「織田作之助」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m →‎エピソード: 表現の修正
m Bot作業依頼#Cite webの和書引数追加
 
(11人の利用者による、間の13版が非表示)
21行目: 21行目:

| subject =

| subject =

| movement = [[無頼派]]([[新戯作派]])

| movement = [[無頼派]]([[新戯作派]])

| notable_works = 『[[夫婦善哉 (小説)|夫婦善哉]]』(1940年)<br />『青春の逆説』(1941年)<br />『土曜夫人』(1946年)

| notable_works = 『[[夫婦善哉 (小説)|夫婦善哉]]』(1940年)<br />『青春の逆説』(1941年)<br />『天衣無縫』(1942年)<br />『世相』(1946年)<br />『土曜夫人』(1946年)<br />『可能性の文学』(1947年、評論

| awards =

| awards =

| debut_works = 『雨』(1938年)

| debut_works = 『雨』(1938年)

35行目: 35行目:

}}

}}

[[ファイル:Ikukunitama-jinja Shintô Shrine - Bronze statue of Oda Sakunosuke.jpg|thumb|210px|織田作之助の像(大阪市、[[生國魂神社]])]]

[[ファイル:Ikukunitama-jinja Shintô Shrine - Bronze statue of Oda Sakunosuke.jpg|thumb|210px|織田作之助の像(大阪市、[[生國魂神社]])]]


''' ''' [[1913]][[]]2[[1026]] - [[1947]][[]]22[[110]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[|]]''''''[[ ()|]]

''' ''' [[1913]][[]]2[[1026]] - [[1947]][[]]22[[110]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[|]]''''''[[ ()|]]


== 生涯 ==

== 生涯 ==

===生い立ち===

[[1913年]](大正2年)、大阪市南区生玉前町(現・[[天王寺区]]上汐4丁目、[[大阪市立生魂小学校|生魂小学校]]正門前付近)にて、[[出前|仕出]]屋(後に『一銭[[天麩羅]]屋』に業態変更)「魚春」の織田鶴吉、たかゑの長男として生まれる。

[[1913年]](大正2年)、大阪市南区生玉前町(現・[[天王寺区]]上汐4丁目、[[大阪市立生魂小学校|生魂小学校]]正門前付近)にて、[[出前|仕出]]屋(後に『一銭[[天麩羅]]屋』に業態変更)「魚春」の織田鶴吉、たかゑの長男として生まれる。仕出屋とは言え、上汐町筋より路地を入った所謂『裏店』(うらだな)であったが、[[中央区 (大阪市)|中央区]]上汐1丁目の一画(『[[近松門左衛門]]の墓』のすぐ東側)に当時の家並(表店と路地=[[長屋]])が唯一残っている。当時両親は母方から結婚反対に遭っていた為に[[婚姻届]]を提出できておらず、戸籍上は母の兄・鈴木安太郎の甥「鈴木作之助」という形をとった。作之助が「織田作之助」となるのは、[[1926年]]に両親が正式に[[入籍]]を果たしてからである。




1917[[1920]]9[[]]1926[[]][[]]1931[[ ()|]][[]][[]][[]]1932稿[[]]19331934[[]][[|]][[]][[]]1935[[]]1936退

仕出屋とは言え、上汐町筋より路地を入った所謂『裏店』(うらだな)であったが、[[中央区 (大阪市)|中央区]]上汐1丁目の一画(『[[近松門左衛門]]の墓』のすぐ東側)に当時の家並(表店と路地=[[長屋]])が唯一残っている。



1938年に[[スタンダール]]に影響を受けて小説家へ志向を転換、『海風』に初めての小説「ひとりすまう」を発表、続いて書いた「雨」が[[武田麟太郎]]に注目される。

当時両親は母方から結婚反対に遭っていた為に[[婚姻届]]を提出できておらず、戸籍上は母の兄・鈴木安太郎の甥「鈴木作之助」という形をとった。作之助が「織田作之助」となるのは、[[1926年]]に両親が正式に[[入籍]]を果たしてからである。



===作家活動===


[[1920]]9[[]][[1931]]6[[]][[ ()|]][[]][[]][[1934]]9[[]][[|]][[1936]]11退

[[1939年]](昭和14年)3月に帰阪。長姉・タツの嫁ぎ先である竹中国治郎のもとへ寄寓する(ちなみにこの夫婦は、三高時代の学費を全額負担するなど、学生時代の作之助に対し惜しみない援助を行っていた)。7月15日、[[阿倍野区|阿倍野]]の[[料亭]]「ちとせ」で宮田一枝と挙式し、[[南河内郡]][[野田村 (大阪府南河内郡)|野田村]](現・[[堺市]]東区)へ移る。尚、この時期、作之助は[[日本織物新聞社]]や[[産業経済新聞社|日本工業新聞社(現・産業経済新聞社)]]への勤務を経験している。


