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| website = [http://sainenji.tokyo/ 東国山中養院 西念寺] |
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'''佐山 哲郎'''(さやま てつろう、[[1948年]] - )は、[[日本]]の[[漫画原作者]]、[[編集者]]、[[著作家|文筆家]]、[[官能小説|官能小説家]]、[[同人誌|同人作家]]、[[韻文|詩歌]][[学者|研究家]]、[[歌人]]、[[俳句|俳人]] |
'''佐山 哲郎'''︵さやま てつろう、[[1948年]] - ︶は、[[日本]]の[[漫画原作者]]、[[編集者]]、[[著作家|文筆家]]、[[官能小説|官能小説家]]、[[同人誌|同人作家]]、[[韻文|詩歌]][[学者|研究家]]、[[歌人]]、[[俳句|俳人]]。また[[浄土宗]][[僧|僧侶]]で[[西念寺 (台東区)|東国山中養院西念寺]][[住職]]、[[エルシー企画]]・[[群雄社出版]]編集局長、[[スタジオジブリ]]製作の長編[[アニメーション映画]]﹃[[コクリコ坂から]]﹄[[原作|原作者]]。
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[[1970年代]]から[[1980年代]]にかけて[[明石賢生]]の右腕として[[自販機本]]・[[ビニ本]]業界の[[雑誌]][[編集者]]や[[官能小説|官能小説家]]として活動した。通称'''S'''。[[ペンネーム|筆名]]は'''麻耶 十郎'''︵まや じゅうろう︶。
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[[1970年代]]から[[1980年代]]にかけて[[明石賢生]]の右腕として[[自販機本]]・[[ビニ本]]業界の[[雑誌]][[編集者]]や[[官能小説|官能小説家]]として活動した。通称'''S'''。[[ペンネーム|筆名]]は'''麻耶 十郎'''︵まや じゅうろう︶。
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== 略歴 == |
== 略歴 == |
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=== 生い立ち === |
=== 生い立ち === |
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[[東京都]][[台東区]][[根岸 (台東区)|根岸]]生まれ<ref name="e-hon">[https://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000032597503&Action_id=121&Sza_id=B0 童謡・唱歌がなくなる日 日本の抒情歌に秘められた意外な真実 著者紹介]</ref>。生家は[[浄土宗]]寺院。 |
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[[芝中学校・高等学校|芝高等学校]]卒業後<ref>{{Cite journal|author=猪熊建夫|year=2017-01-31|title=名門高校の校風と人脈226、芝高校(私立・東京都港区)|journal=週刊エコノミスト 2017年01月31日号|volume=|page=45}}</ref>、[[東京都立大学 (1949-2011)|東京都立大学]][[人文学部]]中退<ref name="e-hon" />。[[前田夕暮]]に傾倒し、その息子[[前田透]]に師事する[[学生]][[歌人]]だった。[[全学共闘会議|全共闘運動]]などの活動を経て[[1968年]][[4月28日]]の「沖縄デー」闘争<ref>[[1952年]]のこの日に締結された[[日本国との平和条約]]により沖縄が日本から切り離され、72年の[[沖縄返還]]までの間アメリカ軍政下に置かれた事に抗議し、[[中核派]]が銀座・有楽町で大規模デモを行なった。保守派は逆に「[[主権回復の日]]」と呼ぶ</ref>で逮捕されたのち[[学生運動]]から足を洗う{{Sfn|竹熊|佐山|1997|p=126}}。 |
