ジェームズ・トービン
ネオ・ケインジアン経済学 | |
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Tobin in 1962 | |
生誕 |
1918年3月5日 イリノイ州シャンペン市 |
死没 |
コネチカット州ニューヘブン |
国籍 | アメリカ |
研究機関 |
イェール大学 コウルズ委員会 |
研究分野 | マクロ経済学 |
母校 | ハーバード大学 |
影響を 受けた人物 |
ジョン・メイナード・ケインズ ジョセフ・シュンペーター アルヴィン・ハンセン ゴットフリード・ハーバラー サムナー・スリヒター セイモア・ハリス エドワード・メイソン エドワード・チャンバーリン ワシリー・レオンチェフ |
論敵 | ミルトン・フリードマン |
影響を 与えた人物 |
ポール・サミュエルソン ロイド・メッツラー ジョン・ケネス・ガルブレイス エイブラム・バーグソン リチャード・マスグレイヴ リチャード・グッドウィン ジャネット・イエレン[1] ポール・クルーグマン 浜田宏一[1] |
実績 |
ポートフォリオ理論 ケインジアン経済学 トービンのq トービット・モデル |
受賞 |
ジョン・ベイツ・クラーク賞 (1955) ノーベル経済学賞 (1981) |
情報 - IDEAS/RePEc |
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ジェームズ・トービン︵James Tobin、1918年3月5日 - 2002年3月11日︶は、アメリカ合衆国の経済学者。
ジョン・メイナード・ケインズの考えを支持し、マネタリストと財政・金融政策で論争している。また、投資や金融市場に関する研究でも業績を残し、投機的な通貨取引に課税するトービン税や、会社の資産と市場での評価を測る指標として知られるトービンのq理論で知られる。
経歴[編集]
伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。 |
●1918年 父Louis Michael Tobinと母Margaret Edgerton Tobinの間にイリノイ州シャンペン市に生まれる。
●イリノイ大学付属高校で学ぶ。
●1935年 ハーバード大学入学。
●1936年 出版されたばかりの﹃一般理論﹄を、大学院生でチューターであったスペンサー・ポラード︵労働経済学︶と一緒に読んだ。
●1939年 ハーバード大学卒業︵学士号︶。
●1940年 MA︵修士号︶。
●4年間海軍で勤務後、ハーバード大学に戻る。
●1947年 Ph.D.︵博士号︶。
●1947年 ハーバード大学のSociety of Fellows︵3年間︶に選ばれ、ジュニア・フェローとなる。
●1950年 エール大学︵イェール大学︶の准教授となる。
●1955年 エール大学教授となる。
●1955年 ジョン・ベイツ・クラーク賞︵ジョン・ベイツ・クラーク・メダル︶受賞。
●1955年 生涯の研究の場であるコウルズ財団︵コウルズ委員会︶が、それまでのシカゴ大学からエール大学に移り、地位を高めることとなった。
●1957年 エール大学で格の高いスターリング・プロフェッサーとなる。
●1961年〜1962年 ジョン・F・ケネディ大統領の下で大統領経済諮問委員会委員を務める。
●1971年 アメリカ経済学会会長。
●1981年 ノーベル経済学賞を受賞[注釈 1]。
●1988年 70歳で定年退職。名誉教授。
●2002年 コネチカット州ニューヘブンで死去︵84歳︶