「城山神社 (坂出市)」の版間の差分
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== 祭神 == |
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'''主祭神''' |
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* '''[[神櫛皇子|神櫛別命]]''' (かみくしわけのみこと) |
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*: 文献によっては「神櫛王(かみくしのみこ)」とも表記される。第12代[[景行天皇]]の[[皇子]]で、[[讃岐国造]]の祖。 |
*: 文献によっては「神櫛王(かみくしのみこ)」とも表記される。第12代[[景行天皇]]の[[皇子]]で、[[讃岐国造]]の祖。 |
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== 歴史 == |
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=== 創建 === |
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社伝では、祭神とする[[神櫛 |
社伝では、祭神とする[[神櫛皇子|神櫛別命]]は、[[景行天皇]]の御代に南海で悪魚を退治した功で[[讃岐国造]]に任じられたという。のち館を城山に造営して住んでいたが、[[仲哀天皇]]8年に120歳で没した。その後、祠を建てその神霊を祀ったのが当社の始まりと伝える<ref name=kosho>﹃讃岐国官社考證﹄︵﹃香川県の地名﹄城山神社項より︶。</ref><ref name=yuisho>神社由緒書。</ref>。
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神櫛別命に関しては、『[[日本書紀]]』にも「神櫛王(神櫛別命に同じ)は讃岐国造の祖である」と記載されている<ref>『日本書紀』景行天皇4年条「次妃五十河媛、生神櫛皇子・稲背入彦皇子。其兄神櫛皇子、是讃岐国造之始祖也。」。</ref>。なお『[[先代旧事本紀]]』「[[国造本紀]]」では「神櫛別命三世孫の須売保礼命が[[応神天皇]]期に讃岐国造の任を賜った」と記しており<ref>『国造本紀』(『[[先代旧事本紀]]』第10巻)讃岐国造条「[[応神天皇|軽島豊明朝]]御代。景行帝児神櫛王三世孫須売保礼命定賜国造。」。</ref>、讃岐国造一族の祖とする点では同じである。 |
神櫛別命に関しては、『[[日本書紀]]』にも「神櫛王(神櫛別命に同じ)は讃岐国造の祖である」と記載されている<ref>『日本書紀』景行天皇4年条「次妃五十河媛、生神櫛皇子・稲背入彦皇子。其兄神櫛皇子、是讃岐国造之始祖也。」。</ref>。なお『[[先代旧事本紀]]』「[[国造本紀]]」では「神櫛別命三世孫の[[須売保礼命]]が[[応神天皇]]期に讃岐国造の任を賜った」と記しており<ref>『国造本紀』(『[[先代旧事本紀]]』第10巻)讃岐国造条「[[応神天皇|軽島豊明朝]]御代。景行帝児神櫛王三世孫須売保礼命定賜国造。」。</ref>、讃岐国造一族の祖とする点では同じである。 |
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また、社伝では元々は[[城山 (坂出市・丸亀市)|城山]]一峰に残る明神原([[城山神社 (坂出市)#関係地|後述]])の地に鎮座していたとしている。明神原には現在も巨石数個が立つことから、古代よりその地で祭祀がなされていたと推測されている<ref name=chimei>『香川県の地名』城山神社項。</ref>。 |
また、社伝では元々は[[城山 (坂出市・丸亀市)|城山]]一峰に残る明神原([[城山神社 (坂出市)#関係地|後述]])の地に鎮座していたとしている。明神原には現在も巨石数個が立つことから、古代よりその地で祭祀がなされていたと推測されている<ref name=chimei>『香川県の地名』城山神社項。</ref>。 |
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** 所在地:城山の南東の峰({{ウィキ座標|34|17|33.65|N|133|53|57.83|E|region:JP-37_type:landmark|位置|name=明神原遺跡(旧鎮座地)}}) |
** 所在地:城山の南東の峰({{ウィキ座標|34|17|33.65|N|133|53|57.83|E|region:JP-37_type:landmark|位置|name=明神原遺跡(旧鎮座地)}}) |
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*: 当社の旧鎮座地と伝えられる。巨石が点在していることから、古来から神が降り立つ[[磐境]]として神聖視された場所と見られ<ref name=sakaide/>、古くから祭祀が行われていたと推測されている<ref name=chimei/>。菅原道真が当地で雨乞いを行ったとも伝える。 |
