バタシー
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バタシー
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数々のポップ・カルチャー・アイコンになってきた旧発電所 | |
グレーター・ロンドンにおけるバタシーの位置 | |
英式座標 | TQ2737775456 |
ロンドン 特別区 | |
セレモニアル カウンティ | グレーター・ロンドン |
リージョン | |
構成国 | イングランド |
国 | イギリス |
郵便地域 | LONDON |
郵便番号 | SW11 SW8 |
市外局番 | 020 |
警察 | メトロポリタン |
消防 | ロンドン |
救急医療 | ロンドン |
欧州議会 | ロンドン |
英国議会 |
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ロンドン議会 | |
バタシー︵英: Battersea︶は、ロンドン南部・ワンズワース区のテムズ川南岸で、住宅が多く建ち並ぶインナーシティ地区である。ロンドン南東部の主要公園のひとつ、バタシー・パークがあるほか、地区はチャリング・クロスから南東に2.9マイル (4.7 km)の位置にある。
かつて地域一利用者の多い駅だったクラパムジャンクション駅では、ロンドン地下鉄の主要な2路線が交差する。この路線沿いには、区営住宅であるカウンシル・ハウスがいくつか建ち並んでいるが、これは旧バタシー発電所や、機関車・客車・重工業工場の跡地などを活用したものであり、現在ではブルータリズムな建物から広い庭園まで幅広く備える地区になっている。テムズ川や庭園沿いには、典型的なロンドン風の私有家屋も多く建ち並んでいる。
2001年時点での地区の人口は87,877人[1]、2011年時点での人口は106,709人であった[2]。ニュー・コヴェント・ガーデン・マーケットやロイヤル・アカデミー・オブ・ダンスなどもこの地区に位置している。ワンズワース・コモンやクラパム・コモンは、地区の境界の一部を成しているが、この一帯は伝統的に﹁ナイン・エルムズ﹂︵英: Nine Elms︶と呼ばれている[注 1]。バタシー地区の鉄道駅は、ロンドンのトラベルカード・ゾーンでゾーン2に属している。
歴史[編集]
「ロンドンの歴史」も参照
元々サリーの一部だったバタシーの中心地は、ファルコンブルック河口の島に建てられた教会だった。ファルコンブルック︵英: Falconbrook︶は、トゥーティング・ベク・コモンから上り、南ロンドンの地下を流れてテムズ川に出る小さな河川である[3]。
この地区は、アングロ・サクソン人の時代には﹁バドリック (Badric) の島﹂を意味する "Badrices īeg" と呼ばれており、後に "Patrisey" と呼ばれるようになった。大きな河川の近くにある元小教区の例に漏れず、地区には干拓された湿地帯や、小川を暗渠の排水溝に流したカルヴァートもいくつか含まれていた。
この地区では、9世紀に創建されたという聖メアリー教会が有名である。現在の教会堂は1777年に完成したもので、1782年には詩人・画家のウィリアム・ブレイクと妻キャサリン・バウチャーの結婚式がここで執り行われた[注 2]。また、アメリカ独立戦争時の大陸軍将軍・ベネディクト・アーノルドは、妻ペギー・シッペンや娘と共に、この教会の地下聖堂に埋葬された。
集落はドゥームズデイ・ブックにも現れ、聖ペテロ修道院︵ウェストミンスター︶︵英: St Peter's Abbey, Westminster︶が保有する、Patricesy という名前の地区として記録されている。地所には18ハイド・17プラウランドの耕作地があり[注 3]、年間42ポンド9シリング8ペンスの価値に相当する7つの製粉所、82エーカー (33 ha)の草地、50匹のブタ分の価値がある疎林などが含まれていた。地所全体で、75ポンド9シリング8ペンスの価値があるとされた[6]。
バタシーの旧教区には、ブロムリー区ペンジ・クリスタル・パレスに、数百エーカーの飛地が存在した。バタシー教区は、1899年ロンドン地方自治法︵英: The London Government Act of 1899︶に基づいて作られた、メトロポリタン・バラ・オブ・バタシー (Metropolitan Borough of Battersea) の一部を成していた[7]。また、この法律が元で、バタシー内の集落だったペンジは別個のアーバン・ディストリクトを形成するようになり、ケントに移管された[7]。
バタシー発電所