[[芝中学校・高等学校|芝高等学校]]卒業後<ref>{{Cite journal|author=猪熊建夫|year=2017-01-31|title=名門高校の校風と人脈226、芝高校(私立・東京都港区)|journal=週刊エコノミスト 2017年01月31日号|volume=|page=45}}</ref>、[[東京都立大学 (1949-2011)|東京都立大学]][[人文学部]]中退<ref name="e-hon" />。[[前田夕暮]]に傾倒し、その息子[[前田透]]に師事する[[学生]][[歌人]]だった。[[全学共闘会議|全共闘運動]]などの活動を経て[[1968年]][[4月28日]]の「沖縄デー」闘争<ref>[[1952年]]のこの日に締結された[[日本国との平和条約]]により沖縄が日本から切り離され、72年の[[沖縄返還]]までの間アメリカ軍政下に置かれた事に抗議し、[[中核派]]が銀座・有楽町で大規模デモを行なった。保守派は逆に「[[主権回復の日]]」と呼ぶ</ref>で逮捕されたのち[[学生運動]]から足を洗う{{Sfn|竹熊|佐山|1997|p=126}}。 |
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[[1980年]]に[[少女漫画]]﹃'''[[コクリコ坂から]]'''﹄の[[漫画原作]]を手がける<ref name="bunshun20110804" />。佐山によれば同作は﹃[[なかよし]]﹄編集部が作画の[[高橋千鶴]]を売り出そうと力を入れた作品だったようで、初回は新年号の巻頭カラーだったが、連載6回目で[[打ち切り]]が決まり全8話で完結したという<ref name="bunshun20110804" />。のちに佐山は﹃[[週刊文春]]﹄[[2011年]]8月4日号の告白記事で﹁大長編にするつもりで伏線を張るだけ張って、これから面白くなるところだったのに…﹂と苦笑する<ref name="bunshun20110804" />。
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[[1980年]]に[[少女漫画]]﹃'''[[コクリコ坂から]]'''﹄の[[漫画原作]]を手がける<ref name="bunshun20110804" />。佐山によれば同作は﹃[[なかよし]]﹄編集部が作画の[[高橋千鶴]]を売り出そうと力を入れた作品だったようで、初回は新年号の巻頭カラーだったが、連載6回目で[[打ち切り]]が決まり全8話で完結したという<ref name="bunshun20110804" />。のちに佐山は﹃[[週刊文春]]﹄[[2011年]]8月4日号の告白記事で﹁大長編にするつもりで伏線を張るだけ張って、これから面白くなるところだったのに…﹂と苦笑する<ref name="bunshun20110804" />。
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しかし、[[2011年]]になって同作は[[宮崎駿]]の企画・脚本で[[スタジオジブリ]]によって[[アニメーション映画|アニメ映画]]化され、[[興行収入]]44.6億円のヒットを記録する(佐山曰く「'''ただ、ただ吃驚'''」「'''ただ、ただ不思議'''」とのこと<ref>ロマンアルバム『[[コクリコ坂から]]』[[徳間書店]]、[[2011年]]、109頁。</ref>)。製作発表で宮崎は「(『コクリコ坂から』は)1980年頃、『なかよし』に連載されて不発に終わった作品である。高校生の純愛、出生の秘密ものであるが、明らかに[[1970年]](引用者注:[[安保闘争#70年安保|70年安保]])の経験を引きずる原作者(男性)の存在を感じさせ、学園紛争と大衆蔑視が敷き込まれている。少女マンガの制約を知りつつ挑戦したとも言えるだろう」とコメントを寄せている<ref>{{Cite web|date=|url=https://moviewalker.jp/news/article/19283/|title=ジブリ最新作『コクリコ坂から』、実は『耳をすませば』の対抗馬だった!|work=|author=|publisher=[[東京ウォーカー|Walkerplus]]|accessdate=2021-09-18}}</ref>。 |
