ケルンテン州
- ケルンテン州
- Kärnten
-
(州旗) (州の紋章) -
州都 クラーゲンフルト 州首相 ペーター・カイザー (SPÖ) 面積
- うち陸面積
- 水面積9,535.97 km2 (第5位)
9,364 km2 (98.2 %)
172 km2 (1,8 %)人口
- 総計
- 人口密度(2013年1月1日)
555,473 人 (第6位)
58 人/km2与党 SPÖ、ÖVP 前回選挙 2023年3月5日 次回選挙 2028年 連邦議会議席数 4 市町村総数
- うち市の数
- うち町の数132
17
47測地系 北緯46度22分-47度8分
東経12度39分-15度4分最高点 グロースグロックナー山 (3,797 m) 最低点 ラヴァミュント (348 m) ISO 3166-2:AT AT-2 ウェブサイト [1]
ケルンテン州︵ケルンテンしゅう、独: Kärnten [ˈkɛʁntn̩] ( 音声ファイル)︶は、オーストリア共和国を構成する9つの連邦州のひとつ。州都はクラーゲンフルト・アム・ヴェルターゼー。
ケルンテン州最大の湖、ヴェルター湖からマリーア・ヴェルトの町並み を望む
オーストリアで最も南に位置する州で、南はイタリアとスロベニアの2カ国と国境を接する。州の西ではチロル州、北でザルツブルク州、北東でシュタイアーマルク州と接している。チロル州との州境にそびえるグロースグロックナー山はオーストリア最高峰の山で、標高は3797メートルである。州面積の半分以上が1000メートル以上に位置しており、これらの地域にはほとんど人は住んでいない。
州内をドラオ川が流れるほか、多くの湖があり、その風光明媚な景観は多くの観光客を集めている。代表的な都市としては、州都であるクラーゲンフルト、フィラッハなどが挙げられる。面積は9,536平方キロメートル、人口密度は59人/平方キロメートル。
クラーゲンフルト近くのツォルフェルトに遺る﹁ケルンテン公の玉座﹂
1335年にケルンテン公ハインリヒ6世が嗣子なくして死去すると、神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世は後継者にオーストリア公アルブレヒト2世を指名し、以後ケルンテン公国はハプスブルク家領となった。1806年に神聖ローマ帝国が消滅したのちはオーストリア帝国の、次いでオーストリア=ハンガリー帝国の統治下に置かれた。
第一次世界大戦で敗戦国となったオーストリア=ハンガリー帝国は民族自決に基づいて解体されることになり、ケルンテンでも1920年10月10日に帰属を問う住民投票が行なわれた。この結果ケルンテンは北部は第一共和政のオーストリアのケルンテン州に、南部のいくつかの自治体はセルブ=クロアート=スロヴェーヌ王国︵のちのユーゴスラビア王国︶のコロシュカ地方︵現在はスロベニア領︶となった。
1938年にナチス・ドイツはオーストリアと合邦した︵アンシュルス︶。ナチス支配の下では標識からスロベニア語が消え、さらにスロベニア系住民の強制移住も計画された。
ドイツが第二次世界大戦に敗れるとケルンテン帝国大管区はイギリスの占領下に置かれたが、1955年にオーストリアは連合国との間にオーストリア国家条約を調印して独立を回復した。
2001年の国勢調査による、各自治体のスロベニア語話者の割合:
██ 5-10%
██ 10-20%
██ 20-30%
██ 30%以上
名称[編集]
ドイツ語の Kärnten はケルト語に由来すると考えられており、二つの説がある。一つは﹁友人﹂や﹁親類﹂を意味する carant で、これは青銅器時代のイリュリア人を指しているとする。もう一つは﹁石﹂や﹁岩﹂を意味する karanto で、こちらが正しければカルンブルク︵Karnburg; 現在のマリーア・ザールの集落︶やカラヴァンケン山脈︵Karawanken︶と同根ということになる。 スロベニア語では Koroška ︵[kɔˈɾóːʃka] ( 音声ファイル) コロシュカ︶と呼ばれる。古スロベニア語では Korotan と呼ばれていた。これはカランタニアと関連があると考えられている。 日本語での表記は、﹁ケルンテン﹂。まれに英語の Carinthia から﹁カリンシア﹂や﹁カリンティア﹂と表記されることもある。地勢[編集]
歴史[編集]
考古学的調査によれば、この地に人類が住み始めたのは旧石器時代にまでさかのぼる。古代にはノリクムと呼ばれる地域の一部で、ケルト人によるノリクム王国が建てられていた。﹁ケルンテン﹂という地名は上記の通りケルト語に由来すると考えられている。ノリクム王国は紀元前16年にローマ帝国によって併合された。以後はノリクム属州となりラテン化が進んだ。 西ローマ帝国が衰退するとこの地はゲルマン人やスラヴ人などが進出し、7世紀にスラヴ人によるカランタニア公国が成立した。カランタニア公国は745年に独立を失い、フランク王国の支配に――直接的にはバイエルン大公の支配に――服するようになった。10世紀にケルンテン公国がバイエルン公国から分離され、神聖ローマ帝国の領邦の一つとなった。産業[編集]
農業、林業が中心。豊富な水量を背景に水力発電が行われており、クラーゲンフルトなどの都市部では製紙産業のほか、金属、化学工業などもみられる。住民[編集]
