伊藤隆偉
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 愛知県北設楽郡東栄町[1] |
生年月日 | 1963年10月21日(60歳)[2] |
身長 体重 |
184[2] cm 78[2] kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右[2]投右[2]打 |
ポジション | 投手[2] |
プロ入り | 1987年[2] ドラフト4位[2] |
初出場 |
NPB/1989年4月11日[2] TML/2000年 |
最終出場 |
NPB/1999年5月26日[2] TML/2000年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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伊藤 隆偉︵いとう たかひで、1963年︿昭和38年﹀10月21日 - ︶は、愛知県北設楽郡東栄町出身の元プロ野球選手︵投手・右投右打︶[1]。
NPB時代は主にパシフィック・リーグ︵パ・リーグ︶の阪急ブレーブス︵→オリックス・ブレーブス→オリックス・ブルーウェーブ︶でプレー。先発・リリーフの双方で起用され[3]、1995年にはオリックスのリーグ優勝に貢献したほか[4]、1997年には先発投手として10勝を挙げた[5]。
来歴・人物[編集]
プロ入り前[編集]
中学で野球を始め、愛知県立本郷高校3年の夏は愛知大会5回戦で敗退[6]。高校卒業後は社会人野球の東海理化に入団し、1985年の都市対抗大会に補強選手で出場した[7]︵登板はなし︶[8]。社会人時代はほとんど無名だったが[7]、1987年のドラフト会議で阪急ブレーブスから4位を受けて入団[2][6]。契約金は3,800万円、プロ1年目︵1988年︶の年俸は420万円︵いずれも推定額︶[7]。NPB時代[編集]
1988年は即戦力として期待された[7]が、同年は一軍では登板できず、二軍︵ウエスタン・リーグ︶で12試合に登板︵先発登板は6試合/3勝3敗・防御率5.95︶したのみで終わった[9]。ドラフト同期の伊藤敦規・山内嘉弘に先を越される格好となった。 1989年︵推定年俸470万円︶シーズン[9]は一軍で34試合に登板︵うち先発5試合・リリーフ29試合︶して3勝4敗2セーブ・防御率4.46の成績を残し、同年オフには年俸が940万円︵推定︶に増額された[3]。 1990年はチーム最多となる48試合に登板︵うちリリーフ45試合︶し、26試合で交代完了して首脳陣からの信頼を得た︵同年は1勝3敗6セーブ・防御率4.72︶[10]。同年には東海理化時代に職場で知り合った5歳年下の女性と婚約し、同年12月に挙式[11]。 1991年シーズン︵推定年俸1,600万円︶[10]は中継ぎ投手として活躍し、28試合に登板して1勝0敗2セーブ︵防御率4.90︶の成績を残した[12]。 1992年シーズン︵推定年俸1,600万円︶[注 1][12]は抑え投手として8セーブポイントを挙げた[13]。 1993年シーズン︵推定年俸2,040万円︶[13]も野村貴仁とともに抑えとして活躍し、チーム最多の16セーブ︵17セーブポイント︶を挙げた[14]。この2年間では高い奪三振率を記録し[注 2]、防御率も2点台と安定した成績を残していた[注 3][14]。 1994年シーズン︵推定年俸3,500万円︶はリリーフのみで29試合に登板し、3勝2敗4セーブ︵防御率3.40︶の成績を残した[15]。 1995年シーズン︵推定年俸4,000万円︶は本格手に先発に転向し自己最多となる85投球回数・6勝を記録し、オリックスのリーグ優勝に貢献[4]。また、同年6月25日の対日本ハムファイターズ戦ではプロ初完封勝利も記録した[4]。 1996年シーズン︵推定年俸4,000万円︶は後半戦から戦列に合流[16]。一軍戦ではわずか3試合の登板︵未勝利︶に終わったが、日本シリーズでは3試合で救援登板して6イニング無失点と好投し[16]、日本一を決めた第5戦では勝利投手にもなった[17]。 1997年シーズン︵推定年俸3,200万円︶[16]は開幕こそリリーフでスタートしたが、4月20日から先発ローテーションの一角を担った[注 4]。4月11日の対福岡ダイエーホークス戦で2年ぶりに勝利投手になり、5月6日の対千葉ロッテマリーンズ戦では完封勝利を記録[注 5][5]。また7月 - 8月には5連勝を記録[5]し、タフィ・ローズ︵近鉄バファローズ︶とともに同年7月のパ・リーグ月間MVPに選出された[18][19]。同シーズンは初の2桁勝利となる10勝を挙げ[5]、規定投球回にも到達した︵パ・リーグ投手成績11位︶[20]。 1998年は年俸5,500万円となったが、同シーズンは開幕から4連敗し、5月31日の対西武ライオンズ戦で初勝利を挙げたが、シーズンを通じて負け越した[21]。 1999年シーズン︵推定年俸4,600万円︶は佐藤義則の引退によりチームの投手陣で最年長となったが[22]、同シーズン途中︵6月8日付で発表︶に柳沢裕一との交換トレードで読売ジャイアンツ︵巨人︶に移籍[23][24]。しかし移籍後は二軍でも登板はなく[6]、同年10月4日までに巨人から戦力外通告を受ける[25]。同年12月2日付でプロ野球コミッショナー事務局から自由契約選手として公示され[26]、横浜ベイスターズの入団テストを受けたが不合格に終わった[6]。引退後[編集]
2000年は台湾大聯盟 (TML) の台中媚登峰金剛でプレーし、同年限りで現役引退。引退後、2013年以降は西浦温泉観光協会︵愛知県蒲郡市︶で事務局長を務め、送迎バスの運転やイベントの調整、観光案内などを行っている[27]。選手としての特徴[編集]
フォークボールが武器で、速球には威力[7]やキレがあった[28]。現役時代はストレートと落差の大きいフォークで、毎年のように投球イニング数に近い奪三振数を記録していた[28]。詳細情報[編集]
年度別投手成績[編集]
