コーチン王国
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- コーチン王国
- കൊച്ചി പെരുമ്പടപ്പ് സ്വരൂപം
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← 12世紀 - 1947年 → (国旗) - 国歌: Om Namo Narayana
コーチン王国の版図-
公用語 マラヤーラム語、英語 首都 トリッシュール - ラージャ
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1895年 - 1914年 ラーマ・ヴァルマ15世 1946年 - 1947年 ケララ・ヴァルマ・タンプラン - 変遷
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成立 12世紀 インドへ合併 1947年
通貨 ルピー 現在 インド
コーチン王国︵コーチンおうこく、マラヤーラム語‥കൊച്ചി പെരുമ്പടപ്പ് സ്വരൂപം、英語‥Kingdom of Cochin︶は、インドのケーララ地方に存在したヒンドゥー王朝︵12世紀頃 - 1947年︶。コーチン藩王国とも呼ばれる。
歴史[編集]
12世紀初頭、チェーラ朝が衰退した頃になって、コーチン王国の存在が歴史に現れてくるようになる。 1440年にはイタリアの旅行者ニコラオ・ダ・コンティがコーチンに滞在し、その旅行記に書き記している[1]。 1500年、ヴァスコ・ダ・ガマがこの地を訪れている。また、この年にポルトガル人の居留地が建設された[2][3]。 1509年のディーウ沖の海戦の際には、コーチン王国の軍勢がポルトガル側で参戦している。 1773年以降、コーチン王国はマイソール王国に侵略され、1776年にはトリシュールも占領された。そのため、コーチン王国は多額の貢納の支払いを余儀なくされた。 1795年、イギリスがオランダからコーチンを占領し、1814年にはコーチンを割譲されたことにより[4]、コーチン王国はイギリス保護下の藩王国となった。 1947年8月15日、インド・パキスタン分離独立により、コーチン藩王国はインドに帰属し、その歴史を終えた。脚注[編集]
(一)^ “Accounts of Nicolo de' Conti (ca.1395–1469)”. Niccolo di Conti. win.tue.nl. 2006年5月23日閲覧。
(二)^ “Kochi, India”. Encyclopædia Britannica. 2011年3月9日閲覧。
(三)^ “Early Voyages to the Far East”. University of Calgary. 2011年3月9日閲覧。
(四)^ KP Padmanabha Menon. (1914). Kochi Rajyacharithram