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「フゴッペ洞窟」の版間の差分

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{{Location map|Japan Hokkaido|relief=1

'''フゴッペ洞窟'''(フゴッペどうくつ)とは、[[北海道]][[余市町]]栄町にある[[史跡]]。

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}}'''フゴッペ洞窟'''(フゴッペどうくつ)とは、[[北海道]][[余市町]]栄町の通称「丸山」中腹にある<ref name="道新20190505">【時を訪ねて 1950】洞窟絵画の発見(余市、小樽)中学生が一報 発掘着手『[[北海道新聞]]』日曜朝刊別刷り2019年5月5日1-2面</ref>[[続縄文時代]]<ref name="読売20211029">【わがマチイチ押し】フゴッペ洞窟(余市町)少年が発見「古代美術館」『[[読売新聞]]』朝刊2021年10月29日(北海道面)</ref>の[[遺跡]]。1953年(昭和28年)[[11月14日]]、国の[[史跡]]に指定された<ref>{{国指定文化財等データベース|401|35|フゴッペ洞窟}}</ref>。[[日本列島]]に700以上ある[[洞窟遺跡]]のうち、近隣の[[手宮洞窟]]([[小樽市]])と2カ所のみで現存確認されている[[ペトログリフ|岩面刻画]]で知られる<ref name="道新20190505" />。1953年(昭和28年)[[11月14日]]に国の[[史跡]]に指定されている<ref>{{国指定文化財等データベース|401|35|フゴッペ洞窟}}</ref>。フゴッペ(畚部)は栄町の旧[[村]]名。



== 概要 ==


[[1950]]25[[|]]

=== 立地 ===

 [[アムール文化]]との関連性が言われているが真偽の程は不明。国の史跡の指定を受けている。

[[日本海]]の海岸から南方約250メートル<ref name="道新20190505"/>に立地し、通称「丸山」と呼ばれる[[砂岩]]質よりなる小丘陵の東方に面した[[岩陰遺跡]]である<ref>{{Cite web|和書|url = https://kotobank.jp/word/フゴッペ洞窟-865459 |title = 国指定史跡ガイドの解説 |publisher = [[コトバンク]] |accessdate = 2018-05-03 }}</ref>。余市水産博物館が管理している<ref name="道新20190505"/>。



=== 発見と調査 ===


200

[[1950年]]([[昭和]]25年)、[[札幌市]]から[[小樽市]][[蘭島]]へ[[海水浴]]に来たS・O(当時は札幌市内の公立中学校3年生)が、西に1.5キロメートル離れた丸山に足を延ばして洞窟を発見した。



[[北海道札幌南高等学校]](南高)郷土研究部に属していた兄のI・Oから、丸山に「畚部古代文字」の遺跡があると聞いていたためである<ref name="道新20190505" />。

== フゴッペ遺跡 ==

「フゴッペ洞窟」ではなく「フゴッペ遺跡」と呼ばれる場合には、昭和年に鉄道工事中に発見された古代文字様の壁画と石偶をあらわす場合があるので、混同しないよう注意が必要である。



弟から連絡を受けた兄も現地を確認した。農家が斜面から[[畑]]用の土を採ったところ、洞窟が現れたと伝わる。O兄弟は郷土研究部顧問の島田善三に知らせ、南高が発掘に乗り出し、同年暮れまでに[[土器]]などを見つけた。フゴッペ洞窟を有名にした岩面刻画は、後で入った別のチームが発見した。先行かつ正式な手続きを踏んだ南高に対して、[[鳶]]が[[油揚げ|あぶらあげ]]をさらうようなもの(『[[北海タイムス]]』)といった批判が起き、論争となった。正式な[[発掘調査]]は、島田から相談された[[北海道大学]]助教授の[[名取武光]]を団長とする調査団が[[1951年]](昭和26年)および[[1953年]](昭和28年)に実施した。O兄弟<ref name="道新20190505"/>のほか[[考古学]]、[[人類学]]、[[地質学]]の専門家が参加した。


21114[[]]西


=== 遺跡概要 ===


[[]]142

[[Image:Fugoppe Cave.jpg|thumb|フゴッペ洞窟の保護展示施設<br>洞窟の開口部を完全に覆うように建設されている。]]

現在公開されている洞窟の範囲は、幅が約5メートル、奥行が約6メートル、高さは約7メートルで、西・北・南の壁面に、800以上の、人や動物、舟を描いたとみられる刻画が彫られている]<ref name="読売20211029"/>。図は当初200個程度と数えられていたが、その後、800個近くが確認された<ref name="道新20190505"/>。



人物や動物、船などを象徴したものと推定されるものが多く、他に列点もあり、呪術的な性質を有するものと考えられている。



[[アムール文化]]との関連性が言われているが詳細は不明である。


 


洞窟には厚さ約7メートルの[[遺物包含層]]があり、薄手の土器(続縄文土器)、[[石器]]、[[骨角器]]等が出土している。


 


[[貝殻]]や[[占い]]用と推測される獣骨([[卜骨]])<ref name="道新20190505" />も見つかっており、それによれば現在遺跡周辺に生息しているものとの違いはみられなかった。




[[1972]]47

== 外部リンク ==

*[http://www.spacedome.co.jp/yoichi/fugoppe.html フゴッペ洞窟]