ケルンテン州の2013年1月1日現在の人口は、推計55万5473人である。このうち、フィラッハやクラーゲンフルトがある州中央部のクラーゲンフルト盆地に住む人の割合が最も高い。 周囲を山岳地帯に囲まれ、地域としての一体性が強かったこともあり、オーストリアではどの州でもみられることであるが、ケルンテンとしての地域意識がとりわけ強い。 住民のうち9割以上がドイツ語を話すが、南部にはスロベニア語を母語とする人々もいる。彼らは少数民族とみなされているが、その権利については議論もある。 ケルンテンにおける宗教ごとの信徒の割合は表の通り。カトリック教会が最も多く、人口の77.2%を占める。第2位の福音主義教会(大半はオーストリア福音主義教会アウクスブルク信仰告白派に属している)はおよそ1割であるが、これはオーストリアではブルゲンラント州に次ぐ高率である。 ケルンテン州の守護聖人は聖ヨセフと聖ヘンマの2人である。調査年月日 | 人口 |
---|---|
1900年12月31日 | 367,324 |
1923年3月7日 | 370,432 |
1939年5月17日 | 460,946 |
1951年6月1日 | 474,764 |
1961年3月21日 | 495,226 |
1971年5月12日 | 525,728 |
1981年5月12日 | 536,179 |
1991年5月15日 | 552,421 |
2001年5月15日 | 559,404 |
宗教 | ケルンテン | オーストリア |
---|---|---|
カトリック | 77.2 % | 73.7 % |
福音主義 | 10.3 % | 4.7 % |
イスラム教 | 2.0 % | 4.2 % |
正教会 | 0.8 % | 2.2 % |
無回答 | 7.9 % | 12.0 % |
政治[編集]
州首相一覧[編集]
地方行政[編集]
ケルンテン州は8つの郡︵Bezirk; 行政管区とも訳される︶に分けられる。郡は自治体ではなく、行政事務を処理する州の出先機関である。また州都のクラーゲンフルト・アム・ヴェルターゼーと第2の都市フィラッハは郡に属さない憲章都市︵Statutarstadt︶に指定されており、郡の業務も独自に処理している。 また、ケルンテン州には132の基礎自治体︵Gemeinde; ゲマインデ︶がある。このうち17自治体が市︵Stadt︶、47自治体が町︵Marktgemeinde; 市場町︶に指定されている。ナンバープレート | 郡名 | 位置 | 郡庁所在地 | 面積 (km2) |
人口 (2020年1月1日) |
人口密度 | 自治体数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
FE | フェルトキルヒェン郡 | フェルトキルヒェン・イン・ケルンテン | 558.56 | 29,902 | 54 | 10 | |
HE | ヘルマゴール郡 | ヘルマゴール=プレセッガー・ゼー | 808.02 | 18,054 | 22 | 7 | |
K | クラーゲンフルト・アム・ヴェルターゼー | 憲章都市 | 120.11 | 101,300 | 843 | ||
KL | クラーゲンフルト=ラント郡 | クラーゲンフルト・アム・ヴェルターゼー | 765.59 | 60,014 | 78 | 19 | |
SP | シュピタール・アン・デア・ドラウ郡 | シュピッタール・アン・デア・ドラウ | 2,763.99 | 75,868 | 27 | 33 | |
SV | ザンクト・ファイト・アン・デア・グラン郡 | ザンクト・ファイト・アン・デア・グラン | 1,493.67 | 54,186 | 36 | 20 | |
VI | フィラッハ | 憲章都市 | 134.99 | 82,882 | 465 | ||
VL | フィラッハ=ラント郡 | フィラッハ | 1,009.33 | 64,618 | 64 | 19 | |
VK | フェルカーマルクト郡 | フェルカーマルクト | 907.49 | 41,862 | 46 | 13 | |
WO | ヴォルフスベルク郡 | ヴォルフスベルク | 973.79 | 52,607 | 188 | 9 |
シンボル[編集]
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州の紋章
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州旗
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州政府旗
ケルンテン州の紋章はケルンテン公国時代のものを引き継いでおり、現在のケルンテン州憲法︵1996年7月11日制定︶では第6条2項に規定されている。意匠は﹁︵楯から見て︶右側が金︵オーア︶に三頭の黒い︵セーブルの︶ライオン、左側が赤︵ギュールズ︶に銀︵アージェント︶の横帯︵フェス︶﹂である。
州旗は上から黄赤白の横縞の三色旗である。州政府旗にはその中央に州の紋章が配されている。
州歌は﹃Des Kärntners Heimatlied﹄である。
観光[編集]
脚注[編集]
- ^ “Salzburger Lungau & Kärntner Nockberge Biosphere Reserve, Austria” (英語). UNESCO (2020年6月). 2023年3月13日閲覧。
- ^ “Autertal - St. Lorenzener Hochmoor | Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org (2011年8月2日). 2023年3月13日閲覧。
外部リンク[編集]
- ケルンテン州政府 (ドイツ語)