メフメト5世
メフメト5世 Mehmed V | |
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オスマン皇帝 | |
メフメト5世 | |
在位 | 1909年4月27日 - 1918年7月3日 |
出生 |
1844年11月2日 オスマン帝国、イスタンブール |
死去 |
1918年7月3日 オスマン帝国、イスタンブール |
家名 | オスマン家 |
王朝 | オスマン朝 |
父親 | アブデュルメジト1世 |
宗教 | イスラーム教(スンナ派) |
サイン |
メフメト5世︵Mehmed V Reshad, 1844年11月2日 - 1918年7月3日︶は、オスマン帝国の第35代皇帝︵在位‥1909年 - 1918年︶。第31代皇帝アブデュルメジト1世の子。第33代皇帝ムラト5世と第34代皇帝アブデュルハミト2世の弟、第36代皇帝メフメト6世の兄。
ヴィルヘルム2世を迎えるメフメト5世︵イスタンブール、1917年 ︶
1914年7月、第一次世界大戦が発生すると、オスマン帝国は同年10月にドイツとの同盟を理由にドイツ側として参戦し、ロシア領を攻撃するに至った。
しかしこれにより、11月にイギリス・フランス・ロシアが一斉にオスマン帝国に対して宣戦してくる。オスマン帝国に3大国と太刀打ちできるだけの戦力があろうはずもなく、イギリスにキプロス島を奪われ、ロシアにエルズルム・トラブゾンを占領されるなど敗戦を重ねた。
なお、1915年から1916年にかけて、オスマン帝国によるアルメニア人虐殺が起こっている︵一説に犠牲者は100万人とも︶。
しかし多少の成果もあった。三国協商︵連合国︶軍が帝国の中枢ガリポリ半島への侵攻を試みるも、ムスタファ・ケマルらオスマン軍は翌年に撃退。
強国と謳われた大英帝国を破った事でオスマン帝国は、一時的にではあるが昂揚し、帝国の維持に成功している。このガリポリの戦いの勝利のお陰でイスタンブールは死守され、皇帝も安寧を保つことが出来た。
1916年2月にはメフメト5世は同盟国ドイツ帝国より元帥位を授与されている。