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1894年上京し、[[上野]]書籍館([[帝国図書館]]の別称)に通いながら漢学塾の[[二松學舍]](現在の[[二松學舍大学]])で学んだ<ref>{{Citation|和書|author=高戸要|chapter=薄田泣菫と二松學舎|editor=二松學舎百年史編集委員会|title=二松學舎百年史|publisher=二松學舎|year=1977|pages=295-297}}</ref><ref>{{Cite book|和書|title=泣菫小伝七|publisher=薄田泣菫顕彰会|year=2008|month=7|pages=36-37}}</ref>。

[[1894年]]上京し、[[上野]]書籍館([[帝国図書館]]の別称)に通いながら漢学塾の[[二松學舍]](現在の[[二松學舍大学]])で学んだ<ref>{{Citation|和書|author=高戸要|chapter=薄田泣菫と二松學舎|editor=二松學舎百年史編集委員会|title=二松學舎百年史|publisher=二松學舎|year=1977|pages=295-297}}</ref><ref>{{Cite book|和書|title=泣菫小伝七|publisher=薄田泣菫顕彰会|year=2008|month=7|pages=36-37}}</ref>。




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[[1906年]]12月、京都で市川修(通称修子)と結婚、翌年長女が誕生。この結婚をきっかけに詩作が減る。

[[1906年]]12月、京都で市川修(通称修子)と結婚、翌年長女が誕生。この結婚をきっかけに詩作が減る。




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[[1917年]]、[[パーキンソン病]]に罹患。

[[1917年]]、[[パーキンソン病]]に罹患。

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[[1923]][[|]]

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== 逸話 ==

== 逸話 ==

[[File:Keats grave.jpg|thumb|right|土井晩翠が泣菫に贈る菫を摘んだキーツの墓(ローマ)。]]

[[File:Keats grave.jpg|thumb|right|土井晩翠が泣菫に贈る菫を摘んだキーツの墓(ローマ)。]]

*中学校を二年で中退した事については種々の流説があるが、泣菫自身は[[器械体操]]が不得手であったことを理由にしている。学びたいものを選んで学ぶという決意がここに見られる。

*中学校を二年で中退した事については種々の流説があるが、泣菫自身は[[器械体操]]が不得手であったことを理由にしている。学びたいものを選んで学ぶという決意がここに見られる。


*[[|]][[]]姿

*[[]][[|]][[]]姿

*1897年、二十歳になり[[徴兵検査]]のために帰郷したが、肺病と診断され、そのまま故郷で養生する事となった。

*1897年、二十歳になり[[徴兵検査]]のために帰郷したが、肺病と診断され、そのまま故郷で養生する事となった。


*稿稿稿[[]]

*稿稿稿[[]]

*[[与謝野晶子]]は結婚前から泣菫の愛読者であり、「私は二氏(藤村と泣菫)に負う所が多いのである」と後に述懐しているように、泣菫の詩から大きな影響を受けた。[[山川登美子]]らとの共著歌集『[[恋衣]]』は「詩人薄田泣菫の君に捧げまつる」となっている。

*[[与謝野晶子]]は結婚前から泣菫の愛読者であり、「私は二氏(藤村と泣菫)に負う所が多いのである」と後に述懐しているように、泣菫の詩から大きな影響を受けた。[[山川登美子]]らとの共著歌集『[[恋衣]]』は「詩人薄田泣菫の君に捧げまつる」となっている。

*晶子は泣菫の妹の短歌にも啓発されたと述べているが、実は妹ではなく泣菫の実家の隣に住む教え子で、四歳年下の三宅薫であった。泣菫はこの娘に恋心を抱いていたようだが、「おとどひ」(きょうだいの意)と題する自作の詩集を贈るなど、表向きはあくまで兄妹として接し、世間にも妹として紹介していた。しかし[[1900年]]、薫が意に染まぬ不幸な結婚をしたことで泣菫は悲嘆に暮れ、第一詩集で名声を得ていたにもわらず家に閉じこもってしまう。その頃発表された詩『巌頭沈吟』は痛切な失恋の詩で、前書きに「相慕ひける男女ありけり」とあるように、他人事であるように装っている。