この地区の産業は、北東部のバタシー・ワンズワース境界付近に集中していたが、これはテムズ川や、ワンズワースでテムズ川に出るワンドル川の水運によるものである。地区への入植は、16世紀のプロテスタント職人であるユグノー移民から始まった。彼らは宗教的迫害を逃れるためイングランドへ渡り、この地区でラベンダーを育てたり庭園を作ったりしたほか、製粉場や醸造所、染色工場、漂白工場、キャラコへの印刷業など幅広い業種の産業を営み始めた[7]。産業は、1750年代からの産業革命期間、テムズ川の土手に沿って東側に発展していったが、これは川の水を運輸や蒸気機関などに利用したためである。テムズ川に掛けられた橋もまた、産業の発展を後押しした。1マイル (1.6 km)ほど西にあるパトニー橋は1729年に、北側の境界域中心部にあるバタシー橋は1771年に建設されている。川から入った内陸部では、農村の農業共同体が存続していた[7]。
テムズ川沿いには、卓越した大農場がいくつも存在した。中でもモーガン・クルーシブル・カンパニー︵現‥モーガン・アドバンスド・マテリアルズ︶が有名で、今日まで生き残ってロンドン証券取引所にも上場している。また、自転車灯のオイル生産をしていたプライシズ・キャンドルズ︵英: London Stock Exchange︶や、オーランド・ジョーンズ・スターチ・ファクトリー︵英: Orlando Jones' Starch Factory︶も著名である。1874年に英国陸地測量局が制作した地区の地図では、現在のワンズワース橋に当たる場所からバタシー・パークにかけて、デンプン工場、絹工場、︵セント・ジョンズ・カレッジ[注 5]、聖メアリー教会︶、麦芽製造所、トウモロコシ粉ひき場、オイル・グリース工場︵プライシズ・キャンドルズ︶、化学工場、Plumbago Crucible works︵後のモーガン・クルーシブル・カンパニー︶[注 6]、別の化学工場、硝石工場、鋳物工場が立ち並んでいた。なお、この区間には船用として多数の波止場が存在した。
バタシー発電所は、1929年に建設が開始され、1939年に完成した。18世紀遅くから比較的最近まで、バタシー地区︵特にその北部︶は工業地区として知られ、この影響から公害や劣悪な住環境に悩まされてきた地域でもあった。
1970年代にこの地区の工業は衰退し、他地区へ移転していった。地元政府は、戦後建てられた年代物の住宅が抱える問題点を解決しようと考え、大規模な撤去作業と計画的な住宅建設を行った。地元政府による大規模改修が終了してから数十年で、バタシーは事業家や高収入者が地下鉄沿線の公園沿い・川沿いに多く住む地区へと再興され、結果として大規模建設も行われた。また工場は取り壊され、現代的なマンションへと建て替えられた。カウンシルが保有する不動産のいくつかは売却され、働く男性向けの伝統的なパブも、より高級なビストロへ変えられた。バタシー地区の鉄道沿線には、ワンズワース区が保有する、恵まれない人向けの地方自治体住宅︵英: local authority housing︶が点在する。これらの地区は、ヴィクトリア朝に建設された後、スラム街になっているとして非難された[10]。
1945年1月27日のV2ロケットによるバタシー地区爆撃後の写真
バタシーは、鉄道の敷設で大転換した地区である。ロンドン・アンド・サウサンプトン・レイルウェイ・カンパニー︵英: The London and Southampton Railway Company︶は、1838年に、バタシー地区を通過する東西の鉄道を建設した。地区の北西角にある、最初のナイン・エルムズ駅が、この鉄道の終点となった。これから22年の間で更に5本の鉄道が開通し、ウォータールー駅やヴィクトリア駅発の列車は、現在同様にこの地区で交差するようになった。1863年には、地区北西にあった鉄道のジャンクションに、中継駅が建設された。この駅には、1マイル弱離れた場所にある粋な街から名前を取って、﹁クラパム・ジャンクション﹂とされた。20世紀初頭には、駅名を﹁バタシー・ジャンクション﹂に変えようとのキャンペーンも展開されたが、この運動は頓挫している。19世紀後半の数十年で、バタシーは都市鉄道の中心地へと発展した。ナイン・エルムズとロングヘッジには機関車工場ができ、さらに車庫も3つ︵ナイン・エルムズ、ステュアート、バタシー︶作られたが、これらは全て、地区北側の比較的小さなエリアに位置していた。この建設の影響は急激に訪れ、1840年には6,000人の人口しかなかった地区に、1910年には16万8,000人が居住するようになった。またバタシー・パーク、クラパム・コモン、ワンズワース・コモンなどの緑地や、いくつかの小地区は残されたが、その他の農場は全て建て替えられた。農場の跡地には、北から南に、工業ビル、その多くが現存する広大な鉄道施設や待避線、労働者向けのスラム住宅などが建てられた。うちスラム住宅は、東西に走る鉄道の北側に多くが位置した。また地区の南側には、次第に高級住宅としてのテラスハウスが建ち並ぶようになった。