*: 当社の旧鎮座地と伝えられる。巨石が点在していることから、古来から神が降り立つ[[磐境]]として神聖視された場所と見られ<ref name=sakaide/>、古くから祭祀が行われていたと推測されている<ref name=chimei/>。菅原道真が当地で雨乞いを行ったとも伝える。 |
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* [[神櫛 |
* [[神櫛皇子#墓|神櫛王墓]] |
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** 所在地:[[高松市]]牟礼町牟礼({{ウィキ座標|34|20|35.28|N|134|07|17.22|E|region:JP-37_type:landmark|位置|name=神櫛王公式墓}}) |
** 所在地:[[高松市]]牟礼町牟礼({{ウィキ座標|34|20|35.28|N|134|07|17.22|E|region:JP-37_type:landmark|位置|name=神櫛王公式墓}}) |
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*: 宮内庁の所管する神櫛王治定墓。 |
*: 宮内庁の所管する神櫛王治定墓。 |
2016年4月23日 (土) 18:03時点における版
城山神社 | |
---|---|
拝殿 | |
所在地 | 香川県坂出市府中町本村4760 |
位置 | 北緯34度17分38.50秒 東経133度54分40.70秒 / 北緯34.2940278度 東経133.9113056度座標: 北緯34度17分38.50秒 東経133度54分40.70秒 / 北緯34.2940278度 東経133.9113056度 |
主祭神 | 神櫛別命 |
社格等 |
式内社(名神大) 旧県社 |
概要
祭神
主祭神 ●神櫛別命 ︵かみくしわけのみこと︶ 文献によっては﹁神櫛王︵かみくしのみこ︶﹂とも表記される。第12代景行天皇の皇子で、讃岐国造の祖。 合祀神 ●天照大神 ●天御中主神歴史
創建
社伝では、祭神とする神櫛別命は、景行天皇の御代に南海で悪魚を退治した功で讃岐国造に任じられたという。のち館を城山に造営して住んでいたが、仲哀天皇8年に120歳で没した。その後、祠を建てその神霊を祀ったのが当社の始まりと伝える[1][2]。 神櫛別命に関しては、﹃日本書紀﹄にも﹁神櫛王︵神櫛別命に同じ︶は讃岐国造の祖である﹂と記載されている[3]。なお﹃先代旧事本紀﹄﹁国造本紀﹂では﹁神櫛別命三世孫の須売保礼命が応神天皇期に讃岐国造の任を賜った﹂と記しており[4]、讃岐国造一族の祖とする点では同じである。 また、社伝では元々は城山一峰に残る明神原︵後述︶の地に鎮座していたとしている。明神原には現在も巨石数個が立つことから、古代よりその地で祭祀がなされていたと推測されている[5]。概史
六国史では、貞観年間に当社に対する神階授与が記載されており、古くから朝廷からも崇敬されていた。平安時代中期の﹃延喜式﹄神名帳では讃岐国阿野郡に﹁城山神社 名神大﹂と記載され、讃岐国では田村神社・粟井神社と並んで名神大社に列している。このように崇敬を受けたのは麓に讃岐国府が置かれていたことも関係していたと見られ[5]、府内鎮護・国衙守護の性格を持っていたとも推測されている[5]。 仁和4年︵888年︶、讃岐国司として国府にいた菅原道真は、当社で降雨祈願を行った[6]。祈願は成功し豊作をもたらしたという。 中世の様子は不明であるが次第に衰退したと見られ、その後貞治元年︵1362年︶の細川頼之・清氏の合戦の兵火で焼失した[5]。そのため神体のみが印鑰の地︵北緯34度17分43.51秒 東経133度55分03.35秒︶に移されて小祠が建てられ、のち現在地に移された[1]。 明治維新後、近代社格制度において県社に列した。神階
境内
-
社殿
奥に本殿、手前に拝殿。 -
拝殿
摂末社
関係地
●城山︵きやま︶ 坂出市と丸亀市の間に立つ標高462mの山で、当社の背後にそびえる。香川県内に残る屋嶋城同様、古代山城である﹁城︵き︶﹂が築かれたとされ、﹁城山﹂の山名はそれに由来する。一帯で城の遺構が見られ、国の史跡に指定されている[7]。また、山頂付近からは旧石器も発掘されており[8]、古くから生活が営まれていたことがわかっている。下記の明神原︵明神ヶ原︶遺跡のように祭祀の場ともされていた。 ●明神原︵明神ヶ原︶遺跡 ●所在地‥城山の南東の峰︵北緯34度17分33.65秒 東経133度53分57.83秒︶ 当社の旧鎮座地と伝えられる。巨石が点在していることから、古来から神が降り立つ磐境として神聖視された場所と見られ[7]、古くから祭祀が行われていたと推測されている[5]。菅原道真が当地で雨乞いを行ったとも伝える。 ●神櫛王墓 ●所在地‥高松市牟礼町牟礼︵北緯34度20分35.28秒 東経134度07分17.22秒︶ 宮内庁の所管する神櫛王治定墓。 ●鼓岡神社 ●所在地‥坂出市府中町︵北緯34度17分35.80秒 東経133度54分59.45秒︶ 城山神社社伝では、鼓岡神社の地は前方後円墳であり神櫛別命の墳墓であるともいう、としている[2][9]。現地情報
所在地 ●香川県坂出市府中町本村4760 交通アクセス ●鉄道‥JR四国予讃線︵瀬戸大橋線︶ 讃岐府中駅 ︵徒歩約20分︶ 周辺脚注
参考文献
- 神社由緒書
- 『日本歴史地名体系 香川県の地名』(平凡社)坂出市 城山項・城山神社項
関連項目
外部リンク
- 城山神社(國學院大學21世紀COEプログラム「神道・神社史料集成」)