しかし、[[2011年]]になって同作は[[宮崎駿]]の企画・脚本で[[スタジオジブリ]]によって[[アニメーション映画|アニメ映画]]化され、[[興行収入]]44.6億円のヒットを記録する︵佐山曰く﹁'''ただ、ただ吃驚'''﹂﹁'''ただ、ただ不思議'''﹂とのこと<ref>ロマンアルバム﹃[[コクリコ坂から]]﹄[[徳間書店]]、[[2011年]]、109頁。</ref>︶。製作発表で宮崎は﹁︵﹃コクリコ坂から﹄は︶1980年頃、﹃なかよし﹄に連載されて不発に終わった作品である。高校生の純愛、出生の秘密ものであるが、明らかに[[1970年]]︵引用者注‥[[安保闘争#70年安保|70年安保]]︶の経験を引きずる原作者︵男性︶の存在を感じさせ、学園紛争と大衆蔑視が敷き込まれている。少女マンガの制約を知りつつ挑戦したとも言えるだろう﹂とコメントを寄せている<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://moviewalker.jp/news/article/19283/|title=ジブリ最新作﹃コクリコ坂から﹄、実は﹃耳をすませば﹄の対抗馬だった!|work=|author=|publisher=[[東京ウォーカー|Walkerplus]]|accessdate=2021-09-18}}</ref>。
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製作に至るまでの経緯について[[鈴木敏夫]]など関係者の証言によれば、宮崎が別荘の[[山小屋]]で[[夏休み]]を取っていた時、姪が忘れていった『なかよし』を暇を持て余して仲間と回し読みしていたところ同作が載っており、これを気に入った宮崎は断片から全体の構想を膨らませたり<ref>ロマンアルバム『コクリコ坂から』徳間書店、2011年、108頁。</ref>、同行していた[[押井守]]や[[庵野秀明]]らと議論を交わしたりして将来的に映画化することを心に誓っていたという<ref>{{Cite web|date=|url= |
製作に至るまでの経緯について[[鈴木敏夫]]など関係者の証言によれば、宮崎が別荘の[[山小屋]]で[[夏休み]]を取っていた時、姪が忘れていった﹃なかよし﹄を暇を持て余して仲間と回し読みしていたところ同作が載っており、これを気に入った宮崎は断片から全体の構想を膨らませたり<ref>ロマンアルバム﹃コクリコ坂から﹄徳間書店、2011年、108頁。</ref>、同行していた[[押井守]]や[[庵野秀明]]らと議論を交わしたりして将来的に映画化することを心に誓っていたという<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://eiga.com/news/20101216/1/|title=宮崎駿監督、﹁コクリコ坂から﹂吾朗監督に﹁映画監督は2本目が大事﹂|work=|author=|publisher=[[映画.com]]|accessdate=2018-12-29}}</ref>。なお押井は著書﹃誰も語らなかったジブリを語ろう﹄で﹁僕もこの漫画は読んでいて、﹃[[天空の城ラピュタ|ラピュタ]]﹄の頃だったかはっきりしないけど、みんなで宮さんの別荘に泊まっていたとき、退屈して回し読みしていたの。みんなというのは、僕に[[庵野秀明]]に[[山賀博之]]、もしかしたら[[前田真宏 (アニメ監督)|前田真宏]]もいたかもしれない。みんな﹃なんだか胸があったかくなるなあ﹄とか﹃これで安らかに眠れる﹄とか言っちゃって。その頃から宮さんは﹃[[コクリコ坂から]]﹄をやりたいと言っていたから、かなり長い間、この企画を抱えていたことになる。ホント、宮さんも僕と同じように執念深い︵笑︶﹂と述懐している<ref>[[押井守]]﹃誰も語らなかったジブリを語ろう﹄[[東京ニュース通信社]]、[[2017年]]、218頁。</ref>。
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=== 群雄社倒産から現在 === |
=== 群雄社倒産から現在 === |
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* [[群雄社]]に在籍しながら[[白夜書房]]の『[[漫画ブリッコ]]』を手がけていた[[小形克宏]](おぐゎた)は「本当に、あの佐山さんと同一人物なの? 当時『少女マンガの原作やってるんだよね』とか言ってたけど、冗談だと思ってた。まあ異能の人ですよね。俳句も名人級」と述懐している<ref>[https://twitter.com/ogwata/status/98743300558819329 小形克宏のツイート] 2011年8月3日</ref>。 |
