阪急1010系電車
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阪急1010系電車︵はんきゅう1010けいでんしゃ︶は、1956年に京阪神急行電鉄が導入した高性能電車である。1954年に試作された1000形の実績を踏まえて改良した量産車で、1010系は神戸線に投入された。
具体的には、以下の各系列に細分される。
- 阪急最初の高性能車で試作車の1000形(初代1000系)
- 本系列の神戸線向け量産仕様の1010系、宝塚線仕様の1100系
- 本系列の京都線仕様の1300系(初代)
- 神宝線の旧型車機器流用車1200系
- 京都線の旧型車機器流用車1600系
- 1010系・1100系を能勢電鉄に譲渡した能勢電鉄1000系
1010系・1100系
阪急1010系・1100系電車 | |
---|---|
箕面線運用の1010(1976年頃) | |
基本情報 | |
運用者 | 阪急電鉄 |
製造所 | ナニワ工機 |
製造年 | 1956年 - 1962年 |
製造数 |
1010系: 35両 1100系: 51両 |
廃車 | 1989年 |
投入先 | 神戸線・宝塚線 |
主要諸元 | |
軌間 | 1,435 mm |
全長 | 19,000 mm |
全幅 | 2,750 mm |
台車 |
1010系: FS-311ほか 1100系: FS-312ほか |
主電動機 | SE-515C |
主電動機出力 | 90 kW ×4 |
駆動方式 | WN駆動方式 |
歯車比 |
1010系: 4.16 1100系: 5.76 |
制御方式 | 抵抗制御 |
制動装置 | AMC-D |
1010系・1100系は1000形の試用結果を元に製造された量産高性能電車で、歯車比の相違等から神戸線用︵1010系︶と宝塚線用︵1100系︶に区分された[1]。1956年から1961年にかけて1010系が35両と1100系が51両の合計86両がナニワ工機で製造された。
車種構成
1010系が全電動車方式として、当初は制御電動車の1010形のみであったが、経済性から制御車で電装準備車とした車両が登場し、後に1017形と呼ばれる。後に中間付随車の1050形が登場した。 1100系は当初より経済性を重視して、制御電動車1100形(Mc)-制御車1150形(Tc)による1M1T編成として設計された。その後、宝塚線の利用客増加に伴う増結用として、1140形(Mc)と1190形(Tc)が増備されたが、これらの車両は1両単位での増結用であったため、連結面側も狭幅貫通路および自動連結器付きであった。車体
基本設計は1000形に準じ、準張殻構造の軽量車体を備えるが、換気装置として新たに三菱電機製ファンデリアが採用された。このファンデリアは天井中央部に設置されており、車内天井と車体屋根板との間に風洞を設け、さらに車体側面の雨樋上部に換気用ルーバーがほぼ全長に渡って設置されるなど、複雑な構造の二重屋根となった。 900形以来の車体デザインに大きな変化がなく、利用客には新車であると認識されず、車内には﹃この車両は今年の新造車両です﹄という車内広告が掲出されていた[2]。 初期車は1000形や810系などと同様、2扉ロングシート車として製造されたが、1100系では1958年製造の1108以降、1010系では1959年製造の1030以降がラッシュ時の混雑緩和と乗降時間の短縮を狙って当初より3扉で落成した。また、2扉車については1966年から順次、3扉化が行われている。主要機器
走行機器
1000形での実績を反映し、定格出力の引き上げを図った東芝SE-515-C︵端子電圧300V時定格出力90kW[注 1]︶が採用された。駆動システムはWNドライブが引き続き採用されている。 歯数比は神戸線用で全電動車用1010系が4.16、MT比1:1が基本の1100系が5.76となった[1]。ただし、これは後年神戸線の5両編成化時に1010系もMT比3:2に再編され、歯数比を5.76へ引き下げたため、最終的には両系列の走行性能は統一されている。 電気機器は架線電圧1500Vへの昇圧対応が見送られ、電動発電機や空気圧縮機は600V専用となった[3]。このため、主制御器はPE-10Bの実績を基に改良・簡素化して同期機能を省略したPE-13Aを採用した。 補機の配置は1010系では1000形に準じて奇数車と偶数車で集約分散配置とされ、1100系では電動車に電動発電機を、制御車にコンプレッサを搭載してこちらも集約分散配置とされていた[注 2]。 ブレーキは1000形に準じ、発電制動併用自動空気ブレーキのAMC-Dを採用した。台車
