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| 車両名 = 阪急1010系・1100系電車 |
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| 画像説明 = 箕面線運用の |
| 画像説明 = 箕面線運用の1010(1981年頃) |
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| 運用者 = [[阪急電鉄]] |
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なお、昇圧工事に際しては1500V専用車として施工されたため、600V区間では走行出来なかった。それゆえ、神戸線の昇圧に先立って改造された車両については改造工事後の試運転を京都線に回送の上で実施し、その後神戸線の昇圧実施まで、正雀車庫や桂車庫に留置された。一方、神戸線昇圧後に改造された車両については、宝塚線所属車についても、改造工事後は神戸線に転属し、昇圧即応車である3000系などが入れ替わりに宝塚線に転出した。その結果、一時的に全車両が神戸線に所属していたことがある。
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なお、昇圧工事に際しては1500V専用車として施工されたため、600V区間では走行出来なかった。それゆえ、神戸線の昇圧に先立って改造された車両については改造工事後の試運転を京都線に回送の上で実施し、その後神戸線の昇圧実施まで、正雀車庫や桂車庫に留置された。一方、神戸線昇圧後に改造された車両については、宝塚線所属車についても、改造工事後は神戸線に転属し、昇圧即応車である3000系などが入れ替わりに宝塚線に転出した。その結果、一時的に全車両が神戸線に所属していたことがある。
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1971年には3扉化・[[付随車]]化した[[阪急1000形電車_(初代)|1000形]]を初期に製造された4両(1010-1011と1012-1013)の間に2両ずつ組み込み、2M2Tの4連2本(1010-1000-1001-1011と1012-1003-1002-1013)を組成している。 |
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=== 車体改装 === |
=== 車体改装 === |
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=== 冷房化改造 === |
=== 冷房化改造 === |
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[[ファイル:Hankyu1029.JPG|thumb|冷房改造車 1029]] |
[[ファイル:Hankyu1029.JPG|thumb|冷房改造車 1029]] |
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[[1976年]]には一部の車両に冷房改造がなされ、ファンデリアおよび風洞撤去の上で冷凍能力10,500kcal/hの東芝RPU-3003が各車に3基搭載された。施工されたのは以下の38両である<ref name="山口2012_p115">山口益生﹃阪急電車﹄115頁。</ref>。当時の冷房車の配置と運用の関係から<ref>篠原丞﹁初代1000系シリーズの軌跡﹂﹃鉄道ファン﹄2014年2月号、124頁。</ref>、宝塚線所属車を中心に︵8連×4本︶施工され、神戸線系統では今津線用の6連1本のみの施工となった︵ |
[[1976年]]には一部の車両に冷房改造がなされ、ファンデリアおよび風洞撤去の上で冷凍能力10,500kcal/hの東芝RPU-3003が各車に3基搭載された。施工されたのは以下の38両である<ref name="山口2012_p115">山口益生﹃阪急電車﹄115頁。</ref>。当時の冷房車の配置と運用の関係から<ref>篠原丞﹁初代1000系シリーズの軌跡﹂﹃鉄道ファン﹄2014年2月号、124頁。</ref>、宝塚線所属車を中心に︵8連×4本︶施工され、神戸線系統では今津線用の6連1本のみの施工となった︵運用末期は、伊丹線・箕面線にも転入した︶。
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* 1010系(10両): 1026 - 1033、1036、1037 |
* 1010系(10両): 1026 - 1033、1036、1037 |
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昇圧後も神戸・宝塚線の主力車として運用され、[[神戸高速鉄道]]開業後には、特急運用などで高速神戸や新開地まで乗り入れていたが、[[山陽電気鉄道本線]]への入線実績は無い。また[[日本万国博覧会|大阪万博]]の際には、数編成が京都線に貸し出され、臨時準急などに使用された。