[[1935年]](昭和10年)頃、後の妻となる宮田一枝と出会い同棲生活を始める。同時期、作家活動を開始。当初は[[劇作家]]志望で『嶽水会雑誌』に[[戯曲]]「饒舌」を発表したりしたが、[[スタンダール]]に影響を受けて小説家へ志向を転換。[[青山光二]]らと共に同人誌『海風』を創刊、[[1938年]](昭和13年)には処女作「雨」を発表して[[武田麟太郎]]の注目を受ける。


[[1939年]](昭和14年)3月に帰阪。長姉・タツの嫁ぎ先である竹中国治郎のもとへ寄寓する(ちなみにこの夫婦は、三高時代の学費を全額負担するなど、学生時代の作之助に対し惜しみない援助を行っていた)。7月15日、[[阿倍野]]の[[料亭]]「ちとせ」で宮田一枝と挙式し、[[南河内郡]][[野田村 (大阪府南河内郡)|野田村]](現・[[堺市]]東区)へ移る。尚、この時期、作之助は[[日本織物新聞社]]や[[産業経済新聞社|日本工業新聞社(現・産業経済新聞社)]]への勤務を経験している。



一方で作家活動も続け、1939年9月には『海風』6号に「俗臭」を発表。この作品は、義兄竹中国治郎の長兄・吉川重太郎の生涯に題を得たものだが、これが翌年、[[室生犀星]]の推薦で[[芥川龍之介賞]]候補作となって注目を集める。更に7月に発表した「[[夫婦善哉 (小説)|夫婦善哉]]」(小説)が[[改造社]]の第一回文芸推薦作品となり、これを機に本格的な作家生活に入る。

一方で作家活動も続け、1939年9月には『海風』6号に「俗臭」を発表。この作品は、義兄竹中国治郎の長兄・吉川重太郎の生涯に題を得たものだが、これが翌年、[[室生犀星]]の推薦で[[芥川龍之介賞]]候補作となって注目を集める。更に7月に発表した「[[夫婦善哉 (小説)|夫婦善哉]]」(小説)が[[改造社]]の第一回文芸推薦作品となり、これを機に本格的な作家生活に入る。

54行目: 52行目:

尚、「俗臭」の冒頭に登場する児子勘吉は、義兄・竹中国治郎(およびその兄・吉川重太郎)の父で、湯浅の網元である吉川房六と言われている。

尚、「俗臭」の冒頭に登場する児子勘吉は、義兄・竹中国治郎(およびその兄・吉川重太郎)の父で、湯浅の網元である吉川房六と言われている。



戦時中には長編小説青春の逆説が[[発禁]]処分を受けたりしたが、当時の世俗を活写した短編「世相」を発表するなど、太宰治、坂口安吾、石川淳らと共に[[新戯作派]]([[無頼派]])として活躍し、「オダサク」の愛称で親しまれた。

1941年8月には内閣[[情報局]]により風俗壊乱の恐れのある小説の一つとして『青春の逆説が[[発禁]]処分(当時は発禁対象小説の題名は秘匿されていた)を受けたが<ref>著名作家の作品など大量に発禁『東京日日新聞』(昭和16年8月28日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p555-p551 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>、当時の世俗を活写した短編「世相」を発表するなど、太宰治、坂口安吾、石川淳らと共に[[新戯作派]]([[無頼派]])として活躍し、「オダサク」の愛称で親しまれた。



[[File:Oda Sakunosuke at Lupin, the bar in Ginza, Tokyo - 1946.png|thumb|200px|織田作之助 (酒場「ルパン」で。1946年〈昭和21年〉)・[[林忠彦]]撮影]]

1943年頃に作品映画化を通じて映画監督・[[川島雄三]]と親交を深め、川島と共に日本軽佻派を結成した。


[[1944]]19[[86]][[]][[]]31<ref name="odasaku1"> 100 [[NHK]][[2013]][[824]][http://www.nhk.or.jp/osaka/voice/pr/0824.html]</ref>2[[]]

[[1944]]19[[86]][[]][[]]31<ref name="odasaku1"> 100 [[NHK]][[2013]][[824]][http://www.nhk.or.jp/osaka/voice/pr/0824.html]</ref>2[[]]


