オスマン家
オスマンオウル家 خاندان آل عثمان | |
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帝室 | |
ボスポラス海峡上から眺めたドルマバフチェ宮殿 | |
国 | オスマン帝国 |
主家 | オグズ・カユ氏 |
当主称号 |
皇帝 ・スルターン ・カリフ ・パードシャー ・シャーハンシャー ・ハン ・ベイ ・ローマ皇帝 ・両聖都の守護者 |
当主敬称 | 皇帝陛下 |
創設 | 1299年1月17日 |
家祖 | スレイマン・シャー |
最後の当主 |
メフメト6世 アブデュルメジト2世 (王家としての滅亡) |
現当主 | ハルーン・オスマン(第46代) |
滅亡 |
1922年11月1日 1924年3月3日 (トルコ革命によって滅亡) |
民族 |
テュルク系民族 トルコ人 |
起源[編集]
オスマン家の起源に関する確実な史料は存在しないが、後世オスマン帝国で信じられた始祖伝説によると、その遠祖はテュルク系遊牧民のオグズ24部族のひとつのカユ部族の長の家系の出自である。イスラム教を受け入れたカユ部族は中央アジアからイランのホラーサーンに移住し、スレイマン・シャーが部族長のとき、おそらくモンゴル帝国の征西を避けてアナトリアに入った。スレイマン・シャーはそこで死に、部族の一部はホラーサーンに帰ったが、スレイマン・シャーの子の一人エルトゥールルは遊牧民400幕を連れてアナトリアに残り、ルーム・セルジューク朝に仕えてアナトリア東北部のソユトの町を中心とする一帯を遊牧地として与えられ、東ローマ帝国に仕えるキリスト教徒と戦った。1280年から1290年の間頃にエルトゥールルは病死し、息子のオスマン︵オスマン1世︶が後を継ぐ。 後世の記録によると、オスマン・ベイは周辺のキリスト教徒の領主たちと︵時にはイスラム教徒とも︶激しく戦って周辺の都市を征服し、1301年にはコンスタンティノポリスから派遣されてきた東ローマ軍を撃破した。この間のオスマンがベイ︵君侯︶として自立した勢力を固めた頃にあたる1299年が伝統的にオスマン帝国の建国年と見なされている。その子、2代オルハンは海を渡ってヨーロッパに勢力を広げ、3代ムラト1世はバルカン半島に勢力を広げ、カイロのアッバース朝カリフからスルタンを名乗ることを承認された。 歴代の皇帝は皇后の出自にあまりこだわっていない。オスマン1世とトルコ系女性マル・ハトゥンの間の子であるオルハンを例外として、ムラト1世の母ニルフェル、バヤズィト1世の母ギュルチチェキ、メフメト1世の母オルガ、ムラト2世の母エミネら、歴代の皇帝の母はほとんどがギリシャ系やブルガリア系などのキリスト教徒出身者で、人質や女奴隷として後宮に入った女性であった。オスマン帝国の主要な敵国であった西ヨーロッパ諸国出身の母后もおり、ムラト3世の母ヌールバヌー・スルタンはイタリア系、マフムト2世の母ナクシディル・スルタンはフランス系であるとされる。帝位継承制度の変遷[編集]
15世紀に入り、バルカン半島とアナトリア半島を支配する大帝国に発展すると、後継者争いによる帝国分割の危機を避けるため兄弟殺しの慣行が生まれる。最初に兄弟を殺害した例として確実視されるのは3代ムラト1世であるが、即位にあたって兄弟殺しを行ったのは4代バヤズィト1世である。その死後息子たちの間で帝国が分割され内紛が起こったことから、次第に兄弟殺しが帝国維持のためやむをえない行為と見なされるようになり始め、コンスタンティノポリスの征服者として知られる7代メフメト2世は、兄弟殺しを法令として定める。このためにオスマン帝国は歴代に優秀な皇帝を即位させ安定した統治を続けることができたが、8代バヤズィト2世の弟ジェム・スルタンが殺されるのを免れるためヨーロッパに亡命した事件や、10代スレイマン1世が後継者争いに敗れた息子に反乱を起こされる悲劇を生んだ。同時期に、宰相制度が拡充されて政治の実権は皇帝の最高代理人である大宰相に委ねられるようになり、皇帝の政治力の低下が進んだ。 一方、16世紀、皇帝は皇子が皇位剥奪のために謀反を犯すという強迫観念にとらわれ、トプカプ宮殿の後宮のもっとも奥、北の角に﹁黄金の鳥かご﹂と呼ばれる一室を作り、皇子たちを幽閉した。監視には秘密を守るために鼓膜に穴を開けられ、舌を切られた宦官があたった。 やがて、この黄金の鳥かご制度も世襲されることになり、しばしば皇帝は皇位簒奪を恐れて黄金の鳥かごに幽閉した皇子たち︵皇位継承権を持つ皇帝の兄弟や子︶を殺害した。殺害に当たっては、オスマンの血を流してはならない、という戒律によって処刑人が紐で絞め殺した。時には、皇位継承者を殺害しすぎて皇位継承が危ぶまれる事態まで発生したこともあった。例えば第17代ムラト4世︵在位1623年 - 1640年︶が28歳で没したとき、皇位継承者は人格的肉体的に問題があった皇弟イブラヒム︵第18代・在位1640年 - 1648年︶1人しか残っていなかった。 また、黄金の鳥かごは、長年の幽閉生活で精神状態や社会的な適応力に問題を持つ皇子の皇帝への即位を繰り返す結果を生み、時に幼年皇帝の即位による皇太后の政治関与を生み、帝国衰退の一因ともなった。スルタン=カリフ制[編集]