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昇圧後も神戸・宝塚線の主力車として運用され、[[神戸高速鉄道]]開業後には、特急運用などで高速神戸や新開地まで乗り入れていたが、[[山陽電気鉄道本線]]への入線実績は無い。また[[日本万国博覧会|大阪万博]]の際には、数編成が京都線に貸し出され、臨時準急などに使用された。
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出力の関係で4M4Tの8両編成が使用出来なかった神戸線では、各駅停車の8両編成化が進んだ[[1978年]]を最後に運用を終了したが、宝塚線では引き続き主力として8両編成で使用され続けた。 |
出力の関係で4M4Tの8両編成が使用出来なかった神戸線では、各駅停車の8両編成化が進んだ[[1978年]]を最後に運用を終了したが、宝塚線では1986年の初旬までは引き続き主力として8両編成で使用され続けた。 |
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1978年以降、徐々に支線運用が中心となった。宝塚線の冷房車も、1981年以降は本線への新車投入や非冷房車の廃車の進行などで順次伊丹線・箕面線へ転出していった︵伊丹線では1981年7月から、箕面線では1984年7月から使用<ref>ブレービー倶楽部﹃阪急1010・1100系物語﹄18、22頁。</ref>︶。途中、今津南・甲陽線からは1985年6月、今津北線からは1986年8月に撤退した<ref>ブレービー倶楽部﹃阪急1010・1100系物語﹄23、27頁。</ref>。阪急で最後に残ったのは[[阪急伊丹線|伊丹線]]の1026Fと[[阪急箕面線|箕面線]]の1106Fとなった。1989年3月5日にこの2編成を併結した8両編成で梅田→宝塚間の[[さよなら運転]]を行い、1010系・1100系の運用を終了した<ref name="rf201402_p124">篠原丞﹁初代1000系シリーズの軌跡﹂﹃鉄道ファン﹄2014年2月号、124頁。</ref>︵ただし、1106Fのみ、さよなら運転実施後も3日間だけ箕面線で運用された<ref name="ブレービー_29">ブレービー倶楽部﹃阪急1010・1100系物語﹄29頁。</ref>︶。
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この際、未公表ながら当時最新の[[阪急8000系電車|8000系]]が梅田駅で1010系と並ぶよう運用が調整され、終着の宝塚駅でも同様の並びが行われた<ref>篠原丞『デビューから30年 阪急電鉄8000系・8300系の思い出』鉄道ピクトリアル、2018年10月号、20頁。</ref>。 |
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1986年と1988年に1編成4両ずつの計2編成8両が能勢電鉄に譲渡され、[[#能勢電鉄1000系|1000系]]として2001年まで運用された<ref name="山口2012_p115" />。 |
1986年と1988年に1編成4両ずつの計2編成8両が能勢電鉄に譲渡され、[[#能勢電鉄1000系|1000系]]として2001年まで運用された<ref name="山口2012_p115" />。 |
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== 廃車 == |
== 廃車 == |
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[[File:Hankyu 1010 body.jpg|thumb|保存されている1010の車体断面。2011.5.8 正雀工場内の阪急ミュージアムにて]] |
[[File:Hankyu 1010 body.jpg|thumb|保存されている1010の車体断面。2011.5.8 正雀工場内の阪急ミュージアムにて]] |
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[[1984年]]の1100Fを最初に[[廃車 (鉄道)|廃車]]が開始され<ref name="山口2012_p115" />、1020Fと1114Fを最後に[[1986年]]3月に非冷房車が全廃<ref name="山口2012_p115" />、冷房車についても、[[1989年]]3月までに全車廃車された<ref name="山口2012_p115" />。