63行目: 63行目:


その後、大阪にて再び通夜が行われ、1月23日には楞厳寺(大阪市天王寺区)で葬儀が営まれた。葬儀委員長は作家・[[藤沢桓夫]]、喪主は義兄・竹中国治郎が務めた。墓所は楞厳寺の境内にあり、墓碑の背面には藤沢と[[吉村正一郎 (仏文学者)|吉村正一郎]]の手で、作之助の生涯が記されている。

その後、大阪にて再び通夜が行われ、1月23日には楞厳寺(大阪市天王寺区)で葬儀が営まれた。葬儀委員長は作家・[[藤沢桓夫]]、喪主は義兄・竹中国治郎が務めた。墓所は楞厳寺の境内にあり、墓碑の背面には藤沢と[[吉村正一郎 (仏文学者)|吉村正一郎]]の手で、作之助の生涯が記されている。


===没後===

[[愛妻家]]であり、最初の妻・一枝の死後、最期まで一枝の[[写真]]と遺髪を肌身離さず持ち歩いていた。一緒に持ち歩いていた[[ライター]]や[[注射器]](結核治療用の[[抗生物質]]を打つため。ただこの注射器を使って[[メタンフェタミン|ヒロポン]]を打っていたとも言われている)と共に、[[日本近代文学館]]〈[[東京都]][[目黒区]]〉に保管された<ref name="odasaku1"/>。[[坂口安吾]]の「反スタイルの記」では、ヒロポンを常用していた様子が描写されている<ref name="坂口">{{Cite web|和書|author=坂口安吾 |url=https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42921_23109.html |title=反スタイルの記 |publisher=青空文庫 |accessdate=2019-04-26}}</ref>。またこの文章は作之助が死去した年に執筆されており、結核による[[喀血]]も同様に描写されている<ref name="坂口" />。


1983年から[[大阪文学振興会]]により、作之助の名前を冠した[[織田作之助賞]]が主催されている。


没後60年目にあたる[[2007年]]に、「夫婦善哉」に[[別府温泉]]を舞台とした続編が存在していたことが判明。



[[2008年]](平成20年)1月に「[[六白金星]]」と同じ題の未発表原稿が36枚発見された。原稿は戦中の[[1940年]](昭和15年)の「文芸」9月号に掲載される予定だったもので1946年(昭和21年)に発表された「六白金星」のあとがきに「同じやうな材料を、私は昭和15年に書いたが、当時発表を許されなかった」と記されていたことから、これがその『同じやうな材料』にあたるものではないかと考えられ[[検閲]]により発表できなかったのではと考えられている。未掲載原稿は400字詰め原稿用紙で書かれており未完。ストーリーはほぼ同じだが、細部の文章が大きく異なる。

[[2008年]](平成20年)1月に「[[六白金星]]」と同じ題の未発表原稿が36枚発見された。原稿は戦中の[[1940年]](昭和15年)の「文芸」9月号に掲載される予定だったもので1946年(昭和21年)に発表された「六白金星」のあとがきに「同じやうな材料を、私は昭和15年に書いたが、当時発表を許されなかった」と記されていたことから、これがその『同じやうな材料』にあたるものではないかと考えられ[[検閲]]により発表できなかったのではと考えられている。未掲載原稿は400字詰め原稿用紙で書かれており未完。ストーリーはほぼ同じだが、細部の文章が大きく異なる。


<ref>[[稲垣眞美]]「解説 大阪・流転・愛執」、[[矢島道弘]]編「年譜」(『世相・競馬』 講談社)</ref>

<ref>「年譜」(『織田作之助 ちくま日本文学035』 筑摩書房)</ref>



===エピソード===

===エピソード===

*作之助は前述の通り仕出屋の出身だが、当時、路地裏=[[長屋]]の仕出屋の息子が[[第三高等学校 (旧制)|三高]]に入学を果たすということは極めて稀な話だった。母校・東平野第一小学校から「(三高の)入学式の日に児童総出で見送る」という申し出があったという逸話もある(作之助は同小学校の卒業生では初めての三高生に当たる)。

*作之助は前述の通り仕出屋の出身だが、当時、路地裏=[[長屋]]の仕出屋の息子が[[第三高等学校 (旧制)|三高]]に入学を果たすということは極めて稀な話だった。母校・東平野第一小学校から「(三高の)入学式の日に児童総出で見送る」という申し出があったという逸話もある(作之助は同小学校の卒業生では初めての三高生に当たる)。

