「東京地下鉄道1200形電車」の版間の差分
m →運用・概況 |
m編集の要約なし |
||
1行目: | 1行目: | ||
'''東京地下鉄道1200形電車'''︵とうきょうちかてつどう1200がたでんしゃ︶とは、[[東京地下鉄]][[東京地下鉄銀座線|銀座線]]の前身である'''[[東京地下鉄道]]'''が、[[1934年]]の[[銀座駅]]-[[新橋駅]]間延伸開業に際し、2~3両編成で運転するのに必要となり増備した[[地下鉄]][[電車]]。
|
'''東京地下鉄道1200形電車'''︵とうきょうちかてつどう1200がたでんしゃ︶とは、[[東京地下鉄]][[東京地下鉄銀座線|銀座線]]の前身である'''[[東京地下鉄道]]'''が、[[1934年]]の[[銀座駅]]-[[新橋駅]]間延伸開業に際し、2~3両編成で運転するのに必要となり増備した[[地下鉄]][[電車]]。
|
||
[[1933年]]12月に |
[[1933年]]12月に1231 - 1238の8両、[[1934年]]3月に1239 - 1242の4両、同年5月に1243 - 1247の5両、同年6月に1248 - 1251の4両が[[汽車製造]]東京支店で、1934年6月に1252 - 1254の3両が神戸の[[川崎車輌]]兵庫工場でそれぞれ製造されて1231 - 1254の計24両が出揃った。
|
||
== 概要 == |
== 概要 == |
||
25行目: | 25行目: | ||
竣工後在来車に互して使用され、戦中戦後の混乱期の酷使にもよく耐えた。 |
竣工後在来車に互して使用され、戦中戦後の混乱期の酷使にもよく耐えた。 |
||
[[1964年]]に[[赤坂見附駅]]にて[[電動機|主電動機]]の短絡事故が発生した。そのため1200形・1300形・[[営団1400形電車|1400形]]は順次[[運転台撤去車|運転台を撤去]]した上で、1400形は中間[[動力車|電動車]]に、1200形・1300形は中間電動車を経て中間[[付随車]]に改造された。車内も[[営団2000形電車|2000形]]並みに更新された。なお付随車化で発生した主電動機は1700形の出力増強用に転用された。付随車は1300形と共に、車番の頭に“。”が標記された。末期には妻面窓と戸袋窓︵戸袋窓に関しては一部車両︶がHゴム支持化されていたが、1200形については客用扉の窓は一部1300形のように小窓化されず、廃車まで全車桟入り二段大窓︵時期は不明だが、一応ドア更新で旧 |
[[1964年]]に[[赤坂見附駅]]にて[[電動機|主電動機]]の短絡事故が発生した。そのため1200形・1300形・[[営団1400形電車|1400形]]は順次[[運転台撤去車|運転台を撤去]]した上で、1400形は中間[[動力車|電動車]]に、1200形・1300形は中間電動車を経て中間[[付随車]]に改造された。車内も[[営団2000形電車|2000形]]並みに更新された。なお付随車化で発生した主電動機は1700形の出力増強用に転用された。付随車は1300形と共に、車番の頭に“。”が標記された。末期には妻面窓と戸袋窓︵戸袋窓に関しては一部車両︶がHゴム支持化されていたが、1200形については客用扉の窓は一部1300形のように小窓化されず、廃車まで全車桟入り二段大窓︵時期は不明だが、一応ドア更新で旧1500 - 1700形のオリジナルのものに交換されていた︶のままであった。なお中間付随車化されても電動空気圧縮機とコレクターシュー(集電靴)、蓄電池は存置されたが、これは当時の1両単位であった銀座線・丸ノ内線の考え方で各車に電動空気圧縮機を配置させてブレーキ・ドア装置を迅速に作用させることに基づき、コレクターシューは第三軌条の600Vを直接取り込み、室内灯と扇風機等に給電していた事によるものである。電気系では現在の視点からはメンテナンス及び乗客の視点からして非常に危険と思われるが、この当時の銀座線・丸ノ内線の旧型車では常識だった。
|
||
1200形・1300形は、末期には銀座線[[浅草駅|浅草]]方から2両目に連結され、時代離れしたウィンドゥシル・ヘッダーを巻き、[[リベット]]外装とガーランドベンチレーターで異彩を放ちつつ使用されていたが、[[営団01系電車|01系]]量産車が登場した[[1984年]]から[[廃車 (鉄道)|廃車]]が始まり、[[1986年]]に全車廃車となった。営団地下鉄の歴代車両としては、1200形がもっとも長期間に亘って使用された形式であり、50年以上にわたって使用されたというのは鉄道車輛の寿命としてもかなり長寿の部類に入るが、しかもこれだけの長期にわたり落成から廃車に至るまで同じ路線で使用され続けたというケースは稀有であろう。 |