* [[群雄社]]に在籍しながら[[白夜書房]]の『[[漫画ブリッコ]]』を手がけていた[[小形克宏]](おぐゎた)は「本当に、あの佐山さんと同一人物なの? 当時『少女マンガの原作やってるんだよね』とか言ってたけど、冗談だと思ってた。まあ異能の人ですよね。俳句も名人級」と述懐している<ref>[https://twitter.com/ogwata/status/98743300558819329 小形克宏のツイート] 2011年8月3日</ref>。 |
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* [[甥]]の佐山史織([[武術家]])いわく「(哲郎は)[[無頼派]]のようで実は[[吾輩は猫である#登場人物 |
* [[甥]]の佐山史織([[武術家]])いわく「(哲郎は)[[無頼派]]のようで実は[[吾輩は猫である#登場人物動物|苦沙弥先生]]のようなユーモラスな高等遊民の印象がある」とのこと。また史織は哲郎について次のように語っている<ref>[https://twitter.com/doranekocompany/status/521659974972235779 佐山史織のツイート] 2014年10月13日</ref><ref>[https://twitter.com/doranekocompany/status/803259933378494464 佐山史織のツイート] 2016年11月29日</ref><ref>[https://twitter.com/doranekocompany/status/803260632908738561 佐山史織のツイート] 2016年11月29日</ref><ref>[https://twitter.com/doranekocompany/status/803261220748857344 佐山史織のツイート] 2016年11月29日</ref><ref>[https://twitter.com/doranekocompany/status/803261854378135552 佐山史織のツイート] 2016年11月29日</ref><ref>[https://twitter.com/doranekocompany/status/803262778559430656 佐山史織のツイート] 2016年11月29日</ref>。{{Quotation|叔父は[[浄土宗]]の僧侶だが、[[浄土]]、そして[[阿弥陀如来]]という存在に本心から帰依しているかは不明である。しかし地域のコミュニティとして囲碁や俳句の会を開くなど、お寺を開かれた公界として開放している。これはなかなか偉いことだなあと思う。彼の偉さはなかなか理解されにくいが、何もしないこと、非生産的であることが値打ちである。お金の苦労がなく毎日、麻雀やお酒を飲み歩いて散財していること。それらは株や財テクをする坊主よりはるかに仏道にかなっている。もし中学卒業で集団就職し夜汽車で東京にやってきて工場に勤め、朝から晩まで肉体労働で油にまみれて子供を大学まで行かせました、という人が、元気なうちに彼を見たら、苦労知らずがふざけやがって、と思うかもしれない。しかし、そういう人も臨終が近くなり自分の人生はこれでよかったのかと考えたときに、かたや財テク坊主、かたや叔父のような遊び人がいたとしてどちらに仏意を問うかと言えば後者だろう。前者は結局、[[資本主義]]の原理で動いているのだから迷える[[衆生]]と同一価値観なので意見を聞く意味がない。文化というものは音楽、文学、舞踊、武術など、どれもある意味、「無用の用」である。これに対して誠実であるということはある意味、社会的な成功者であることとは相反する。}} |
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* 元[[群雄社]]の[[山崎春美]]([[オルタナティヴ・ロック]][[バンド (音楽)|バンド]]「[[ガセネタ (バンド)|ガセネタ]]」「[[山崎春美#TACO|TACO]]」[[歌手|ヴォーカリスト]])は、[[サブカルチャー]]雑誌『[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]』『[[スペクテイター (1999年創刊の雑誌)|Spectator]]』に寄稿した「人命事典」で佐山について次のように語っている。{{Quotation|再度エロ坊主の登場だが、今度は[[浄土宗]]。まったくこれじゃ、死んでも浮かばれねーよ。60年[[全学共闘会議|全共闘]]の典型的な生き残りで、目も当てられない酔い方をするトコがまたカワユイともっぱらの評判。『[[Jam (自販機本)|Jam]]』に触発されたのか『[[アリス出版#代表的な出版物|NOISE1999]]』とゆー新刊を[[アリス出版|アリス]]から出した。