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[[1984年]]の1100Fを最初に[[廃車 (鉄道)|廃車]]が開始され<ref name="山口2012_p115" />、1020Fと1114Fを最後に[[1986年]]3月に非冷房車が全廃<ref name="山口2012_p115" />、冷房車についても、[[1989年]]3月までに全車廃車された<ref name="山口2012_p115" />。なお、1026Fのみ廃車は4月下旬に持ち越された、とする資料も存在する<ref name="ブレービー_29"/>。
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1010の車体断面 |
1010の車体断面(展示用に制作されたモックアップ)<ref>1010系の現役当時、既に電車館にて展示されていた。</ref>が正雀工場内の阪急ミュージアムで保存されている。 |
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== 能勢電鉄1000系 == |
== 能勢電鉄1000系 == |
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2023年8月10日 (木) 10:35時点における最新版
阪急1010系・1100系電車 | |
---|---|
箕面線運用の1010(1981年頃) | |
基本情報 | |
運用者 | 阪急電鉄 |
製造所 | ナニワ工機 |
製造年 | 1956年 - 1962年 |
製造数 |
1010系: 35両 1100系: 51両 |
廃車 | 1989年 |
投入先 | 神戸線・宝塚線 |
主要諸元 | |
軌間 | 1,435 mm |
全長 | 19,000 mm |
全幅 | 2,750 mm |
台車 |
1010系: FS-311ほか 1100系: FS-312ほか |
主電動機 | SE-515C |
主電動機出力 | 90 kW ×4 |
駆動方式 | WN駆動方式 |
歯車比 |
1010系: 4.16 1100系: 5.76 |
制御方式 | 抵抗制御 |
制動装置 | AMC-D |
概要[編集]
1010系・1100系は1000形の試用結果を元に製造された量産高性能電車で、歯車比の相違等から神戸線用︵1010系︶と宝塚線用︵1100系︶に区分された[1]。1956年から1961年にかけて1010系が35両と1100系が51両の合計86両がナニワ工機で製造された。車種構成[編集]
1010系が全電動車方式として、当初は制御電動車の1010形のみであったが、経済性から制御車で電装準備車とした車両が登場し、後に1017形と呼ばれる。後に中間付随車の1050形が登場した。 1100系は当初より経済性を重視して、制御電動車1100形(Mc)-制御車1150形(Tc)による1M1T編成として設計された。その後、宝塚線の利用客増加に伴う増結用として、1140形(Mc)と1190形(Tc)が増備されたが、これらの車両は1両単位での増結用であったため、連結面側も狭幅貫通路および自動連結器付きであった。車体[編集]
基本設計は1000形に準じ、準張殻構造の軽量車体を備えるが、換気装置として新たに三菱電機製ファンデリアが採用された。このファンデリアは天井中央部に設置されており、車内天井と車体屋根板との間に風洞を設け、さらに車体側面の雨樋上部に換気用ルーバーがほぼ全長に渡って設置されるなど、複雑な構造の二重屋根となった。 900形以来の車体デザインに大きな変化がなく、利用客には新車であると認識されず、車内には﹃この車両は今年の新造車両です﹄という車内広告が掲出されていた[2]。 初期車は1000形や810系などと同様、2扉ロングシート車として製造されたが、1100系では1958年製造の1108以降、1010系では1959年製造の1030以降がラッシュ時の混雑緩和と乗降時間の短縮を狙って当初より3扉で落成した。また、2扉車については1966年から順次、3扉化が行われている。主要機器[編集]
走行機器[編集]
1000形での実績を反映し、定格出力の引き上げを図った東芝SE-515-C︵端子電圧300V時定格出力90kW[注 1]︶が採用された。駆動システムはWNドライブが引き続き採用されている。 歯数比は神戸線用で全電動車用1010系が4.16、MT比1:1が基本の1100系が5.76となった[1]。ただし、これは後年神戸線の5両編成化時に1010系もMT比3:2に再編され、歯数比を5.76へ引き下げたため、最終的には両系列の走行性能は統一されている。 電気機器は架線電圧1500Vへの昇圧対応が見送られ、電動発電機や空気圧縮機は600V専用となった[3]。このため、主制御器はPE-10Bの実績を基に改良・簡素化して同期機能を省略したPE-13Aを採用した。 補機の配置は1010系では1000形に準じて奇数車と偶数車で集約分散配置とされ、1100系では電動車に電動発電機を、制御車にコンプレッサを搭載してこちらも集約分散配置とされていた[注 2]。 ブレーキは1000形に準じ、発電制動併用自動空気ブレーキのAMC-Dを採用した。台車[編集]
