コンテンツにスキップ

「笠松陣屋」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
1行目: 1行目:

[[ファイル:笠松陣屋.JPG|thumb|right|250px|石碑]]

[[ファイル:笠松陣屋.JPG|thumb|right|250px|石碑]]


'''笠松陣屋'''(かさまつじんや)は[[岐阜県]][[羽島郡]][[笠松町]]([[美濃国]][[羽栗郡]])にあった幕府直轄領におかれた[[郡代]]([[美濃郡代]])の[[陣屋]]である。

'''笠松陣屋'''(かさまつじんや)は[[岐阜県]][[羽島郡]][[笠松町]]([[美濃国]][[羽栗郡]])にあった幕府直轄領におかれた[[郡代]]([[美濃郡代]])の[[陣屋]]である。



== 概要 ==

[[美濃国]]と[[尾張国]]の境([[木曽川]])にあり、交通の要所を監視する役割のほか、木曽川の治水の役割もあったという。

[[美濃国]]と[[尾張国]]の境([[木曽川]])にあり、交通の要所を監視する役割のほか、木曽川の治水の役割もあったという。



当初、美濃郡代の[[陣屋]]は、[[1604年]]([[慶長]]9年)に[[小早川秀秋]]の旧臣である[[平岡頼勝]]が、[[可児郡]]徳野(現在の[[可児市]]徳野)に築いた'''[[徳野陣屋]]'''にあった。

== 概要 ==

当初、美濃郡代の[[陣屋]]は、[[1604年]]([[慶長]]9年)に[[小早川秀秋]]の旧臣である[[平岡頼勝]]が、[[可児郡]]徳野(現[[可児市]]徳野)に築いた'''[[徳野陣屋]]'''にあった。



*[[1650年]]([[慶安]]3年)[[岡田善政]](岡田将監善政)が[[木曽川]]の堤防工事の為、交通の便の良い[[羽栗郡]]傘町に仮陣屋を置く。

* [[1650年]]([[慶安]]3年) - [[岡田善政]](岡田将監善政)が[[木曽川]]の堤防工事の為、交通の便の良い[[羽栗郡]]傘町に仮陣屋を置く。

*[[1662年]]([[寛文]]2年)正式に美濃郡代の陣屋を傘町に移転する。このさい、傘町を笠松に改名する(1669年の説もある)。

* [[1662年]]([[寛文]]2年) - 正式に美濃郡代の陣屋を傘町に移転する。このさい、傘町を笠松に改名する([[1669]]の説もある)。


*[[1673]][[]][[]][[]][[1781]][[]][[]][[]][[]][[]]

* [[1673年]]([[延宝]]元年) - [[尾張藩]]が美濃国羽栗郡[[円城寺村]](現在の笠松町円城寺)に円城寺川並奉行所を設置して、木曽川を通る舟や荷の取締りにあたることとなり、重要性が増すこととなる。[[1781年]]([[天明]]元年)には尾張国[[葉栗郡]]北方(現在の[[愛知県]][[一宮市]]北方)には[[北方代官所]]が設置されている。

*[[1732年]]([[享保]]17年)7月18日辻甚太郎守雄が初めて美濃郡代となり美濃・伊勢両国の幕府領を管理した。

* [[1732年]][[享保]]17年)7月18日 - 辻甚太郎守雄が初めて美濃郡代となり美濃・伊勢両国の幕府領を管理した。

*[[1737年]]([[元文]]2年)11月11日郡代を廃止して代官とした。

* [[1737年]][[元文]]2年)11月11日 - 郡代を廃止して代官とした。

*[[1746年]]([[延享]]3年)7月18日再び代官を郡代に戻した。

* [[1746年]][[延享]]3年)7月18日 - 再び代官を郡代に戻した。

*[[1868年]][[明治]]元年)美濃国の旧幕領、旗本領に[[笠松県]]が置かれ、県庁舎が笠松陣屋に置かれる。

* [[1868年]][[明治]]元年) - 美濃国の旧幕領、旗本領に[[笠松県]]が置かれ、県庁舎が笠松陣屋に置かれる。


*[[1871]]4[[]][[]]使[[1873]]6[[]][[]]使[[1874]]7西西[[]][[]]

* [[1871]]4 - [[]][[]]使[[1873]]6[[]][[]]使[[1874]]7西西[[]][[]]


建物は残っていたが、[[1891年]](明治24年)の[[濃尾地震]]により焼失する。

建物は残っていたが、[[1891年]](明治24年)の[[濃尾地震]]により焼失する。

21行目: 22行目:


== 所在地 ==

== 所在地 ==

*岐阜県羽島郡笠松町県町67-1

* 岐阜県羽島郡笠松町県町67-1



== 交通機関 ==

== 交通機関 ==

=== 鉄道 ===

=== 鉄道 ===

*[[名古屋鉄道]]

* [[名古屋鉄道]]

**[[名鉄名古屋本線|名古屋本線]][[笠松駅]]より徒歩12分

** [[名鉄名古屋本線|名古屋本線]] [[笠松駅]]より徒歩で約12分

**[[名鉄竹鼻線|竹鼻線]][[西笠松駅]]より徒歩10分

** [[名鉄竹鼻線|竹鼻線]] [[西笠松駅]]より徒歩で約10分


=== バス ===

=== バス ===

*[[笠松町公共施設巡回町民バス]]「役場」バス停下車、徒歩4分

* [[笠松町公共施設巡回町民バス]]「役場」バス停下車、徒歩で約4分



== 脚注 ==

== 脚注 ==


2021年9月30日 (木) 07:26時点における版

石碑





16049

16503 - 便

16622 - 1669

1673 - 1781

173217718 - 

173721111 - 

17463718 - 

1868 - 

18714 - 使18736使18747西西

189124

[1] - Google 


67-1



 12

 西10


4

  1. ^ 笠松町の文化財”. 笠松町 (2011年11月28日). 2013年5月15日閲覧。