台車はアルストムリンク式が本格採用され、当初は1010系が両抱き式ブレーキシューを備えるFS-311を、宝塚線用の1100系が片押し式ブレーキシューを備えるFS-312をそれぞれ装着した[1]。 また、1957年製造の1010系2次車で空気ばね台車の試験が行われ、1018-1019にはFS-311の枕ばねをベローズ式空気ばねで置き換えた形状のFS-320が、1020-1021には日本における量産空気ばね台車の始祖となった京阪1810系用KS-51を基本とする汽車製造KS-52シンドラー式台車が、それぞれ装着された。 シンドラー式台車は円筒案内式台車、という別称が物語るように、軸箱の前後に配されたコイルばねの内部に軸箱の上下動を案内するシリンダーを内蔵してペデスタルを廃止したもので、元来スイス国鉄用軽量客車のために各社で開発された技術を導入したものであった[注 3]。 さらに、1018-1019編成に挿入された1050形1056については汽車製造が新開発したエコノミカルトラックと呼ばれる、揺れ枕を持たず軸箱支持を緩衝ゴムのみに依存する簡素な構造の軸箱梁式空気ばね台車であるKS-62が試用されている。 これとは別に、付随車である1050形には前述の1056と例外的にFS-311を装着して竣工した1052を除き、両抱き式ブレーキシューを備えるFS-33アルストムリンク式金属ばね台車[注 4]が採用され、1010・1100・1150の各形式についても3扉車は新設計の片押し式ブレーキシューを備えるFS-324・FS-324Aアルストムリンク式金属ばね台車[注 5]が採用された[4]。もっとも、以後は様々な事情から複雑な台車振り替えが実施されており、各車の最終的な装着台車は当初とは必ずしも一致しない。製造
1010系のうち、初期に製造された4両︵1010-1011+1012-1013︶は、1000形と同様に奇数車と偶数車でペアを組む全電動車編成であった。1100系については、2M2Tの4両編成での運用が基本であった。← 大阪 神戸・宝塚 → |
竣工 | |||
---|---|---|---|---|
Mc 1010 | Mc 1010 | Mc 1010 | Mc 1010 | |
1010 | 1011 | 1012 | 1013 | 1956年11月[1] |
Mc 1100 | Tc 1150 | Mc 1100 | Tc 1150 | |
1100 | 1150 | 1101 | 1151 | 1956年10月[1] |
だが、運用開始後の実績から、3M1T編成でも神戸線での運用には充分なこと[注 6]と、コスト面の問題などから、1014以降の車両については、制御車(Tc)の1017形を1両組み込んだ3M1T編成として製造された[5]。
1010Fについても、その後製造されたMc-Tc編成の1026-1027と1028-1029と組み替られ1010-1011+1026-1027,1012-1013+1028-1029となり、1010系の全編成が3M1Tで統一された[5]。
← 大阪 神戸・宝塚 → |
竣工 | |||
---|---|---|---|---|
Mc 1010 | Mc 1010 | Mc 1010 | Tc 1010 | |
1014 | 1015 | 1016 | 1017 | 1957年11月[5] |
1018 | 1019 | 1020 | 1021 | 1957年11月[5] |
1022 | 1023 | 1024 | 1025 | 1957年11月[5] |
Mc 1010 | Tc 1010 | |||
1026 | 1027 | 1958年9月[5] | ||
1028 | 1029 | |||
Mc 1100 | Tc 1150 | Mc 1100 | Tc 1150 | |
1102 | 1152 | 1103 | 1153 | 1956年12月[5] |
1104 | 1154 | 1105 | 1155 | 1956年8月[5] |
1106 | 1156 | 1107 | 1157 | 1957年11月[5] |
1030・1108以降の増備車は、乗客数の増加から3扉車となった[4]。引き戸の乗降扉は全て連結面側に開き、戸袋窓も曇りガラスから熱線吸収ガラスに、妻面窓もHゴムから直接支持に変更された[4]。
