「熊野神社 (名取市)」の版間の差分
Nachtqwerty (会話 | 投稿記録) 初版 |
m Botによる: {{ウィキ座標}}の一部を{{Coord}}に置換 |
||
(14人の利用者による、間の31版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
{{神社 |
{{神社 |
||
|名称=熊野神社 |
|名称 = 熊野神社 |
||
|画像 = [[ファイル:KumanoshingusyashrineHaiden.JPG|320px]] |
|||
|画像= |
|||
|所在地=[[宮城県]][[名取市]]高舘熊野堂字岩口上 |
|所在地 = [[宮城県]][[名取市]]高舘熊野堂字岩口上51 |
||
| 緯度度 = 38 | 緯度分 = 12 | 緯度秒 = 10.8 | N(北緯)及びS(南緯) = N |
|||
|位置={{ウィキ座標2段度分秒|38|12|10.8|N|140|50|48.2|E|}} |
|||
| 経度度 = 140 |経度分 = 50 | 経度秒 = 48.3 | E(東経)及びW(西経) = E |
|||
⚫ | |||
| 地図国コード = JP |
|||
|社格=県社 |
|||
⚫ | |||
⚫ | |||
| |
|社格 = 県社 |
||
⚫ | |||
⚫ | |||
|本殿 = |
|||
⚫ | |||
|別名 = 熊野新宮社 |
|||
}} |
|||
|札所等 = |
|||
⚫ | |||
⚫ | '''熊野神社'''(くまのじんじゃ)は、[[宮城県]][[名取市]]にある[[神社]]である。[[近代社格制度|旧社格]]は県社。 |
||
|神事 = 熊野堂神楽<br />熊野堂舞楽 |
|||
|地図=Japan Miyagi}} |
|||
{{座標一覧}} |
|||
⚫ | |||
== 祭神 == |
== 祭神 == |
||
祭神は[[熊野権現|速玉男尊]]、[[イザナ |
主祭神は[[熊野権現|速玉男尊]]、[[イザナミ|伊弉冉尊]]、[[事解男尊]]、[[菊理媛神]]。
|
||
中央の新宮社証誠殿には速玉男尊、東側の那智飛龍権現社には事解男尊、西側の本宮十二社権現社には伊弉冉尊を祀る。<br/ >また、十二社権現社の西・老女宮には[[名取老女]]と、神代文字([[阿比留草文字]])で「ククリヒメノオオカミ」と書かれた木札を祀る。 |
|||
飛龍権現社の東には、社殿は無いものの、神名を記した8本の石の角柱が立ててある。記される神名はそれぞれ[[アメノオシホミミ|天之忍穂耳尊]]、[[ニニギ|邇邇藝之尊]]、[[ホオリ|彦火火出見之尊]]、[[ウガヤフキアエズ|鵜萱草葺不合尊]]、[[トヨクモノ|豊斟渟尊]]・[[国狭槌尊]]、[[ウヒヂニ・スヒヂニ|泥土煮尊]]、[[オオトノヂ・オオトノベ|大戸道尊]]、[[オモダル・アヤカシコネ|面足尊]]。 |
|||
== 歴史 == |
== 歴史 == |
||
[[保安(元号)|保安]]4年 |
[[保安 (元号)|保安]]4年︵[[1123年]]︶、[[紀伊国|紀州]]・[[熊野]]を模し勧請した[[名取熊野三社]]の一つ、'''熊野新宮社'''として創建。以来、[[東北地方]]における熊野信仰の中心地として隆盛を誇り、[[中世]]には名取熊野別当が置かれ宗教的にも軍事的にも大きな権力を持つに至った。
|
||
以来東北地方における熊野信仰の中心地として隆盛を誇り、中世には名取熊野別当が置かれ宗教・軍事ともに大きな権力を持つに至った。 |
|||
[[伊達氏]]の時代においても、[[永正]]11年([[1514年]])[[伊達稙宗]]が神領の棟役段銭を免除したことを先例として、[[伊達晴宗|晴宗]]、[[伊達輝宗|輝宗]]、[[伊達政宗|政宗]]による免除が行われ、以後、歴代[[仙台藩]]藩主の種々寄進、奉納を受け伊達家と深い結びつきを持った。 |
|||
名取熊野三社の中でも最も中心を成していたため、後に熊野新宮社、熊野本宮社、熊野那智神社を合祀し'''熊野神社'''と改称。 |
名取熊野三社の中でも最も中心を成していたため、後に熊野新宮社、熊野本宮社、熊野那智神社を合祀し'''熊野神社'''と改称。 |
||
明治元年 |