*[http://iboshihokuto.com/ 違星北斗.com]



== 「フゴッペ遺跡」 ==

{{See also|北海道異体文字}}

{{独自研究|date=2023-11}}

「フゴッペ洞窟」ではなく「フゴッペ遺跡」と呼ばれる場合には、昭和2年に鉄道工事中に発見された古代文字様の壁画と[[石偶]]す場合があるので、混同しないよう注意が必要である。



[[第二次世界大]]前に発見されたフゴッペの遺跡は小樽新聞昭和2年11月14日によると、鉄道工事作業員の宮本義明によって発見された。鉄道敷設に際してフゴッペの丸山を掘削して2分けたのだが、その壁面に古代文字のような壁画と石偶のようなものが出現し話題となった。

{{DEFAULTSORT:ふこつへとうくつ}}


[[Category:北海道の史跡]]

[[違星北斗]]の論文はこの「古代文字」について論じたものである。

[[Category:余市町]]


この古代文字に関しては[[小樽高等商業学校]]の西田彰三教授によって「この遺跡は[[アイヌ]]のものである」と発表されたが、アイヌ出身である違星北斗による「この遺跡はアイヌのものではない、現代人によるニセモノではないか」という反論が、同じく『小樽新聞』に掲載された「疑ふべきフゴツペの遺跡」である。


[[小樽文学館]]の展示物によると『小樽新聞』では発見は[[大正]]14年であるとなっているようだが、昭和2年の間違いであろうと思われる。


戦前の『余市郷土誌』では周辺の農夫が客土用の土を採取している際に発見となっているようだがこれも疑わしい。


北斗の「フゴッペの遺跡」と国の史跡に指定された「フゴッペ洞窟」は厳密にいえば異なるものであるが、北斗の論文には遺跡の場所、[[函館本線]]からの距離周囲の状況が明示されてい


まさしく現在の「フゴッペ洞窟」の裏側の壁面であり、2つの遺跡にまったく関連性がないとは考えにくい。


現在戦前のフゴッペの壁画は現存しない。


違星北斗同様[[金田一京助]]も戦前のフゴッペ壁画がニセモノであると[[昭和天皇]]に尋ねられた際にも知人のアイヌ少年時代に描いたイタズラ書きであると伝えたという。


==脚注==

<references />


== 関連文献 ==

*『フゴッペ洞窟・岩面刻画の総合的研究』小川勝編 [[中央公論]]美術出版、2003年12月 ISBN 4-8055-0460-9

*『フゴッペ洞窟 : 謎の刻画』峰山巌文、掛川源一郎写真 [[六興出版]]、1983年3月 {{国立国会図書館書誌ID|000001610625}}

*『フゴッペ洞窟』フゴッペ洞窟調査団編 ニュー・サイエンス社、1970年 {{国立国会図書館書誌ID|000001215147}}


==関連項目==

* [[北海道・東北地方の史跡一覧]]

* [[続縄文時代]]

* [[洞窟壁画]]

* [[岩陰遺跡]]

* [[違星北斗]] - 戦前のフゴッペ壁画を研究した人物。


== 外部リンク ==

*[https://www.town.yoichi.hokkaido.jp/machi/syoukai/fugoppe.html フゴッペ洞窟] - [[余市町]]ホームページ

*{{kotobank|フゴッペ洞窟}}

*[http://www.town.yoichi.hokkaido.jp/kurashi/kurashinojouhou/kyouiku-bunka/files/fugoppe2003.pdf 国指定史跡 フゴッペ洞窟 1950-2003 (余市町教育委員会)] - [[余市町]]ホームページ掲載

* [http://www.spacedome.co.jp/yoichi/fugoppe.html フゴッペ洞窟]

* [http://iboshihokuto.o.oo7.jp/fugoppe0.html 戦前のフゴッペ遺跡発見記事(小樽新聞)]

* [http://iboshihokuto.o.oo7.jp/fugoppe.htm 「疑ふべきフゴツペの遺跡」テキスト(違星北斗)]


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{{考古学}}

{{日本の文化財}}

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{{Normdaten}}

{{DEFAULTSORT:ふこつへとうくつ}}

[[Category:後志国]]

[[Category:北海道にある国指定の史跡]]

[[Category:余市町の歴史]]


2023年11月21日 (火) 14:49時点における最新版

フゴッペ 洞窟の位置(北海道内)
フゴッペ 洞窟

フゴッペ
洞窟

遺跡位置

[1][2]1953281114[3]7002[1]1953281114[4]

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250[1][5][1]

調[]


195025SO3西1.5

IO[1]

O調調195126195328O[1]

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567西800][2]200800[1]





7 

[1] 

197247

「フゴッペ遺跡」[編集]


2

211142



西

142





2




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(一)^ abcdefgh 1950 2019551-2

(二)^ ab20211029

(三)^  - 

(四)^  - 

(五)^ .  . 201853

 []


 200312 ISBN 4-8055-0460-9

 :  19833 ID:000001610625

調 1970 ID:000001215147

[]










 - 

[]


 - 

 - 

  1950-2003 () - 







: 431142.3 1405018.0 / 43.195083 140.838333 / 43.195083; 140.838333