宮本和知
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基本情報 | |
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国籍 |
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出身地 | 山口県下関市 |
生年月日 | 1964年2月13日(60歳) |
身長 体重 |
178 cm 77 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1984年 ドラフト3位 |
初出場 | 1985年6月15日 |
最終出場 | 1997年9月28日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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オリンピック | ||
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男子 野球 | ||
金 | 1984 | 野球 |
宮本 和知︵みやもと かずとも、1964年2月13日 - ︶は、山口県出身の元プロ野球選手︵投手︶、司会者、タレント、スポーツコメンテーター。
来歴・人物
プロ入り前
山口県下関市彦島出身。中学校時代はサッカー部で活躍[1]、山口県立下関工業高等学校時代から野球を始め、投手になったのは高校2年時だった。高校卒業後、社会人野球の川崎製鉄水島製鉄所野球部へ入団。 1984年、公開競技として初めて開催されたロサンゼルスオリンピック・野球で金メダル獲得に貢献した。同年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから3位指名を受け、入団。入団発表の前日にサッカーをやっていて足首にケガをし、入団発表を欠席する前代未聞の失態を演じた。入団当初の背番号は13︵1991年から21︶。プロ入り後
入団当初は王貞治監督のもとで1年目から主に中継ぎとして起用され、38試合に登板。9月5日の対広島戦︵後楽園球場︶で、山本浩二に単独3位となる通算505号本塁打を浴びている。その後、1987年8月9日の対中日戦︵ナゴヤ球場︶では、チームは近藤真一に初登板でノーヒットノーランを献上し、その際の負け投手となる[2]など、数年間は伸び悩んだ。 しかし、藤田元司新監督が就任した1989年、先発要員としてシーズン後半から一軍に定着。先発としてプロ入り初完投・初完封を記録し[1]、5勝をマークした。10月6日、対大洋戦では完封勝利を収め、リーグ優勝時の胴上げ投手となった。さらに1989年の日本シリーズ第7戦︵藤井寺球場︶では、先発・香田勲男の後を受けて6回裏からゲームセットまで投げ抜いてセーブ投手となり、日本シリーズ胴上げ投手にもなった[3]。すると、1990年には自身初の規定投球回数に到達し、自身初の2桁勝利となる自己最多の14勝、10完投を記録し、2年連続リーグ優勝時の胴上げ投手となった。1991年にも10勝をあげ、2年連続2桁勝利をあげた。 1993年に就任した長嶋茂雄監督のもとでも先発投手陣に加わったが、この年は5勝、翌1994年も4勝とやや不調に終わった。しかし、1995年は先発5・6番手として、ローテの谷間を担い、7連勝を記録するなど復調を果たした。1996年は調整不足で出遅れるも5月以降は安定した投球を見せた。優勝決定試合の10月6日、対中日戦︵ナゴヤ球場最後の公式戦︶で先発したが、矢野輝弘に同点本塁打を浴びる等、早々と降板させられた。それでも、桑田真澄・槙原寛己らが故障で離脱した先発陣を支え、長嶋監督が命名した﹁レフティーズ﹂[4]の一人として優勝に大きく貢献した。なお、同年には子育ての事で意見が合わなかったのが理由として8年間結婚していた前妻と離婚。1女は宮本が引き取り、子育ての為に山口から両親を呼び寄せた。 1997年には、4月23日の対中日戦で、ナゴヤドーム公式戦初の完封勝利を記録する[5]等、まずまずのスタートを切った。しかし、開幕2日目に追突事故で頚椎を痛めた事が原因となり[6]、シーズンを通しては精彩を欠いた。