*大阪・[[難波]]の洋食店『自由軒』の「元祖・混ぜ[[カレー]]」(名物カレー)を好物としていたらしく、『夫婦善哉』にもそのカレーを記すほか、難波の自由軒本店には「トラは死んで皮をのこす/織田作死んで[[カレーライス]]をのこす」と書かれた額縁入りの作之助の写真が、今でも大切に飾られている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jiyuken.co.jp/history/oda.html |title=自由軒と織田作之助 |website=自由軒オフィシャルサイト |publisher=株式会社 自由軒 |accessdate=2019-04-26}}</ref>。

*映画監督・[[川島雄三]]とは生前親交があり、川島と共に日本軽佻派を結成したこともある。後に川島は、作之助の作品を数本映画化している。

*大阪・[[難波]]の洋食店『自由軒』の「元祖・混ぜ[[カレー]]」(名物カレー)を好物としていたらしく、『夫婦善哉』にもそのカレーを記すほか、難波の自由軒本店には「トラは死んで皮をのこす/織田作死んで[[カレーライス]]をのこす」と書かれた額縁入りの作之助の写真が、今でも大切に飾られている<ref>{{Cite web |url=http://www.jiyuken.co.jp/history/oda.html |title=自由軒と織田作之助 |website=自由軒オフィシャルサイト |publisher=株式会社 自由軒 |accessdate=2019-04-26}}</ref>。

*現在、[[大阪文学振興会]]により、作之助の名前を冠した[[織田作之助賞]]が主催されている。

*代表作「夫婦善哉」に[[別府温泉]]を舞台とした続編が存在していたことが、奇しくも没後60年目にあたる[[2007年]]に判明。

*[[家紋]]は[[織田信長]]と同じ「[[木瓜紋|織田木瓜]]」である。

*[[家紋]]は[[織田信長]]と同じ「[[木瓜紋|織田木瓜]]」である。

*俳優の[[月形龍之介]]と指した将棋(1946年7月26日、京都・鴨涯荘、立会人:山中和正五段<当時>)の模様が、[[大阪日日新聞]]に連載された(同年7月31日〜8月10日)。結果は89手で先手・織田作之助の勝利。

*[[愛妻家]]であり、最初の妻・一枝の死後、最期まで一枝の[[写真]]と遺髪を肌身離さず持ち歩いていた。現在は、一緒に持ち歩いていた[[ライター]]や[[注射器]](結核治療用の[[抗生物質]]を打つため。ただこの注射器を使って[[メタンフェタミン|ヒロポン]]を打っていたとも言われている)と共に、[[日本近代文学館]]〈[[東京都]][[目黒区]]〉に保管されている<ref name="odasaku1"/>。

*ヒロポンを常用していた様子が、[[坂口安吾]]の「反スタイルの記」に描写されている<ref name="坂口">{{Cite web |author=坂口安吾 |url=https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42921_23109.html |title=反スタイルの記 |publisher=青空文庫 |accessdate=2019-04-26}}</ref>。またこの文章は作之助が死去した年に執筆されており、結核によるかっ血も同様に描写されている<ref name="坂口" />。



==作風==

==作風==

81行目: 87行目:


==作品==

==作品==

===小説===

===単行本===

*『夫婦善哉』[[創元社]] 1940年(短編集)

*『二十歳』萬里閣 1941年(書下し長編)

*『青春の逆説』萬里閣 1941年(『二十歳』の続編)

*『合駒富士』実業日報社 1942年(『夕刊大阪新聞』1940年10月-1941年1月、野田丈六名義)、改題『江戸の花笠』[[桃源社]] 1950年

*『五代友厚』日進社 1942年(『日本織物新聞』1942年1-2月)

*『西鶴新論』修文館 1942年(書下し)

*『月照』全国書房 1942年(書下し長編)

*『漂流』輝文館 1942年(短編集)

*『素顔』撰書堂 1943年(短編集)

*『わが町』錦城出版社 1943年

*『大阪の顔』明光堂書店 1943年

*『大阪の指導者』錦城出版社 1943年

*『清楚』輝文館 1943年

*『異教』萬里閣 1943年

*『猿飛佐助』三島書房 1946年(「火遁の巻」-『[[新潮]]』1945年2月、「水遁の巻」-『[[新文学]]』1945年3月)

*『人情噺』ぐらすぷ・らいぶらり 1946年

*『素顔』瑶林社 1946年(短編集)