1010系は付随車を組み込んだ3M2Tの5両編成化が検討されたが、主電動機容量の関係から歯車比が1100系と同じ5.76に変更することになり、1010形と1100形の性能は同一になった[4]。1030以降は歯車比を変更して新製されたが、車番は続番である[4]。
← 大阪 神戸・宝塚 → |
竣工 | |||
---|---|---|---|---|
Mc 1010 | Mc 1010 | Mc 1010 | Tc 1010 | |
1030 | 1031 | 1032 | 1033 | 1959年10月[4] |
1034 | 1035 | 1036 | 1037 | 1959年10月[4] |
Mc 1100 | Tc 1150 | Mc 1100 | Tc 1150 | |
1108 | 1158 | 1109 | 1159 | 1958年10月[4] |
1110 | 1160 | 1111 | 1161 | 1958年12月[4] |
1112 | 1162 | 1113 | 1163 | 1959年6月[4] |
1114 | 1164 | 1115 | 1165 | 1959年8月[4] |
1116 | 1166 | 1117 | 1167 | 1959年9月[4] |
年々増加する宝塚線の乗客数に対応すべく、1959年から1960年にかけて1140形が製造され[6]、4両編成の大阪寄りに連結され3M2Tの5両編成で使用される様になった。
← 大阪 |
竣工 |
---|---|
Mc 1140 | |
1140 | 1959年12月[6] |
: | |
1143 | |
1144 | 1960年8月[6] |
: | |
1148 |
神戸線は中間付随車の増結がなされ、T車の1050形を組み込んだ5両編成を組成した。
← 大阪 |
竣工 |
---|---|
T 1050 | |
1050 | 1959年12月[6] |
1051 | |
1052 | |
1053 | 1960年12月[6] |
1054 | |
1055 | |
1056 |
引き続き、1961年には1190形が6両製造され、1140形の1140 - 1145と2両編成が組まれ6両編成で運転された[4]。一方、1146 - 1148は引き続き増結用車として使用されたが、1147と1148は1963年以降に神戸線に転属し、1010系の増結車としても使用される様になった。
宝塚 → |
竣工 |
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Tc 1190 | |
1190 | 1961年10月[6] |
: | |
1195 |
変遷
昇圧改造
神戸線と宝塚線の昇圧に際し、1967年から1969年にかけて、全車で1500V専用化改造が実施された[7]。補機を含む電装品一式が更新されることとなり、京都線1300系と同様にMM'ユニット化され、制御器は新造の東芝PE-22Aに交換された。主電動機については、対地絶縁試験の結果、発電制動を廃止し過負荷を避ければ昇圧対応可能であると確認されたため、そのまま流用された。また、ブレーキ装置もAMC-DからHSCへと改造されることとなった[6]。
1010形は奇数Mc車がM'c車となり、1100F - 1108Fなどの4連はMc-Tc+Mc-TcをMc-To-M'o-Tcとして半永久連結器により4両固定化、1140形はM'車に改造された[8]。改造の際には不要となった運転台とパンタグラフが撤去されている。
車種の変更は以下のとおり[8]。
●Mc → M'c
●1011・1013・1015・1019・1025・1031・1035
●Mc → M'o
●1024・1028・1036・1101・1103・1105・1107・1109・1140 - 1148
●Tc → To
●1017・1021・1027・1033・1150・1152・1154・1156・1158・1160 - 1167
なお、昇圧工事に際しては1500V専用車として施工されたため、600V区間では走行出来なかった。それゆえ、神戸線の昇圧に先立って改造された車両については改造工事後の試運転を京都線に回送の上で実施し、その後神戸線の昇圧実施まで、正雀車庫や桂車庫に留置された。一方、神戸線昇圧後に改造された車両については、宝塚線所属車についても、改造工事後は神戸線に転属し、昇圧即応車である3000系などが入れ替わりに宝塚線に転出した。その結果、一時的に全車両が神戸線に所属していたことがある。
