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{{分割提案|阪急1000形電車 (初代)|阪急1200系電車|阪急1300系電車 (初代)|阪急1600系電車|date=2019年3月}} |
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'''阪急 |
'''阪急1010系電車'''︵はんきゅう1010けいでんしゃ︶は、1956年に[[京阪神急行電鉄]]が導入した[[新性能電車|高性能電車]]である。1954年に試作された1000形の実績を踏まえて改良した量産車で、1010系は[[阪急神戸本線|神戸線]]に投入された。
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具体的には、以下の各系列に細分される。 |
具体的には、以下の各系列に細分される。 |
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*京都線の旧型車機器流用車'''1600系''' |
*京都線の旧型車機器流用車'''1600系''' |
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*1010系・1100系を[[能勢電鉄]]に譲渡した'''能勢電鉄1000系''' |
*1010系・1100系を[[能勢電鉄]]に譲渡した'''能勢電鉄1000系''' |
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本項目では、各系列について、節を分けて解説している。 |
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== 1000形 == |
== 1000形 == |
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1000形は、京阪神急行電鉄初の試作高性能車として、[[1954年]]11月に1000 - 1003の1形式4両が[[ナニワ工機]]で製造された<ref name="山口2012_p108">山口益生『阪急電車』108頁。</ref>。 |
1000形は、京阪神急行電鉄初の試作高性能車として、[[1954年]]11月に1000 - 1003の1形式4両が[[ナニワ工機]]で製造された<ref name="山口2012_p108">山口益生『阪急電車』108頁。</ref>。 |
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高性能車の開発が進められていた1950年代、阪急でも1952年に[[阪急610系電車|610系]]620・630形、翌1953年に[[阪急700系電車|700系]]751で[[カルダン駆動方式]]の実用試験が行われた。この実用試験の結果を踏まえて、1954年に阪急初の高性能車として1000形の4両が製造された<ref name="rf201402_p114">篠原丞﹁初代1000系シリーズの軌跡﹂﹃鉄道ファン﹄2014年2月号、114頁。</ref>。単に'''1000形'''と呼ばれるほか<ref |
高性能車の開発が進められていた1950年代、阪急でも1952年に[[阪急610系電車|610系]]620・630形、翌1953年に[[阪急700系電車|700系]]751で[[カルダン駆動方式]]の実用試験が行われた。この実用試験の結果を踏まえて、1954年に阪急初の高性能車として1000形の4両が製造された<ref name="rf201402_p114">篠原丞﹁初代1000系シリーズの軌跡﹂﹃鉄道ファン﹄2014年2月号、114頁。</ref>。単に'''1000形'''と呼ばれるほか<ref name="私鉄の車両5阪急_p120" />、系列扱いで'''1000系'''と呼ばれることもある<ref name="rf201402_p115" /><ref>﹃日本の私鉄 阪急﹄1998年、23頁。</ref>。
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奇数車と偶数車でユニットを組む2両[[編成 (鉄道)|固定編成]]2本で構成された。偶数車には電動発電機(MG)とパンタグラフ、奇数車には空気圧縮機(CP)を搭載し、偶数車がMG車、奇数車がCP車と呼ばれた<ref name="山口2012_p108" />。この製造により阪急の戦後の新造車両が100両に達し<ref name="rf201402_p114" />、1002が戦後新造の100両目となった<ref name="山口2012_p109">山口益生『阪急電車』109頁。</ref>。 |