1200形・1300形は、末期には銀座線[[浅草駅|浅草]]方から2両目に連結され、時代離れしたウィンドゥシル・ヘッダーを巻き、[[リベット]]外装とガーランドベンチレーターで異彩を放ちつつ使用されていたが、[[営団01系電車|01系]]量産車が登場した[[1984年]]から[[廃車 (鉄道)|廃車]]が始まり、[[1986年]]に全車廃車となった。営団地下鉄の歴代車両としては、1200形がもっとも長期間に亘って使用された形式であり、50年以上にわたって使用されたというのは鉄道車輛の寿命としてもかなり長寿の部類に入るが、しかもこれだけの長期にわたり落成から廃車に至るまで同じ路線で使用され続けたというケースは稀有であろう。 |
||
31行目: | 31行目: | ||
== 脚注 == |
== 脚注 == |
||
{{脚注ヘルプ}} |
{{脚注ヘルプ}} |
||
{{reflist}} |
|||
<div class="references-small"><references /></div> |
|||
2010年8月16日 (月) 03:53時点における版
概要
従来型の1000・1100形電車を基本にしており、東京地下鉄道としては最後の新規製造形式となった。戦時中の帝都高速度交通営団成立に際しても同一形式を継承、最後まで銀座線で使用された。車体
基本構造は1000・1100形のそれを踏襲する。 ただし、溶接技術の進展で1100形と比較しても車体外板のリベットが減少し、また屋根の曲線が滑らかになった。また、前面の車両番号表記が連結時にどちらから見ても確認できるよう、左右2か所に記載されたことも外観上の大きな変更点である。 車内では、運転室仕切扉が運転機器をカバーできるように折り畳める構造となっており、客室確保に一役買っていた。これは、1300形以降は車掌台側の折り畳み構造に移行する。室内灯は、1100形までの間接照明に代わって、球の上半分を半透明とした半間接照明となり、これは後年の中間車化までそのままであった。主要機器
従来のゼネラル・エレクトリック(GE)系機器に代わって、国産の三菱電機製機器が採用された。 主電動機はGE-259Cに代えてMB-231AF[1]が採用された。これはその性能が示すとおりGE-259と極力仕様を揃えて設計された同等品であり、GE社のライバルであるウェスティングハウス・エレクトリック(WH)社と提携していた三菱電機としては異例の設計であった。 また、制御器もGE系のPC電空カム軸制御器に代わって、WH社の技術に基づくABF電空単位スイッチ式制御器が採用された。これはWH社の制御器命名ルールに従えばABFM[2]となるべき機種であり、PCとは制御シーケンスに互換性があって併結が可能であった。 これらの機器仕様はその後の銀座線車両に継承された。運用・概況
竣工後在来車に互して使用され、戦中戦後の混乱期の酷使にもよく耐えた。 1964年に赤坂見附駅にて主電動機の短絡事故が発生した。そのため1200形・1300形・1400形は順次運転台を撤去した上で、1400形は中間電動車に、1200形・1300形は中間電動車を経て中間付随車に改造された。車内も2000形並みに更新された。なお付随車化で発生した主電動機は1700形の出力増強用に転用された。付随車は1300形と共に、車番の頭に“。”が標記された。末期には妻面窓と戸袋窓︵戸袋窓に関しては一部車両︶がHゴム支持化されていたが、1200形については客用扉の窓は一部1300形のように小窓化されず、廃車まで全車桟入り二段大窓︵時期は不明だが、一応ドア更新で旧1500 - 1700形のオリジナルのものに交換されていた︶のままであった。なお中間付随車化されても電動空気圧縮機とコレクターシュー(集電靴)、蓄電池は存置されたが、これは当時の1両単位であった銀座線・丸ノ内線の考え方で各車に電動空気圧縮機を配置させてブレーキ・ドア装置を迅速に作用させることに基づき、コレクターシューは第三軌条の600Vを直接取り込み、室内灯と扇風機等に給電していた事によるものである。電気系では現在の視点からはメンテナンス及び乗客の視点からして非常に危険と思われるが、この当時の銀座線・丸ノ内線の旧型車では常識だった。 1200形・1300形は、末期には銀座線浅草方から2両目に連結され、時代離れしたウィンドゥシル・ヘッダーを巻き、リベット外装とガーランドベンチレーターで異彩を放ちつつ使用されていたが、01系量産車が登場した1984年から廃車が始まり、1986年に全車廃車となった。営団地下鉄の歴代車両としては、1200形がもっとも長期間に亘って使用された形式であり、50年以上にわたって使用されたというのは鉄道車輛の寿命としてもかなり長寿の部類に入るが、しかもこれだけの長期にわたり落成から廃車に至るまで同じ路線で使用され続けたというケースは稀有であろう。脚注