「讃岐忌部氏」の版間の差分
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== 概要 == |
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手置帆負命は、[[天照大神]]が天の岩屋に隠れてしまわれた時、'''彦狭知命'''︵ひこさしりのみこと︶と共に天御量︵あまつみはかり︶をもって木を伐り、瑞殿︵みずのみあらか︶という御殿を造営した。[[天児屋命]]︵あめのこやねのみこと︶らが祈りを捧げ、[[アメノウズメ|天鈿女命]]︵あめのうずめのみこと︶が舞を奏したところ、[[天照大神]]は岩屋を出て、この瑞殿に入られた。 後年この間に天降りした[[大国主命]]︵おおくにぬしのみこと︶の笠縫として仕えたとされる。
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手置帆負命は、[[天照大神]]が天の岩屋に隠れてしまわれた時、'''[[彦狭知命]]'''︵ひこさしりのみこと︶と共に天御量︵あまつみはかり︶をもって木を伐り、瑞殿︵みずのみあらか︶という御殿を造営した。[[天児屋命]]︵あめのこやねのみこと︶らが祈りを捧げ、[[アメノウズメ|天鈿女命]]︵あめのうずめのみこと︶が舞を奏したところ、[[天照大神]]は岩屋を出て、この瑞殿に入られた。 後年この間に天降りした[[大国主命]]︵おおくにぬしのみこと︶の笠縫として仕えたとされる。
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[[古語拾遺]]︵[[807年]]︶の﹁天中の三神と氏祖系譜﹂条に、[[太玉命]]︵ふとたまのみこと︶が率いた神の1つとして、﹁手置帆負命︵[[讃岐国]]の忌部が祖なり。︶﹂とあり、この﹁手置﹂とは﹁手を置いて物を計量する﹂意味と解釈されている。また、同書﹁造殿祭具の斎部﹂条には、﹁手置帆負命が孫、矛竿を造る。其の裔、今分かれて讃岐国に在り。年毎に調庸の外に、八百竿を貢る。﹂とあり、朝廷に毎年800本もの祭具の矛竿を献上していた。このことから竿調国︵さおのみつぎ︶と呼ばれ、それが﹁さぬき﹂という国名になったという説がある。
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[[古語拾遺]]︵[[807年]]︶の﹁天中の三神と氏祖系譜﹂条に、[[太玉命]]︵ふとたまのみこと︶が率いた神の1つとして、﹁手置帆負命︵[[讃岐国]]の忌部が祖なり。︶﹂とあり、この﹁手置﹂とは﹁手を置いて物を計量する﹂意味と解釈されている。また、同書﹁造殿祭具の斎部﹂条には、﹁手置帆負命が孫、矛竿を造る。其の裔、今分かれて讃岐国に在り。年毎に調庸の外に、八百竿を貢る。﹂とあり、朝廷に毎年800本もの祭具の矛竿を献上していた。このことから竿調国︵さおのみつぎ︶と呼ばれ、それが﹁さぬき﹂という国名になったという説がある。
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讃岐忌部氏は、矛竿の材料である竹を求めて、いまの香川県三豊市豊中町笠田竹田忌部の地に居を構え、そこを拠点として特に[[西讃]]︵せいさん︶地方を開発した。また、善通寺市大麻町の式内社﹁大麻︵おおさ︶神社﹂の社伝には、﹁[[神武天皇]]の時代に、当国忌部と'''阿波忌部'''が協力して麻を植え、[[讃岐平野]]を開いた。﹂という旨の記述が見え、[[大麻山(香川県三豊市)|大麻山]]︵おおさやま︶山麓部から平野部にかけて居住していたことが伺える。この開拓は、西讃より[[東讃]]︵とうさん︶に及んだものといわれている。
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讃岐忌部氏は、矛竿の材料である竹を求めて、いまの香川県三豊市豊中町笠田竹田忌部の地に居を構え、そこを拠点として特に[[西讃]]︵せいさん︶地方を開発した。また、善通寺市大麻町の式内社﹁大麻︵おおさ︶神社﹂の社伝には、﹁[[神武天皇]]の時代に、当国忌部と'''阿波忌部'''が協力して麻を植え、[[讃岐平野]]を開いた。﹂という旨の記述が見え、[[大麻山(香川県三豊市)|大麻山]]︵おおさやま︶山麓部から平野部にかけて居住していたことが伺える。この開拓は、西讃より[[東讃]]︵とうさん︶に及んだものといわれている。
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その他現在、香川県内にみられる神社や地名のうち、三豊市高瀬町の麻部︵あさべ︶神社、観音寺市の粟井︵あわい︶神社などの神社、高瀬町麻︵あさ︶、同町佐文︵さぶみ、麻分の意味︶、同町佐股︵麻またの意味︶ などの地名はその名残である。香川県神社誌︵上巻︶には、﹁東かがわ市引田町の誉田神社は忌部宿禰正國︵いんべのすくねまさくに︶の創始で、正國は旧大内郡の戸主であった。﹂との記録がある。