鉄道駅の建設を受けて、自治体は庁舎をクラパム・ジャンクション駅周辺部のエリアに建設した。1880年代から1890年代にかけて、役場、図書館、警察署、裁判所、郵便局などの公共施設がラヴェンダー・ヒル沿いに新しく建てられている。駅の反対側にあるアーディング・アンド・ホッブズ百貨店は、建設された1885年当時において、この形式の建物として最大のものだったほか、駅近くの通りは地域の商店街として発展した。地区には巨大なミュージック・ホール、ザ・グランド︵英: The Grand︶が駅の反対側にあったが、現在ではより小規模なバンド向けのナイトクラブ・ライブ会場に作り替えられている。また役場の隣にはシェイクスピア・シアター︵英: The Shakespeare Theatre︶と呼ばれる大きな劇場があったが、爆撃を受けた後再興された。駅周辺にあったこれらの建物は、地区南側の新たな中心部へと移転され、ファルコン・ロード︵英: Falcon Road︶の拡張も相まって、元々の村でのメイン・ロードだったバタシー・ハイ・ストリート︵英: Battersea High Street︶はすっかり取り残されてしまった。
ドディントン&ロロ・エステート︵英: Doddington an d Rollo Estate︶
バタシーには、20世紀中盤に建てられた公設住宅(カウンシル・エステート)が多く建ち並ぶ広大な地区がある。これらの住宅は、ほとんどが鉄道線路の北側に位置し、西はフェアフィールド、東はクイーンズタウンまで広がっている[11]。
1877年にこの地区に建設されたシャフツベリー・パーク・エステートは、ロンドンばかりでなくイギリスでも最初の公設住宅︵自治体によって開発されたという意味で︶であった。
地区には特に有名なエステートが4つある。この中で最も有名であろうウィンスタンリー・エステート︵英: The Winstanley Estate︶は、ガレージバンドのソー・ソリッド・クルー︵英: So Solid Crew︶が結成された場所として知られている[12]。この邸宅はクラパム・ジャンクション駅の北に隣接しており、2015年には、当時のボリス・ジョンソン・ロンドン市長によって、新しいハウジング・ゾーンのひとつとして広域的に再開発させることが提言され、検討が進んでいる[13]。チェルシーに面した北側にはサリー・レーン・エステート︵英: The Surrey Lane Estate︶、バタシー・パーク・ロード上にはドディントン&ロロ・エステート︵英: The Doddington and Rollo Estate︶が存在する。また、東側でヴォクソールに面した場所には、バタシー発電所にも程近いパトモア・エステート︵英: The Patmore Estate︶が位置する。
他にも、これより小さな邸宅として、ヨーク・ロード、サマセット、サヴォナ、バドリック・コート、ピーボディ・エステート、ウィンター・ストリート・エステート、エセルバーガ・エステート、カンバラ・エステート、キャリー・ガーデンズなどがある[注 7]。
農業[編集]
産業革命以前、この広い教区の大半は農場であり、人口密集地のシティ・オブ・ロンドンを取り囲んで食糧を供給していた。また特産品として、ラベンダーやアスパラガスの栽培、養豚が行われていた。ラベンダーが育てられていたラヴェンダー・ヒルには、現在同名の通りが存在する。アスパラガスは "Battersea Bundles"︵意味‥バタシー包み︶として売られていた。また養豚が行われていたピッグ・ヒル︵英: Pig Hill、ブタ丘の意味︶は、後のシャフツベリー・パーク・エステートに当たる。18世紀終わりには、バタシー教区の300エーカー (1.2 km2)を超える土地が20近くの市場向け菜園で占められたが、これらはそれぞれ5エーカー (20,000 m2)から60エーカー (240,000 m2)の土地を賃借りしていた[8]。近隣の村落であるワンズワースやアールスフィールド︵ガラット[注 4]のハムレット︶、トゥーティング、バラムとは野原で隔てられていた。他の郊外地同様、バタシーや近隣の地区には、ロンドンの資産家や伝統的な荘園を相続した人々が自分の住宅を建てた[7]。産業[編集]
鉄道の時代[編集]
住宅地[編集]
地方自治[編集]
画像外部リンク | |