ボクらも書いてるし、御愛読のほどを(笑)。黒眼鏡姿は[[野坂昭如]]こと[[歌人]]の[[ジョージ秋山]]。|[[アリス出版]]『[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]』2号「X人名事典 第2回」1980年(編集発行人:[[高杉弾]])}}{{Quotation|[[明石賢生]]の懐刀にして知恵袋。片腕ででもありながら腹心の部下でもあり、それこそまさに友であった。初めて([[高杉弾]]が)『[[Jam (自販機本)#前史『X-MAGAZINE』|Xマガジン]]』企画を持ち込んだ時に応接して、自分の編集していた『[[Jam (自販機本)#前史『X-MAGAZINE』|スキャンダル]]』の中の8頁を「やってみるか」と提供したら「俺たちが乗っ取った!」と宣言されちゃったんだよ、と苦笑する。『[[アリス出版#代表的な出版物|NOISE1999]]』は2号で廃刊したが、その創刊号には第79回[[芥川賞]]作家(74年)の[[高橋三千綱]]に20歳の[[女子大生]]がベッドでインタビューする企画をやっていて、これは変な話。(中略)そいでね、どこにも(連載)第1回なんて書いてないんだし、無理に(第2回を)やらなくてもぜんぜん誰も気にしないようなもんなのに、それというのが当時の世相はもっと慎み深かったってのもあるけど有名著名人にインタービュできるだけの力量(言語能力・容姿)があって、且つ下着姿くらいは平気なギャルなんていやしない。デキる(ことを隠さない)女性の絶対数がまるで違っていたからだ…会議は、といったって会議室でやるわけではないけど、その日のどこか重苦しい空気は間違いなく淀んでいた。不意に閃いて「ぼくがインタビュアになって…」みなまで言わさず誰かが、なに言ってるんだ、って表情、やや険悪に変わりながら「ホモ・カップルもアリだろうけど、バレてもかまわないって相手がいたら苦労…」大急ぎでぼくも相手遮ってみなまでは言わさず「[[鈴木いづみ]]は?」 その瞬間、破顔一笑したSさんは一言。「'''その手があったか!'''」|[[山崎春美]]「WHO'S WHO 人命事典 第3回」『[[スペクテイター (1999年創刊の雑誌)|Spectator]]』Vol.39「パンクマガジン『Jam』の神話」[[スペクテイター (1999年創刊の雑誌)|エディトリアル・デパートメント]]/[[幻冬舎]]、2017年、129頁}}ここに書かれている内容は、[[アリス出版]]で佐山が編集長を務めた[[自販機本|自販機雑誌]]の集成版、もしくはその過渡期を告げるニューウェーブ雑誌『[http://ronso.co.jp/%E6%9C%AC%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%80%E3%80%80022-%E3%80%88%E8%87%AA%E8%B2%A9%E6%A9%9F%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%80%89/ NOISE1999]』2号に掲載された伝説的なインタビュー企画「'''[[鈴木いづみ]]+[[山崎春美]]ベッドイン・インタビュー'''」に結実する。 |
* 元[[群雄社]]の[[山崎春美]]([[オルタナティヴ・ロック]][[バンド (音楽)|バンド]]「[[ガセネタ (バンド)|ガセネタ]]」「[[山崎春美#TACO|TACO]]」[[歌手|ヴォーカリスト]])は、[[サブカルチャー]]雑誌『[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]』『[[スペクテイター (1999年創刊の雑誌)|Spectator]]』に寄稿した「人命事典」で佐山について次のように語っている。{{Quotation|再度エロ坊主の登場だが、今度は[[浄土宗]]。まったくこれじゃ、死んでも浮かばれねーよ。60年[[全学共闘会議|全共闘]]の典型的な生き残りで、目も当てられない酔い方をするトコがまたカワユイともっぱらの評判。『[[Jam (自販機本)|Jam]]』に触発されたのか『[[アリス出版#代表的な出版物|NOISE1999]]』とゆー新刊を[[アリス出版|アリス]]から出した。ボクらも書いてるし、御愛読のほどを(笑)。黒眼鏡姿は[[野坂昭如]]こと[[歌人]]の[[ジョージ秋山]]。|[[アリス出版]]『[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]』2号「X人名事典 第2回」1980年(編集発行人:[[高杉弾]])}}{{Quotation|[[明石賢生]]の懐刀にして知恵袋。