事故の後遺症の影響もあり同年限りで現役引退を表明。引退試合となった9月28日の対中日戦︵東京ドーム︶では、先発バルビーノ・ガルベスが8回途中まで無安打の快投を続けたために、宮本の登板が危ぶまれ、ブルペンでの投球練習だけではなく、代打出場にも備えて打撃練習も行っている姿が全国生中継された。それでも、9回表2死の場面で登板し、ゴメスを抑えて、有終の美を飾った。 1990年代の巨人の先発投手では貴重な左腕投手として活躍を続け、140km/h台後半の球威のある速球と大きく割れる縦のカーブを武器に5回のセントラル・リーグ優勝、及び2度の日本シリーズ優勝に貢献した。投手会長を長期に渡って歴任し、現役晩年には選手会長を務めるなどリーダーシップの高さには内外から定評があった。引退後
引退後は明るいキャラクターを生かしてタレント、スポーツコメンテーターとして活躍。現在日本テレビ﹁ズームイン!!サタデー﹂のコメンテーターを始め、RFラジオ日本解説者、シーズンオフには﹁まるごとジャイアンツ倶楽部﹂のパーソナリティー、BS日テレ﹁デジナマジャイアンツ﹂キャスターの他、サンテレビジョンの﹁ゴルフの達人シリーズ﹂の司会も務めている。 プロ野球マスターズリーグ、札幌アンビシャスの投手としても活躍している。 同郷の山本譲二主宰のクラブチーム﹁山口きららマウントG﹂に参画している。2006年、茨城ゴールデンゴールズとの親善試合にゲスト登板。途中で足がつって降板している。 ネットワークビジネスで水を販売しているタイセイ︵グリーンプラネット︶や、東京と沖縄に医院を持つ本田ヒルズタワークリニックの広告塔も務めている。 TBS系列平日正午枠の番組の司会に抜擢され、1998年4月より﹁宮本和知の熱血!昼休み﹂が放送された。しかし視聴率は低迷し、1.4%という当時のワースト記録を更新して、6ヶ月で打ち切られた。その後、﹁おもいッきりテレビ﹂には2007年4月から9月の打ち切りまで不定期で出演した︵みのもんた休養時には司会を務めたことも︶。 ﹁ウッチャンナンチャンのウリナリ!!﹂でドーバー海峡横断部に欠員ができた際、同部の勧誘を引き受けて入部。しかし、怪我で活動を続けることが難しくなり、元テニス選手の神尾米を代わりとして同部に紹介し、神尾の入部と入れ替わる形で脱退した。 TUBEの前田亘輝と親交があり、1998年には前田プロデュースの﹁All or Nothing﹂で歌手デビューしている。この曲は日本テレビ﹁劇空間プロ野球'98﹂のイメージソングに使用された。事務所名の﹁エムズブラボー﹂はTUBEのアルバムタイトル﹁Bravo!﹂に由来している。 ﹁人気者でいこう!﹂の﹁芸能人格付けチェック﹂に出演した際に﹁映す価値なし﹂になったことがある。再出演した際は、二流芸能人で踏みとどまった。 2007年、芸能人女子フットサルチーム﹁XANADU loves NHC﹂の監督に就任。 2008年9月、12歳年下の日本舞踊家︵正派若柳流︶・若柳きららと再婚したことを﹁ズームイン!!サタデー﹂で発表した[7]。詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1985 | 巨人 | 38 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | -- | .500 | 190 | 46.0 | 33 | 4 | 24 | 1 | 0 | 50 | 2 | 0 | 16 | 14 | 2.74 | 1.24 |
1986 | 22 | 9 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | -- | .250 | 280 | 61.0 | 74 | 13 | 25 | 2 | 3 | 59 | 1 | 0 | 34 | 33 | 4.87 | 1.62 | |
1987 | 7 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 64 | 14.1 | 16 | 3 | 6 | 1 | 1 | 12 | 0 | 0 | 9 | 9 | 5.65 | 1.53 | |