試作的に更新された1100︵6両目はT化された1000形、197 6.9.26石橋にて︶
1974年5月頃、1100の1両でイメージアップを目的とした工事が施工された[7]。前面は幌枠と標識灯枠がアルミ地の無塗装になり、妻開き戸と車掌台の窓を白Hゴムに変更、側窓枠は黄褐色からアルミ地の無塗装となった[7]。この改造は1両に留まったが、冷房化改造時に本格実施される。
冷房改造車 1029
1976年には一部の車両に冷房改造がなされ、ファンデリアおよび風洞撤去の上で冷凍能力10,500kcal/hの東芝RPU-3003が各車に3基搭載された。施工されたのは以下の38両である[8]。
●1010系︵10両︶: 1026 - 1033、1036、1037
●1100系︵28両︶: 1102 - 1110、1113、1115、1140、1143、1145、1152 - 1160、1163、1165、1190、1193、1195
冷房改造と同時に、車軸径の110mmから120mmへの強化、運転台撤去跡の乗務員室扉の埋め込み、車外スピーカーの設置が行われたほか[8]、冬季の寒風対策として広幅貫通路が2両に1両の割合で狭幅化、引き戸が設けられた[8]。車内は木目模様を明るい塗装に塗り替え、側窓枠はアルミ地無塗装として環境を刷新した[8]。最初に改造された1113Fでは、屋根以外には大きな改造は受けていなかった。
冷房改造されなかった車両については、1978年ごろから小規模な更新改造が実施され、車外スピーカーの取り付けや内装デコラ板の張替え等が行われた。
保存されている1010の車体断面。2011.5.8 正雀工場内の 阪急ミュージアムにて
1984年の1100Fを最初に廃車が開始され[8]、1020Fと1114Fを最後に1986年3月に非冷房車が全廃[8]、冷房車についても、1989年3月までに全車廃車された[8]。
1010の車体断面︵モックアップ?︶が正雀工場内の阪急ミュージアムで保存されている。
車体改装
冷房化改造
運用
1010系と1100系の性能は増備終了時には統一されており、1962年の神戸線6連化に伴う1148の神戸線移籍以降、本格的に両形式の共通運用が開始された[7]。 昇圧後も神戸・宝塚線の主力車として運用され、神戸高速鉄道開業後には、特急運用などで高速神戸や新開地まで乗り入れていたが、山陽電気鉄道本線への入線実績は無い。また大阪万博の際には、数編成が京都線に貸し出され、臨時準急などに使用された。 出力の関係で4M4Tの8両編成が使用出来なかった神戸線では、各駅停車の8両編成化が進んだ1978年を最後に運用を終了したが、宝塚線では引き続き主力として8両編成で使用され続けた。 晩年は支線運用が中心となり、阪急で最後に残ったのは伊丹線の1026Fと箕面線の1106Fで、1989年3月5日にこの2編成を併結した8両編成で梅田→宝塚間のさよなら運転を行い、1010系・1100系の運用を終了した[9]。 1986年と1988年に1編成4両ずつの計2編成8両が能勢電鉄に譲渡され、1000系として2001年まで運用された[8]。廃車
1300系
阪急1300系電車 | |
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冷改前の1307(1975.8.29十三にて) | |
基本情報 | |
運用者 | 阪急電鉄 |
製造所 | ナニワ工機 |
製造年 | 1957年 - 1961年 |
製造数 | 16両 |
廃車 | 1987年 |
投入先 | 京都線 |
主要諸元 | |
軌間 | 1,435 mm |
全長 | 19,000 mm |
台車 | FS-311 |
駆動方式 | 中空軸平行カルダン駆動方式 |
歯車比 | 4.59 |
制動装置 | HSC-D |
1010系・1100系に相当する京都線初の高性能車であり[10]、1957年から1961年にかけて16両がナニワ工機で製造された。神宝線の1200系の後を追う形で1300系となり[11]、形式の100番台の数字で﹁0﹂は神戸線、﹁1﹂は宝塚線、﹁3﹂は京都線とする体系が確立した[10]。
制御電動車(Mc)の1300形1301 - 1308と付随車(T)の1350形1351 - 1358の2形式で構成される。車番は京都線車両の慣例から1より始まる。2両単位で機器を集約分散搭載する1C8M制御方式を阪急で初採用しており、奇数車が制御器とパンタグラフを搭載するMc、偶数車が電動発電機と空気圧縮機を搭載するM'cとなっている。
