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フォルクスワーゲン・タイプ1

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フォルクスワーゲン・タイプ1
フロント
リア
カブリオレ
概要
販売期間 1941年2003年
ボディ
乗車定員 5
ボディタイプ 2ドアファストバックセダン
2ドアカブリオレ
駆動方式 RR
パワートレイン
エンジン 空冷水平対向4気筒OHV
変速機 4速MT/3速セミAT(シュポルトマチック)
車両寸法
ホイールベース 2,400 - 2420 mm
全長 4,070 - 4,140 mm
全幅 1,540 - 1,585 mm
全高 1,500 mm
車両重量 730 - 930 kg
その他
類似車
系譜
後継 ゴルフ(実質的)
テンプレートを表示

1: Type 1(Beetle) 

19382003[1]21529464[2]

[]


192019331930

1938[3]1941 194551945西1950 - 1970西

19382003215294642017101

1978退[4]

19982011 2019[5][6]80

[]


Type 1120013001303S1303LS

Type 1Typ 1 1

Käfer1930Mai Käfer使

BeetleBugFusca=

1960KäferBeetle19701302

[]

[]

121931

11933[7]

退1931P1933

[8]192019321933NSU





234

100 km/h[ 1]

7L100 km1 L14.3 km

[ 2]

[ 3]
P4 (1935 - 1937)P4

調1,000

1,000 cc4P41,4501,000P490 km/h

(RDA) 193461930

[]

2KdF19381939VW381943



119352V1V219363V3193730W30SS

2

1920[ 4]1908TV819321948

1938V303

5V303KdF-Wagen[ 5]KdFStadt des KdF-WagensKdF-Stadt 

2VW38193935使VW3914 

KdFKdFKdF[1]

1939KdF19601

KdF-Wagen KdF-Wagen1998

[]

[]
T97

KdF19371.7 LT971934T771935T77A1936T87

V

19613001934NSU32T97500

19201931 - 1933
[]

Josef Ganz[9]Motor-Kritik19291930 (Ardie)19311932 (Standard Fahrzeugfabrik)  (Superior) 1,5901933Frankfurt Motor Show11934


[]


1945KdF-Wagen

4

21949

19451,785[1]

11945

194611

19471949[1]

1使41950100 km/h[]

195510019641,000

19686 V12 V[10]1.0 L1.1 L19541.2 L19601.3 L1.5 L1.6 L

DDB

1952使[ 6]301960

[]


196019701974

19686 V12 V[10]

1968VWVW

1970711302924VW197313031975

197221715007034[1]T1908 - 192715007033

19701978500



2003730[4][1]121532000[10]

[]


12 194919534 19491979

195531961

21950319611811969

VW3561948VW1

[]


Y1930

2

19301934使

1960196913021303IRS = Independent Rear Suspension13021303

19501967

19301970

[]

1

VW144OHVRR4

224[11]1.0 L1.6 L221.6 L





使



197020

[]


VWVW 1949VW1950VW21952



1600 

VW使Vee1.2 L使Super Vee1.6 L使F1

[]


1930

244119613234

35619301930



19301950

9



1963

1950

1960

1970 (California Look) 西[1]

モータースポーツ[編集]

ラリー競技[編集]

第二次世界大戦後の復興で、ラリー競技が各地で再開された時代には、小排気量ながら軽量で、悪路での酷使にも耐えるぬきんでた耐久性(そしてこれを損なわない良好な整備性)によって、しばしば上位入賞する侮れない存在であった。1953年、1954年、1962年と3度も過酷なサファリラリーを制している。 当時は1.2 Lエンジンであったが、1970年代、1303Sとなり1.6 Lエンジン、ポルシェ・914の5速ギヤボックスがおごられると、1973年のアクロポリス・ラリーで優勝したジャン=ピエール・ニコラの駆るアルピーヌ・A110トニー・フォールの1303Sが追い回す場面も見受けられ、後にフォールは「登りは非力さを痛感するが、下りはこっちのもの。常にシフトアップが可能なマシンだった」と語っている[12]

フォーミュラ・Vee[編集]


Vee196350F1[13]

[]


1970

[14]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ヒトラーが同時期にフリッツ・トートを起用して広域整備を計画していた、自動車専用高速道路ライヒスアウトバーン」を念頭に置いた条件である。1930年代中期、この速度を保って巡航できる1.0 Lクラスの4座小型乗用車は、世界的に見てもいまだほとんど存在していなかった。
  2. ^ 当時、水冷エンジンは冬期の冷却水凍結によるトラブルや始動困難が多く、寒冷なドイツではその対策が切実な課題であったため。またヒトラーはタトラの小型空冷エンジン車に、その簡易さと耐久性の高さから傾倒していた。
  3. ^ ただし、ヒトラー自身は流線型デザインの理論面を充分に理解していなかった。ヒトラーがポルシェとの会談で自ら描いて提示した「自動車」の側面図が残っているが、前方こそ当時から知られていた通俗的な流線型車の丸みを帯びているものの、後部は四角いノッチバックで、いわゆるヤーライ型流線型車に属するのちのタイプ1とはまったく関連性がない。
  4. ^ ドイツ・フォードは1932年からケルン工場で、大衆車市場への参入を狙って1000 - 1200 ccクラスの小型乗用車「ケルン」「アイフェル」を相次いで生産していた。1939年には「アイフェル」の後継モデルである流線型ボディの初代「タウヌス」(1172 cc・34 HP)を発売、このタウヌスシリーズは第二次世界大戦後の生産再開以降、フォルクスワーゲンのドイツ市場における競合車種となっている。
  5. ^ 車名は文字通りの「国民車」である「フォルクスワーゲン」として計画されていたが、ヒトラーは下話もなくいきなり「KdF」と車名を決定してしまったため、公式名称やPR資料等の変更に周囲が奔走する羽目になった。
  6. ^ 日本では1960年代以降、自治体消防救急車を配備しての救急搬送が普及し始めるまで、急患の場合はかかりつけの開業医に自宅まで往診してもらうことが普通であった。この往診の移動需要から、日本の開業医は近代以前には駕籠明治時代以降は人力車自転車、更にはオートバイや自動車といった新しい交通手段の先駆的ユーザーとなってきた歴史がある。

出典[編集]



(一)^ abcdefg1947. GAZOO. 202073

(二)^  2011, pp. 100, 105.

(三)^  2011, pp. 104105.

(四)^ abVolkswagenBeetle BP 200381

(五)^ VW80DIGITAL20189142018920

(六)^ VW 80. (2019711). 2019711

(七)^  2011, p. 101.

(八)^  2011, p. 103.

(九)^ J  ISBN 4-906189-24-5

(十)^ abc 2011, p. 105.

(11)^  2011, pp. 103104.

(12)^ & Vol.4  100 

(13)^ F-Vee50

(14)^   -  19771224 8

[]


, Supercar Chronicle  1 ()Motor Fan illustrated532011100-105 

[]






 - 19531978

15



2

3

4











356









 ()

 - 1

 - G11

 -  

 - 19811

[]


 - 19301933 - 1937T77T77AT87T97

4CV - 750 cc19401946419454CV

 360 - 1958

[]