*『文楽の人』白鴎社 1946年

*『六白金星』三島書房 1946年(短編集)

*『世相』八雲書店 1946年(短編集)

*『船場の娘』コバルト社 1947年

*『妖婦』風雪社 1947年

*『それでも私は行く』[[大阪新聞社]] 1947年(『[[京都新聞|京都日日新聞]]』1946年4-7月)

*『天衣無縫』新生活社 1947年

*『怖るべき女』[[実業之日本社]] 1947年(『りべらる』1946年10月)

*『夜の構図』萬里閣 1947年(長編時代小説、改題『江戸の花笠』桃源社 1955年)

*『土曜夫人』[[鎌倉文庫]] 1947年(『[[読売新聞]]』1946年8-12月)

*『夜光虫』世界文学社 1947年(『[[大阪日日新聞]]』1946年4-8月)

*『可能性の文学』カホリ書房 1947年(評論集)

*『世間胸算用』現代社 1956年(『西日本』1941年12月-1942年3月、井原西鶴の現代語訳)


===短編小説===

{{Div col|cols=3}}

{{Div col|cols=3}}

*ひとりすまう

*ひとりすまう」1938年

*雨

*」1938年

*俗臭

*俗臭」1939年

*「署長の面会日」1940年

*[[夫婦善哉 (小説)|夫婦善哉]]

*夫婦善哉

*「[[夫婦善哉 (小説)|夫婦善哉]]」1940年

*放浪

*放浪」1940年

*探し人

*探し人」1940年

*面会

*面会

*子守歌

*子守歌」1940年

*「婚期はずれ」1940年

*合駒富士

*「美談」1941年(のち「人情噺」に改題)

*婚期はずれ

*「黒い顔」1941年

*青春の逆説

*「雪の夜」1941年

*人情噺

*「許婚」1941年

*黒い顔

*「写真の人」1941年

*許婚

*「家風」1941年

*写真の人

*「航路」1941年

*雪の夜

*「立志伝」1941年

*家風

*「動物集」1941年

*航路

*「[[秋深き]]」1942年

*立志伝

*「天衣無縫」1942年

*動物集

*「勧善懲悪」1942年8-9月

*世間胸算用

*「素顔」1942年

*[[秋深き]]

*「漂流」

*天衣無縫

*「大人の童話」

*五代友厚

*「バーナー少佐の手記」1942年

*月照

*「船」

*勧善懲悪

*「わが町」1942年([[フィリピン]]に出稼ぎに行った男の物語)

*素顔

*「周囲」1943年

*漂流

*「事始め」1943年

*大人の童話

*「婦人」1943年

*バーナー少佐の手記

*「社楽」1943年

*船

*「眼鏡」1943年

*事始め

*「帽子」1943年

*婦人

*「聴雨」1943年

*周囲

*「勝負師」1943年

*わが町{{efn2|[[フィリピン]]に出稼ぎに行った男の物語で、1956年に[[川島雄三]]監督で映画化。}}

*「道」1943年

*社楽

*「大阪の指導者」

*眼鏡

*「清楚」

*帽子

*「異郷」

*聴雨

*「武家義理物語」1943年([[井原西鶴]]の現代語訳)

*勝負師

*「十八歳の花嫁」1943年

*道

*「姉妹」1943年

*大阪の指導者

*「木の都」1944年

*清楚

*「白鷺部隊」1944年

*異郷

*「蛍」1944年

*武家義理物語

*「電報」1944年

*姉妹

*「高野線」1944年

*木の都

*「ニコ狆先生」1945年

*蛍

*「十五夜物語」1945年

*電報

*「道なき道」1945年

*高野線

*「髪」1945年

*ニコ狆先生

*「見世物」1945年

*猿飛佐助

*「表彰」1945年

*道なき道

*「奇妙な手記 1946年

*十五夜物語

*「船場の娘」1946年

*髪

*予言者

*予言者」1946年

*「六白金星」1946年

*見世物

*「訪問客」1946年

*表彰

*「注射」1946年

*奇妙な手記

*「昨日・今日・明日」1946年

*船場の娘

*「アド・バルーン」1946年

*訪問客

*「蚊帳」1946年

*注射

*「世相」1946年

*昨日・今日・明日

*「競馬」1946年

*アド・バルーン

*「神経 1946年

*私設渉外局

*「女の橋」1946年

*神経

*「夫婦善哉後日 1946年

*世相

*「私設渉外局」1946年

*女の橋

*「鬼」1946年

*競馬

*「夜の構図 1946年

*夫婦善哉後日

*「雨の都」1946年(中断)