1988 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 15 | 2.2 | 5 | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 4 | 13.50 | 3.00 | |
1989 | 18 | 12 | 5 | 2 | 0 | 5 | 7 | 0 | -- | .417 | 422 | 102.1 | 93 | 7 | 35 | 1 | 5 | 97 | 2 | 0 | 32 | 31 | 2.73 | 1.25 | |
1990 | 28 | 24 | 10 | 0 | 0 | 14 | 6 | 1 | -- | .700 | 784 | 190.1 | 165 | 18 | 72 | 2 | 4 | 166 | 8 | 1 | 83 | 78 | 3.69 | 1.25 | |
1991 | 30 | 23 | 10 | 2 | 0 | 10 | 11 | 2 | -- | .476 | 792 | 189.2 | 169 | 21 | 75 | 1 | 1 | 143 | 2 | 0 | 81 | 71 | 3.37 | 1.29 | |
1992 | 28 | 22 | 4 | 1 | 0 | 9 | 9 | 1 | -- | .500 | 662 | 157.0 | 141 | 13 | 63 | 2 | 1 | 146 | 7 | 1 | 64 | 56 | 3.21 | 1.30 | |
1993 | 26 | 20 | 2 | 0 | 0 | 5 | 8 | 0 | -- | .385 | 513 | 116.1 | 118 | 17 | 50 | 3 | 7 | 109 | 2 | 0 | 50 | 44 | 3.40 | 1.44 | |
1994 | 25 | 10 | 1 | 0 | 0 | 4 | 7 | 0 | -- | .364 | 270 | 59.2 | 79 | 7 | 24 | 0 | 0 | 37 | 0 | 0 | 40 | 39 | 5.88 | 1.73 | |
1995 | 18 | 18 | 2 | 0 | 0 | 7 | 1 | 0 | -- | .875 | 427 | 98.2 | 94 | 11 | 46 | 1 | 3 | 68 | 6 | 0 | 44 | 40 | 3.65 | 1.42 | |
1996 | 23 | 18 | 2 | 2 | 0 | 5 | 3 | 0 | -- | .625 | 432 | 100.1 | 97 | 11 | 38 | 1 | 2 | 52 | 2 | 1 | 35 | 34 | 3.05 | 1.35 | |
1997 | 20 | 11 | 1 | 1 | 0 | 4 | 4 | 0 | -- | .500 | 257 | 59.2 | 66 | 7 | 19 | 0 | 1 | 28 | 0 | 0 | 28 | 26 | 3.92 | 1.42 | |
通算:13年 | 287 | 169 | 37 | 8 | 0 | 66 | 62 | 4 | -- | .516 | 5108 | 1198.0 | 1150 | 133 | 480 | 15 | 28 | 967 | 32 | 3 | 520 | 479 | 3.60 | 1.36 |
●各年度の太字はリーグ最高
記録
●初登板‥1985年6月15日、対広島東洋カープ8回戦︵後楽園球場︶、9回表に2番手として救援登板・完了、1回無失点 ●初奪三振‥同上、9回表に小早川毅彦から ●初勝利‥1985年7月31日、対広島東洋カープ13回戦︵広島市民球場︶、3回裏2死に2番手として救援登板、4回1/3を無失点 ●初先発‥1986年4月6日、対ヤクルトスワローズ3回戦︵後楽園球場︶、5回2失点 ●初先発勝利‥1986年10月4日、対阪神タイガース26回戦︵阪神甲子園球場︶、5回1/3を無失点 ●初完投勝利‥1989年8月5日、対横浜大洋ホエールズ16回戦︵横浜スタジアム︶、9回3失点︵自責点2︶ ●初完封勝利‥1989年9月10日、対広島東洋カープ21回戦︵広島市民球場︶ ●初セーブ‥1990年7月8日、対横浜大洋ホエールズ17回戦︵東京ドーム︶、8回表2死に2番手として救援登板・完了、1回1/3を無失点 ●1000投球回数‥1995年8月3日、対広島東洋カープ16回戦︵東京ドーム︶ ※史上263人目 ●3者連続3球三振‥1994年8月17日、対中日ドラゴンズ21回戦︵東京ドーム︶、3回表に鳥越裕介・佐藤秀樹・立浪和義から ※史上12人目︵セ・リーグ7人目︶背番号
