メフメト2世

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メフメト2世
محمد الثانى
オスマン皇帝

在位 1444年8月 ‐ 1446年9月
1451年2月3日 - 1481年5月3日

出生 1432年3月30日
オスマン帝国の旗 オスマン帝国 エディルネ
死去 1481年5月3日(49歳没)
オスマン帝国の旗 オスマン帝国 テクフル・チャイリ
配偶者 シット・ハトゥン
  ギュルバハル・ハトゥン
  チチェク・ハトゥン など
子女 バヤズィト
ムスタファ
ジェム
家名 オスマン家
王朝 オスマン朝
父親 ムラト2世
母親 ヒュマ・ハトゥン
サイン
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コンスタンティノープル攻略[編集]

コンスタンティノープルに入城するメフメト2世 (ジャン=ジョゼフ=バンジャマン・コンスタン,1876)
メフメト2世とゲンナディオス2世

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注釈[編集]

  1. ^ メフメト2世の征服後も、コンスタンティノープルが町を指す名称として使用されることが多かった[52]

出典[編集]

  1. ^ a b 羽田「メフメット2世」『アジア歴史事典』9巻、28-29頁
  2. ^ 三橋『トルコの歴史』、167頁
  3. ^ 林『オスマン帝国500年の平和』、88頁
  4. ^ クロー『メフメト2世 トルコの征服王』、79-80頁
  5. ^ a b c バーカー「メフメト2世」『世界伝記大事典 世界編』11巻、156-1587頁
  6. ^ 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、56頁
  7. ^ クロー『メフメト2世 トルコの征服王』、170-171頁
  8. ^ a b c d 林「メフメト2世」『岩波イスラーム辞典』、997頁
  9. ^ 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、60頁
  10. ^ 鈴木『オスマン帝国 イスラム世界の「柔らかい専制」』、114頁
  11. ^ a b c 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、59頁
  12. ^ クロー『メフメト2世 トルコの征服王』、174頁
  13. ^ クロー『メフメト2世 トルコの征服王』、16-17頁
  14. ^ a b クロー『メフメト2世 トルコの征服王』、17頁
  15. ^ 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、57頁
  16. ^ 鈴木『オスマン帝国 イスラム世界の「柔らかい専制」』、58頁
  17. ^ 鈴木『オスマン帝国 イスラム世界の「柔らかい専制」』、58-59頁
  18. ^ a b 鈴木『オスマン帝国 イスラム世界の「柔らかい専制」』、59頁
  19. ^ マントラン『改訳 トルコ史』、54頁
  20. ^ クロー『メフメト2世 トルコの征服王』、22頁
  21. ^ クロー『メフメト2世 トルコの征服王』、22-23頁
  22. ^ クロー『メフメト2世 トルコの征服王』、24頁
  23. ^ クロー『メフメト2世 トルコの征服王』、24,27頁
  24. ^ 三橋『トルコの歴史』、147頁
  25. ^ a b クロー『メフメト2世 トルコの征服王』、27頁
  26. ^ クレーファー『オスマン・トルコ 世界帝国建設の野望と秘密』、97頁
  27. ^ a b マントラン『改訳 トルコ史』、55頁
  28. ^ 林『オスマン帝国500年の平和』、65頁
  29. ^ ビタール『オスマン帝国の栄光』、56頁
  30. ^ a b 鈴木『オスマン帝国 イスラム世界の「柔らかい専制」』、60頁
  31. ^ a b 尚樹啓太郎『ビザンツ帝国史』(東海大学出版会, 1999年2月)、869頁
  32. ^ クレーファー『オスマン・トルコ 世界帝国建設の野望と秘密』、97-98頁
  33. ^ クロー『メフメト2世 トルコの征服王』、29頁
  34. ^ a b 鈴木『オスマン帝国 イスラム世界の「柔らかい専制」』、61頁
  35. ^ 鈴木『オスマン帝国 イスラム世界の「柔らかい専制」』、61-62頁
  36. ^ 三橋『トルコの歴史』、148-149頁
  37. ^ マントラン『改訳 トルコ史』、56頁
  38. ^ ビタール『オスマン帝国の栄光』、30頁
  39. ^ 鈴木『オスマン帝国 イスラム世界の「柔らかい専制」』、62頁
  40. ^ クレーファー『オスマン・トルコ 世界帝国建設の野望と秘密』、98頁
  41. ^ 林『オスマン帝国500年の平和』、86-87頁
  42. ^ 鈴木『オスマン帝国 イスラム世界の「柔らかい専制」』、62-63頁
  43. ^ 鈴木『オスマン帝国 イスラム世界の「柔らかい専制」』、65頁
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  45. ^ a b c マントラン『改訳 トルコ史』、57頁
  46. ^ 尚樹啓太郎『ビザンツ帝国史』(東海大学出版会, 1999年2月)、871-872頁
  47. ^ 林『オスマン帝国500年の平和』、87-88頁
  48. ^ 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、58頁
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  51. ^ a b 三橋『トルコの歴史』、159頁
  52. ^ a b 林『オスマン帝国500年の平和』、89頁
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  54. ^ クロー『メフメト2世 トルコの征服王』、76頁
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  56. ^ クロー『メフメト2世 トルコの征服王』、115頁
  57. ^ クロー『メフメト2世 トルコの征服王』、117頁
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  60. ^ a b クロー『メフメト2世 トルコの征服王』、121頁
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  69. ^ クロー『メフメト2世 トルコの征服王』、127頁
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  77. ^ クロー『メフメト2世 トルコの征服王』、141,143頁
  78. ^ a b クロー『メフメト2世 トルコの征服王』、143頁
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  89. ^ クロー『メフメト2世 トルコの征服王』、234-235頁
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  91. ^ 林「オスマン帝国の時代」『西アジア史 2 イラン・トルコ』、235-236頁
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  93. ^ 鈴木『オスマン帝国 イスラム世界の「柔らかい専制」』、107-108頁
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  108. ^ a b 林『オスマン帝国500年の平和』、97頁
  109. ^ 林「オスマン帝国の時代」『西アジア史 2 イラン・トルコ』、235頁
  110. ^ ハラム『十字軍大全 年代記で読むキリスト教とイスラームの対立』、562頁
  111. ^ クレーファー『オスマン・トルコ 世界帝国建設の野望と秘密』、120頁
  112. ^ クロー『メフメト2世 トルコの征服王』、330-331頁
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  114. ^ a b 鈴木『オスマン帝国 イスラム世界の「柔らかい専制」』、115頁
  115. ^ 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、70頁
  116. ^ クロー『メフメト2世 トルコの征服王』、335-336頁
  117. ^ ハラム『十字軍大全 年代記で読むキリスト教とイスラームの対立』、564-566頁
  118. ^ a b c クロー『メフメト2世 トルコの征服王』、342頁
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  121. ^ クレーファー『オスマン・トルコ 世界帝国建設の野望と秘密』、109-110頁
  122. ^ クロー『メフメト2世 トルコの征服王』、28頁
  123. ^ a b クロー『メフメト2世 トルコの征服王』、28-29頁
  124. ^ クロー『メフメト2世 トルコの征服王』、168頁
  125. ^ クロー『メフメト2世 トルコの征服王』、168-169頁
  126. ^ a b 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、63頁
  127. ^ a b c 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、62頁
  128. ^ a b c ハラム『十字軍大全 年代記で読むキリスト教とイスラームの対立』、547頁
  129. ^ a b 三橋『トルコの歴史』、170頁
  130. ^ クロー『メフメト2世 トルコの征服王』、177頁
  131. ^ 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、178頁
  132. ^ クロー『メフメト2世 トルコの征服王』、175頁
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  134. ^ クロー『メフメト2世 トルコの征服王』、338頁
  135. ^ 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、64頁
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  145. ^ 林『オスマン帝国500年の平和』、101頁
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参考文献[編集]

