「笠松陣屋」の版間の差分
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2008年4月14日 (月) 13:30時点における版
笠松陣屋︵かさまつじんや︶は岐阜県羽島郡笠松町︵美濃国羽栗郡︶にあった幕府直轄領におかれた郡代︵美濃郡代︶の陣屋である。
美濃国と尾張国の境︵木曽川︶にあり、交通の要所を監視する役割のほか、木曽川の治水の役割もあったという。
概要
当初、美濃郡代の陣屋は、1604年︵慶長9年︶に小早川秀秋の家臣である平岡頼勝が、可児郡徳野︵現可児市徳野︶に築いた徳野陣屋にあった。 1650年︵慶安3年︶、岡田善政︵岡田将監善政︶が木曽川の堤防工事の為、交通の便の良い羽栗郡傘町に仮陣屋を置く。 1662年︵寛文2年︶、正式に美濃郡代の陣屋を傘町に移転する。このさい、傘町を笠松に改名する︵1669年の説もある︶。 1673年︵延宝元年︶には、尾張藩が美濃国円城寺︵現笠松町円城寺︶に円城寺川並奉行所を設置して、木曽川を通る舟や荷の取締りにあたることとなり、重要性が増すこととなる。1781年︵天明元年︶には尾張国葉栗郡北方︵現愛知県一宮市北方︶には北方代官所が設置されている。 1868年︵明治元年︶、美濃国の旧幕領、旗本領に笠松県が置かれ、県庁舎が笠松陣屋に置かれる。 1871年︵明治4年︶、廃藩置県により美濃国が岐阜県となると、岐阜県庁舎として使用される。1873年︵明治6年︶、厚見郡︵現岐阜市司町︶に移転するまで使用された。尚、新たな県庁舎の完成は1874年︵明治7年︶であり、それまでは厚見郡西野︵現岐阜市西野町︶の西本願寺岐阜別院の建物を仮庁舎としていたという。 建物は残っていたが、1891年︵明治24年︶の濃尾地震により焼失する。 跡地は現在、笠松町の史跡として整備され、小規模な公園となっている。所在地
- 岐阜県羽島郡笠松町県町67-1
交通機関
鉄道
バス
- 笠松町公共施設巡回町民バス「役場」バス停下車、徒歩4分
- 岐南町巡回バス「笠松駅」バス停下車、徒歩12分