パトリックの祝日}} |
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[[ファイル:Día de San Patricio Buenos Aires 2.jpg| |
[[ファイル:Día de San Patricio Buenos Aires 2.jpg|サムネイル|190ピクセル|聖パトリックの祝日, [[ブエノスアイレス]] ([[アルゼンチン]])]] |
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パトリキウスの命日[[3月17日]]は[[西方教会]]で記念日とされる。現在のカトリック教会では任意の記念日であるが、アイルランドや[[アイルランド移民]]の多い[[アメリカ合衆国| |
パトリキウスの命日と伝わる[[3月17日]]は、[[西方教会]]で記念日とされる。現在のカトリック教会では任意の記念日である<ref>{{wayback|url=http://1st.geocities.jp/j_eishun/C_Saintsday_A4P4.pdf|title=カトリックの聖人暦︵一般ローマ暦︶|date=20190326110239}}</ref>が、アイルランドや[[アイルランド系アメリカ人|アイルランド系移民]]の多い[[アメリカ合衆国|米国]]、[[カナダ]]、[[オーストラリア]]等では、﹁[[聖パトリックの祝日|セント・パトリックス・デイ]]﹂(St. Patrick's Day) として盛大に祝われている。特に米国では世俗化・一般化して広く普及し、カトリック信徒やアイルランド系移民でない者でも、[[シャムロック]]の色でありアイルランドのシンボルカラーでもある﹁緑﹂の服を着るなどして、街頭[[パレード]]や[[パブ]]での[[演奏会|ライブ]]を伴うこの行事に参加する人も多い。
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著書に『聖パトリックの告白』と『コロティクスの兵士への手紙』があるとされている。 |
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:アイルランドに[[ヘビ]]がいないことの理由としてパトリキウスの名前が挙げられることがある。かつてアイルランド南部の[[キラーニー]]のそばの湖に賢いヘビがおり、パトリキウスはそのヘビと交渉し、箱のなかに閉じ込めて湖の中に投げ捨てたという物語がある<ref>{{Cite book|author=Peter Parley|title=Universal History,on the basis of Geography|date=1869|page=542}}</ref>。その際「明日になったら出してやる」と約束されたので、「もう明日になったかな? (Is to-morrow come yet?)」という哀れな声を漁師が聞いたという。また、パトリキウスは太鼓を鳴らして蛇や有害な動物達をアイルランドから海へと追いやり、以後これらの有毒な動物はアイルランドの大地に触れるだけで死に至るようになったともいう。そのためアイルランドの木々さえも毒に対する効能を持ち、[[ケンブリッジ大学]]の書物にも「アイルランドの木材で建てられた建築物にはクモが寄り付くことは決してない」とあるほどである。 |
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;ドルイドとの力比べ |
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パトリックは太鼓を鳴らして蛇や有毒な動物達をアイルランドから海へと追いやり、以後これらの有毒な動物はアイルランドの大地に触れるだけで死にいたると言われるようになった。そのためアイルランドの木々さえも毒に対する効能を持ち、[[ケンブリッジ大学]]の書物にも「アイルランドの木材で建てられた建築物にはクモが寄り付くことは決してない」とあるほどである。 |
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;クロー・パトリック |
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[[メイヨー |
:[[メイヨー県]]には[[クロー・パトリック]]という山の頂上に教会があって、パトリキウスは[[四旬節]]の40日間にここで[[断食]]を行ったといわれ、毎年、何万人もの人が山に[[巡礼]]にやってくる。 |
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;パトリキウスの死とウイスキー |
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461年、パトリ |
:[[461年]]、パトリキウスは臨終の際、友人や信者に﹁私のことは悲しまず、[[天国]]へ行く私のために祝って欲しい、そして心の痛みを和らげるよう、何かの雫を飲むように﹂と言葉を残した。そのためアイルランドでは[[ウイスキー]]が好まれるようになったという。
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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=== 注釈 === |
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=== 出典 === |
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== 参考文献 == |
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*{{Cite book |