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その他現在、香川県内にみられる神社や地名のうち、三豊市高瀬町の麻部︵あさべ︶神社、観音寺市の粟井︵あわい︶神社などの神社、高瀬町麻︵あさ︶、同町佐文︵さぶみ、麻分の意味︶、同町佐股︵麻またの意味︶ などの地名はその名残である。香川県神社誌︵上巻︶には、﹁東かがわ市引田町の誉田神社は[[忌部正國|忌部宿禰正國]]︵いんべのすくねまさくに︶の創始で、正國は旧大内郡の戸主であった。﹂との記録がある。
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その後の讃岐忌部氏の足取りは定かではないが、高瀬町誌に「讃岐忌部氏は[[江戸時代]]の中ごろまで豊中町竹田字忌部にいたがその後高瀬町上麻に転住し現在に至る」との記述がある。 |
その後の讃岐忌部氏の足取りは定かではないが、高瀬町誌に「讃岐忌部氏は[[江戸時代]]の中ごろまで豊中町竹田字忌部にいたがその後高瀬町上麻に転住し現在に至る」との記述がある。 |
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また、千葉県南房総市丸山町に莫越山(なこしやま)神社が沓見と宮下にあり、 両社とも祭神は手置帆負命・彦狭知命である。 |
また、千葉県南房総市丸山町に莫越山(なこしやま)神社が沓見と宮下にあり、 両社とも祭神は手置帆負命・彦狭知命である。 |
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沓見「莫越山神社」由緒によると、「神武天皇元年、天富命が忌部の諸氏を率いて東土の開拓に安房の国に来臨し、東方の開拓をなされた時に随神として来られ、工匠の職に奉仕した天小民命(あめのこたみのみこと)・御道命(みじのみこと)が、その祖神である手置帆負命と彦狭知命を当社に祀り、祖先崇敬を示されたことに始まる。手置帆負命・彦狭知命は、天太玉命に従って宮殿家屋機械器具の類をつくりはじめた神で、工匠の祖神であった。」とあって、ここでも両神の一体性を見ることができる。 |
沓見「莫越山神社」由緒によると、「神武天皇元年、天富命が忌部の諸氏を率いて東土の開拓に安房の国に来臨し、東方の開拓をなされた時に随神として来られ、工匠の職に奉仕した[[天小民命]](あめのこたみのみこと)・[[御道命]](みじのみこと)が、その祖神である手置帆負命と彦狭知命を当社に祀り、祖先崇敬を示されたことに始まる。手置帆負命・彦狭知命は、天太玉命に従って宮殿家屋機械器具の類をつくりはじめた神で、工匠の祖神であった。」とあって、ここでも両神の一体性を見ることができる。 |
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== 阿波忌部の讃岐国への入植 == |
== 阿波忌部の讃岐国への入植 == |
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穀︵かぢ︶や麻の栽培など農業にすぐれた、[[天日鷲命]]を祖神とする阿波忌部氏は、吉野川上流域から三好市池田町の猪ノ鼻峠を越えて讃岐平野まで入植した。前述の式内社﹁大麻神社﹂の社伝には、﹁神武天皇の時代、当国の忌部氏、阿波忌部と協力して讃岐を開拓し、此の地に麻を植え、殖産興業の途を開かれ、国利民福の基を進め、その祖神[[天太玉命]]を祀り、大麻天神︵おおあさのあまつかみ︶と奉称し、村の名を大麻と云う。﹂とある。阿波忌部は麻や穀物の普及をしながら、この大麻山を中心とする讃岐平野の他、西讃、仲多度郡まんのう町から琴平町、善通寺市、三豊市高瀬町に至る地域と、観音寺市粟井町を中心とした三豊平野および三豊市財田町、豊中町などの地域に進出していったと考えられている。
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穀︵かぢ︶や麻の栽培など農業にすぐれた、[[天日鷲命]]を祖神とする阿波忌部氏は、吉野川上流域から三好市池田町の猪ノ鼻峠を越えて讃岐平野まで入植した。前述の式内社﹁大麻神社﹂の社伝には、﹁神武天皇の時代、当国の忌部氏、阿波忌部と協力して讃岐を開拓し、此の地に麻を植え、殖産興業の途を開かれ、国利民福の基を進め、その祖神[[天太玉命]]を祀り、大麻天神︵おおあさのあまつかみ︶と奉称し、村の名を大麻と云う。﹂とある。阿波忌部は麻や穀物の普及をしながら、この大麻山を中心とする讃岐平野の他、西讃、仲多度郡まんのう町から琴平町、善通寺市、三豊市高瀬町に至る地域と、観音寺市粟井町を中心とした三豊平野および三豊市財田町、豊中町などの地域に進出していったと考えられている。