また、1350形は増結時に順次挿入されたため、当初は編成単位での車番が不統一になっており、このため1357以外については後年に改番の上で整理されている。
車体
車体は1010・1100系と同様の2扉車であるが、第1編成である1301-1351-1302の3両は、既存の710系に準じて1000系シリーズ唯一の固定クロスシート車として製造された[12]。第2編成以降は全車ともロングシート車となった。 また、編成として最後に新造された1959年竣工の1307-1354-1308は、当初より3扉車として製造されたが、これらより後に既存編成向けに追加製造された1355・1356・1358の3両については組み込み先各編成の仕様に合わせて2扉車として製造されている。 2扉車の3扉化は、1970年から1973年にかけて施工されている[9]。主要機器
電装品は新京阪以来の京都線の伝統に従い、東洋電機製造の製品が採用されている。 主電動機はTDK-811-A︵100kW︶、駆動システムは中空軸平行カルダンが採用された。歯数比は1305以降、2M2Tでの牽引力を確保するため、4.59から6.31(82:13)と高く変更されている[12]。制御器はMM'ユニット方式による1C8M制御が阪急で最初に採用され、電動カム軸式多段制御器の東洋電機製造ES-563A・B︵ES-536Bの採用は1305以降︶が奇数車に搭載された。 台車は1957年製造車は住友FS-311であった。1959年の増備車は1305-1353-1306と1352が住友金属FS-325を装着したほか、1307-1354-1308が汽車製造製軸箱梁式空気ばね台車︵エコノミカルトラック︶のKS-62A・62を試用した[12]。 ブレーキは阪急初の発電制動付のHSC-D電磁直通ブレーキが採用された[12]。製造
編成は当初、1301Fがクロスシートの3両編成、1303Fがロングシートの2両編成とされた。← 大阪 京都 → |
竣工 | ||
---|---|---|---|
Mc 1300 | T 1350 | M'c 1300 | |
1301 | 1351 | 1302 | 1957年12月[10] |
Mc 1300 | M'c 1300 | ||
1303 | 1304 | 1957年11月[10] |
1959年には付随車の1350形が増備され、1303Fの2連に組み込み、1303-1352-1304の3両編成となった。
← 大阪 |
竣工 |
---|---|
T 1350 | |
1352 | 1959年1月[12] |
1305F・1307Fはいずれも当初より3両編成として竣工している。1307Fは京都線初の3扉車である[12]。
← 大阪 京都 → |
竣工 | ||
---|---|---|---|
Mc 1300 | T 1350 | M'c 1300 | |
1305 | 1353 | 1306 | 1959年11月[12] |
1307 | 1354 | 1308 | 1959年12月[12] |
1960・1961年には、1350形をもう1両ずつ組み込み4両編成となった[13]。1357は3扉車で、1301Fに組み込みの1358を含めロングシートである[13]。
← 大阪 |
竣工 |
---|---|
T 1350 | |
1355 | 1960年12月[13] |
1356 | |
1357 | 1961年10月[13] |
1358 |
改番
各編成ともMc-T-T-M'cの4両編成となったが、1350形の番号を編成内で揃えるため、以下の通り改番が実施された[13]。
●1358→1351
●1351→1352
●1355→1353
●1352→1354
●1356→1355
●1353→1356
●1354→1358
冷改後の1307︵1976.8.1梅田にて撮影︶
千里線の冷房化促進のため、1975年に1000系列で初の冷房化改造が実施された[14]。
冷房装置は、冷凍能力10,500kcal/hの東芝RPU-3003を各車に3基搭載する集約分散方式である[14]。冷房制御機器は、奇数電動車に搭載スペースが無く、隣接する付随車に設置された[14]。1351・1355の2両が宝塚線に転出していたため、4両ユニットは付随車の奇偶を入れ替え、偶数車に設置している[14]。改造は翌1976年までに実施された。
冷房化改造
運用