*それでも私は行く

*「四月馬鹿」1946年

*鬼

*「実感」1946年

*四月馬鹿

*「郷愁」1946年

*夜の構図

*「大阪の女」1946年

*雨の都

*「文楽の人」

*実感

*「湯の町」1946年

*郷愁

*「二十番館の女」1946年

*文楽の人

*「薬局」1946年

*湯の町

*「冴子の外泊」1946年

*二十番館の女

*「好奇心」1946年

*薬局

*「中毒」1946年

*土曜夫人

*「死神 1946年

*冴子の外泊

*「影絵」

*好奇心

*「妖姫伝」1947年

*中毒

*「妖婦」1947年([[阿部定事件]]を元にした作品)

*怖るべき女

*「饗宴」1949年

*死神

*大阪

*「妻名」

*「星の劇場」

*夜光虫

*「報酬」

*影絵

*「民主主義」

*妖姫伝

*「ヒント」

*妖婦{{efn2|[[阿部定事件]]を元に、[[阿部定]]を主人公にした作品。}}

*「経験派」

*六白金星

*「旅への誘い」

*饗宴

*「蛇仲間」1990年(1943年執筆と見られる)

*蚊帳

*「続夫婦善哉」(2007年に原稿発見)

*妻の名

*星の劇場

*報酬

*民主主義

*ヒント

*経験派

*旅への誘い

*十八歳の花嫁

{{Div col end}}

{{Div col end}}


===評論===

*可能性の文学

*大阪論



===戯曲===

===戯曲===

*落ちる

*落ちる」1933年

*饒舌

*饒舌」1934年

*朝

*」1935年

*モダンランプ

*モダンランプ」1935年

*私設人事相談所

*私設人事相談所」1941年

*「初姿」

*夜光虫

*初姿



===評論===

==作品集(近年刊)==

*「純粋戯曲論」1933年

*『六白金星・可能性の文学 他十一篇』 [[岩波文庫]]、2009年

*「可能性の文学」1946年

*『夫婦善哉 正続 他十二篇』 岩波文庫、2013年

*「文学的饒舌」1947年

*『わが町・青春の逆説』 岩波文庫、2013年

*「大阪論」


==作品集==

*『織田作之助選集(全5巻)』[[中央公論社]] 1947-48年

*『織田作之助名作(全15巻)』現代社 1956-57年(14巻は未刊中絶)

*『定本織田作之助全集(全8巻)』[[講談社]] 1970年

*『織田作之助作品集(全3巻)』[[沖積社]] 1999-2000年

*『六白金星・可能性の文学 他十一篇』[[岩波文庫]]、2009年

*『夫婦善哉 正続 他十二篇』岩波文庫、2013年

*『わが町・青春の逆説』岩波文庫、2013年

*『聴雨・蛍 織田作之助短篇集』 大川渉編、[[ちくま文庫]]、2000年、全11篇

*『聴雨・蛍 織田作之助短篇集』 大川渉編、[[ちくま文庫]]、2000年、全11篇

*『織田作之助 [[ちくま日本文学]] 035』 ちくま文庫、2009年

*『織田作之助 [[ちくま日本文学]] 035』 ちくま文庫、2009年

223行目: 259行目:

*『怖るべき女 織田作之助女性小説セレクション』尾崎名津子編、春陽堂書店、2019年

*『怖るべき女 織田作之助女性小説セレクション』尾崎名津子編、春陽堂書店、2019年

*『「可能性の文学」への道 織田作之助評論選』斎藤理生編、本の泉社、2020年

*『「可能性の文学」への道 織田作之助評論選』斎藤理生編、本の泉社、2020年


==映画化作品==

*『還って来た男』[[松竹]]、1944年、[[川島雄三]]監督、織田作之助脚色、[[佐野周二]]、[[田中絹代]](原作「四つの都」)

*『土曜夫人』[[大映]]東京、1948年、[[田中重雄]]監督、[[水戸光子]]、[[江川宇禮雄]]

*『[[夫婦善哉 (映画)|夫婦善哉]]』[[東宝]]、1955年、[[豊田四郎]]監督、[[森繁久彌]]、[[淡島千景]]

*『わが町』[[日活]]、1956年、川島雄三監督

*『[[螢火 (映画)|螢火]]』松竹、1958年、[[五所平之助]]監督、淡島千景、[[伴淳三郎]] (原作「蛍」)