[[明治]]元年︵[[1868年]]︶3月の太政官布達﹁[[神仏判然令]]﹂により神仏合祀が禁じられたことで、熊野神社所蔵の本地仏をはじめ、法華経、一切経、大般若経、仏具等仏教色のものはすべて文殊堂︵{{Coord|38|12|8.7|N|140|50|48.5|E|region:JP|name=新宮寺・文殊堂︵現在地︶}}︶に移され、その文殊堂も神社境内の南へ移動され、[[真言宗智山派]]の熊野山[[新宮寺]]︵{{Coord|38|12|1|N|140|50|49.3|E|region:JP|name=新宮寺}}︶に帰属することとなった。
|
||
大正10年 |
[[大正]]10年([[1921年]])[[8月27日]]に郷社、[[昭和]]10年([[1935年]])[[11月1日]]に県社に昇格。 |
||
== |
== 境内施設 == |
||
玉垣内の奥の院には新宮社証誠殿、那智飛龍権現社、本宮十二社権現社、および老女宮。<br/ >また、かつて境内には若王子御宮(白山宮)、八社神宮、護法善神宮、稲田宮、人皇七十四代[[鳥羽天皇|宗仁天皇]]宮が存在したが、現在はいずれも消失している。若王子御宮は現在老女宮に祀られる菊理媛神の元宮と思われる。なお八社神宮については現在、玉垣内の8本の角柱として祀られる。 |
|||
名取熊野三社は、'''熊野神社(旧新宮社)・熊野本宮社・熊野那智神社'''の総称である。<br />ここには以下のような創建伝説が伝わっている。 |
|||
拝殿の眼前には御手洗と称する神池が広がり、浮島には後述の神楽殿と、[[弁才天|辧財天]]堂が存在。<br/ >[[神仏習合]]の影響により、境内南西には鐘堂がある。
|
|||
*熊野信仰の熱心な信者だった名取老女は、年老いたために紀州熊野への参詣が叶わなくなっていた。同じころ熊野にある山伏が住んでいた。山伏が松島へ詣でようと準備をしていたところ、夢枕に熊野権現が現われて、東北に住む老女に伝えるようにと和歌を詠んだ。「道遠し 程もはるかに隔たれり 思ひおこせよ 我も忘れじ」という歌だったという。山伏が下向の途中いまの名取のあたりにさしかかると、確かに熊野権現のお告げのとおりの老女が住んでいた。老女は山伏から和歌を聞くといたく感激し、名取の地に紀伊熊野の分霊を勧請した。 |
|||
<gallery widths="200px" heights="150px"> |
|||
File:熊野新宮社神楽殿.JPG|御手洗池、神楽殿と臨時舞台 |
|||
File:熊野新宮社鐘堂.JPG|鐘堂 |
|||
</gallery> |
|||
== 神楽 == |
|||
仙台湾を熊野灘、名取川を熊野川、高舘丘陵を熊野連山に模し、本宮・新宮・那智の三社が他の地域とは異なりそれぞれ別に勧請されている。 |
|||
春・秋の[[例祭]]時には'''熊野堂神楽'''という[[神楽]]が披露される。起源は[[文治]]年間([[1185年]]~[[1190年]])に[[京都]]の[[神楽岡]]から伝わったものと言われている。この神楽は[[出雲]]の流れをくむ[[岩戸神楽]]で、仙台周辺及び県南部に分布する神楽の元祖と言われる。詞章を唱えない黙劇の祈祷の舞で、随所に修験の呪法の名残りが見られる。現在神楽は拝殿前の池に常設された神楽殿で舞われるが、[[江戸時代]]以前は拝殿の場所にあった長床で舞われていた。 |
|||
紀伊熊野の三社それぞれを地理的・方角的に同様にセット状態で勧請しているのは'''全国3000社以上の熊野神社の中でもここだけ'''である。 |
|||
また、春の例祭時にしか舞われない'''熊野堂舞楽'''という[[舞楽]]も伝わっている。神楽殿での神楽奉納が終わってから、[[古事記]]を題材とした伝承5曲が拝殿正面の池の中に臨時に設けられた水上舞台で舞われる。熊野堂舞楽は宮城県内に伝わっている数少ない舞楽の一つで、代々7軒の社家によって相伝され、門外不出とされている。 |
|||
== 文化財 == |
|||
=== 宮城県指定有形文化財(建造物) === |
|||
*本殿‐中央に新宮社証誠殿、東側に那智飛龍権現社、西側に本宮十二社権現社が建ち、十二社権現社の西に老女宮を配す。証誠殿・那智飛龍権現社は宮城県内唯一の[[熊野造]]、十二社権現社は[[流造|三間社流造]]である。 |
|||
<gallery widths="200px" heights="150px"> |