*{{Cite book|和書|author=コリン・ジョイス|translator=森田浩之|title=驚きの英国史|series=[[NHK出版新書]]|publisher=[[NHK出版]]|date=2012|isbn=978-4-14-088380-8|pages=108-112|ref={{SfnRef|ジョイス|2012}} }} |
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*{{Cite book |
*{{Cite book|和書|title=伝道の歴史的探求|author=メンデル・テイラー|authorlink=メンデル・テイラー|publisher=福音文書刊行会|others=小出忍ほか共訳|date=|ref={{SfnRef|テイラー}} }}{{Full citation needed|title=刊行年が1991と1977の2つありますが、どちらを出典として使用したのか不明です。|date=2019-06-24}}
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* <cite id="kotobank">{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E3%83%91%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF-115528|title=パトリックとは:小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』、平凡社『世界大百科事典』第2版|publisher=コトバンク|accessdate=2021-09-13}}</cite> |
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* <cite id="saints">{{wayback|url=http://www.globe.co.jp/information/saint/saint-1.html#ls2|title=聖人の島アイルランド|date=20151015072711}}</cite> |
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* <cite id="greelane">{{Cite web|和書|url=https://www.greelane.com/ja/%e6%96%87%e7%b3%bb/%e6%ad%b4%e5%8f%b2%e3%81%a8%e6%96%87%e5%8c%96/st-patrick-patron-saint-of-ireland-112446/|title=アイルランドの守護聖人、聖パトリックの生涯について学ぶ|publisher=Greelane.com|date=2020-11-07|accessdate=2021-09-13}}</cite> |
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* <cite id="laudate">{{Cite web|和書|url=https://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint365.php?id=031701|title=聖人カレンダー 3月17日 聖パトリック司教|publisher=Laudate [[女子パウロ会]]|accessdate=2021-09-13}}</cite> |
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* <cite id="momoyama">{{Cite web|和書|url=http://hollycross.butanishinju.com/saint/0317.pdf|title=3月17日 主教パトリック|publisher=[[日本聖公会]] 桃山基督教会|accessdate=2021-09-13}}(出典:C. バリョヌエボ『ミサの前に読む聖人伝』、『キリスト教人名辞典』)</cite> |
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* <cite id="wales">{{Cite web|和書|url=https://www.wales.com/ja/about/culture/wales-and-ireland|title=ウェールズとアイルランドの絆|publisher=Wales.com|accessdate=2021-09-13}}</cite> |
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== 関連項目 == |
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{{Commonscat|Saint Patrick}} |
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* [[アイルランド聖公会]] |
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* [[聖パトリック旗]] |
* [[聖パトリック旗]] |
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* [[聖パトリック勲章]] |
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* [[クロー・パトリック]] |
* [[クロー・パトリック]] |
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* [[セント・パトリック大聖堂]]([[Wikipedia:曖昧さ回避|曖昧さ回避ページ]])<!--全てを本項に記載すると冗長であるため、曖昧さ回避のまま--> |