*『秋深き』ビターズ・エンド、2008年、[[池田敏春]]監督、[[八嶋智人]]、[[佐藤江梨子]](原作「秋深き」「競馬」)



== 関連文献 ==

== 関連文献 ==

252行目: 296行目:


== 関連項目 ==

== 関連項目 ==

*[[日本における検閲]]

*[[辻久子]]

*[[辻久子]]



268行目: 311行目:

{{DEFAULTSORT:おた さくのすけ}}

{{DEFAULTSORT:おた さくのすけ}}

[[Category:織田作之助|*]]

[[Category:織田作之助|*]]

[[Category:日本の小説家]]

[[Category:20世紀日本の小説家]]

[[Category:大阪市出身の人物]]

[[Category:大阪市出身の人物]]

[[Category:旧制第三高等学校出身の人物]]

[[Category:大阪府立高津高等学校出身の人物]]

[[Category:産経新聞社の人物]]

[[Category:産経新聞社の人物]]

[[Category:結核で死亡した日本の人物]]

[[Category:結核で死亡した日本の人物]]


2023年11月30日 (木) 20:49時点における最新版

織田 作之助
(おだ さくのすけ)
誕生 1913年10月26日
日本の旗 日本大阪府大阪市南区
(現・天王寺区
死没 (1947-01-10) 1947年1月10日(33歳没)
日本の旗 日本東京都芝区田村町(現・港区西新橋
墓地 楞厳寺(大阪市)
職業 小説家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 第三高等学校中退
活動期間 1935年 - 1947年
ジャンル 小説
文学活動 無頼派新戯作派
代表作夫婦善哉』(1940年)
『青春の逆説』(1941年)
『天衣無縫』(1942年)
『世相』(1946年)
『土曜夫人』(1946年)
『可能性の文学』(1947年、評論)
デビュー作 『雨』(1938年)
ウィキポータル 文学
テンプレートを表示
織田作之助の像(大阪市、生國魂神社

  191321026 - 194722110

[]

[]


1913241(=)1926

191719209192619311932稿1933193419351936退

1938

[]


1939143715

1939967



19418[1]
 (1946︿21)

1943 1944198631[2]2

194319461947

19462112退11033131946830128

123

[]


使︿[2][3][3]

1983

602007

2008201稿36稿194015919462115稿400稿

[4] [5]

[]


=

[6]



194672673181089

[]



[]

[]


 1940

 1941

 1941

 1942194010-19411 1950

 194219421-2

西 1942

 1942

 1942

 1943

 1943

 1943

 1943

 1943

 1943

 1946-19452-19453

 1946

 1946

 1946

 1946

 1946

 1947

 1947

 194719464-7

 1947

 1947194610

 1947 1955

 194719468-12

 194719464-8

 1947

 1956西194112-19423西

[]

  • 「ひとりすまう」1938年
  • 「雨」1938年
  • 「俗臭」1939年
  • 「署長の面会日」1940年
  • 夫婦善哉」1940年
  • 「放浪」1940年
  • 「探し人」1940年
  • 「面会」
  • 「子守歌」1940年
  • 「婚期はずれ」1940年
  • 「美談」1941年(のち「人情噺」に改題)
  • 「黒い顔」1941年
  • 「雪の夜」1941年
  • 「許婚」1941年
  • 「写真の人」1941年
  • 「家風」1941年
  • 「航路」1941年
  • 「立志伝」1941年
  • 「動物集」1941年
  • 秋深き」1942年
  • 「天衣無縫」1942年
  • 「勧善懲悪」1942年8-9月
  • 「素顔」1942年
  • 「漂流」
  • 「大人の童話」
  • 「バーナー少佐の手記」1942年
  • 「船」
  • 「わが町」1942年(フィリピンに出稼ぎに行った男の物語)
  • 「周囲」1943年
  • 「事始め」1943年
  • 「婦人」1943年
  • 「社楽」1943年
  • 「眼鏡」1943年
  • 「帽子」1943年
  • 「聴雨」1943年
  • 「勝負師」1943年
  • 「道」1943年
  • 「大阪の指導者」
  • 「清楚」
  • 「異郷」
  • 「武家義理物語」1943年(井原西鶴の現代語訳)
  • 「十八歳の花嫁」1943年
  • 「姉妹」1943年
  • 「木の都」1944年
  • 「白鷺部隊」1944年
  • 「蛍」1944年
  • 「電報」1944年
  • 「高野線」1944年
  • 「ニコ狆先生」1945年
  • 「十五夜物語」1945年
  • 「道なき道」1945年
  • 「髪」1945年
  • 「見世物」1945年
  • 「表彰」1945年
  • 「奇妙な手記 1946年
  • 「船場の娘」1946年
  • 「予言者」1946年
  • 「六白金星」1946年
  • 「訪問客」1946年
  • 「注射」1946年
  • 「昨日・今日・明日」1946年
  • 「アド・バルーン」1946年
  • 「蚊帳」1946年
  • 「世相」1946年
  • 「競馬」1946年
  • 「神経 1946年
  • 「女の橋」1946年
  • 「夫婦善哉後日 1946年
  • 「私設渉外局」1946年
  • 「鬼」1946年
  • 「夜の構図 1946年
  • 「雨の都」1946年(中断)
  • 「四月馬鹿」1946年
  • 「実感」1946年
  • 「郷愁」1946年
  • 「大阪の女」1946年
  • 「文楽の人」
  • 「湯の町」1946年
  • 「二十番館の女」1946年
  • 「薬局」1946年
  • 「冴子の外泊」1946年
  • 「好奇心」1946年
  • 「中毒」1946年
  • 「死神 1946年
  • 「影絵」
  • 「妖姫伝」1947年
  • 「妖婦」1947年(阿部定事件を元にした作品)
  • 「饗宴」1949年
  • 「妻の名」
  • 「星の劇場」
  • 「報酬」
  • 「民主主義」
  • 「ヒント」
  • 「経験派」
  • 「旅への誘い」
  • 「蛇仲間」1990年(1943年執筆と見られる)
  • 「続夫婦善哉」(2007年に原稿発見)