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en:File:Batterseaarms.PNG ? 1955年にメトロポリタン・バラ・オブ・バタシー(バタシー都市バラ)へ使用が許可された紋章 |
地理[編集]
フラム | チェルシー | ピムリコ | ||
ワンズワース | ナイン・エルムズ ストックウェル | |||
バタシー | ||||
ワンズワース、バラム | バラム、クラパム | クラパム |
犯罪[編集]
バタシーの一部は、かつて薬物問題に揺れる街として知られていた。ウィンスタンリーやヨーク・ロードにある区営住宅はこれらの悪評を後押しする形になっていたが、一帯は2007年に﹁薬物徹底排除地区﹂︵英: a zero-tolerance "drug exclusion zone"︶に追加された[21]。
バタシー・ドッグズ・ホーム︵英: Battersea Dogs home、隣接するガス工場も見える︶
クラパム・ジャンクション駅
クラパム・ジャンクション駅に隣接し、駅から望むこともできる巨大な アズダのスーパーマーケット
ロンドン・ヘリポート
バタシー地区には以下の名所が存在する。ここでは東から西に列挙する。
人口統計[編集]
2001年時点での地区の人口は87,877人[1]、2011年時点での人口は106,709人であった[2]。地区には白人イギリス人 (White British) の出自を持つ住民が52.2% 居住しているが[22][信頼性要検証]、この数字はワンズワース区全体での平均・53.3%よりやや低い。名所[編集]
ニュー・コヴェント・ガーデン・マーケット
青果を扱う卸売市場で、1974年に以前のコヴェント・ガーデンから移設された。市場自体はバタシーを含むナイン・エルムズに位置する。
バタシー発電所
ジャイルズ・ギルバート・スコットが設計したアイコニックな大建造物。1929年から1939年にかけて建設され、ピンク・フロイドのアルバム﹃アニマルズ﹄など、ポップ・カルチャーで数多く用いられている。1980年代後半から再開発計画は何度も持ち上がっているが、その度に失敗し続けてきた。現在の提案は、発電所の閉鎖で現在使われていない建物を、巨大な商業・エンターテインメント複合施設に作り替えるというものである。ケニントンからノーザン線を延長する工事は2020年に完了する予定で[23]、交通アクセスの向上も期待されている。
バタシー・ドッグズ&キャッツ・ホーム (Battersea Dogs & Cats Home)
"Temporary Home for Lost and Starving Dogs"︵意味‥迷い犬・餓死寸前の犬の一時預かり施設︶、﹁バタシー・ドッグズ・ホーム﹂、現名称と改称されてきた施設。1860年にハロウェイに設立され、1871年にバタシーへ移転してきた。英国で最も有名な、迷い犬の保護施設である。またITV1で放送されている "Paul O'Grady: For the Love of Dogs" (en) のメイン・ロケ地である[15]。
バタシー・パーク
1846年から1864年にかけて、ジェイムズ・ペネソーンが設計した83ヘクタールの緑地公園。1858年に開設され、動物園やロンドン平和パゴダを併設する。
シャフツベリー・パーク・エステート (Shaftesbury Park Estate)
1,000以上のヴィクトリア朝住宅が現存する保全区域。
バタシー・アーツ・センター (Battersea Arts Centre)
旧バタシー役場を改装した施設。
ノースコート・ロード (Northcote Road)
ナッピー・ヴァレーと呼ばれる地区の中心にあり、活気ある地元の商店街。
クラパム・ジャンクション駅
乗り換え客の多さなど[24]、英国で最も忙しい駅の1つとして知られている。駅名はバタシーに隣接するクラパムから取られているが、地理的な中心はバタシーに存在する。
アーディング&ホッブズ (Arding and Hobbs)
1912年に完成した建物で、現在はデパート・デベナムズが入居している。
アズダ
クラパム・ジャンクション駅に隣接し、24時間営業を行っている巨大なスーパーマーケット。
聖メアリー教会
アメリカ独立戦争時の大陸軍将軍、ベネディクト・アーノルドはここに埋葬されている。設置された4枚のステンドグラスでは、地域にゆかりのある、アーノルド、詩人・画家のウィリアム・ブレイク、植物学者のウィリアム・カーティス、画家のジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーが賛美されている。
サー・ウォルター・セント・ジョンズ・グラマー・スクール・フォー・ボーイズ (Sir Walter St John's Grammar School for Boys)
