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「岡崎次郎」の版間の差分

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==経歴==

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==業績==

===晩年===


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==晩年==


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全ての家財を整理し、[[東京都|東京]]・[[本郷 (文京区)|本郷]]の自宅マンションを引き払った夫婦の足取りは、[[品川 (東京都)|品川]]のホテルに投宿したのを皮切りに、伊豆の[[大仁温泉]]・[[浜松市|浜松]]・[[京都市|京都]]・[[岡山市|岡山]]・[[萩市|萩]]・[[広島市|広島]]などを巡ったことがクレジットカードの使用記録から確認された。そして同年[[9月30日]]に[[大阪市|大阪]]のホテルに宿泊したのを最後に足取りが途絶え、現在でも生死は確認されていないという。

全ての家財を整理し、[[東京都|東京]]・[[本郷 (文京区)|本郷]]の自宅マンションを引き払った夫婦の足取りは、[[品川 (東京都)|品川]]のホテルに投宿したのを皮切りに、伊豆の[[大仁温泉]]・[[浜松市|浜松]]・[[京都市|京都]]・[[岡山市|岡山]]・[[萩市|萩]]・[[広島市|広島]]などを巡ったことがクレジットカードの使用記録から確認された。そして同年[[9月30日]]に[[大阪市|大阪]]のホテルに宿泊したのを最後に足取りが途絶え、現在でも生死は確認されていないという。



==研究内容と業績==

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==翻訳==

===翻訳===


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「マルクス=エンゲルス書簡集」新訳では、マルクス=エンゲルス往復書簡だけでなく、二人の生前書いたもので現存する書簡がすべて網羅されている重要なものだった。すでに旧全集での資料をもとに「往復書簡」の翻訳に着手し刊行もしていた岡崎はここでも他の研究者とともに新全集での翻訳を担当した。

*「マルクス=エンゲルス書簡集」新訳では、マルクス=エンゲルス往復書簡だけでなく、二人の生前書いたもので現存する書簡がすべて網羅されている重要なものだった。すでに旧全集での資料をもとに「往復書簡」の翻訳に着手し刊行もしていた岡崎はここでも他の研究者とともに新全集での翻訳を担当した。



上記全集のための新たな「資本論」翻訳にも岡崎は取り組んだ。戦後間もない時期に向坂逸郎の紹介でやった「資本論」翻訳を岡崎は改めて検討、全集のための準備として、昭和33年、国民文庫版「資本論」のための準備に取りかかった。それにあたって、誤訳や曖昧訳を一掃する、それだけでなく現代の青年にとって読みやすい翻訳にしようとの意図で、東大大学院生だった[[新田俊三]](後に[[東洋大学]]教授)、[[塚本健]](後に[[東京大学]]教授)、[[鎌倉孝夫]](後に[[埼玉大学]]教授)を雇い手伝ってもらうこととした。昭和36年5月から39年9月まで、国民文庫版全11冊を完成した。その後、全集版翻訳にあたって、今度はこの国民文庫版を検討するために命尾孝子という学生に原稿用紙に書きとらせ、それを修正する手法をとった。全集版「資本論」翻訳は昭和40年9月から42年3月まで全集23-25巻(全5分冊)として刊行された。

*上記全集のための新たな「資本論」翻訳にも岡崎は取り組んだ。戦後間もない時期に向坂逸郎の紹介でやった「資本論」翻訳を岡崎は改めて検討、全集のための準備として、昭和33年、国民文庫版「資本論」のための準備に取りかかった。それにあたって、誤訳や曖昧訳を一掃する、それだけでなく現代の青年にとって読みやすい翻訳にしようとの意図で、東大大学院生だった[[新田俊三]](後に[[東洋大学]]教授)、[[塚本健]](後に[[東京大学]]教授)、[[鎌倉孝夫]](後に[[埼玉大学]]教授)を雇い手伝ってもらうこととした。昭和36年5月から39年9月まで、国民文庫版全11冊を完成した。その後、全集版翻訳にあたって、今度はこの国民文庫版を検討するために命尾孝子という学生に原稿用紙に書きとらせ、それを修正する手法をとった。全集版「資本論」翻訳は昭和40年9月から42年3月まで全集23-25巻(全5分冊)として刊行された。




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== 出典・脚注 ==

== 出典・脚注 ==

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{{DEFAULTSORT:おかさき しろう}}

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[[Category:日本の経済学者]]

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2022年8月28日 (日) 09:41時点における版

岡崎 次郎
人物情報
生誕 (1904-06-29) 1904年6月29日
日本の旗 日本北海道江差
死没 1984年1月1日(1984-01-01)(79歳没)
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 経済学
研究機関 九州大学法政大学
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  1904629 - 1984?


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1983 西80198466

宿使930宿


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(一)^ p.186-188

(二)^ p.186-196