戯曲[編集]

  • 「落ちる」1933年
  • 「饒舌」1934年
  • 「朝」1935年
  • 「モダンランプ」1935年
  • 「私設人事相談所」1941年
  • 「初姿」

評論[編集]

  • 「純粋戯曲論」1933年
  • 「可能性の文学」1946年
  • 「文学的饒舌」1947年
  • 「大阪論」

作品集[編集]

  • 『織田作之助選集(全5巻)』中央公論社 1947-48年
  • 『織田作之助名作(全15巻)』現代社 1956-57年(14巻は未刊中絶)
  • 『定本織田作之助全集(全8巻)』講談社 1970年
  • 『織田作之助作品集(全3巻)』沖積社 1999-2000年
  • 『六白金星・可能性の文学 他十一篇』岩波文庫、2009年
  • 『夫婦善哉 正続 他十二篇』岩波文庫、2013年
  • 『わが町・青春の逆説』岩波文庫、2013年
  • 『聴雨・蛍 織田作之助短篇集』 大川渉編、ちくま文庫、2000年、全11篇
  • 『織田作之助 ちくま日本文学 035』 ちくま文庫、2009年
  • 『青春の逆説』 角川文庫、2008年
  • 『天衣無縫』 角川文庫、2016年
  • 夫婦善哉講談社文芸文庫、1999年、可能性の文学ほか5篇
  • 『世相・競馬』 講談社文芸文庫、2004年、全9篇
  • 『青春の賭け 小説織田作之助』 講談社文芸文庫、2010年
  • 『夫婦善哉』 新潮文庫、改版1989年、2013年、木の都ほか全6篇
  • 『夫婦善哉 決定版』 新潮文庫、2016年、全7編
  • 五代友厚』河出文庫、2016年、全2編
  • 『夫婦善哉・怖るべき女』 七北数人編、実業之日本社文庫、2013年
  • 『定本織田作之助全集』全8巻、文泉堂出版、1995年
  • 『織田作之助作品集』全3巻、大谷晃一編、沖積舎、2000年、新版2008年
  • 『夫婦善哉 完全版』 雄松堂書店、2007年 - 近年発見の続篇を収む。
  • 『俗臭 織田作之助[初出]作品集』 悪麗之介編、インパクト出版会、2011年、「わが町」「四つの都」ほか全集未収録作品全6篇
  • 『怖るべき女 織田作之助女性小説セレクション』尾崎名津子編、春陽堂書店、2019年
  • 『「可能性の文学」への道 織田作之助評論選』斎藤理生編、本の泉社、2020年

映画化作品[編集]

関連文献[編集]

織田作之助を演じた俳優[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]



(一)^ 168287 14-16p555-p551   1994

(二)^ ab 100 NHK2013824[1]

(三)^ ab. .  . 2019426

(四)^   

(五)^  035 

(六)^ . .   . 2019426

関連項目[編集]

外部リンク[編集]