伊東信雄
伊東 信雄︵いとう のぶお、1908年︵明治41年︶3月17日 - 1987年︵昭和62年︶4月10日︶は、日本の考古学者。東北地方の縄文・弥生・古墳時代、古代・中世・近世史、樺太︵サハリン︶の先史時代研究に大きな業績を残した。東北大学名誉教授。
概要[編集]
1957年に東北大学考古学講座初代教授に就任した。東北地方の原始・古代文化を考古学的手法により解明し、﹁東北の考古学の父﹂と呼ばれた。伊東は、山内清男とともに東北の古い縄文土器の編年を確立し、特に青森県垂柳遺跡の発掘において、東北地方の稲作農耕を明らかにする研究を進めた。 戦前には、通説として﹁東北の古代文化は遅れていた﹂、﹁東北地方は鎌倉時代まで石器時代が続いた﹂とされていた。山内と伊東は、東北の石器時代の終了時期は西日本と同じであり、縄文時代の終末期に稲作が導入され、古墳時代においても庶民の生活は、近畿・関東と大差なかったと考えた。 伊東は、弥生時代特有の石包丁を再検討し、東北地域南部の福島県・宮城県で石包丁が多く分布していることを確認した。また、扁平片刃石斧、太形蛤刃︵ふとがた はまぐりば︶石斧、有角︵ゆうかく︶石斧等も、仙台市南小泉で採集された弥生土器と共伴するものと考え、これらの土器底には稲モミの圧痕があることを指摘し、稲作の存在を予測した。東北地域の北部については、青森県田舎館村から出土した壺、甕、高坏、蓋等が、形式的に中部地域・関東地域で発見される古手の弥生土器に類似することに注目し、東北地方には農耕経済の上に立つ弥生文化があることを主張した。略歴[編集]
●1908年︵明治41年︶3月17日 - 宮城県仙台市袋町1番地に生まれる。 ●1911年︵明治44年︶ - 父の開業に伴い、北海道江別市に転居。 ●1919年︵大正8年︶ - 千葉県金谷村︵現・富津市︶に転住。 ●1927年︵昭和2年︶から1929年︵昭和4年︶ - 東北帝国大学医学部副手山内清男と知り合い、宮城県大木囲貝塚、槻木貝塚、千葉県上本郷貝塚、北海道函館市住吉町遺跡、宮城県室浜貝塚、福浦島貝塚、川下貝塚、高松貝塚などの発掘調査に参加する。 ●1931年︵昭和6年︶ - 仙台郷土研究会委員に委嘱。1933年︵昭和8年︶樺太史蹟名勝天然記念物調査会委員、1939年︵昭和14年︶宮城県史蹟名勝天然記念物調査会委員、1953年︵昭和28年︶宮城県文化財専門委員、1969年︵昭和44年︶宮城県多賀城跡調査研究指導委員会委員長をはじめ、多くの専門委員を歴任し、東北地方各地の調査組織や文化財保護の仕組みづくりに尽力した。学歴[編集]
●1921年︵大正10年︶ - 宮城県仙台第一中学校入学。 ●1925年︵大正14年︶ - 第二高等学校文科乙類入学。 ●1928年︵昭和3年︶ - 東北帝国大学法文学部入学。 ●1931年︵昭和6年︶ - 東北帝国大学法文学部国史学科卒業。卒業論文﹁上代日鮮関係とその影響﹂。 ●1962年︵昭和37年︶ - 文学博士号を取得[1]。職歴[編集]
●1931年︵昭和6年︶ - 東北帝国大学法文学部考古学参考品整理嘱託 ●1932年︵昭和7年︶ - 東北学院高等学部講師、考古学を担当 ●1933年︵昭和8年︶ - 第二高等学校講師 ●1936年︵昭和11年︶ - 東北帝国大学文学部講師 ●1937年︵昭和12年︶ - 第二高等学校教授 ●1949年︵昭和24年︶ - 東北大学助教授 ●1957年︵昭和32年︶ - 東北大学文学部考古学講座担当。主任教授就任 ●1971年︵昭和46年︶ - 東北大学を定年退職、名誉教授就任 ●1972年︵昭和47年︶ - 東北歯科大学教授︵~1973年︶ ●1973年︵昭和48年︶ - 東北学院大学教授︵~1986年︶著作[編集]
●﹃古代東北発掘﹄学生社 1973 ●﹃仙台郷土史の研究﹄宝文堂出版販売 1979共編著・監修[編集]
●﹃新稿日本史﹄岡本堅次,佐藤直助共編 文理図書出版社 1955 ●﹃古代の日本 第8東北﹄高橋富雄共編 角川書店 1970 ●﹃挂甲の系譜﹄末永雅雄共著 雄山閣出版 1979 ●﹃会津の美1考古篇﹄監修 歴史春秋出版 1985論文[編集]