*晶子は泣菫の妹の短歌にも啓発されたと述べているが、実は妹ではなく泣菫の実家の隣に住む教え子で、四歳年下の三宅薫であった。泣菫はこの娘に恋心を抱いていたようだが、「おとどひ」(きょうだいの意)と題する自作の詩集を贈るなど、表向きはあくまで兄妹として接し、世間にも妹として紹介していた。しかし[[1900年]]、薫が意に染まぬ不幸な結婚をしたことで泣菫は悲嘆に暮れ、第一詩集で名声を得ていたにもかかわらず家に閉じこもってしまう。その頃発表された詩『巌頭沈吟』は痛切な失恋の詩で、前書きに「相慕ひける男女ありけり」とあるように、他人事であるように装っている。

*[[1903年]]ヨーロッパ留学中の土井晩翠手紙が[[ローマ]]から届いた。キーツと[[パーシー・ビッシュ・シェリー|シェリー]]の墓所([[:it:Cimetière anglais de Rome|Cimetière anglais de Rome]])を訪れた事を知らせる手紙で、中にはローマの[[絵葉書]]二枚と[[スミレ|菫(すみれ)]]の押し花が同封されていた。菫はキーツの墓の傍で摘み取ったものであると書き記されていた。晩翠は既に高名な詩人であり、泣菫は「私がこの詩人を好いていた事を思い出されて、遥か[[イタリア]]の地から寄越された友誼をしみじみ嬉しく思った」と当時の感慨を述べている。[[オスカー・ワイルド]]の詩『キーツの墓(''The Grave of Keats'')』には「露に濡れてすすり'''泣'''く優しの'''菫'''が…(''But gentle violets weepingwith the dew'')」という一節があり、泣菫の雅号はそこから得たものと推測される。なお、この押し花と手紙は現在も大切に保管されている<ref>黒田えみ『薄田泣菫の世界』p19~p55</ref>。

*[[1903年]]ヨーロッパ留学中の[[土井晩翠]]より手紙が[[ローマ]]から届いた。キーツと[[パーシー・ビッシュ・シェリー|シェリー]]の墓所([[:it:Cimetière anglais de Rome|Cimetière anglais de Rome]])を訪れた事を知らせる手紙で、中にはローマの[[絵葉書]]二枚と[[スミレ|菫(すみれ)]]の押し花が同封されていた。菫はキーツの墓の傍で摘み取ったものであると書き記されていた。晩翠は既に高名な詩人であり、泣菫は「私がこの詩人を好いていた事を思い出されて、遥か[[イタリア]]の地から寄越された友誼をしみじみ嬉しく思った」と当時の感慨を述べている。[[オスカー・ワイルド]]の詩『キーツの墓(''The Grave of Keats'')』には「露に濡れてすすり'''泣'''く優しの'''菫'''が…(''But gentle violets weepingwith the dew'')」という一節があり、泣菫の雅号はそこから得たものと推測される。なお、この押し花と手紙は現在も大切に保管されている<ref>黒田えみ『薄田泣菫の世界』p19~p55</ref>。



== 没後 ==

== 没後 ==


  歿   [[]]<ref>{{Cite book||author=|series=245|title=|publisher=[[ ()|]]|date=2007-02|page=142|isbn=978-4-8212-5245-9}}</ref>

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[[1954]]西稿[[1965]][[]]<ref>{{Cite web|url=https://www.e-tsuyama.com/report/2018/03/post-1534.html|title= |publisher=|accessdate=2019-10-13}}</ref>[[1979]][[ ()|]]<ref>[https://web.archive.org/web/20191013030941/https://www.city.osaka.lg.jp/keizaisenryaku/cmsfiles/contents/0000058/58306/9_.pdf :(9)]</ref>

1954西稿1965[[]]<ref>{{Cite web||url=https://www.e-tsuyama.com/report/2018/03/post-1534.html|title= |publisher=|accessdate=2019-10-13}}</ref>[[1979]][[ ()|]]<ref>[https://web.archive.org/web/20191013030941/https://www.city.osaka.lg.jp/keizaisenryaku/cmsfiles/contents/0000058/58306/9_.pdf :(9)]</ref>