奇数車と偶数車でユニットを組む2両[[編成 (鉄道)|固定編成]]2本で構成された。偶数車には電動発電機(MG)とパンタグラフ、奇数車には空気圧縮機(CP)を搭載し、偶数車がMG車、奇数車がCP車と呼ばれた<ref name="山口2012_p108" />。この製造により阪急の戦後の新造車両が100両に達し<ref name="rf201402_p114" />、1002が戦後新造の100両目となった<ref name="山口2012_p109">山口益生『阪急電車』109頁。</ref>。 |
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1000形は全電動車方式であり、主制御器は各車に搭載されているが、単独走行はできない<ref name="rf201402_p115">篠原丞﹁初代1000系シリーズの軌跡﹂﹃鉄道ファン﹄2014年2月号、115頁。</ref>。[[集電装置|パンタグラフ]]と[[電動発電機]]は偶数車に、空気[[圧縮機]]は奇数車にそれぞれ集約搭載してあった。[[抵抗器]]は排熱を余熱暖房に利用できるよう、ダクトに納められていた<ref name="山口2012_p108" />。
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1000形は全電動車方式であり、主制御器は各車に搭載されているが、単独走行はできない<ref name="rf201402_p115">篠原丞﹁初代1000系シリーズの軌跡﹂﹃鉄道ファン﹄2014年2月号、115頁。</ref>。[[集電装置|パンタグラフ]]と[[電動発電機]]は偶数車に、空気[[圧縮機]]は奇数車にそれぞれ集約搭載してあった。[[抵抗器]]は排熱を余熱暖房に利用できるよう、ダクトに納められていた<ref name="山口2012_p108" />。
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[[鉄道車両の台車|台車]]は軸ばね式の[[住友金属工業]]FS-303形が4両分用意されたが<ref name="rf201402_p116" />、別に日本初の[[アルストム#アルストムリンク式台車|アルストムリンク式]]軸箱支持機構を採用したFS-305が1002で試用された<ref name="山口2012_p108" />。FS-305は後に810系872に換装され、1002はFS-303となった<ref>『私鉄の車両5 阪急電鉄』120頁。</ref>。アルストムリンク式台車は軸ばねのない構造の有利さから、阪急では量産車の1010系・1100系から[[阪急2000系電車|2000]]・[[阪急2300系電車|2300系]]まで継続採用された<ref>『私鉄の車両5 阪急電鉄』129頁。</ref>。 |
[[鉄道車両の台車|台車]]は軸ばね式の[[住友金属工業]]FS-303形が4両分用意されたが<ref name="rf201402_p116" />、別に日本初の[[アルストム#アルストムリンク式台車|アルストムリンク式]]軸箱支持機構を採用したFS-305が1002で試用された<ref name="山口2012_p108" />。FS-305は後に810系872に換装され、1002はFS-303となった<ref name="私鉄の車両5阪急_p120">『私鉄の車両5 阪急電鉄』120頁。</ref>。アルストムリンク式台車は軸ばねのない構造の有利さから、阪急では量産車の1010系・1100系から[[阪急2000系電車|2000]]・[[阪急2300系電車|2300系]]まで継続採用された<ref>『私鉄の車両5 阪急電鉄』129頁。</ref>。 |
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ブレーキは[[発電ブレーキ|発電制動]]併用のAMC-D[[自動空気ブレーキ]]を採用した<ref name="rf201402_p117" />。 |
ブレーキは[[発電ブレーキ|発電制動]]併用のAMC-D[[自動空気ブレーキ]]を採用した<ref name="rf201402_p117" />。 |
2019年3月31日 (日) 00:49時点における版
このページの一部を﹁阪急1000形電車 (初代)﹂、﹁阪急1200系電車﹂、﹁阪急1300系電車 (初代)﹂、﹁阪急1600系電車﹂に分割することが提案されています。
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- 阪急最初の高性能車で試作車の1000形(初代1000系)
- 本系列の神戸線向け量産仕様の1010系、宝塚線仕様の1100系
- 本系列の京都線仕様の1300系(初代)
- 神宝線の旧型車機器流用車1200系
- 京都線の旧型車機器流用車1600系