  • 川口琢司「キプチャク草原とロシア」『中央ユーラシアの統合』収録(岩波講座 世界歴史11:岩波書店, 1997年11月)、294-295頁
  • 小山皓一郎「メフメト2世」『新イスラム事典』収録(平凡社, 2002年3月)
  • 鈴木董『オスマン帝国 イスラム世界の「柔らかい専制」』(講談社現代新書, 1992年4月)
  • 永田雄三、羽田正『成熟のイスラーム社会 世界の歴史15』(中央公論社, 1998年1月)
  • 羽田明「メフメット2世」『アジア歴史事典 9巻』収録(平凡社, 1962年)
  • 林佳代子「メフメト2世」『岩波イスラーム辞典』収録(岩波書店, 2002年2月)
  • 林佳代子「オスマン帝国の時代」『西アジア史 2 イラン・トルコ』収録(永田雄三編、新版世界各国史:山川出版社, 2002年8月)
  • 林佳世子『オスマン帝国500年の平和 興亡の世界史10』(講談社, 2008年10月)
  • 三橋富治男『トルコの歴史』(世界史研究双書:近藤出版社, 1990年12月)
  • ジョン.W.バーカー「メフメト2世」『世界伝記大事典 世界編』11巻収録(桑原武夫編, ほるぷ出版, 1981年6月)
  • テレーズ・ビタール『オスマン帝国の栄光』(鈴木董監修・富樫瓔子訳、「知の再発見」双書51・創元社, 1995年11月)
  • アンドレ・クロー『メフメト2世 トルコの征服王』(岩永博、佐藤夏生、井上裕子、新川雅子訳、りぶらりあ選書・法政大学出版局, 1998年6月)
  • ジョルジュ・カステラン『ルーマニア史』(萩原直訳、文庫クセジュ・白水社, 1993年10月)、16-17頁
  • ウルリッヒ・クレーファー『オスマン・トルコ 世界帝国建設の野望と秘密』(戸叶勝也訳、アリアドネ企画, 1998年6月)
  • エリザベス・ハラム『十字軍大全 年代記で読むキリスト教とイスラームの対立』(川成洋、太田美智子、太田直也訳、東洋書林, 2006年11月)
  • ロベール・マントラン『改訳 トルコ史』(小山皓一郎訳、文庫クセジュ・白水社, 1982年7月)
  • アンドレイ・オツェテァ『ルーマニア史 1巻』(鈴木四郎、鈴木学共訳、恒文社, 1977年5月)

関連文献[編集]

  • トゥルスン・ベグ『征服の父 メフメト二世記』(濱田正美訳、法政大学出版局, 2022年)
  • 小笠原弘幸『オスマン帝国 繁栄と衰亡の600年史』(中公新書, 2018年)
  • 小笠原弘幸『オスマン帝国英傑列伝』(幻冬舎新書, 2020年)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]