片腕ででもありながら腹心の部下でもあり、それこそまさに友であった。初めて([[高杉弾]]が)『[[Jam (自販機本)#前史『X-MAGAZINE』|Xマガジン]]』企画を持ち込んだ時に応接して、自分の編集していた『[[Jam (自販機本)#前史『X-MAGAZINE』|スキャンダル]]』の中の8頁を「やってみるか」と提供したら「俺たちが乗っ取った!」と宣言されちゃったんだよ、と苦笑する。『[[アリス出版#代表的な出版物|NOISE1999]]』は2号で廃刊したが、その創刊号には第79回[[芥川賞]]作家(74年)の[[高橋三千綱]]に20歳の[[女子大生]]がベッドでインタビューする企画をやっていて、これは変な話。(中略)そいでね、どこにも(連載)第1回なんて書いてないんだし、無理に(第2回を)やらなくてもぜんぜん誰も気にしないようなもんなのに、それというのが当時の世相はもっと慎み深かったってのもあるけど有名著名人にインタービュできるだけの力量(言語能力・容姿)があって、且つ下着姿くらいは平気なギャルなんていやしない。デキる(ことを隠さない)女性の絶対数がまるで違っていたからだ…会議は、といったって会議室でやるわけではないけど、その日のどこか重苦しい空気は間違いなく淀んでいた。不意に閃いて「ぼくがインタビュアになって…」みなまで言わさず誰かが、なに言ってるんだ、って表情、やや険悪に変わりながら「ホモ・カップルもアリだろうけど、バレてもかまわないって相手がいたら苦労…」大急ぎでぼくも相手遮ってみなまでは言わさず「[[鈴木いづみ]]は?」 その瞬間、破顔一笑したSさんは一言。「'''その手があったか!'''」|[[山崎春美]]「WHO'S WHO 人命事典 第3回」『[[スペクテイター (1999年創刊の雑誌)|Spectator]]』Vol.39「パンクマガジン『Jam』の神話」[[スペクテイター (1999年創刊の雑誌)|エディトリアル・デパートメント]]/[[幻冬舎]]、2017年、129頁}}ここに書かれている内容は、[[アリス出版]]で佐山が編集長を務めた[[自販機本|自販機雑誌]]の集成版、もしくはその過渡期を告げるニューウェーブ雑誌『[http://ronso.co.jp/%E6%9C%AC%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%80%E3%80%80022-%E3%80%88%E8%87%AA%E8%B2%A9%E6%A9%9F%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%80%89/ NOISE1999]』2号に掲載された伝説的なインタビュー企画「'''[[鈴木いづみ]]+[[山崎春美]]ベッドイン・インタビュー'''」に結実する。 |
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=== 映画化作品 === |
=== 映画化作品 === |
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* [[コクリコ坂から#アニメ映画|コクリコ坂から]]([[スタジオジブリ]]制作 [[東宝]]配給 2011年)※監督:[[宮崎吾朗]]/脚本:[[宮崎駿]]+[[丹羽圭子]]/製作:宮崎駿+[[鈴木敏夫]] |
* [[コクリコ坂から#アニメ映画|コクリコ坂から]]([[スタジオジブリ]]制作 [[東宝]]配給 2011年)※監督:[[宮崎吾朗]]/脚本:[[宮崎駿]]+[[丹羽圭子]]/製作:宮崎駿+[[鈴木敏夫]] |
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** [[第35回日本アカデミー賞]] 最優秀アニメーション作品賞 受賞作品<ref>{{Cite web|date=|url= |
** [[第35回日本アカデミー賞]] 最優秀アニメーション作品賞 受賞作品<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=35|title= 第35回日本アカデミー賞優秀賞発表!|work=[[産経新聞|MSN産経ニュース]]|author=|publisher=[[日本アカデミー賞|日本アカデミー賞公式サイト]]|accessdate=2020-01-23}}</ref> |
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** 第29回[[ゴールデングロス賞]] 日本映画部門 優秀銀賞 受賞作品 |