710系と共に特急・急行などに運用されたが、2300系の登場により優等列車の運用機会が減少した。1963年の河原町延伸による特急の増発では1300系もロングシート車編成を含めて特急運用に充当されたが、翌1964年の特急車2800系の就役開始に伴い、1966年に1301Fはロングシート化されて特急運用から完全に撤退した。 その後も本線各駅停車運用を中心に使用されていたが、千里線の輸送力増強の為、1971年に7両編成2本に編成替えされ、千里線専用となった[13]。この時余剰となった付随車2両︵1351・1355︶は宝塚線へ移籍し、1200系に編入された[14]。また同時期に全車が3扉化されている[13]。 1983年に4両編成3本に組成変更され、嵐山線で運用された[14]。この際余剰となった1307・1308は休車となったが、復帰することはなかった。 1984年、宝塚線に転出していた1351・1355の2両が廃車、1986年の1307・1308の廃車に続き、残る3編成12両も1987年までに廃車となった[14]。1200系
阪急1200系電車 | |
---|---|
1255 | |
基本情報 | |
運用者 | 阪急電鉄 |
製造所 | ナニワ工機 |
製造年 | 1956年 - 1958年 |
製造数 | 20両 |
廃車 | 1983年 |
投入先 | 宝塚線・神戸線 |
主要諸元 | |
軌間 | 1,435 mm |
台車 | KS-33系 |
主電動機出力 |
150 kW ×4(1200形) 150 kW ×2(1230形) |
駆動方式 | 吊り掛け駆動方式 |
1010系・1100系と同じ車体を新製し、主要機器を在来車各形式から流用した車両である[15]。当時残存していた1形18両の代替が名目であるが、新造車両扱いとなった[15]。1956年から1958年にかけてナニワ工機で製造され、全車2扉ロングシート車として竣工している。
T化後の1232
台車・電装品を旧型車両より複雑な入れ替えを実施した上で捻出した結果、台車は920系から、主電動機・制御機器など電装品は600形から捻出されている[15]。
主電動機は600形に装架されていた芝浦SE-140︵定格出力150kW︶を転用し、1200形は各4基、1230形は各2基装架した。駆動装置は吊り掛け式で、歯数比は2.77である。
制御器は電空カム軸式制御器である芝浦PC-2Bを搭載する。これは本来920系の後期以降に採用されたものであり、捻出元となった600形へは主電動機交換の際に搭載されたものであった。
台車は、920系用の扶桑金属工業KS-33L(H-147)と、川崎車輌製川-16︵1255-1257のみ︶が流用された。1958年に1232・1233が製造される際にKS-33Lをこれらに転用するため、1250・1251の台車を汽車製造L-17に交換した。
ブレーキは、A動作弁+中継弁による台車ブレーキ方式のAR自動空気ブレーキを搭載した。昇圧時にHSC電磁直通ブレーキへ換装されている。
主要機器
製造
920系以降の在来吊り掛け駆動車と同様の制御電動車(Mc)である1200形1200 - 1207と制御車(Tc)である1250形1250 - 1257の2形式16両が当初製造され、これらを組み合わせた2両編成が基本とされた。竣工は1010系・1100系より少し早い[15]。← 大阪 宝塚 → |
竣工 | |
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Mc 1200 | Tc 1250 | |
1200 | 1250 | 1956年8月[15] |
1201 | 1251 | |
1202 | 1252 | 1956年9月[15] |
1203 | 1253 | |
1204 | 1254 | 1957年1月[15] |
1205 | 1255 | |
1206 | 1256 | 1957年8月[15] |
1207 | 1257 |
続いて1208Fの製造が計画されたが、設計を変更して中間電動車が製造された[15]。形式は610系の中間電動車630形の経緯を踏まえて1230形とした[15]。
← 大阪 |
竣工 |
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M 1230 | |
1230 | 1957年12月[15] |
1231 | |
1232 | 1958年7月[15] |
1233 |
昇圧改造
昇圧後と同時にブレーキがAR自動空気ブレーキからHSC電磁直通ブレーキへ変更され[15]、これにあわせてATS設置や長編成化に伴う不要な運転台の撤去と編成の組み換えが実施されている。また、中間電動車4両のうち1232と1233は中間付随車(T)化され、1230と1231は付随車化された1232・1233の発生品を流用して主電動機を4基搭載に増強された。