- 1010系・1100系を能勢電鉄に譲渡した能勢電鉄1000系
1000形
阪急1000形電車 | |
---|---|
初代1000(1956年) | |
基本情報 | |
運用者 | 阪急電鉄 |
製造所 | ナニワ工機 |
製造年 | 1954年 |
製造数 | 4両 |
廃車 | 1983年 |
投入先 | 神戸線 |
主要諸元 | |
軌間 | 1,435 mm |
電気方式 | 直流600V |
車両定員 | 140 (着席66) 人 |
自重 | 34.2 t |
全長 | 19,000 mm |
全幅 | 2,750 mm |
車体 | 鋼製 |
台車 |
FS-303 FS-305 (1002) |
主電動機 | SE-515B |
主電動機出力 | 75 kW ×4 |
駆動方式 | WN駆動方式 |
歯車比 | 4.95 |
制御方式 | 抵抗制御 |
制御装置 | PE-10 |
制動装置 | AMC-D |
車体
外観は810系に準じた2扉ロングシート車であるが、車体は軽量化のため準張殻構造を採用、全体に丸みを帯びた形状となっている[1]。窓まわりが1段張り出しているが、窓構造は810系の配置・寸法を踏襲しており、戸袋窓以外の側窓は阪急伝統の1段下降窓である。妻面と妻扉のガラスはHゴム支持となった[1]。連結面も広幅貫通路を踏襲した。 屋根上通風器は在来車と同じ箱形の押込式通風器を2列に並べているが、パンタグラフは連結面側に設けられた[1]。 710系・810系と比較して大幅な内外装の一新がなく、後年の2000系登場時ほどの強烈な印象を与える車両にはならなかった[4]。主要機器
主電動機は東芝SE-515-B︵定格出力75kW︶を搭載、主制御器は東芝製MPE系超多段電動カム軸式抵抗制御器のPE-10Bを各車に搭載した[7]。駆動方式は620・630形での試験成績からWNドライブが採用された[7]。電気機器は920系以来の直流600V・1500Vの双方に対応可能な設計とされた[7]。 1000形は全電動車方式であり、主制御器は各車に搭載されているが、単独走行はできない[4]。パンタグラフと電動発電機は偶数車に、空気圧縮機は奇数車にそれぞれ集約搭載してあった。抵抗器は排熱を余熱暖房に利用できるよう、ダクトに納められていた[1]。 台車は軸ばね式の住友金属工業FS-303形が4両分用意されたが[7]、別に日本初のアルストムリンク式軸箱支持機構を採用したFS-305が1002で試用された[1]。FS-305は後に810系872に換装され、1002はFS-303となった[3]。アルストムリンク式台車は軸ばねのない構造の有利さから、阪急では量産車の1010系・1100系から2000・2300系まで継続採用された[8]。 ブレーキは発電制動併用のAMC-D自動空気ブレーキを採用した[9]。製造
1954年に2両ユニット2本の4両が製造された。← 大阪 神戸 → |
竣工 | |||
---|---|---|---|---|
Mc 1000 | Mc 1000 | Mc 1000 | Mc 1000 | |
1000 | 1001 | 1002 | 1003 | 1954年11月[1] |
昇圧改造
1010系への編入
1971年に電装解除、運転台撤去、台車交換および3扉化を実施されて付随車化の上で1010系に組み込み、1010-1000-1001-1011と1012-1003-1002-1013の編成で運用されることになった[6]。 1010系と床面高さを揃えるため、台車は京都線1650形より捻出のFS-311へ全車交換[10]、旧台車は810系の864 - 867に転用されている[1]。運用
新造当初より4両編成で神戸線で運用されたが、昇圧後は今津線に移動した[6]。1010系編成への編入後は宝塚線で使用されていたが、1981年に1012Fが伊丹線に転属したのを皮切りに支線での使用が主体になり、冷房化は実施されず、甲陽線での使用を最後に1984年3月に廃車された[6]。 1000の前頭部が保存されている[6]。1010系・1100系
阪急1010系・1100系電車 | |
---|---|
箕面線運用の1010(1976年頃) | |
基本情報 | |
運用者 | 阪急電鉄 |
製造所 | ナニワ工機 |
製造年 | 1956年 - 1962年 |
製造数 |
1010系: 35両 1100系: 51両 |
廃車 | 1989年 |
投入先 | 神戸線・宝塚線 |
主要諸元 | |
軌間 | 1,435 mm |
全長 | 19,000 mm |
全幅 | 2,750 mm |
台車 |
1010系: FS-311ほか 1100系: FS-312ほか |
主電動機 | SE-515C |
主電動機出力 | 90 kW ×4 |
駆動方式 | WN駆動方式 |
歯車比 |
1010系: 4.16 1100系: 5.76 |