●13 ︵1985年 - 1990年︶ ●21 ︵1991年 - 1997年︶関連情報
出演
プロ野球関係
●ズームイン!!サタデー︵日本テレビ︶ ●プロ野球熱ケツ情報︵日テレG+ 地上波で放送されたものの再構成版︶ ●プロ野球﹁巨人軍2軍・イースタン・リーグ中継﹂︵不定期解説 日テレG+︶ ●勇者のスタジアム・プロ野球好珍プレー︵日本テレビ︶レギュラーパネラー ●ベースボールTV︵日本テレビ︶月1度の野球情報番組 ●SpoMaga→アスリートLiveTV︵BS日テレ︶ ●まるごとジャイアンツ倶楽部︵RFラジオ日本︶パーソナリティー ●デジナマジャイアンツ︵BS日テレ︶キャスターその他
●宮本和知の熱血!昼休み︵TBS︶司会 1998年3月30日 - 9月25日 ●午後は○○おもいッきりテレビ︵日本テレビ系︶︵司会のみのもんたの休養時には司会を務めたこともある︶ ●ゴルフの達人シリーズ︵サンテレビジョン︶司会 ●ビックカメラTVショッピング︵通販番組、高橋里華と共演︶ ●趣味悠々~シーン別デジタルカメラ撮影術入門~︵2008年9月 - 12月、NHK教育︶ ●情報ライブ ミヤネ屋︵読売テレビ︶金曜日﹁みんな大好きミヤスポ!﹂担当。場合によってコメンテーターを兼務することがある。 ●ぶらり途中下車の旅︵日本テレビ︶テレビドラマ
●﹁東京DOGS﹂第7話ゲスト‥小沢監督 役︵2009年11月30日、フジテレビ︶CM
●松尾ジンギスカン︵北海道限定ローカルCM︶ ●近未來通信 ●延田グループ パチンコ・パチスロ店﹁123﹂ ●LUCIDA TOWERその他
●株式会社マジカル 健康事業部﹁離煙パイプ﹂イメージキャラクター関連項目
●山口県出身の人物一覧 ●読売ジャイアンツの選手一覧脚注
(一)^ abスポニチアネックス2009年8月 ﹁︻8月5日︼1989年︵平元︶ ヒジがうずきながら160球5年目宮本和知、初完投勝利﹂ [1]
(二)^ my favorite giants ︻読売ジャイアンツ︵巨人︶データサイト︼
(三)^ my favorite giants ︻読売ジャイアンツ︵巨人︶データサイト︼
(四)^ 他に阿波野秀幸・河野博文・川口和久。後に岡島秀樹・小野仁の台頭をきっかけに阿波野はトレードで移籍し、事実上のレフティーズ解散となった。
(五)^ 翌日は同い年の同僚槙原寛己が完封勝利をあげている。
(六)^ ただし、痛めた当日は登板回避したエリック・ヒルマンに代わり先発として登板した。
(七)^ “元巨人投手・宮本12歳差婚!お相手は日本舞踊家・若柳きららさん”. 報知新聞 (2008年9月13日). 2010年7月24日閲覧。
外部リンク
期間 | キャスター | コメンテーター | ||||||
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月・火・金 | 水・木 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | ||
1997.9.29 | 1998.10.2 | 関谷亜矢子 | 中畑清 | 山本浩二 | 掛布雅之 | |||
1998.10.5 | 2001.12.28 | 角田久美子 | 松岡修造 | 中畑清 | ||||
2002.1.4 | 2003.3.28 | 西尾由佳理 | ||||||
2003.3.31 | 2004.4.2 | 西尾由佳理 | 山本舞衣子 | 中畑清 | 長嶋一茂 | 宮本和知 | 掛布雅之 | |
2004.4.5 | 2004.11.26 | 北澤豪 | ||||||
2004.11.29 | 2004.12.24 | 西尾由佳理 | ||||||
2005.1.4 | 2005.4.1 | 西尾由佳理 | 杉上佐智枝 | |||||
2005.4.4 | 2005.9.30 | 阿部哲子 |