庶民院議員を務めた第3代セント・ジョン準男爵ウォルター (Sir Walter St John, 3rd Baronet) の名前を冠したグラマー・スクールで、1700年に創建された。現在ではトーマスズ・デイ・スクール (Thomas's day school) が建つ。現存する建物の一部は、1859年まで遡ることができる歴史ある建物である。
ロイヤル・アカデミー・オブ・ダンス
複数のスタジオを備えているほか、サリー大学と協力している。
ロンドン・ヘリポート
ロンドンで最も忙しいヘリポートであり、クラパム・ジャンクション駅から半マイル北側のテムズ川沿いに位置する。
プライシズ・キャンドルズ (Price's Candles)
かつてヨーク・ロードに位置した、英国最大の蝋燭工場。跡地は現在、住居用のフラットに作り替えられている。
ニュートン・プレパラトリー・スクール (Newton Preparatory School)
エドワード朝の建物に、現代的な増築部を加えた建物。以前はクラパム・カレッジ (Clapham College) 、ノートルダム・スクール︵英: Notre Dame School︶、レイウッド・ストリート・スクール︵英: Raywood Street School︶が入居していた。なお、﹁ノートルダム﹂とはフランス語読みで、聖母マリアを指す言葉。
クラパム・ジャンクション駅にて、イギリス国鉄の青塗装の73形機関車 (British Rail Class 73) ︵1982年3月13日︶
交通[編集]
鉄道駅[編集]
●クラパム・ジャンクション駅 ●バタシー・パーク駅 ●クイーンズタウン・ロード駅開業検討中のロンドン地下鉄の駅[編集]
●バタシー発電所駅 - ノーザン線をバタシーまで延伸する計画 (Northern line extension to Battersea) がある。 ●クラパム・ジャンクション駅 - バタシーからノーザン線をさらに延伸する提案がある。以前存在した鉄道駅[編集]
●バタシー駅 - 1940年閉鎖 ●バタシー・パーク・ロード駅 - 1916年閉鎖ポップ・カルチャーでの利用[編集]
「バタシー発電所のポップ・カルチャー利用」も参照
バタシーはこの地区で育ったマイケル・デ・ララベッティの本の舞台となっている。小説 "A Rose Beyond the Thames" (en) では、1940年代から1950年代にかけての、バタシーの労働者層が描かれる。﹁ボリブル﹂3部作 (The Borrible Trilogy) では空想上のバタシーが舞台となって、﹁ボリブル﹂として知られる空想のキャラクターのすみかとされている。
また、この地区はペネロピ・フィッツジェラルドが1979年にブッカー賞を獲得した小説、﹃テムズ河の人々﹄の舞台でもある。ネル・ダンが1963年に書いた小説 "Up the Junction" (en) では、クラパム・ジャンクション近くの労働者スラムで、当時どのような生活が営まれていたか描かれている。この作品は、後にテレビドラマ・映画として映像化されている。
1960年代にフランダーズ・アンド・スワンというコメディ・デュオで活躍したマイケル・フランダーズは、しばしば相方のドナルド・スワンがバタシーに住んでいることを笑いものにした。モリッシーは自身の曲 "You're the One for Me, Fatty" (en) の中でバタシーに言及している。ベイビーシャンブルズは、2005年にリリースしたチャリティ・アルバム "Help!: A Day in the Life" (en) に、"Bollywood to Battersea" との曲を収録している。
ゆかりのある有名人[編集]
以下に挙げるのは、この地区にかつて住んでいたり、現在バタシー在住の有名人である。
●ベン・アダムス - バンド﹃a1﹄のメンバー
●ジェイムズ・オールドリッジ - 作家
●モニー・ラヴ - MC、ラジオパーソナリティー
●L・S・ベヴィントン - アナーキストの詩人・エッセイスト、セント・ジョンズ・ヒル︵英: St Johns Hill︶のクエーカーの家に生まれる
●ロナルド・ビッグズ - 1963年に起きた大列車強盗 (Great Train Robbery) の実行犯
●ジョニー・ブリッグズ - 俳優、﹃コロネーション・ストリート﹄のマイク・ボールドウィン︵英: Mike Baldwin︶役で知られる
●キャスリーン・バイロン - 女優
●エマ・チェンバーズ - 女優、﹃ヴィカー・オブ・ディブリー﹄[注 8]のアリス役で知られる
●エイドリアン・チャイルズ - テレビ司会者
●ブライアン・コックス - BBCでの科学番組司会で知られる物理学者