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また、18代履中天皇の妃の兄にあたる阿波忌部族の一派であった[[天富命]]︵あめのとみのみこと︶の孫である鷲住王︵わしずみおう︶は、[[阿波国]]の脚咋別︵あしくいわけ︶︵海部郡海陽町宍喰︶の始祖となったのち、善通寺市大麻町付近に出向き、﹁大麻神社﹂を再興した後、[[飯野山]]︵讃岐富士︶の近くに居を構え、讃岐国造になった。飯野山の南山麓には、鷲住王を祭神とする﹁坂本神社﹂が祀られ、その背後には鷲住王が眠る﹁鷲住王塚﹂が残っている。なお、氏子にはその末裔の高木氏がいる。
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また、18代[[履中天皇]]の妃の兄にあたる阿波忌部族の一派であった[[天富命]]︵あめのとみのみこと︶の孫である[[鷲住王]]︵わしずみおう︶は、[[阿波国]]の脚咋別︵あしくいわけ︶︵海部郡海陽町宍喰︶の始祖となったのち、善通寺市大麻町付近に出向き、﹁大麻神社﹂を再興した後、[[飯野山]]︵讃岐富士︶の近くに居を構え、讃岐国造になった。飯野山の南山麓には、鷲住王を祭神とする﹁坂本神社﹂が祀られ、その背後には鷲住王が眠る﹁鷲住王塚﹂が残っている。なお、氏子にはその末裔の高木氏がいる。
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== 香川県内の忌部氏ゆかりの神社 == |
== 香川県内の忌部氏ゆかりの神社 == |
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== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
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* [[斎部広成]]撰、西宮一民校注『[[古語拾遺]]』岩波書店、[[1990年]]([[平成]]2年)[[9月]] |
* [[斎部広成]]撰、[[西宮一民]]校注『[[古語拾遺]]』岩波書店、[[1990年]]([[平成]]2年)[[9月]] |
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* 坂本太郎、家永三郎、井上光貞、大野晋校注『日本書紀 上』岩波書店、[[1967年]]([[昭和]]42年)[[3月]] |
* [[坂本太郎]]、[[家永三郎]]、[[井上光貞]]、[[大野晋]]校注『日本書紀 上』岩波書店、[[1967年]]([[昭和]]42年)[[3月]] |
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* 忌部神社社史編集委員会編『竹田 忌部の里と忌部神社』忌部神社、[[2001年]]([[平成]]13年)[[11月]] |
* 忌部神社社史編集委員会編『竹田 忌部の里と忌部神社』忌部神社、[[2001年]]([[平成]]13年)[[11月]] |
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* 林博章著『日本の建国と阿波忌部』林博章、[[2007年]]([[平成]]19年)[[6月]] |
* [[林博章]]著『日本の建国と阿波忌部』林博章、[[2007年]]([[平成]]19年)[[6月]] |
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* 豊中町誌編纂委員会編『豊中町誌』豊中町、[[1979年]]([[昭和]]54年)[[1月]] |
* 豊中町誌編纂委員会編『豊中町誌』豊中町、[[1979年]]([[昭和]]54年)[[1月]] |
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* 高瀬町編『高瀬町誌』高瀬町、[[1975年]]([[昭和]]50年)[[3月]] |
* 高瀬町編『高瀬町誌』高瀬町、[[1975年]]([[昭和]]50年)[[3月]] |
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* 大西季男、猪木原敏秋共編『高瀬町麻の昔話と伝説』高瀬町公民館麻分館、[[1985年]]([[昭和]]60年)[[8月]] |
* [[大西季男]]、[[猪木原敏秋]]共編『高瀬町麻の昔話と伝説』高瀬町公民館麻分館、[[1985年]]([[昭和]]60年)[[8月]] |
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* 栗林三郎編『府中村史』府中村史頒布会、[[1963年]]([[昭和]]38年)[[9月]] |
* [[栗林三郎]]編『府中村史』府中村史頒布会、[[1963年]]([[昭和]]38年)[[9月]] |
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* 「建築工事の祭式」編集委員会編『建築工事の祭式』学芸出版社、[[2001年]]([[平成]]13年)[[12月]] |