制御方式 | 抵抗制御 |
制動装置 | AMC-D |
車種構成
1010系が全電動車方式として、当初は制御電動車の1010形のみであったが、経済性から制御車で電装準備車とした車両が登場し、後に1017形と呼ばれる。後に中間付随車の1050形が登場した。 1100系は当初より経済性を重視して、制御電動車1100形(Mc)-制御車1150形(Tc)による1M1T編成として設計された。その後、宝塚線の利用客増加に伴う増結用として、1140形(Mc)と1190形(Tc)が増備されたが、これらの車両は1両単位での増結用であったため、連結面側も狭幅貫通路および自動連結器付きであった。車体
基本設計は1000形に準じ、準張殻構造の軽量車体を備えるが、換気装置として新たに三菱電機製ファンデリアが採用された。このファンデリアは天井中央部に設置されており、車内天井と車体屋根板との間に風洞を設け、さらに車体側面の雨樋上部に換気用ルーバーがほぼ全長に渡って設置されるなど、複雑な構造の二重屋根となった。 900形以来の車体デザインに大きな変化がなく、利用客には新車であると認識されず、車内には﹃この車両は今年の新造車両です﹄という車内広告が掲出されていた[12]。 初期車は1000形や810系などと同様、2扉ロングシート車として製造されたが、1100系では1958年製造の1108以降、1010系では1959年製造の1030以降がラッシュ時の混雑緩和と乗降時間の短縮を狙って当初より3扉で落成した。また、2扉車については1966年から順次、3扉化が行われている。主要機器
走行機器
1000形での実績を反映し、定格出力の引き上げを図った東芝SE-515-C︵端子電圧300V時定格出力90kW[注 1]︶が採用された。駆動システムはWNドライブが引き続き採用されている。 歯数比は神戸線用で全電動車用1010系が4.16、MT比1:1が基本の1100系が5.76となった[11]。ただし、これは後年神戸線の5両編成化時に1010系もMT比3:2に再編され、歯数比を5.76へ引き下げたため、最終的には両系列の走行性能は統一されている。 電気機器は架線電圧1500Vへの昇圧対応が見送られ、電動発電機や空気圧縮機は600V専用となった[9]。このため、主制御器はPE-10Bの実績を基に改良・簡素化して同期機能を省略したPE-13Aを採用した。 補機の配置は1010系では1000形に準じて奇数車と偶数車で集約分散配置とされ、1100系では電動車に電動発電機を、制御車にコンプレッサを搭載してこちらも集約分散配置とされていた[注 2]。 ブレーキは1000形に準じ、発電制動併用自動空気ブレーキのAMC-Dを採用した。台車
台車はアルストムリンク式が本格採用され、当初は1010系が両抱き式ブレーキシューを備えるFS-311を、宝塚線用の1100系が片押し式ブレーキシューを備えるFS-312をそれぞれ装着した[11]。 また、1957年製造の1010系2次車で空気ばね台車の試験が行われ、1018-1019にはFS-311の枕ばねをベローズ式空気ばねで置き換えた形状のFS-320が、1020-1021には日本における量産空気ばね台車の始祖となった京阪1810系用KS-51を基本とする汽車製造KS-52シンドラー式台車が、それぞれ装着された。 シンドラー式台車は円筒案内式台車、という別称が物語るように、軸箱の前後に配されたコイルばねの内部に軸箱の上下動を案内するシリンダーを内蔵してペデスタルを廃止したもので、元来スイス国鉄用軽量客車のために各社で開発された技術を導入したものであった[注 3]。 さらに、1018-1019編成に挿入された1050形1056については汽車製造が新開発したエコノミカルトラックと呼ばれる、揺れ枕を持たず軸箱支持を緩衝ゴムのみに依存する簡素な構造の軸箱梁式空気ばね台車であるKS-62が試用されている。 これとは別に、付随車である1050形には前述の1056と例外的にFS-311を装着して竣工した1052を除き、両抱き式ブレーキシューを備えるFS-33アルストムリンク式金属ばね台車[注 4]が採用され、1010・1100・1150の各形式についても3扉車は新設計の片押し式ブレーキシューを備えるFS-324・FS-324Aアルストムリンク式金属ばね台車[注 5]が採用された[13]。もっとも、以後は様々な事情から複雑な台車振り替えが実施されており、各車の最終的な装着台車は当初とは必ずしも一致しない。製造
1010系のうち、初期に製造された4両︵1010-1011+1012-1013︶は、1000形と同様に奇数車と偶数車でペアを組む全電動車編成であった。1100系については、2M2Tの4両編成での運用が基本であった。← 大阪 神戸・宝塚 → |
竣工 | |||
---|---|---|---|---|
Mc 1010 | Mc 1010 | Mc 1010 | Mc 1010 | |