19世紀に入ると国勢の衰退したオスマン帝国に、キリスト教徒の列強君主に対抗してオスマン皇帝のスンナ派イスラム教徒に対する宗教的権威の優越が期待されるようになり、オスマン家の君主にはスルタンの世俗的権力とカリフの宗教的権威が兼ね備えられているという主張が生まれた︵スルタン=カリフ制︶。9代セリム1世がマムルーク朝を滅ぼしたとき、マムルーク朝の庇護下にあったアッバース朝の末裔からカリフ権を譲り受けたという伝説は、この目的のために創作されたものと考えられている。しかし、19世紀以前にも、スレイマン1世の時代に大宰相リュトフィー・パシャなどによりスルタン=カリフ制が主張されることもあった。 特にイスラム教徒の人口を多く抱えるインドでは、宗主国イギリスに対するイスラム教徒の民族運動の精神的支柱としてカリフが重要視された。これを恐れたイギリスは、カリフとなる者は預言者ムハンマドと同じクライシュ族に属するアラブ人でなくてはならないというスンナ派の規定を持ち出し、トルコ人のオスマン家がカリフを称するのは僭称であるとするキャンペーンを張ったが、オスマン帝国がスンナ派イスラム諸国で最大の強国であるという現実に支えられて、オスマン家のカリフ位に対する疑問はアラブ世界ですらもほとんど持たれることはなかった。 1876年に制定されたオスマン帝国憲法はこれを条文として盛り込み、オスマン帝国の君主はオスマン家の当主によって世襲され、世俗政治の最高権者であるスルタンと、ムスリムの宗教的な指導者であるカリフの権能を兼ねることが明文化される。オスマン家の追放[編集]
第一次世界大戦でオスマン帝国が敗北し帝国領が連合国によって分割占領されると、アナトリアでムスタファ・ケマルらを指導者とする抵抗運動が起こった。これに対して連合国はイスタンブールを占領し、イスタンブールのメフメト6世の政府も連合国の圧力に屈して帝国の分割反対を叫ぶ帝国議会を解散したため、アンカラの抵抗運動組織と帝国議会の勢力がアンカラに結集して大国民議会を設立してオスマン帝国政府に対抗する革命政権を打ち立てた。これにより生じた二重政府状態を解消するため、連合国との戦いを休戦させた大国民議会は1922年、イスタンブールのオスマン帝国政府を消滅させることを決定した。ムスタファ・ケマルはムスリムのカリフとして高い権威を持つオスマン家を廃位すれば、国内外の反対が避けられないと判断し、大国民議会にスルタン=カリフ制を廃止してスルタンとカリフの地位を分割し、さらにスルタン制を廃止してメフメト6世を廃位することを決議させた︵トルコ革命︶。 翌1923年には共和制が宣言されてトルコは共和国になり、さらに1924年、カリフとして即位したアブデュルメジト2世が廃位された。カリフ制の廃止とともにオスマン家の全成員はトルコからの国外退去を命ぜられ、オスマン家の支配は完全に終焉した。 トルコ追放以来、オスマン家はトルコ国外において年長者が帝位継承者として家長の座を継承しており、ニューヨーク在住のエルトゥールル・オスマンが1992年にトルコ政府の招きで一時帰国。その後1994年に第43代オスマン家当主に就任後の2004年にトルコ共和国のパスポートを取得して帰国。2009年に死去するまでイスタンブールに居住した。このようにオスマン家の国外追放は解かれたため、イスタンブールに帰った者も多い。エルトゥールル・オスマンの死去を受けて第44代オスマン王家当主にはアブデュルメジト1世の曾孫にあたるバヤジット・オスマン︵2009年 - 2017年︶が就任した。その後、バヤジット・オスマンも亡くなると、シリア在住のデュンダル・アリ・オスマンが就任。シリア内戦の激化に伴いトルコ、イスタンブールへ帰国。デュンダリ・アリ・オスマンが死去すると弟のハルーン・オスマンが当主に就任した。歴代オスマン家家長[編集]
以下にオスマン帝国滅亡後︵帝政廃止後︶の歴代オスマン家家長を挙げる。第38代以降は帝位請求者であり、身位は﹁オスマン帝国皇子﹂で称号は﹁殿下(His Imperial Highness)﹂である︵オスマン帝国時代の歴代家長についてはオスマン帝国の君主を参照︶。- 第36代メフメト6世(在位1918年 - 1922年) - 最後の皇帝
- 第37代アブデュルメジト2世(在位1922年 - 1924年) - 最後のカリフ
- 第38代アフメト・ニハト(1944年 - 1954年) - ムラト5世の孫
- 第39代オスマン・フアト(1954年 - 1973年) - アフメト・ニハトの異母弟
- 第40代メフメト・アブデュルアズィズ(1973年 - 1977年) - アブデュルアズィズの孫