* 「建築工事の祭式」編集委員会編『建築工事の祭式』学芸出版社、[[2001年]]([[平成]]13年)[[12月]] |
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* 香川県神職会編『香川県神社誌 上巻・下巻』香川県神職会、[[1938年]]([[昭和]]13年)[[12月]] |
* 香川県神職会編『香川県神社誌 上巻・下巻』香川県神職会、[[1938年]]([[昭和]]13年)[[12月]] |
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* 『日本神名辞典』神社新報社、[[1994年]]([[平成]]6年)[[9月]] |
* 『日本神名辞典』神社新報社、[[1994年]]([[平成]]6年)[[9月]] |
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* 田山泰三著『香川を詠んだ歌人たち』香川明星倶楽部、[[2010年]]([[平成]]22年)[[1月]] |
* [[田山泰三]]著『香川を詠んだ歌人たち』香川明星倶楽部、[[2010年]]([[平成]]22年)[[1月]] |
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* 「讃岐造にまつわる古代の事跡 かぐや姫のまち『広陵町』から」『広報ながお』No.577、[[1998年]]([[平成]]10年)[[9月]] |
* 「讃岐造にまつわる古代の事跡 かぐや姫のまち『広陵町』から」『広報ながお』No.577、[[1998年]]([[平成]]10年)[[9月]] |
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* 「かぐや姫のまち『広陵町』から その2」『広報ながお』No.578、[[1998年]]([[平成]]10年)[[10月]] |
* 「かぐや姫のまち『広陵町』から その2」『広報ながお』No.578、[[1998年]]([[平成]]10年)[[10月]] |
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* 山下充編『長尾町かぐや姫と竹取翁の物語』山下充、[[2000年]]([[平成]]12年)[[10月]] |
* [[山下充]]編『長尾町かぐや姫と竹取翁の物語』山下充、[[2000年]]([[平成]]12年)[[10月]] |
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* 全国神社名鑑刊行会史学センター編『全国神社名鑑 上巻・下巻』全国神社名鑑刊行会史学センター、[[1977年]]([[昭和]]52年)[[7月]] |
* 全国神社名鑑刊行会史学センター編『全国神社名鑑 上巻・下巻』全国神社名鑑刊行会史学センター、[[1977年]]([[昭和]]52年)[[7月]] |
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* 菅田正昭著『古代技芸神の足跡と古社』新人物往来社、[[2006年]]([[平成]]18年)[[10月]] |
* [[菅田正昭]]著『古代技芸神の足跡と古社』新人物往来社、[[2006年]]([[平成]]18年)[[10月]] |
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* 羽床正明「讃岐忌部と佐伯氏」『こと比ら』43、琴平山文化会、[[1988年]]([[昭和]]63年) |
* [[羽床正明]]「讃岐忌部と佐伯氏」『こと比ら』43、琴平山文化会、[[1988年]]([[昭和]]63年) |
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* 香川県の神社と観光地(ゼンブデル)."[http://wanikawa.com/jinnjya/kokubun/19kusuo/19kusuo.html 楠尾神社]".2015年5月20日閲覧。 |
* 香川県の神社と観光地(ゼンブデル)."[http://wanikawa.com/jinnjya/kokubun/19kusuo/19kusuo.html 楠尾神社]".2015年5月20日閲覧。 |
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2016年4月23日 (土) 17:47時点における版
讃岐忌部氏 | |
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本姓 | 忌部(斎部)宿禰 |
家祖 | 手置帆負命 |
種別 | 神別(天神) |
凡例 / Category:日本の氏族 |