|||
File:Hondens of Kumano-jinja shrine.JPG|熊野神社本殿、手前から那智飛龍権現社、証誠殿、本宮十二社権現社 |
|||
File:Shoujyouden and Nachi-Hirou gongensha shrines.JPG|証誠殿(手前)・那智飛龍権現社(奥) |
|||
File:Honden of Shoujyouden.JPG|証誠殿 |
|||
File:Honden of Nachi hirou-gongensha shrine.JPG|那智飛龍権現社 |
|||
File:Jyuunisha-Gongensha shrine.JPG|本宮十二社権現社 |
|||
File:Natori-roujo shrine.JPG|名取老女宮 |
|||
File:Small stone-pillar shrines of Kumano-jinja shrine.JPG|奥の院東側の柱状石祠群<br />天忍穂耳尊など九柱の神々を祀る |
|||
</gallery> |
|||
=== 宮城県指定無形民俗文化財 === |
|||
⚫ | |||
*熊野堂舞楽 |
|||
=== 名取市指定有形文化財(美術工芸品) === |
|||
*熊野神社文書 |
|||
この他、境内入口脇に建つ新宮寺文殊堂には「新宮寺一切経」(国の[[重要文化財]])が伝わる。 |
|||
== 逸話 == |
|||
* 昭和53年([[1978年]])~昭和54年([[1979年]])の調査により、「新宮寺一切経」の中には[[山形県]][[寒河江市]]にある[[慈恩寺 (寒河江市)|慈恩寺]]に[[鳥羽天皇|鳥羽院]]より下賜された一切経が多数含まれることが分かった。 |
|||
== 交通アクセス == |
|||
* [[東日本旅客鉄道|JR]][[南仙台駅]]から約3.5km |
|||
* JR[[名取駅]]から約5.5km |
|||
* バス・熊野堂停留所から徒歩約5分<br />(なとりん号:相互台線)<br />(宮城交通尚絅学院大線) |
|||
== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
||
*東北歴史博物館「名取の里―熊野信仰と一切経」 |
* 「名取市史」(1977年) |
||
* 東北歴史博物館「名取の里―熊野信仰と一切経」(1980年) |
|||
* 「熊野堂今昔風土記」(2001年) |
|||
* 寒河江市史編纂委員会 『寒河江市史 上巻』(1994年) |
|||
== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
||
*[[熊野神社]] |
* [[熊野神社]] |
||
*[[名取市]] |
* [[熊野本宮社 (名取市)]] |
||
* [[熊野那智神社 (名取市)]] |
|||
* [[名取熊野三社]] |
|||
* [[奥州三十三観音霊場]] |
|||
* [[慈恩寺 (寒河江市)]] |
|||
== 外部リンク == |
|||
{{commonscat|Kumano-jinja (Natori)}} |
|||
* [http://www.city.natori.miyagi.jp/bunya/culture/node_5817/node_4506 熊野三社関係](名取市) |
|||
* [http://www.city.natori.miyagi.jp/natori100/073.htm 73.名取熊野三社](名取市「なとり100選」) |
|||
⚫ | |||
⚫ | |||
{{Normdaten}} |
|||
⚫ | |||
[[Category:宮城県の神社]] |
[[Category:宮城県の神社]] |
||
[[Category:宮城県の旧県社]] |
[[Category:宮城県の旧県社]] |
||
[[Category:熊野神社]] |
[[Category:熊野神社]] |
||
[[Category:名取市]] |
[[Category:名取市の歴史]] |
||
[[Category:宮城県指定有形文化財]] |
|||
⚫ | |||
[[Category:都道府県指定無形民俗文化財]] |