●コリン・ダグラス - 舞台・テレビ俳優
●ネル・ダン - 脚本家
●ハワード・イーストマン
●クレイグ・イーストモンド - サッカー選手
●フレディ・フォアマン - ギャングのクレイ兄弟と共謀していた犯罪者。シープコート・レーン︵英: Sheepcote Lane︶で生まれた
●ボブ・ゲルドフ[25] - バンド﹃ブームタウン・ラッツ﹄のメンバー、歌手、作曲家
●ピクシー・ゲルドフ - ボブ・ゲルドフの娘、モデル
●グレアム・グリーン - 作家、脚本家、批評家
●リッチ・ホール - コメディアン
●ハリー・ヒル[25] - コメディアン
●G・K・チェスタートン - 作家
●サイモン・ル・ボン - バンド﹃デュラン・デュラン﹄のボーカル
●ケイティ・リューング - 女優、映画シリーズ﹃ハリー・ポッター﹄のチョウ・チャン役で有名
●ケイト・メイバリー - 女優
●テリー・マニング - 音楽プロデューサー
●ノエル・マッコイ - 歌手・作曲家
●バスター・メリーフィールド - 俳優、シットコム "Only Fools and Horses" (en) のアルバートおじさん役で有名
●ダニー・ミノーグ[25] - ミュージシャン、カイリー・ミノーグの妹
●ショーン・オケイシー - アイルランド出身の作家
●ジョン・オファレル - 作家[26]
●ウィリアム・ヘンリー・ペイジ - 歴史学者、"Victoria County History" (en) の編集長
●リック・パーフィット - バンド﹃ステイタス・クォー﹄のメンバー
●ポリー・ポールズマ - ミュージシャン
●マーヴィン・ピーク - 作家、画家、詩人[27]
●ルパート・ペンリー=ジョーンズ - 俳優
●クッキー・クルー - "MC Remedee" ことデビー・プライスと "Susie Q" ことスーザン・バンフィールドが結成したラップ・デュオ[注 9]
●ゴードン・ラムゼイ - シェフ
●ジョエリー・リチャードソン - 女優
●J・K・ローリング[25] - ﹃ハリー・ポッターシリーズ﹄で知られる作家
●グレグ・ルーゼドスキー - テニス選手
●ジョン・スコット - イギリス学士院フェローの社会学者
●ピーター・セラフィノヴィッチ - コメディアン
●ジョージ・シアリング - ジャズ・ピアニスト
●エド・シーラン - ミュージシャン
●ティモシー・スポール[28] - 俳優
●ヘンリー・シンジョン (初代ボリングブルック子爵)
●ドナルド・スワン - コメディ・デュオ﹃フランダーズ・アンド・スワン﹄のメンバー、ミュージシャン
●ガブリエル・トムソン - シットコム﹃マイ・ファミリー﹄の出演者、俳優
●ジーン・バーカー (トランピントン女男爵) - 貴族院議員
●ヴィヴィアン・ウエストウッド - ファッションデザイナー
●ウィリアム・ウィルバーフォース - 奴隷制度廃止運動に尽力した人物
●エドワード・エイドリアン・ウィルソン - 物理学者、極地探検家 (en) 、自然歴史学者、画家、鳥類学者
●ボブ・マーリー - レゲエアーティスト
脚注[編集]
注釈[編集]
(一)^ "Elm" とはニレの木のことである。
(二)^ ブレイクが作詞した曲﹁エルサレム﹂は、英国では第2の国歌として扱われるほどの愛国歌である。
(三)^ ﹁プラウランド﹂︵英: ploughland︶は中世の面積の単位で、およそ120エーカーを指す[4]。一方﹁ハイド﹂︵英: hide︶も以前英国で使われていた土地面積の単位であるが、およそ60〜120エーカーと、数字にやや開きがあることが特徴である[5]。
(四)^ 英: Garratt
(五)^ 英: St. John's College
(六)^ "plumbago" には、﹁黒鉛・石墨﹂との意味と、ルリマツリ属との意味がある[9]。ルリマツリの写真についてはリンク先︵→File:Plumbago, Cape Leadwort (Plumbago auriculata).jpg︶参照。
(七)^ 英: York Road, Somerset, Savona, Badric Court, the Peabody Estate, Wynter Street Estate, Ethelburga Estate, Kambala Estate and Carey Gardens.
(八)^ 英: The Vicar of Dibley. かつてBBCで放送されていたシットコム。タイトルは﹁ディブリー村の司教﹂の意味。
(九)^ 英: Debbie "MC Remedee" Pryce and Susan "Susie Q" Banfield
出典[編集]