** 第29回[[ゴールデングロス賞]] 日本映画部門 優秀銀賞 受賞作品 |
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** [[東京アニメアワード#2012年|第11回東京アニメアワード]] アニメーションオブザイヤー&国内劇場部門優秀作品賞&音楽賞 受賞作品 |
** [[東京アニメアワード#2012年|第11回東京アニメアワード]] アニメーションオブザイヤー&国内劇場部門優秀作品賞&音楽賞 受賞作品 |
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2024年3月6日 (水) 13:53時点における最新版
佐山 哲郎 (さやま てつろう) | |
---|---|
ペンネーム | 麻耶 十郎 |
誕生 |
1948年(75 - 76歳)![]() |
職業 |
編集者 文筆家 官能小説家 漫画原作者 詩歌研究家 歌人・俳人 住職・浄土宗僧侶 |
言語 | 日本語 |
国籍 |
![]() |
最終学歴 | 東京都立大学人文学部中退 |
活動期間 | 1973年 - |
ジャンル |
官能小説 漫画原作 少女漫画 |
代表作 | 『コクリコ坂から』 |
公式サイト | 東国山中養院 西念寺 |
![]() |
略歴
[編集]生い立ち
[編集]出版業界での活躍
[編集]『コクリコ坂から』誕生秘話
[編集]群雄社倒産から現在
[編集]人物
[編集]作品
[編集]漫画原作
[編集]- タランチュラのくちづけ(講談社 1976年)※作画:高階良子
- GOGO赤ヘル!クレヨンズ(講談社 1978年)※作画:高橋千鶴
- 小夜子より…星便り(講談社 1979年)※作画:高橋千鶴
- コクリコ坂から(講談社 1980年)※作画:高橋千鶴
- マンガ法然上人伝(浄土宗出版 1995年)※監修:阿川文正/作画:川本コウ
官能小説
[編集]すべて麻耶十郎名義
- 犯された教室(二見書房 1982年)※1985年12月に同社より文庫化
- ドッグ・ファッション─犬の姿勢(群雄社出版 1983年)
- 快感(二見書房 1985年)
- 女医監禁(マドンナ社 1986年)
- 女子高生 あぶない体操着(マドンナ社 1988年)
- 義母の下着、義妹の制服(二見書房 1991年)
- 蜂谷弓彦シリーズ
- 『監禁』セーラー服蕩し(二見書房 1992年)
- 『解剖』恥ずかし授業(二見書房 1993年)
- セーラー服 快感の
口淫 (二見書房 1995年) - 『発熱』女高生の粘膜─服従の淫具いじめ(二見書房 1997年)
句集
[編集]- じたん佐山哲郎句集「事譚」(西田書店 2001年)
- 東京ぱれおろがす─佐山哲郎句集(西田書店 2003年)
- 娑婆娑婆(西田書店 2011年)
著作
[編集]- 芭蕉の奥の細道─安永七(1778)年「日本與地路程全圖」で辿る(人文社 2003年)※編集協力:近藤十四郎
- 唱歌のふるさと童謡のくに(浄土宗出版室 2008年)
- 童謡・唱歌がなくなる日─日本の叙情歌に秘められた意外な真実(主婦の友社 2011年)
編集
[編集]- スキャンダル 悦楽超特急 X-MAGAZINE(エルシー企画 1978年)※協力:高杉弾+隅田川乱一
- NOISE1999(アリス出版 1980年)※協力:山崎春美
- 俗物図鑑の本―全世界おおむね40億人の俗物に贈る 極端感謝号(群雄社出版 1982年)※協力:金田トメ
映画化作品
[編集]- コクリコ坂から(スタジオジブリ制作 東宝配給 2011年)※監督:宮崎吾朗/脚本:宮崎駿+丹羽圭子/製作:宮崎駿+鈴木敏夫
- 第35回日本アカデミー賞 最優秀アニメーション作品賞 受賞作品[33]
- 第29回ゴールデングロス賞 日本映画部門 優秀銀賞 受賞作品
- 第11回東京アニメアワード アニメーションオブザイヤー&国内劇場部門優秀作品賞&音楽賞 受賞作品
参考文献
[編集]脚注
[編集]外部リンク
[編集]- 『コクリコ坂から』FAQ - 非公式ファンサイト
- 『コクリコ坂から』原作者・佐山哲郎さんと水族館劇場
- 竹熊健太郎「【蔵出】幻の『色単』について」 - たけくまメモ 2005年4月3日付
- エロ本の活字ページは全部創作だったという話 - Togetter 2020年8月8日付
- ネットゲリラ「エドプロと初期通販本版元」 - ウェイバックマシン(2010年6月12日アーカイブ分)
- 『増殖する俳句歳時記』佐山哲郎 - Longtail Co., Ltd.