|||
[[Category:宮城県内の市町村指定有形文化財]] |
|||
[[Category:名取市の建築物]] |
2021年7月10日 (土) 15:58時点における最新版
熊野神社 | |
---|---|
| |
所在地 | 宮城県名取市高舘熊野堂字岩口上51 |
位置 | 北緯38度12分10.8秒 東経140度50分48.3秒 / 北緯38.203000度 東経140.846750度座標: 北緯38度12分10.8秒 東経140度50分48.3秒 / 北緯38.203000度 東経140.846750度 |
主祭神 |
速玉男尊 伊弉冉尊 事解男尊 菊理媛神 |
社格等 | 県社 |
創建 | 保安4年(1123年) |
別名 | 熊野新宮社 |
例祭 |
4月第3日曜日(春季例祭) 10月第2日曜日(秋季例祭) |
主な神事 |
熊野堂神楽 熊野堂舞楽 |
地図 |
祭神[編集]
主祭神は速玉男尊、伊弉冉尊、事解男尊、菊理媛神。 中央の新宮社証誠殿には速玉男尊、東側の那智飛龍権現社には事解男尊、西側の本宮十二社権現社には伊弉冉尊を祀る。 また、十二社権現社の西・老女宮には名取老女と、神代文字︵阿比留草文字︶で﹁ククリヒメノオオカミ﹂と書かれた木札を祀る。 飛龍権現社の東には、社殿は無いものの、神名を記した8本の石の角柱が立ててある。記される神名はそれぞれ天之忍穂耳尊、邇邇藝之尊、彦火火出見之尊、鵜萱草葺不合尊、豊斟渟尊・国狭槌尊、泥土煮尊、大戸道尊、面足尊。歴史[編集]
保安4年︵1123年︶、紀州・熊野を模し勧請した名取熊野三社の一つ、熊野新宮社として創建。以来、東北地方における熊野信仰の中心地として隆盛を誇り、中世には名取熊野別当が置かれ宗教的にも軍事的にも大きな権力を持つに至った。 伊達氏の時代においても、永正11年︵1514年︶伊達稙宗が神領の棟役段銭を免除したことを先例として、晴宗、輝宗、政宗による免除が行われ、以後、歴代仙台藩藩主の種々寄進、奉納を受け伊達家と深い結びつきを持った。 名取熊野三社の中でも最も中心を成していたため、後に熊野新宮社、熊野本宮社、熊野那智神社を合祀し熊野神社と改称。 明治元年︵1868年︶3月の太政官布達﹁神仏判然令﹂により神仏合祀が禁じられたことで、熊野神社所蔵の本地仏をはじめ、法華経、一切経、大般若経、仏具等仏教色のものはすべて文殊堂︵北緯38度12分8.7秒 東経140度50分48.5秒 / 北緯38.202417度 東経140.846806度︶に移され、その文殊堂も神社境内の南へ移動され、真言宗智山派の熊野山新宮寺︵北緯38度12分1秒 東経140度50分49.3秒 / 北緯38.20028度 東経140.847028度︶に帰属することとなった。 大正10年︵1921年︶8月27日に郷社、昭和10年︵1935年︶11月1日に県社に昇格。境内施設[編集]
玉垣内の奥の院には新宮社証誠殿、那智飛龍権現社、本宮十二社権現社、および老女宮。 また、かつて境内には若王子御宮︵白山宮︶、八社神宮、護法善神宮、稲田宮、人皇七十四代宗仁天皇宮が存在したが、現在はいずれも消失している。若王子御宮は現在老女宮に祀られる菊理媛神の元宮と思われる。なお八社神宮については現在、玉垣内の8本の角柱として祀られる。 拝殿の眼前には御手洗と称する神池が広がり、浮島には後述の神楽殿と、辧財天堂が存在。 神仏習合の影響により、境内南西には鐘堂がある。-
御手洗池、神楽殿と臨時舞台
-
鐘堂
神楽[編集]
文化財[編集]
宮城県指定有形文化財(建造物)[編集]
-
熊野神社本殿、手前から那智飛龍権現社、証誠殿、本宮十二社権現社
-
証誠殿(手前)・那智飛龍権現社(奥)
-
証誠殿
-
那智飛龍権現社
-
本宮十二社権現社
-
名取老女宮
-
奥の院東側の柱状石祠群
天忍穂耳尊など九柱の神々を祀る
宮城県指定無形民俗文化財[編集]
- 熊野堂神楽
- 熊野堂舞楽
名取市指定有形文化財(美術工芸品)[編集]
- 熊野神社文書
この他、境内入口脇に建つ新宮寺文殊堂には「新宮寺一切経」(国の重要文化財)が伝わる。
逸話[編集]
交通アクセス[編集]
参考文献[編集]
- 「名取市史」(1977年)
- 東北歴史博物館「名取の里―熊野信仰と一切経」(1980年)
- 「熊野堂今昔風土記」(2001年)
- 寒河江市史編纂委員会 『寒河江市史 上巻』(1994年)