台車はアルストムリンク式が本格採用され、当初は1010系が両抱き式ブレーキシューを備えるFS-311を、宝塚線用の1100系が片押し式ブレーキシューを備えるFS-312をそれぞれ装着した[1]。 また、1957年製造の1010系2次車で空気ばね台車の試験が行われ、1018-1019にはFS-311の枕ばねをベローズ式空気ばねで置き換えた形状のFS-320が、1020-1021には日本における量産空気ばね台車の始祖となった京阪1810系用KS-51を基本とする汽車製造KS-52シンドラー式台車が、それぞれ装着された。 シンドラー式台車は円筒案内式台車、という別称が物語るように、軸箱の前後に配されたコイルばねの内部に軸箱の上下動を案内するシリンダーを内蔵してペデスタルを廃止したもので、元来スイス国鉄用軽量客車のために各社で開発された技術を導入したものであった[注 3]。 さらに、1018-1019編成に挿入された1050形1056については汽車製造が新開発したエコノミカルトラックと呼ばれる、揺れ枕を持たず軸箱支持を緩衝ゴムのみに依存する簡素な構造の軸箱梁式空気ばね台車であるKS-62が試用されている。 これとは別に、付随車である1050形には前述の1056と例外的にFS-311を装着して竣工した1052を除き、両抱き式ブレーキシューを備えるFS-33アルストムリンク式金属ばね台車[注 4]が採用され、1010・1100・1150の各形式についても3扉車は新設計の片押し式ブレーキシューを備えるFS-324・FS-324Aアルストムリンク式金属ばね台車[注 5]が採用された[4]。もっとも、以後は様々な事情から複雑な台車振り替えが実施されており、各車の最終的な装着台車は当初とは必ずしも一致しない。製造[編集]
1010系のうち、初期に製造された4両︵1010-1011+1012-1013︶は、1000形と同様に奇数車と偶数車でペアを組む全電動車編成であった。1100系については、2M2Tの4両編成での運用が基本であった。← 大阪 神戸・宝塚 → |
竣工 | |||
---|---|---|---|---|
Mc | Mc | Mc | Mc | |
1010 | 1011 | 1012 | 1013 | 1956年11月[1] |
Mc | Tc | Mc | Tc | |
1100 | 1150 | 1101 | 1151 | 1956年10月[1] |
← 大阪 神戸・宝塚 → |
竣工 | |||
---|---|---|---|---|
Mc | Mc | Mc | Tc | |
1014 | 1015 | 1016 | 1017 | 1957年11月[5] |
1018 | 1019 | 1020 | 1021 | 1957年11月[5] |
1022 | 1023 | 1024 | 1025 | 1957年11月[5] |
Mc | Tc | |||
1026 | 1027 | 1958年9月[5] | ||
1028 | 1029 | |||
Mc | Tc | Mc | Tc | |
1102 | 1152 | 1103 | 1153 | 1956年12月[5] |
1104 | 1154 | 1105 | 1155 | 1956年8月[5] |
1106 | 1156 | 1107 | 1157 | 1957年11月[5] |
← 大阪 神戸・宝塚 → |
竣工 | |||
---|---|---|---|---|
Mc | Mc | Mc | Tc | |
1030 | 1031 | 1032 | 1033 | 1959年10月[4] |
1034 | 1035 | 1036 | 1037 | 1959年10月[4] |
Mc | Tc | Mc | Tc | |
1108 | 1158 | 1109 | 1159 | 1958年10月[4] |
1110 | 1160 | 1111 | 1161 | 1958年12月[4] |
1112 | 1162 | 1113 | 1163 | 1959年6月[4] |
1114 | 1164 | 1115 | 1165 | 1959年8月[4] |
1116 | 1166 | 1117 | 1167 | 1959年9月[4] |
年々増加する宝塚線の乗客数に対応すべく、1959年から1960年にかけて1140形が製造され[6]、4両編成の大阪寄りに連結され3M2Tの5両編成で使用される様になった。
← 大阪 |
竣工 |
---|---|
Mc | |
1140 | 1959年12月[6] |
: | |
1143 | |
1144 | 1960年8月[6] |
: | |
1148 |
神戸線は中間付随車の増結がなされ、T車の1050形を組み込んだ5両編成を組成した。
← 大阪 |
竣工 |
---|---|
T | |
1050 | 1959年12月[6] |
1051 | |
1052 | |
1053 | 1960年12月[6] |
1054 | |
1055 | |
1056 |
宝塚 → |
竣工 |
---|---|
Tc | |
1190 | 1961年10月[6] |
: | |
1195 |