(一)^ ab“2001 Census of Population” (PDF). Statistics for Parliamentary Constituencies. 庶民院. p. 56 (2004年1月30日). 2016年8月31日閲覧。
(二)^ ab“Battersea”. Census data for Parliamentary constituencies in UK, 2011. 庶民院 (2015年2月24日). 2016年8月31日閲覧。
(三)^ London Under London: A subterranean guide: Richard Trench and Ellis Hillman: ISBN 0-7195-5288-5
(四)^ 小西友七; 南出康世 (25 April 2001). "ploughland". ジーニアス英和大辞典. ジーニアス. 東京都文京区: 大修館書店 (published 2011). ISBN 978-4469041316. OCLC 47909428. NCID BA51576491. ASIN 4469041319. 全国書誌番号:20398458。
(五)^ 小西友七; 南出康世 (25 April 2001). "hide3". ジーニアス英和大辞典. ジーニアス. 東京都文京区: 大修館書店 (published 2011). ISBN 978-4469041316. OCLC 47909428. NCID BA51576491. ASIN 4469041319. 全国書誌番号:20398458。
(六)^ “Domesday Book for Surrey”. 2007年7月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月1日閲覧。
(七)^ abcde Parishes: Battersea with Penge, A History of the County of Surrey: Volume 4, London: Victoria County History, (1912), pp. 8-17 2016年9月2日閲覧。
(八)^ Battersea, The Environs of London: volume 1: County of Surrey, London: T Cadell and W Davies, (1792), pp. 26-48 2016年9月2日閲覧。
(九)^ 小西友七; 南出康世 (25 April 2001). "plumbago". ジーニアス英和大辞典. ジーニアス. 東京都文京区: 大修館書店 (published 2011). ISBN 978-4469041316. OCLC 47909428. NCID BA51576491. ASIN 4469041319. 全国書誌番号:20398458。
(十)^ Booth's Poverty Map London School of Economics archive. 2016年9月16日閲覧。
(11)^ “Battersea Profile” (PDF). Wandsworth Primary Care Trust, citing Census 2001. 2009年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月17日閲覧。
(12)^ Mark Blunden (2014年2月20日). “London housing estate where So Solid Crew formed set for demolition”. ロンドン・イブニング・スタンダード 2016年9月17日閲覧。
(13)^ “Mayor names London's first Housing Zones - Clapham Junction to Battersea Riverside zone”. グレーター・ロンドン・オーソリティ (2015年2月20日). 2015年2月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月17日閲覧。
(14)^ abHistoric England. "Details from listed building database (1184293)". National Heritage List for England (英語). 2016年9月17日閲覧。
(15)^ abcChris Roberts, Heavy Words Lightly Thrown: The Reason Behind Rhyme, Thorndike Press,2006 (ISBN 0-7862-8517-6)