台車交換
昇圧後も台車の変更が行われ、1250・1252が川-16に、1253-1257がL-17に交換、さらに、1971年以降、1550形が廃車された際に発生した台車を再利用する形で、1253-1257の台車が扶桑金属工業製FS-3台車に再交換されている。また1232・1233は、付随車化当初はKS-33Lのままであったが、暫くしてL-17に変更されている。運用
全車とも竣工時より宝塚線を中心に運用されたが、晩年は神戸線の支線でも使用された。京都線1300系の編成替えで余剰となった中間車の1350形2両︵1351・1355︶が宝塚線系に転籍して1200系編成に組み込まれ、7両編成を組成していた時期があった[15]。 1982年より順次廃車され、1983年に全廃となった[10]。1600系
阪急1600系電車 | |
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晩年の嵐山線運用の1600系 | |
基本情報 | |
運用者 | 阪急電鉄 |
製造所 | ナニワ工機 |
製造年 | 1957年 - 1960年 |
製造数 | 12両 |
廃車 | 1983年 |
投入先 | 京都線 |
主要諸元 | |
軌間 | 1,435 mm |
台車 | FS-103・FS-311ほか |
主電動機出力 | 150 kW ×4[16] |
駆動方式 | 吊り掛け駆動方式 |
制御装置 | ES-559 |
制動装置 | AMA-R・ACA-R |
100形︵P-6︶の電装解除に伴って発生した主電動機など電装品を流用し、車体と台車を新造して1957年から製造された。1200系と同じ思想であるが、台車は捻出する旧型車両がないため新製されている[14]。
1957年5月から1960年9月の間に[14]、制御電動車(Mc)の1600形1601 - 1606と、制御車(Tc)の1650形1651 - 1656の合計12両がナニワ工機で製造された[14]。
主要機器
主電動機は100形の一部を電装解除で捻出された東洋電機製造TDK-527-1A︵端子電圧750V時定格出力149.2kW、805rpm。︶を搭載する。駆動方式は吊り掛け式、歯数比は100形と共通の2.35である。主制御器は多段電動カム軸式の東洋電機製造ES-559が搭載された[14]。 台車は1600形が全車710系と共通のゲルリッツ式台車である扶桑金属工業FS-103、1650形はFS-103と1300系や1010・1100系と同じアルストムリンク式台車のFS-311を混用していた。 ブレーキは710系と同様、A動作弁と中継弁を組み合わせたAMA-R、ACA-Rを採用し、後に710系と同じくARSEに更新された[17]。製造
12両が製造された。全車とも2扉ロングシート車として竣工している。← 大阪 京都 → |
竣工 | |
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Mc 1600 | Tc 1650 | |
1601 | 1651 | 1957年5月[14] |
1602 | 1652 | |
1603 | 1653 | |
1604 | 1654 | |
1605 | 1655 | |
1606 | 1656 |
改造
1968年から1972年にかけて3扉化され、ブレーキはHSCへ変更された[17]。列車無線装置やATSは一旦全車に装備されたが、1972年に1601・1603・1606・1652・1654・1655の運転台が撤去され[17]、4連固定化された。冷房化はされなかった。
1971年の1000形の1010系編入に際して、台車は1650形のFS-311Kを1000形に、1000形から捻出のFS-303を810系の864 - 867に、その810系から捻出のFS-103を1650形に順繰りで転用した[14]。
運用
晩年は6両編成で千里線や本線普通運用についていたが、急行で走ることもあった[16]。その後は嵐山線に転出し、1983年末に廃車された。 なお、千里線での運用終了に伴い1982年に休車となった1601は、VVVF制御方式の試験車として使用された。誘導電動機駆動の最初の試験車両となった[17]。能勢電鉄1000系
