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「五式十五糎高射砲」の版間の差分

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当時、久我山高射砲陣地の電波標定中隊長であった[[日本無線]]株式会社の高橋倫三によると、本砲は地下に設けられた指揮所ですべて操作され、高射砲の弾道癖や上空の風向、風速などのデータを把握して、ウルツブルク・レーダーから伝送される敵機の方向、速度などを気象データで修正し、最適のタイミングで発射する。射撃の強烈な爆風からウルツブルク・レーダーを守るために両者の間には高さ5メートルの土塁が100メートルにわたり設けられた。ちなみに高射照準具は[[四式砲側電気照準具]]を装備している。

当時、久我山高射砲陣地の電波標定中隊長であった[[日本無線]]株式会社の高橋倫三によると、本砲は地下に設けられた指揮所ですべて操作され、高射砲の弾道癖や上空の風向、風速などのデータを把握して、ウルツブルク・レーダーから伝送される敵機の方向、速度などを気象データで修正し、最適のタイミングで発射する。射撃の強烈な爆風からウルツブルク・レーダーを守るために両者の間には高さ5メートルの土塁が100メートルにわたり設けられた。ちなみに高射照準具は[[四式砲側電気照準具]]を装備している。



広く流布されている戦果としては1945年(昭和20年)[[8月1日]]午後1時30分、上空を飛ぶB-29の編隊に向かって発砲し、1発で2機を撃墜したというものである(弾体の破片は半径三十メートルまで有効で、一万メートル上空で炸裂した時の黒煙は、後楽園の高射砲第一師団司令部からも観測できたほどであり、またその衝撃は半径600メートル以内の住宅に振動を与えた<ref name="no113"></ref>)。これにはアメリカ軍も驚き久我山一帯を飛行禁止としたという。これは高射砲第112連隊大島知義中佐の回想に基づくものである。

広く流布されている戦果としては1945年(昭和20年)[[8月1日]]午後1時30分、上空を飛ぶB-29の編隊に向かって発砲し、1発で2機を撃墜したというものである(弾体の破片は半径三十メートルまで有効で、一万メートル上空で炸裂した時の黒煙は、後楽園の高射砲第一師団司令部からも観測できたほどであり、またその衝撃は半径600メートル以内の住宅に振動を与えた<ref name="no113" />)。これにはアメリカ軍も驚き久我山一帯を飛行禁止としたという。これは高射砲第112連隊大島知義中佐の回想に基づくものである。



しかし、この戦果についてはアメリカ軍記録に該当するものが存在しないこと、<!--また、当時の貧弱な高射装置の性能を考えれば、-->1発の射撃で2機撃墜という戦果はきわめて考えにくく、[[神話]]に過ぎないとする意見もある。日本の公刊戦史にも「その威力を十分に発揮するに至らずして終戦になった」と書かれている。もともと第二次世界大戦時の高射砲は、危害半径と発射弾数による確率論的な効果で敵航空機の撃墜を狙うものであり、高速で移動する航空機に対して初弾から命中を期待することは不可能に近い。これは日本に限らず連合国でも同様である。[[近接信管]]をいち早く実用化した米軍でさえも、必中には程遠かったことが実戦記録から示されている。

しかし、この戦果についてはアメリカ軍記録に該当するものが存在しないこと、<!--また、当時の貧弱な高射装置の性能を考えれば、-->1発の射撃で2機撃墜という戦果はきわめて考えにくく、[[神話]]に過ぎないとする意見もある。日本の公刊戦史にも「その威力を十分に発揮するに至らずして終戦になった」と書かれている。もともと第二次世界大戦時の高射砲は、危害半径と発射弾数による確率論的な効果で敵航空機の撃墜を狙うものであり、高速で移動する航空機に対して初弾から命中を期待することは不可能に近い。これは日本に限らず連合国でも同様である。[[近接信管]]をいち早く実用化した米軍でさえも、必中には程遠かったことが実戦記録から示されている。

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アメリカ陸軍315BWの公式サイトによると、8月1-2日の作戦(夜間爆撃)で130機が出撃したが被害は対空砲火で2機が大きなダメージ、13機が軽微なダメージを受け、結局130機のうち大破した2機とエンジントラブルの3機の計5機が硫黄島の基地に着陸し搭乗員は全員無事帰還している。[http://www.315bw.org/wing5.html]

アメリカ陸軍315BWの公式サイトによると、8月1-2日の作戦(夜間爆撃)で130機が出撃したが被害は対空砲火で2機が大きなダメージ、13機が軽微なダメージを受け、結局130機のうち大破した2機とエンジントラブルの3機の計5機が硫黄島の基地に着陸し搭乗員は全員無事帰還している。[http://www.315bw.org/wing5.html]




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==戦後==

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==要目==

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2020年7月5日 (日) 06:05時点における版

五式十五糎高射砲
使用勢力 大日本帝国陸軍
採用年 1945年(昭和20年)
口径 149.1mm
砲身長 9,000mm(60.36口径)
最大射程 26,000m
最大射高 19,000m
俯仰角 0度から+85度

使 B-29


12cmB-29B-2912cm10,00015,00012cm16,00015cm194419412A2-18-18

15(cm)149.1mm1802,00020,000200

[1]


5100

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12

19452082315BW1282

315BW812130213130235[1]

81279329291


21調[1]1[2]

要目

  • 砲身
    • 重量:9.2トン
    • 砲身長:9メートル (60.35口径) 
  • 射界
    • 高低:0~+85度
    • 周囲:360度
  • 最大射程:26,000メートル
  • 最大射高:19,000メートル
  • 操作人員:調査中
  • 発射速度:約六秒/発

参考文献

脚注

  1. ^ a b c 潮書房『丸』平成6年(1994年)4月号 No.113
  2. ^ 潮書房『丸』昭和37年(1962年)3月号 No.181 p.152

関連項目