アナトーリイ・ステッセリ

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アナトーリイ・ステッセリ
Анатолий Стессель
ステッセリ(1890年頃)
生誕 1848年7月10日
ロシア帝国の旗 ロシア帝国 サンクトペテルブルク
死没 (1915-01-18) 1915年1月18日(66歳没)
ロシア帝国の旗 ロシア帝国 モスクワ
所属組織 ロシア帝国陸軍
軍歴 1866年 - 1906年
最終階級 中将
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旅順水師営 中央右がステッセリ将軍

: Анатолий Михайлович Стессель, : Anatolii Mikhailovich Stoessel; 1848710 - 191511819043

経歴[編集]


186616441899319038190483



3122031

190821909410

評価[編集]




3[1]



41

調4



33739303[2] 


逸話[編集]

恐妻家[編集]

気の強い性格のヴェーラ夫人には生涯頭が上がらなかったと云われている。将兵が美男子と見ればあからさまに誘惑する(コンドラチェンコもその1人だったといわれている)夫人の行動に何も言えず、幕僚達に「妻の行動に不義があればどうか止めて欲しい」と常に頼んでいたという話が残っている。

ステッセリのピアノ[編集]

ステッセリのピアノにまつわる話が各地に残されている。その一つは、ヴェーラ夫人が旅順の要塞で弾いたとされるピアノで、石川県の金沢学院大学に保存されている。旅順陥落に際してステッセリから乃木に贈呈されたものが、旅順で最大の戦死者を出した金沢第九師団に譲られたと伝わっている。

脚注[編集]

  1. ^ 例えば4番の歌詞では両者が称え合う姿を以下のように歌っている。
    昨日(きのう)の敵は 今日の友
    語ることばも うちとけて
    我はたたえつ かの防備
    かれは称えつ わが武勇
  2. ^ 別宮暖朗著「坂の上の雲では分からない旅順攻防戦」

関連項目[編集]