- 第41代アリー・ヴァースブ(1977年 - 1983年) - アフメト・ニハトの子
- 第42代メフメト・オルハン(1983年 - 1994年) - アブデュルハミト2世の孫
- 第43代エルトゥールル・オスマン(1994年 - 2009年) - アブデュルハミト2世の孫
- 第44代バヤズィット・オスマン(2009年 - 2017年) - アブデュルメジト1世の曾孫
- 第45代デュンダル・アリ・オスマン (2017年 -2021年)-アブデュルハミト2世の曾孫
- 第46代ハルーン・オスマン(2021年-)-デュンダリ・アリ・オスマンの弟
系図[編集]
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| オスマン1世1 |
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| ジェム |
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| メフメト3世13 |
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| アフメト1世14 |
| ムスタファ1世15 |
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| オスマン2世16 |
| ムラト4世17 |
| イブラヒム18 |
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| メフメト4世19 |
| スレイマン2世20 |
| アフメト2世21 |
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| ムスタファ2世22 |
| アフメト3世23 |
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| マフムト1世24 |
| オスマン3世25 |
| ムスタファ3世26 |
| アブデュルハミト1世27 |
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| セリム3世28 |
| ムスタファ4世29 |
| マフムト2世30 |
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| アブデュルメジト1世31 |
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| アブデュルアズィズ32 |
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| ムラト5世33 |
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| アブデュルハミト2世34 |
| メフメト5世35 |
| メフメト6世36 |
| メフメト・ブルハネッティン |
| アブデュルメジト2世37 カリフ |
| メフメト・セイフェディン |
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| シェフザデ・メフメト |
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| アブデュルカディル |
| メフメト・ブルハネッティン |
| メフメト・セリム・エフェンディ |
| イブラヒム・テヴフィク |
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| メフメト・アブデュルアズィズ40 |
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| アフメト・ニハト38 |
| オスマン・フアト39 |
| メフメト・オルハン42 |
| エルトゥールル43 |
| メフメト・アブデュルケリム・エフェンディ |
| バヤズィット44 |
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| アリー・ヴァースブ41 |
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| デュンダル・アリ45 |
| ハルーン・オスマン46 |
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外部リンク[編集]
- TURKEY - Royal Ark
- オスマン朝王家の兄弟関係の変質-兄弟殺しはどのように起こったか- - ウェイバックマシン(2019年3月30日アーカイブ分)兄弟殺しに関する研究