[[1999]][[2003]]7[[]]<ref>p143p147</ref>

199920037[[]]<ref>p143p147</ref>


== 著書 ==

== 著書 ==

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* 太陽は草の香がする(1926年12月、[[アルス (出版社)|アルス]])

* 太陽は草の香がする(1926年12月、[[アルス (出版社)|アルス]])

* 猫の微笑(1927年5月、[[創元社]])

* 猫の微笑(1927年5月、[[創元社]])

* 艸木魚(1929年1月、創元社/1940年、創元選書)

* 艸木魚(1929年1月、創元社/1940年、創元選書)

* 大地讃頌(1929年6月、創元社)

* 大地讃頌(1929年6月、創元社)

* 樹下石上(1931年10月、創元社)

* 樹下石上(1931年10月、創元社)

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* 人と鳥虫(1943年3月、桜井書店)

* 人と鳥虫(1943年3月、桜井書店)

; 全集

; 全集

* 薄田泣菫全集(全8巻、創元社 、1938–39年、復刊1984年)

* 薄田泣菫全集(全8巻<ref>詩集は1・2、他は随筆篇</ref>、創元社、1938–39年、復刊1984年)



=== 没後刊 ===

=== 没後刊 ===

; 選集

*『泣菫随筆』([[冨山房]]百科文庫、[[谷沢永一]]・[[山野博史]]編、1993年)

*『[[蒲原有明]]・薄田泣菫 近代浪漫派文庫15』([[新学社]]、2007年)

*:薄田泣菫詩抄・大国主命と葉巻・森林太郎氏・お姫様の御本復・鵞鳥と鰻・茶話より・艸木虫魚より

; 茶話ほか 随筆

; 茶話ほか 随筆

*『完本 [[茶話]]』(全3巻、[[冨山房]]百科文庫、谷沢永一・[[浦西和彦]]編、1983-84年、解説[[向井敏]])、811篇

*『完本 [[茶話]]』(全3巻、[[冨山房]]百科文庫、[[谷沢永一]]・[[浦西和彦]]編、1983-84年、解説[[向井敏]])、811篇


*1998[[]]1928154

*『泣菫随筆』([[冨山房]]百科文庫、谷沢永一・[[山野博史]]1993年)

*『茶話』(岩波文庫、1998年、解説[[坪内祐三]])、154篇<ref>元版は自選集『茶話抄』(創元社、1928年)</ref>

*『艸木虫魚』(岩波文庫、1998年、解説[[杉本秀太郎]])

*『艸木虫魚』(岩波文庫、1998年、解説[[杉本秀太郎]])

*『独楽園』([[ウェッジ (出版社)|ウェッジ]]文庫、2009年)

*『独楽園』([[ウェッジ (出版社)|ウェッジ文庫]]、2009年、作家論 [[生田春月]]・解説[[高遠弘美]]

; 選集(近年刊)

*『[[明治文学全集]]58 土井晩翠・薄田泣菫・蒲原有明集』([[筑摩書房]]、1967年、オンデマンド版2013年)

::暮笛集(抄)・ゆく春(抄)・二十五絃・白羊宮・詩集の後に

*『[[蒲原有明]]・薄田泣菫 近代浪漫派文庫15』([[新学社]]、2007年)

::薄田泣菫詩抄・大国主命と葉巻・森林太郎氏・お姫様の御本復・鵞鳥と鰻・茶話より・艸木虫魚より



== 脚注 ==

== 脚注 ==

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== 関連項目 ==

== 関連項目 ==

* [[二松學舍大学の人物一覧]]

* [[二松學舍大学の人物一覧]]

* [[陽は舞いおどる甲子園]] - [[選抜高等学校野球大会]]第2代大会歌。薄田が作詞し第11回大会(1934年)から第64回大会(1992年)までの長きに渡り使われた。



== 外部リンク ==

== 外部リンク ==

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* [https://www.kurashiki-tabi.jp/see/7008/ 薄田泣菫生家 倉敷観光WEB]

