丸山昇一
表示
まるやま しょういち 丸山 昇一 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
生年月日 | 1948年4月6日(76歳) | ||||||||||
出生地 | 日本 宮崎県南那珂郡[1] | ||||||||||
職業 | 脚本家 | ||||||||||
ジャンル | 映画、テレビドラマ | ||||||||||
活動期間 | 1979年 - | ||||||||||
主な作品 | |||||||||||
『野獣死すべし』 『いつかギラギラする日』 『マークスの山』 『凶気の桜』 『一度も撃ってません』 | |||||||||||
|
丸山 昇一︵まるやま しょういち、1948年4月6日[1] - ︶は、日本の脚本家である。映画﹃野獣死すべし﹄やテレビドラマ﹃探偵物語﹄で知られる[2]。
経歴[編集]
1948年、宮崎県南那珂郡に生まれる[3][1]。兄と姉は年齢が離れており、本人曰く﹁一人っ子同然に育てられた﹂とのこと[1]。﹃年鑑代表シナリオ集﹄︵1964年版︶に掲載されていた新藤兼人の﹃鬼婆﹄を読み、シナリオライターを志す[4]。高校の演劇で戯曲を2本ほど書いたことが地元の新聞に載り、本人は﹁日本演劇界の天下を取るには﹂ということで上京[1]。芝居を見まくるという学生時代を過ごす[1]。 日本大学芸術学部を卒業[5]。大学の卒業シナリオ﹃三匹のガニ股﹄が映画学科主任賞を受賞[1]。大学卒業後はオートスライド︵CM・社内教育用スライド︶製作会社に就職[1]。同社は2年で退職し、フリーのライターになる[1]。大学4年の時に出会った猪俣勝人に師事[1]。猪俣を通じて、当時日活の撮影所長だった黒澤満と知り合い、その黒澤の紹介により[1]、1979年、テレビドラマ﹃探偵物語﹄でデビュー[6]。フィルモグラフィー[編集]
映画[編集]
- 処刑遊戯(1979年)
- 野獣死すべし(1980年)
- 翔んだカップル(1980年)
- ヨコハマBJブルース(1981年)
- 汚れた英雄(1982年)
- 化石の荒野(1982年)
- 俺っちのウエディング(1983年)
- すかんぴんウォーク(1984年)
- 晴れ、ときどき殺人(1984年)
- ユー★ガッタ★チャンス(1985年)
- 友よ、静かに瞑れ(1985年)
- 紳士同盟(1986年)
- テイク・イット・イージー(1986年)
- ア・ホーマンス(1986年)
- ラブ・ストーリーを君に(1988年)
- ・ふ・た・り・ぼ・っ・ち・(1988年)
- レディ! レディ(1989年)
- ウォータームーン(1989年)
- 女がいちばん似合う職業(1990年)
- いつかギラギラする日(1992年)
- REX 恐竜物語(1993年)
- きんぴら(1990年)
- のぞき屋 NOZOKIYA(1995年)
- マークスの山(1995年)
- 傷だらけの天使(1997年)
- 無国籍の男 血の収穫(1997年)
- 犬、走る DOG RACE(1998年)
- 蘇える優作 「探偵物語」特別篇(1998年)
- 走れ!イチロー(2001年)
- 夜を賭けて(2002年)
- 凶気の桜(2002年)
- クイール(2004年)
- 鳶がクルリと(2005年)
- スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ(2006年)
- 蒼き狼 ~地果て海尽きるまで~(2007年)
- カメレオン(2008年)
- 行きずりの街 (2010年)
- 一度も撃ってません (2020年)
テレビドラマ[編集]
- 探偵物語(1979年)
- 探偵同盟(1981年)
- プロハンター(1981年)
- 立花登・青春手控え(1982年)
- 瑠璃色ゼネレーション(1984年)
- あぶない刑事(1986年 - 1987年)
- 勝手にしやがれヘイ!ブラザー(1989年 - 1990年)
- 俺たちルーキーコップ(1992年)
- 蘇える金狼(1999年)
- らんぼう(2006年)
著書[編集]
- 松田優作+丸山昇一 未発表シナリオ集(1995年、幻冬舎)
関連作品[編集]
受賞[編集]
- 1981年 - 第2回ヨコハマ映画祭 脚本賞(『翔んだカップル』『野獣死すべし』)[8]
- 1981年 - 第6回映画ファンのための映画まつり(現・おおさかシネマフェスティバル)脚本賞
- 1988年 - 第10回ヨコハマ映画祭 脚本賞(『・ふ・た・り・ぼ・っ・ち・』『ラブ・ストーリーを君に』)[9]
- 1992年 - 第47回毎日映画コンクール 脚本賞受賞(『いつかギラギラする日』)[10]
- 1993年 - 第16回日本アカデミー賞 優秀脚本賞(『いつかギラギラする日』)[11]
- 第75回(2020年)毎日映画コンクール 脚本賞(『一度も撃ってません』)[12]
関連人物[編集]
脚注[編集]
(一)^ abcdefghijk週刊テレビ番組︵東京ポスト︶1987年10月30日号﹁脚本家の横顔﹂69頁︵その1︶、1987年11月13日号﹁脚本家の横顔﹂69頁︵その2︶
(二)^ “藤原竜也が壮絶な撮影現場を振り返る!﹁カメレオン﹂初日”. 映画.com (2008年7月7日). 2015年3月14日閲覧。
(三)^ “ゲスト”. もりおか映画祭2010. 2015年3月14日閲覧。
(四)^ 桂千穂﹃にっぽん脚本家クロニクル﹄青人社、1996年、34-35頁。ISBN 4-88296-801-0。
(五)^ “2002年 秋 日韓同時上映 日韓合作映画﹃夜を賭けて﹄に賭ける想い”. 公益財団法人ワンコリアフェスティバル. 2015年3月14日閲覧。
(六)^ “ゲスト”. 第4回 周南﹁絆﹂映画祭. 2015年3月14日閲覧。
(七)^ Hard Boiled THE MOVIE 予告編 - サミー
(八)^ “第2回ヨコハマ映画祭 1980年日本映画個人賞”. ヨコハマ映画祭. 2015年3月14日閲覧。
(九)^ “第10回ヨコハマ映画祭 1988年日本映画個人賞”. ヨコハマ映画祭. 2015年3月14日閲覧。
(十)^ “毎日映画コンクール 第47回︵1992年︶ - 毎日新聞”. 2018年1月5日閲覧。
(11)^ “第16回日本アカデミー賞優秀作品”. 日本アカデミー賞. 2015年3月14日閲覧。
(12)^ “長澤まさみ主演﹃MOTHER マザー﹄ 毎日映画コンクール日本映画大賞”. ORICON NEWS. オリコン (2021年1月22日). 2021年2月2日閲覧。
外部リンク[編集]
- 丸山昇一 - allcinema
- 丸山昇一 - 日本映画データベース
- Shoichi Maruyama - IMDb(英語)