1986年と1988年に1010系と1100系の4両編成1編成ずつ計2編成が能勢電鉄に譲渡され、新たに能勢電鉄1000系︵1000・1001F︶として就役開始した。括弧内に阪急時代の旧番号を記す。
●1000-1080+1030-1050︵旧番号‥1030-1032+1033-1037︶ - 1986年8月[8]
●1001-1081+1031-1051︵旧番号‥1108-1158+1110-1159︶ - 1988年3月[8]
600Vで使用するため、電動車は単車で走行可能な1M方式とする必要があり、中間電動車となる1030形については、先頭車を種車としている。電気関係は、主回路の降圧処置が施されており、電動発電機が静止形インバータに交換されて1080形に搭載されたが、あとはほぼそのまま使用されている。その為1500Vに昇圧された際にも、容易に対応する事が可能であった。
また外観については、方向幕の取り付けや通過標識灯・尾灯を腰板部に移設し、窓周りにベージュの塗装が施されるなど様々な改造が施されている。塗装はのちに、試験塗装を経て、ベージュに扉周りがオレンジの新塗装︵通称﹁フルーツ牛乳﹂︶に変更された。
1998年に6両編成化が行われ、1001-1080+1030-1081+1031-1051の1編成となり[8]、ラッシュ時間帯のみの運用となった。この際に余剰となった1000、1050の2両は廃車された。
2001年4月にさよなら運転を実施し、同年5月に開催された阪急電鉄正雀工場でのレールウェイフェスティバルの車両展示を最後に廃車された。
脚注
注釈
(一)^ 昇圧後は375V・110kWとなる。
(二)^ ただし、後年増備の1140形電動車では増結車としての性格上、単車で運用可能とすべく電動発電機もコンプレッサも搭載されていた。それゆえ、1140形とペアを組むべく増備された1190形制御車には、補機類が一切装備されていない。
(三)^ 日本には主に近畿車輛がシュリーレン社と提携して導入したシュリーレン式と、この汽車製造→川崎重工業がシンドラー社と提携して導入したシンドラー式の2系統が伝えられた。
(四)^ これのみ車輪径が軽量化を目的として860mmから762mmに縮小されている。
(五)^ 初年度となる1958年製造の1108 - 1111のみFS-324を装着。
(六)^ 全電動車編成では神戸線の使用実態に照らして出力が過大で、また歯車比が高速運用を目的に低く設定されたため、当初の計画よりも速度が出過ぎたと言われる。
出典
(一)^ abcde山口益生﹃阪急電車﹄111頁。
(二)^ 篠原丞﹁阪急電鉄2300系のあゆみ﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2003年1月号、電気車研究会、81頁。
(三)^ 篠原丞﹁初代1000系シリーズの軌跡﹂﹃鉄道ファン﹄2014年2月号、117頁。
(四)^ abcdefghijklm山口益生﹃阪急電車﹄113頁。
(五)^ abcdefghi山口益生﹃阪急電車﹄112頁。
(六)^ abcdefg山口益生﹃阪急電車﹄114頁。
(七)^ abcd篠原丞﹁初代1000系シリーズの軌跡﹂﹃鉄道ファン﹄2014年2月号、123頁。
(八)^ abcdefghijklm山口益生﹃阪急電車﹄115頁。
(九)^ ab篠原丞﹁初代1000系シリーズの軌跡﹂﹃鉄道ファン﹄2014年2月号、124頁。
(十)^ abcde山口益生﹃阪急電車﹄117頁。
(11)^ 篠原丞﹁初代1000系シリーズの軌跡﹂﹃鉄道ファン﹄2014年2月号、120頁。
(12)^ abcdefgh山口益生﹃阪急電車﹄118頁。
(13)^ abcdefg山口益生﹃阪急電車﹄119頁。
(14)^ abcdefghijklm山口益生﹃阪急電車﹄120頁。
(15)^ abcdefghijklmn山口益生﹃阪急電車﹄116頁。
(16)^ ab﹃私鉄の車両5阪急電鉄﹄119頁。
(17)^ abcd山口益生﹃阪急電車﹄121頁。
参考文献
●山口益生﹃阪急電車﹄JTBパブリッシング、2012年。ISBN 4533086985。 ●飯島巌﹃復刻版・私鉄の車両5阪急電鉄﹄ネコ・パブリッシング、2002年。ISBN 9784873662886。 ●阪急電鉄・諸河久﹃日本の私鉄 阪急﹄保育社、1998年。 ●篠原丞﹁阪急高性能車黎明期を飾る 初代1000系シリーズの軌跡﹂、﹃鉄道ファン﹄2014年2月号、交友社。114-125頁。関連項目
●阪急1000系電車 (2代)この記事は以下のカテゴリでも参照できます