* [https://www.kurashiki-tabi.jp/see/7008/ 薄田泣菫生家 倉敷観光WEB]

*[https://web.archive.org/web/20191014143959/https://asahikou.com/Dataroom/Person/susukida/susukida.html 先輩たちの足跡を訪ねて 薄田泣菫(岡山朝日高校同窓会)]

*[https://web.archive.org/web/20191014143959/https://asahikou.com/Dataroom/Person/susukida/susukida.html 先輩たちの足跡を訪ねて 薄田泣菫(岡山朝日高校同窓会)]

* [https://web.archive.org/web/20160421033242/http://www.libnet.pref.okayama.jp/mmhp/kyodo/person/susukidakyukin/kyukin_short.htm 薄田泣菫(おかやま人物往来)] - [[岡山県立図書館]]

* [https://digioka.libnet.pref.okayama.jp/mmhp/kyodo/person/susukidakyukin/kyukin_short.htm 薄田泣菫(おかやま人物往来)] - [[岡山県立図書館]]



{{Normdaten}}

{{Normdaten}}


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  187710519 - 194520109


薄田 泣菫
誕生 薄田 淳介
1877年5月19日
岡山県浅口郡大江連島村
死没 (1945-10-09) 1945年10月9日(68歳没)
日本の旗 日本 岡山県
職業 詩人随筆家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
教育 岡山県尋常中学校中退
代表作 『暮笛集』(1899年)
『二十五絃』(1905年)
白羊宮』(1906年)
茶話』(1915-30年)
艸木虫魚』(1929年)
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生涯[編集]


1877513退[1]

1894[2][3]

1897稿

190612

1915西

1917

1919西

1923

1945104109尿68[4]

[]


退

姿

1897

稿稿稿



1900

1903Cimetière anglais de RomeThe Grave of KeatsBut gentle violets weepingwith the dew[5]

[]


  歿   [6]

1954西稿1965[7]1979[8]

199920037[9]

著書[編集]

詩集
  • 暮笛集(1899年11月、金尾文淵堂
  • ゆく春(1901年10月、金尾文淵堂)
  • 二十五絃(1905年5月、春陽堂
  • 白玉姫(1905年6月、金尾文淵堂)
  • 白羊宮(1906年5月、金尾文淵堂)
  • 象牙の塔(1914年8月、春陽堂)
  • 泣菫詩抄(1928年5月、岩波文庫、復刊1983・1999年ほか)
随想
  • 茶話(1916年10月、洛陽堂)、※生前にも度々新版刊
  • 後の茶話(1918年4月、玄文社
  • 新茶話(1919年6月、玄文社)
  • 忘れぬ人々(1924年4月、金尾文淵堂)
  • 太陽は草の香がする(1926年12月、アルス
  • 猫の微笑(1927年5月、創元社
  • 艸木蟲魚(1929年1月、創元社/1940年、創元選書)
  • 大地讃頌(1929年6月、創元社)
  • 樹下石上(1931年10月、創元社)
  • 独楽園(1934年4月、創元社) 
  • 人と鳥虫(1943年3月、桜井書店)
全集
  • 薄田泣菫全集(全8巻[10]、創元社、1938–39年、復刊1984年)

没後刊[編集]

茶話ほか 随筆
選集(近年刊)
暮笛集(抄)・ゆく春(抄)・二十五絃・白羊宮・詩集の後に
薄田泣菫詩抄・大国主命と葉巻・森林太郎氏・お姫様の御本復・鵞鳥と鰻・茶話より・艸木虫魚より

脚注[編集]



(一)^ 2002518 

(二)^  1977295-297 

(三)^ 2008736-37 

(四)^ 2015122 

(五)^ p19p55

(六)^ ︿24520072142ISBN 978-4-8212-5245-9 

(七)^  .  . 20191013

(八)^ :(9)

(九)^ p143p147

(十)^ 12

(11)^ 1928

[]


︿1977 

 1981 

 2007 

調 2019 

 2014-20163

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 - 2111934641992使

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