●伊東信雄, ﹁東北古代文化の考古学的研究﹂ 東北大学 博士論文, [報告番号不明], 1962年, Template:Naid/500000318468 ●伊東信雄﹁古代東北地方の農業﹂﹃日本歴史﹄第22号、吉川弘文館、1950年1月、26-27頁、ISSN 03869164、NAID 40003069314。 ●伊東信雄﹁東北地方の弥生式文化﹂﹃文化﹄第2巻第4号、東北大学文学会、1950年10月、40-64頁、ISSN 0385-4841、NAID 40003381589。 ●伊東信雄﹁仙台市内の古代遺跡﹂﹃歴史﹄第2号、東北史学会、1950年11月、21-26頁、ISSN 03869172、NAID 40003813884。 ●伊東信雄﹁仙臺藩銀札發行灌漑顛末﹂﹃社会経済史学﹄第18巻第2号、社会経済史学会、1952年、191-208頁、doi:10.20624/sehs.18.2_191、ISSN 0038-0113、NAID 110001212411。 ●伊東信雄﹁考古学上より見た古代の岩手県﹂﹃岩手史学研究﹄第10号、岩手史学会、1952年3月、4-11頁、ISSN 02899582、NAID 40000146040。 ●伊東信雄﹁有角石器の用途について﹂﹃考古学雑誌﹄第40巻第3号、日本考古学会、1955年1月、ISSN 00038075、NAID 40001203908。 ●伊東信雄﹁東北北部の弥生式土器﹂﹃文化﹄第24巻第1号、東北大学文学会、1960年4月、17-45頁、ISSN 0385-4841、NAID 40003380860。 ●伊東信雄﹁最近の古代宮殿跡発掘﹂﹃文化﹄第27巻第2号、東北大学文学会、1963年7月、ISSN 0385-4841、NAID 40003380990。 ●伊東信雄﹁山内博士東北縄文土器編年の成立過程 (大森貝塚発掘100年記念特集) -- (日本考古学一〇〇年によせて)﹂﹃考古学研究﹄第24巻第3号、考古学研究会、1977年12月、164-170頁、ISSN 03869148、NAID 40001202671。 業績紹介など ●渡部綱次郎﹁伊東信雄・岡本堅次・佐藤直助共編﹁新稿日本史﹂﹂﹃秋大史学﹄第6号、秋田大学史学会、1955年6月、ISSN 0386894X、NAID 40001726663。 ●藤岡謙二郞﹁<紹介>伊東信雄著 宮城縣遠田郡不動堂村素山貝塚調査報告﹂﹃史林﹄第25巻第3号、史學?究會 (京都帝國大學文學部内)、1940年8月、459-460頁、doi:10.14989/shirin_25_459、ISSN 0386-9369、NAID 120006816030。叙位・叙勲[編集]
●1979年11月 - 勲二等瑞宝章叙勲 ●1987年4月 - 正四位叙位 ●1987年5月 - 従三位叙位追悼[編集]
●1989年﹃足跡 東北学院における伊東信雄先生﹄足跡編集会編 ●1990年﹃伊東信雄先生追悼考古学古代史論攷﹄伊東信雄先生追悼論文集刊行会評伝・回顧ほか[編集]
●芹沢長介1971﹁伊東信雄先生の学風と業績﹂﹃文化﹄35-1・2、東北大学文学会 ●平山久夫1986﹁山内清男︵続縄文︶対伊東信雄︵弥生︶の論争点は決着したか﹂﹃北奥古代文化﹄17、北奥古代文化研究会 ●佐々久1987﹁伊東信雄先生をおしむ﹂﹃仙台郷土研究﹄12-1 仙台郷土研究会 ●氏家和典1987﹁伊東信雄先生を偲んで﹂﹃北奥古代文化﹄18、北奥古代文化研究会 ●佐々木慶市1987﹁伊東さんと私﹂﹃国史談話会雑誌﹄28、東北大学国史談話会 ●工藤雅樹1987﹁伊東信雄先生を偲んで﹂﹃国史談話会雑誌﹄28、東北大学国史談話会 ●渡辺信夫1987﹁伊東信雄先生を悼む﹂﹃国史談話会雑誌﹄28、東北大学国史談話会 ●村上啓一1987﹁伊東先輩を悼む﹂﹃国史談話会雑誌﹄28、東北大学国史談話会 ●桜井清彦1989﹁考古学史を彩った人々 伊東信雄﹂﹃論争・学説日本の考古学﹄雄山閣出版 ●芹沢長介2004﹁東北考古学の父 伊東信雄先生﹂﹃月刊考古学ジャーナル﹄523号、ニュー・サイエンス社 ●東北大学総合学術博物館・東北歴史博物館2013﹃考古学からの挑戦-東北大学考古学研究の軌跡﹄東北大学総合学術博物館のすべてⅩⅢ ●志間泰治・相原淳一2016﹁歴史を掘り起こす﹂﹃宮城考古学﹄18、宮城県考古学会脚注[編集]
- ^ 伊東信雄, 「東北古代文化の考古学的研究」 東北大学 博士論文, [報告番号不明], 1962年, NAID 500000318468