1010 | 1011 | 1012 | 1013 | 1956年11月[11] |
Mc 1100 | Tc 1150 | Mc 1100 | Tc 1150 | |
1100 | 1150 | 1101 | 1151 | 1956年10月[11] |
← 大阪 神戸・宝塚 → |
竣工 | |||
---|---|---|---|---|
Mc 1010 | Mc 1010 | Mc 1010 | Tc 1010 | |
1014 | 1015 | 1016 | 1017 | 1957年11月[14] |
1018 | 1019 | 1020 | 1021 | 1957年11月[14] |
1022 | 1023 | 1024 | 1025 | 1957年11月[14] |
Mc 1010 | Tc 1010 | |||
1026 | 1027 | 1958年9月[14] | ||
1028 | 1029 | |||
Mc 1100 | Tc 1150 | Mc 1100 | Tc 1150 | |
1102 | 1152 | 1103 | 1153 | 1956年12月[14] |
1104 | 1154 | 1105 | 1155 | 1956年8月[14] |
1106 | 1156 | 1107 | 1157 | 1957年11月[14] |
← 大阪 神戸・宝塚 → |
竣工 | |||
---|---|---|---|---|
Mc 1010 | Mc 1010 | Mc 1010 | Tc 1010 | |
1030 | 1031 | 1032 | 1033 | 1959年10月[13] |
1034 | 1035 | 1036 | 1037 | 1959年10月[13] |
Mc 1100 | Tc 1150 | Mc 1100 | Tc 1150 | |
1108 | 1158 | 1109 | 1159 | 1958年10月[13] |
1110 | 1160 | 1111 | 1161 | 1958年12月[13] |
1112 | 1162 | 1113 | 1163 | 1959年6月[13] |
1114 | 1164 | 1115 | 1165 | 1959年8月[13] |
1116 | 1166 | 1117 | 1167 | 1959年9月[13] |
年々増加する宝塚線の乗客数に対応すべく、1959年から1960年にかけて1140形が製造され[15]、4両編成の大阪寄りに連結され3M2Tの5両編成で使用される様になった。
← 大阪 |
竣工 |
---|---|
Mc 1140 | |
1140 | 1959年12月[15] |
: | |
1143 | |
1144 | 1960年8月[15] |
: | |
1148 |
神戸線は中間付随車の増結がなされ、T車の1050形を組み込んだ5両編成を組成した。
← 大阪 |
竣工 |
---|---|
T 1050 | |
1050 | 1959年12月[15] |
1051 | |
1052 | |
1053 | 1960年12月[15] |
1054 | |
1055 | |
1056 |
宝塚 → |
竣工 |
---|---|
Tc 1190 | |
1190 | 1961年10月[15] |
: | |
1195 |
変遷
昇圧改造
車体改装
冷房化改造
運用
1010系と1100系の性能は増備終了時には統一されており、1962年の神戸線6連化に伴う1148の神戸線移籍以降、本格的に両形式の共通運用が開始された[16]。 昇圧後も神戸・宝塚線の主力車として運用され、神戸高速鉄道開業後には、特急運用などで高速神戸や新開地まで乗り入れていたが、山陽電気鉄道本線への入線実績は無い。また大阪万博の際には、数編成が京都線に貸し出され、臨時準急などに使用された。 出力の関係で4M4Tの8両編成が使用出来なかった神戸線では、各駅停車の8両編成化が進んだ1978年を最後に運用を終了したが、宝塚線では引き続き主力として8両編成で使用され続けた。 晩年は支線運用が中心となり、阪急で最後に残ったのは伊丹線の1026Fと箕面線の1106Fで、1989年3月5日にこの2編成を併結した8両編成で梅田→宝塚間のさよなら運転を行い、1010系・1100系の運用を終了した[18]。 1986年と1988年に1編成4両ずつの計2編成8両が能勢電鉄に譲渡され、1000系として2001年まで運用された[17]。廃車
1300系
阪急1300系電車 | |
---|---|
冷改前の1307(1975.8.29十三にて) | |
基本情報 | |
運用者 | 阪急電鉄 |
製造所 | ナニワ工機 |
製造年 | 1957年 - 1961年 |
製造数 | 16両 |
廃車 | 1987年 |
投入先 | 京都線 |
主要諸元 | |
軌間 | 1,435 mm |
全長 | 19,000 mm |
