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== 人物 ==

== 人物 ==

東大在籍中に郷里に帰省中、偶然逢った小学生時代の同級生から薦められた一言がきっかけになり検察官の道を志す。

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[[松阪広政]]とは司法省採用が同期で終生の友となる。中野死去の際は葬儀委員長を務める。

[[松阪広政]]とは司法省採用が同期で終生の友となる。中野死去の際は葬儀委員長を務める。




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[[東京地方裁判所]]検事局次席検事在任中におきた[[帝人事件]]では、『世間の常識からみて贈賄するのにその会社の株券を用いる事があるだろうか?』と発言して[[実証主義]]に徹し、[[検事控訴]]は無いものとの見解を示す。これらの事件を扱った事から、当時、中野は[[平沼騏一郎]]、塩野季彦などの[[思想検事系列]]の人物と見られていたが、必ずしも思想的に平沼たちに一辺倒たったわけではなく、バランスが取れた人物だった。

[[東京地方裁判所]]検事局次席検事在任中におきた[[帝人事件]]では、『世間の常識からみて贈賄するのにその会社の株券を用いる事があるだろうか?』と発言して[[実証主義]]に徹し、検事[[控訴]]は無いものとの見解を示す。これらの事件を扱った事から、当時、中野は[[平沼騏一郎]]、塩野季彦などの[[思想検事]]系列の人物と見られていたが、必ずしも思想的に平沼たちに一辺倒たったわけではなく、バランスが取れた人物だった。



太平洋戦争中は時の[[東條内閣]]に強い反感を抱き、ごく親しい友人に対して酷評する発言をしていた。

太平洋戦争中は時の[[東條内閣]]に強い反感を抱き、ごく親しい友人に対して酷評する発言をしていた。



戦後、公職追放の指定を受け、検事総長退任後は弁護士業を開業。

戦後、[[公職追放]]の指定を受け、検事総長退任後は弁護士業を開業。



== 略歴 ==

== 略歴 ==

*1883年(明治16年)- [[群馬県]][[南甘楽郡]][[神川村]]

*1883年(明治16年)- [[群馬県]][[南甘楽郡]]神川村生

旧制[[東京都立日比谷高等学校|東京府立第一中学校]]、旧制[[第一高等学校 (旧制) |第一高等学校]]を経て、

旧制[[東京都立日比谷高等学校|東京府立第一中学校]]、旧制[[第一高等学校 (旧制)|第一高等学校]]を経て、

*[[1909年]](明治42年)[[7月1日]] - [[東京帝国大学|東京帝國大学]]法科大学法律学科卒業

*[[1909年]](明治42年)[[7月1日]] - [[東京大学|東京帝國大学]]法科大学法律学科卒業

**7月 - 司法省入省 [[函館地方裁判所]][[官試補]]

**7月 - 司法省入省 [[函館地方裁判所]][[官試補]]

[[検事]]任官。

[[検事]]任官。

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*[[1944年]](昭和19年)[[7月24日]] - 検事総長

*[[1944年]](昭和19年)[[7月24日]] - 検事総長

*[[1946年]](昭和21年)[[2月6日]] - [[公職追放]]指定 退官

*[[1946年]](昭和21年)[[2月6日]] - [[公職追放]]指定 退官

*1955年(昭和30年)5月23日 - 死去 享年72


*195530523 - 72[[]]


== 著書 ==

== 著書 ==

* 犯罪の通路 ([[中公文庫]]) ISBN 4-12-201365-8 C1132

* 犯罪の通路 ([[中公文庫]]) ISBN 4-12-201365-8 C1132



== 関連項目 ==

== 関連項目 ==

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*[[塩野季彦]]

*[[塩野季彦]]

*[[正力松太郎]]

*[[正力松太郎]]

*[[群馬県出身の人物一覧]]



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[[Category:日本の検察官|なかのなみすけ]]

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[[Category:群馬県出身人物|なかのなみすけ]]

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[[Category:東京大学出身の人物]]

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2023年2月21日 (火) 01:40時点における最新版

中野並助
検事総長
任期
1944年7月24日 – 1946年2月8日
前任者松阪広政
後任者木村篤太郎
個人情報
生誕 (1883-03-01) 1883年3月1日
群馬県
死没 (1955-05-23) 1955年5月23日(72歳没)
出身校東京帝国大学法科大学
専業弁護士

  188316 - 195530523

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退

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188316- 



19094271 - 
7 -  























194015127 - 

194116719 - 

194318327 - 

194419724 - 

19462126 -  退

195530523 - 72

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  ISBN 4-12-201365-8 C1132

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先代
松阪広政
検事総長
1944年 - 1946年
次代
木村篤太郎