(16)^ 堀江洋文﹁インド・アイルランド関係と大英帝国﹂﹃専修大学社会科学研究所月報﹄第614巻、専修大学社会科学研究所、2014年8月20日、1-34頁、ISSN 0286-312X、2016年9月17日閲覧。
(17)^ “Marsha de Cordova MP”. 庶民院. 2017年7月28日閲覧。
(18)^ “New US Embassy in Nine Elms, London”. 在英アメリカ大使館. 2016年9月17日閲覧。
(19)^ Soo Kim (2016年4月5日). “US embassy in London to become a luxury hotel”. テレグラフ 2016年9月17日閲覧。
(20)^ H.E. Malden (Ed), ed. (1911), The hundred of Brixton: Introduction and map, A History of the County of Surrey: Volume 4, London: Victoria County History, pp. 1-2 2016年9月2日閲覧。
(21)^ “'Battersea', Special report: Class B for Battersea”. インデペンデント. (2007年10月7日). オリジナルの2013年5月21日時点におけるアーカイブ。 2016年9月17日閲覧。
(22)^ Good Stuff IT Services. “Wandsworth”. UK Census Data. 2016年9月17日閲覧。
(23)^ “Northern line extension”. tfl.gov.uk. 2016年9月17日閲覧。
(24)^ Delta Rail, 2008-09 station usage report, Office of the Rail Regulation website
(25)^ abcdMiranda Bryant and Emer Martin (2010年10月29日). “Name of Asda store rekindles the ‘Clapham or Battersea’ row”. Standard.co.uk (ロンドン・イヴニング・スタンダード) 2016年9月18日閲覧。
(26)^ Tom Black (2014年2月19日). “"Rebels don't make jokes about how excellent it is to have bishops in the House of Lords": An interview with John O'Farrell”. The Croydon Citizen. 2016年9月18日閲覧。
(27)^ “Literary Review – Fergus Fleming on Mervyn Peake”. literaryreview.co.uk. 2014年12月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月18日閲覧。
(28)^ “Timothy Spall: 'Turner had a god-given genius'”. Telegraph.co.uk. デイリー・テレグラフ (2014年10月18日). 2016年9月18日閲覧。
関連書籍[編集]
- Patrick Loobey, Battersea Past. Historical Publications Ltd., 2002. ISBN 0-948667-76-1
- Peter Mason, The Brown Dog Affair. Two Sevens Publishing, 1997. ISBN 0-9529854-0-3
- Martin Knight, Battersea Girl. Mainstream Publishing, 2006. ISBN 1-84596-150-1
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- Jane Ellison, MP for Battersea - 地区選出の庶民院議員、ジェーン・エリソンのホームページ
- SW11tch Back to Battersea - 実際にはクラパムではなくバタシーにあるクラパム・ジャンクション駅の改称を求める運動
- The Battersea Society
- The Friends of Battersea Square