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[[File:Mitsuru Tomita.jpg|thumb|200px|日本基督教団初代統理の富田満]]

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[[File:Mituru TOMITA.koki2600.JPG|thumb|right|200px|[[皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会]]の司会者を務める富田満牧師]]

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== 思想 ==

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== 生涯 ==

== 生涯 ==

[[File:日本基督教団合同前の日本基督教会代表の準備委員.jpg|thumb|right|250px|[[日本基督教団]]合同前の[[日本基督教会]]代表の準備委員 後列左より、[[熊野義孝]]、[[三吉務]]、'''富田満'''、[[小野村林蔵]]、[[佐波亘]]、[[浅野順一]]、飯島誠太、内友四郎、

[[File:日本基督教団合同前の日本基督教会代表の準備委員.jpg|thumb|right|250px|[[日本基督教団]]合同前の[[日本基督教会]]代表の準備委員 後列左より、[[熊野義孝]]、[[三吉務]]、'''富田満'''、[[小野村林蔵]]、[[佐波亘]]、[[浅野順一]]、[[飯島誠太]][[堀内友四郎]]

前列左より、[[今村好太郎]]、[[村田四郎]]、[[金井為一郎]]、村岸清彦]]

前列左より、[[今村好太郎]]、[[村田四郎]]、[[金井為一郎]]、村岸清彦]]

[[愛知県]][[東春日井郡印場村]]([[春日井市]])の農家に三男として生まれる。5歳の頃から教会学校に通った。[[16歳]]の時[[南長老ミッション]]の[[ロバート・マカルピン|R・E・マカルピン]][[宣教師]]より[[洗礼]]を受ける。

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また[[1944年]]の[[イースター|復活節]]の日、日本基督教団教団統理者として、[[大東亜共栄圏]]の[[キリスト教徒]]のために、現代の[[使徒]][[書翰]]と称される[[日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰]]を贈った。富田は教団統理者として[[皇室]]に招かれ「畏くも宮中に参内、賜謁の恩典に浴するという破格」の栄誉を受けたという。[[大東亜戦争]]([[太平洋戦争]])終結後も天皇への忠誠心は変わることなく、[[1945年]][[8月15日]]の日本基督教団の総会で「天皇陛下の御意志に従って[[国体護持]]に励むように」決議し、[[8月28日]]に指令を出した

また[[1944年]]の[[イースター|復活節]]の日、日本基督教団統理者として、[[大東亜共栄圏]]の[[キリスト教徒]]のために、現代の[[使徒]][[書翰]]と称される[[日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰]]を贈った。富田は教団統理者として[[皇室]]に招かれ「畏くも宮中に参内、賜謁の恩典に浴するという破格」の栄誉を受けたという。[[大東亜戦争]]([[太平洋戦争]])終結後も天皇への忠誠心は変わることなく、[[1945年]][[8月15日]]の日本基督教団の総会で「天皇陛下の御意志に従って[[国体護持]]に励むように」決議し、[[8月28日]]に指令を出した


19466[[]]

1946年6月の臨時総会で統理を辞任したが、その後、常議員や総合伝道委員長として教団を支え、戦後も引き続き日本基督教団のエキュメニカル運動を指導し、[[日本キリスト教協議会]]の創立に携わった。



教育にも関わり[[1946年]]、[[金城学院大学|金城女子専門学校]]理事長に就任。

教育にも関わり[[1946年]]、[[金城学院大学|金城女子専門学校]]理事長に就任。



== 評価 ==

== 評価 ==

富田満統理は、日本の全キリスト教会を率いる者として、厳しい迫害に耐えられない日本の教会に配慮して、伊勢神宮を参拝したとされている<ref>棟方『教団を語る』</ref>。[[日本キリスト教協議会]]の『キリスト教大辞典』<ref>[[1963年|昭和38年]]</ref>は、「戦中、戦後の困難な時代にあって日本基督教団の指導にあたった」と評価する。富田の立場は「本質的に教会の合同に通じ、世界教会の成立を指向するものであった<ref>芝教会青年会特集号『神愛』</ref>

富田満統理は、日本の全キリスト教会を率いる者として、厳しい迫害に耐えられない日本の教会に配慮して、伊勢神宮を参拝したとされている<ref>棟方『教団を語る』</ref>。[[日本キリスト教協議会]]の『キリスト教大辞典』<ref>[[1963年|昭和38年]]</ref>は、「戦中、戦後の困難な時代にあって日本基督教団の指導にあたった」と評価する。富田の立場は「本質的に教会の合同に通じ、世界教会の成立を指向するものであった<ref>芝教会青年会特集号『神愛』</ref>



富田統理が伊勢神宮を参拝して、[[日本基督教団]]の発展を希願したことは、教団のその後の発展を[[天照大神]]に帰する行為であると評価されている<ref>[[小野静雄]]『日本プロテスタント教会史』下 p.170-171 聖恵授産所出版</ref>。

富田統理が伊勢神宮を参拝して、[[日本基督教団]]の発展を希願したことは、教団のその後の発展を[[天照大神]]に帰する行為であると評価されている<ref>[[小野静雄]]『日本プロテスタント教会史』170-171頁。聖恵授産所出版</ref>。



== 著書 ==

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== 脚注 ==

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== 参考文献 ==

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[[Category:日本の神学者]]

[[Category:20世紀日本のプロテスタント神学者]]

[[Category:プロテスタントの神学者]]

[[Category:戦前日本の牧師]]

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[[Category:日本基督教会の人物]]

[[Category:日本基督教会の人物]]


2024年1月26日 (金) 21:24時点における最新版

日本基督教団初代統理の富田満
皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会の司会者を務める富田満牧師

  1883115 - 1961115

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著書[編集]

  • 『富田満説教集:伝道説教-マルコによる福音書』 稲垣徳子編集 日本基督教団芝教会 1973年12月
  • 『農民福音學校の理論と實際(The principles and practice of the Farmer's Gospel School )』 富田満編 神の國運動事務所1931年7月
  • 『神の國運動とは何ぞや』海老澤亮述 富田滿編 神の國運動事務所 1931年3月
  • 『神の國運動指針(第1、第2、第3)全國協議會記録あり』富田滿編輯 神の國運動事務所 1929年
  • 『神の國運動宣言書』富田滿著 神の國運動事務所 1929年12月

脚注[編集]

  1. ^ 『福音新報』日本基督教団
  2. ^ 富田満『伝道説教-マルコによる福音書』日本基督教団芝教会、317頁。
  3. ^ 中村敏『日本キリスト教宣教史』292頁。
  4. ^ 小野静雄『日本プロテスタント教会史(下)』165-166頁。
  5. ^ 中村敏「日本プロテスタント宣教史」261頁
  6. ^ 金田隆一『戦時下キリスト教の抵抗と挫折』新教出版社
  7. ^ 棟方『教団を語る』
  8. ^ 昭和38年
  9. ^ 芝教会青年会特集号『神愛』
  10. ^ 小野静雄『日本プロテスタント教会史 下』170-171頁。聖恵授産所出版

参考文献[編集]

  • "Jews in the Japanese Mind: The History and Uses of a Cultural Stereotype" By David G. Goodman
  • 『深き淵より』安藤肇

関連項目[編集]

先代
-
日本基督教団統理者
1941-1946
次代
-