コンテンツにスキップ

尾高朝雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。エンタシス (会話 | 投稿記録) による 2022年8月7日 (日) 06:38個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

尾高 朝雄
1956年
人物情報
生誕 (1899-01-28) 1899年1月28日
日本の旗 日本東京
死没 1956年5月5日(1956-05-05)(57歳没)
出身校 東京帝国大学
子供 久留都茂子東京女学館短期大学学長)
学問
研究分野 法学
研究機関 京城帝国大学東京大学
テンプレートを表示

  1899128 - 19565153


1916西

1927寿[1]

192811133

[2]

[3][4]

1947

19527

1956

年譜

家系














[5]

婿



[6]
[3]

1936

1942

1932

 195619472012

1949

19491953

1949

19502013

19522006

19561971



 2014

   2017

 2018

2019

2019

 2021

2019 ISBN 4065162718


11948


 - 

 - 

 - 

 - 

 - 

 - 

 - 

 - 

  1. ^ 高橋彦博「東京社会科学研究所の社会実験」法政大学
  2. ^ 小林直樹『尾高朝雄先生と若き学徒たち』ジュリスト960号2p
  3. ^ a b 清宮四郎『尾高朝潮教授の死を悼む』ジュリスト324号12p
  4. ^ 鵜飼信成編『ハンス・ケルゼン』159p
  5. ^ 『昭和十一年度版 帝国人事大鑑』帝国日日通信社、1935年、補遺18頁。
  6. ^ 石川健治『統治のヒストリーク』26p奥平編「危機の憲法学」収録