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2024年3月20日 (水) 03:47時点における最新版
聖パトリック Patricius/Patrick/Pádraig | |
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![]() | |
聖人、修道院長、司教/主教 | |
他言語表記 | ラテン語: Patricius, 英語: Patrick, アイルランド語: Pádraig |
生誕 |
387年? ブリタンニア、現在の英国ウェールズ? |
死没 |
461年3月17日 アイルランド、ダウン県ソール |
崇敬する教派 | カトリック教会・聖公会・ルーテル教会・正教会 |
主要聖地 | アーマー、クロー・パトリック |
記念日 | 3月17日(聖パトリックの祝日) |
象徴 | 三つ葉のシャムロック |
守護対象 | アイルランド、カトリック教会ニューヨーク大司教区等 |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/21/Saint_Patrick_Catholic_Church_%28Junction_City%2C_Ohio%29_-_stained_glass%2C_Saint_Patrick_-_detail.jpg/220px-Saint_Patrick_Catholic_Church_%28Junction_City%2C_Ohio%29_-_stained_glass%2C_Saint_Patrick_-_detail.jpg)
伝記[編集]
パトリキウスの生涯については、同年代の史料は残されておらず、パトリキウス自身が記述したと伝わるわずかなラテン語文書と、200年以上後に書かれた年代記等からの推測、そして数多の民間伝承から読み取るほかない[5]。 パトリキウスは387年頃、西ローマ帝国ブリタンニア属州、恐らく現在の英国グレートブリテン島西部のウェールズ[6]で、ケルト人︵ローマ人とも︶の家庭に生まれた。場所は﹁バナベム・タバニアイ﹂(Bannavem Taburniae) と伝わるが、それがどこにあたるのかは現在まで特定されていない。一説にはニース・ポート・タルボットのバンウェンだという推測もある[6]。両親ともキリスト教徒であり、母は﹁詩編﹂を教えた[1]。16歳でアイルランドの海賊に拉致され、アイルランドに奴隷として売られてしまう。アイルランド︵恐らくは北アイルランドのアントリム県︶で6年間羊飼いとして働き、ある時﹁アイルランドにキリスト教を広めなさい﹂という神の召命を聞く。﹃告白﹄と題する一人称で書かれた文書が残っている。み告げに従い牧場を脱走して、およそ300キロメートルを歩き、通りがかりの船に乗って、故郷のウェールズへ戻った[7]。 その後、キリスト教神学を学ぶためヨーロッパ大陸へ渡り、ガリア︵フランス︶のレランやオセールの修道院で、修道士としてオセールのゲルマヌスらに師事し学んだ[8][9]。 パトリキウスは、自分を奴隷として虐待したアイルランド人らに対する愛と伝道の使命を与えられたと家族らに話したが、反対を受けた[10]。だが結局、ローマ司教チェレスティヌスから布教の命を受け、432年に宣教師・司教として再びアイルランドを訪れる。 ここでパトリキウスは、アイルランドの在来信仰を排斥するのではなく、キリスト教と在来信仰を融和させる形でキリスト教を布教したという。そのため、アイルランドでは以後一人の殉教者も出さず、急速にキリスト教が広まった。そして、アイルランドとスコットランドを中心とするブリテン諸島には、西方教会にありながらローマ・カトリック教会とは様々な点で異なり、初期には土着的特色のある信仰が育まれた[5]。そのことは、太陽信仰の名残とも考えられる、十字架に円環を組み合わせたハイクロスに象徴される[注 3]。 パトリキウスについてはいくつもの伝承が語られており、そのうち最も有名なものは、三つ葉のクローバーに似たシャムロックの葉を手にして﹁三位一体﹂の教義を説いたというもので、シャムロックはパトリキウスのシンボル、またアイルランドのシンボルともなっている。これも、在来信仰において﹁3﹂という数字が神聖視されていたことや、ケルト神話の﹁三組神﹂信仰がベースにあったため、アイルランド人にとって受け入れやすいモチーフであったとも考えられる[12]。 444年、アルスター地方のアーマー︵現在はイギリス領北アイルランド南部、アーマー県︶に布教活動拠点となる教会を建てたと伝わり[5]、﹁全アイルランドの首座司教﹂たるアーマー大司教[注 4]の初代とされる。 パトリキウスは、キリスト教の伝道のためにアイルランドへ行った最初の人物でも、唯一の人物でもなかったが、本格的なキリスト教の歴史開始の象徴となっている。彼は365の教会を建て、12万人が改宗し、2000人の司祭、200人の司教を叙階したと伝えられている[13][7]。多くの場合、司教を修道院長、司祭を修道士として、教会と修道院が密接に結びついた組織体系を築いたが、これは以後のアイルランドの特徴となった[7]。 著書に﹃聖パトリックの告白﹄と﹃コロティクスの兵士への手紙﹄があると伝わる。また、﹁聖パトリックの胸板の祈り﹂(Saint Patrick's Breastplate) などのラテン語讃歌の作詞者とも言い伝えられている[10]。聖パトリックの日[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/77/D%C3%ADa_de_San_Patricio_Buenos_Aires_2.jpg/190px-D%C3%ADa_de_San_Patricio_Buenos_Aires_2.jpg)
色々な伝説[編集]
パトリキウスは伝説の多い人物である。その一部を挙げる。脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献・サイト[編集]
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