台車 | FS-311 |
駆動方式 | 中空軸平行カルダン駆動方式 |
歯車比 | 4.59 |
制動装置 | HSC-D |
車体
車体は1010・1100系と同様の2扉車であるが、第1編成である1301-1351-1302の3両は、既存の710系に準じて1000系シリーズ唯一の固定クロスシート車として製造された[21]。第2編成以降は全車ともロングシート車となった。 また、編成として最後に新造された1959年竣工の1307-1354-1308は、当初より3扉車として製造されたが、これらより後に既存編成向けに追加製造された1355・1356・1358の3両については組み込み先各編成の仕様に合わせて2扉車として製造されている。 2扉車の3扉化は、1970年から1973年にかけて施工されている[18]。主要機器
電装品は新京阪以来の京都線の伝統に従い、東洋電機製造の製品が採用されている。 主電動機はTDK-811-A︵100kW︶、駆動システムは中空軸平行カルダンが採用された。歯数比は1305以降、2M2Tでの牽引力を確保するため、4.59から6.31(82:13)と高く変更されている[21]。制御器はMM'ユニット方式による1C8M制御が阪急で最初に採用され、電動カム軸式多段制御器の東洋電機製造ES-563A・B︵ES-536Bの採用は1305以降︶が奇数車に搭載された。 台車は1957年製造車は住友FS-311であった。1959年の増備車は1305-1353-1306と1352が住友金属FS-325を装着したほか、1307-1354-1308が汽車製造製軸箱梁式空気ばね台車︵エコノミカルトラック︶のKS-62A・62を試用した[21]。 ブレーキは阪急初の発電制動付のHSC-D電磁直通ブレーキが採用された[21]。製造
編成は当初、1301Fがクロスシートの3両編成、1303Fがロングシートの2両編成とされた。← 大阪 京都 → |
竣工 | ||
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Mc 1300 | T 1350 | M'c 1300 | |
1301 | 1351 | 1302 | 1957年12月[19] |
Mc 1300 | M'c 1300 | ||
1303 | 1304 | 1957年11月[19] |
1959年には付随車の1350形が増備され、1303Fの2連に組み込み、1303-1352-1304の3両編成となった。
← 大阪 |
竣工 |
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T 1350 | |
1352 | 1959年1月[21] |
1305F・1307Fはいずれも当初より3両編成として竣工している。1307Fは京都線初の3扉車である[21]。
← 大阪 京都 → |
竣工 | ||
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Mc 1300 | T 1350 | M'c 1300 | |
1305 | 1353 | 1306 | 1959年11月[21] |
1307 | 1354 | 1308 | 1959年12月[21] |
1960・1961年には、1350形をもう1両ずつ組み込み4両編成となった[22]。1357は3扉車で、1301Fに組み込みの1358を含めロングシートである[22]。
← 大阪 |
竣工 |
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T 1350 | |
1355 | 1960年12月[22] |
1356 | |
1357 | 1961年10月[22] |
1358 |
改番
冷房化改造
運用
710系と共に特急・急行などに運用されたが、2300系の登場により優等列車の運用機会が減少した。1963年の河原町延伸による特急の増発では1300系もロングシート車編成を含めて特急運用に充当されたが、翌1964年の特急車2800系の就役開始に伴い、1966年に1301Fはロングシート化されて特急運用から完全に撤退した。 その後も本線各駅停車運用を中心に使用されていたが、千里線の輸送力増強の為、1971年に7両編成2本に編成替えされ、千里線専用となった[22]。この時余剰となった付随車2両︵1351・1355︶は宝塚線へ移籍し、1200系に編入された[23]。また同時期に全車が3扉化されている[22]。 1983年に4両編成3本に組成変更され、嵐山線で運用された[23]。この際余剰となった1307・1308は休車となったが、復帰することはなかった。 1984年、宝塚線に転出していた1351・1355の2両が廃車、1986年の1307・1308の廃車に続き、残る3編成12両も1987年までに廃車となった[23]。1200系
阪急1200系電車 | |
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1255 | |
基本情報 | |
運用者 | 阪急電鉄 |
製造所 | ナニワ工機 |
製造年 | 1956年 - 1958年 |
製造数 | 20両 |
廃車 | 1983年 |
投入先 | 宝塚線・神戸線 |
主要諸元 | |
軌間 | 1,435 mm |
台車 | KS-33系 |
主電動機出力 |
150 kW ×4(1200形) 150 kW ×2(1230形) |
駆動方式 | 吊り掛け駆動方式 |
主要機器
製造
920系以降の在来吊り掛け駆動車と同様の制御電動車(Mc)である1200形1200 - 1207と制御車(Tc)である1250形1250 - 1257の2形式16両が当初製造され、これらを組み合わせた2両編成が基本とされた。竣工は1010系・1100系より少し早い[24]。← 大阪 宝塚 → |
竣工 | |
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Mc 1200 | Tc 1250 | |
1200 | 1250 | 1956年8月[24] |
1201 | 1251 | |
1202 | 1252 | 1956年9月[24] |
1203 | 1253 | |
1204 | 1254 | 1957年1月[24] |
1205 | 1255 | |
1206 | 1256 | 1957年8月[24] |
1207 | 1257 |
続いて1208Fの製造が計画されたが、設計を変更して中間電動車が製造された[24]。形式は610系の中間電動車630形の経緯を踏まえて1230形とした[24]。
← 大阪 |
竣工 |
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M 1230 | |
1230 | 1957年12月[24] |
1231 | |
1232 | 1958年7月[24] |
1233 |
昇圧改造
台車交換
昇圧後も台車の変更が行われ、1250・1252が川-16に、1253-1257がL-17に交換、さらに、1971年以降、1550形が廃車された際に発生した台車を再利用する形で、1253-1257の台車が扶桑金属工業製FS-3台車に再交換されている。また1232・1233は、付随車化当初はKS-33Lのままであったが、暫くしてL-17に変更されている。運用
全車とも竣工時より宝塚線を中心に運用されたが、晩年は神戸線の支線でも使用された。京都線1300系の編成替えで余剰となった中間車の1350形2両︵1351・1355︶が宝塚線系に転籍して1200系編成に組み込まれ、7両編成を組成していた時期があった[24]。 1982年より順次廃車され、1983年に全廃となった[19]。1600系
阪急1600系電車 | |
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晩年の嵐山線運用の1600系 | |
基本情報 | |
運用者 | 阪急電鉄 |
製造所 | ナニワ工機 |
製造年 | 1957年 - 1960年 |
製造数 | 12両 |
廃車 | 1983年 |
投入先 | 京都線 |
主要諸元 | |
軌間 | 1,435 mm |
台車 | FS-103・FS-311ほか |
主電動機出力 | 150 kW ×4[25] |
駆動方式 | 吊り掛け駆動方式 |
制御装置 | ES-559 |
制動装置 | AMA-R・ACA-R |
主要機器
主電動機は100形の一部を電装解除で捻出された東洋電機製造TDK-527-1A︵端子電圧750V時定格出力149.2kW、805rpm。︶を搭載する。駆動方式は吊り掛け式、歯数比は100形と共通の2.35である。主制御器は多段電動カム軸式の東洋電機製造ES-559が搭載された[23]。 台車は1600形が全車710系と共通のゲルリッツ式台車である扶桑金属工業FS-103、1650形はFS-103と1300系や1010・1100系と同じアルストムリンク式台車のFS-311を混用していた。 ブレーキは710系と同様、A動作弁と中継弁を組み合わせたAMA-R、ACA-Rを採用し、後に710系と同じくARSEに更新された[26]。製造
12両が製造された。全車とも2扉ロングシート車として竣工している。← 大阪 京都 → |
竣工 | |
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Mc 1600 | Tc 1650 | |
1601 | 1651 | 1957年5月[23] |
1602 | 1652 | |
1603 | 1653 | |
1604 | 1654 | |
1605 | 1655 | |
1606 | 1656 |