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1989 | オリックス | 34 | 5 | 0 | 0 | 0 | 3 | 4 | 2 | -- | .429 | 372 | 82.2 | 84 | 10 | 36 | 2 | 6 | 53 | 4 | 1 | 48 | 41 | 4.46 | 1.45 |
1990 | 48 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 6 | -- | .250 | 370 | 82.0 | 95 | 9 | 32 | 2 | 2 | 78 | 8 | 0 | 46 | 43 | 4.72 | 1.49 | |
1991 | 28 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | -- | 1.000 | 275 | 64.1 | 70 | 5 | 23 | 1 | 1 | 55 | 3 | 0 | 38 | 35 | 4.90 | 1.46 | |
1992 | 29 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 4 | 6 | -- | .333 | 249 | 57.1 | 55 | 4 | 20 | 0 | 4 | 54 | 4 | 1 | 23 | 19 | 2.98 | 1.31 | |
1993 | 33 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 16 | -- | .250 | 210 | 50.2 | 41 | 3 | 18 | 1 | 1 | 50 | 3 | 0 | 16 | 13 | 2.31 | 1.16 | |
1994 | 29 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 4 | -- | .600 | 223 | 55.2 | 50 | 5 | 16 | 0 | 1 | 46 | 0 | 0 | 21 | 21 | 3.40 | 1.19 | |
1995 | 18 | 13 | 1 | 1 | 0 | 6 | 2 | 0 | -- | .750 | 365 | 85.0 | 88 | 4 | 31 | 0 | 1 | 65 | 2 | 0 | 34 | 28 | 2.96 | 1.40 | |
1996 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | -- | .000 | 75 | 18.1 | 13 | 2 | 6 | 0 | 1 | 18 | 2 | 0 | 9 | 9 | 4.42 | 1.04 | |
1997 | 26 | 22 | 1 | 1 | 0 | 10 | 7 | 0 | -- | .588 | 580 | 135.1 | 132 | 11 | 51 | 1 | 6 | 105 | 4 | 0 | 56 | 52 | 3.46 | 1.35 | |
1998 | 16 | 14 | 0 | 0 | 0 | 3 | 6 | 0 | -- | .333 | 337 | 72.2 | 78 | 11 | 37 | 0 | 8 | 64 | 1 | 0 | 40 | 38 | 4.71 | 1.58 | |
1999 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 21 | 4.2 | 6 | 0 | 2 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | 3 | 3 | 5.79 | 1.71 | |
通算:11年 | 268 | 63 | 2 | 2 | 0 | 30 | 33 | 36 | -- | .476 | 3077 | 708.2 | 712 | 64 | 272 | 7 | 32 | 591 | 31 | 2 | 334 | 302 | 3.84 | 1.39 |
表彰[編集]
- 月間MVP:1回 (1997年7月)
記録[編集]
- 初登板・初勝利:1989年4月11日・対ロッテオリオンズ戦(川崎球場)、2回1死から救援登板、5回1/3無失点
- 初セーブ:1989年4月19日・対福岡ダイエーホークス戦(平和台野球場)、6回から救援登板、4回1失点
- 初完投・初完封:1995年6月25日・対日本ハムファイターズ戦(東京ドーム)、被安打3・奪三振8・四死球4
背番号[編集]
- 26 (1988年 - 1999年途中)
- 23 (1999年途中 - 同年終了)
- 17 (2000年)
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
(一)^ ab﹁'99プロ野球12球団全選手百科名鑑﹂﹃ホームラン﹄第23巻第3号︵通算‥第246号 / 1999年3月号︶、日本スポーツ出版社、1999年3月31日、140頁。
(二)^ abcdefghijklm“伊藤 隆偉︵読売ジャイアンツ︶ | 個人年度別成績”. NPB.jp 日本野球機構. 日本野球機構. 2020年10月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年10月27日閲覧。
(三)^ ab﹁'90プロ野球12球団全選手百科名鑑﹂﹃ホームラン﹄第14巻第4号︵通算‥第138号 / 1990年3月号増刊︶、日本スポーツ出版社、1990年3月31日、116頁。
(四)^ abc﹁'96プロ野球12球団全選手百科名鑑﹂﹃ホームラン﹄第20巻第4号︵通算‥第213号 / 1996年3月号増刊︶、日本スポーツ出版社、1996年3月31日、111頁。
(五)^ abcdeホームラン 1998, p. 126.
(六)^ abcd﹃プロ野球人名事典 2003﹄︵2003年、日外アソシエーツ︶、54ページ
(七)^ abcdeホームラン 1988, p. 106.
(八)^ 都市対抗野球大会60年史 毎日新聞社刊
(九)^ ab﹁'89プロ野球12球団全選手百科名鑑﹂﹃ホームラン﹄第13巻第4号︵通算‥第126号 / 1989年3月号増刊︶、日本スポーツ出版社、1989年3月31日、139頁。
(十)^ ab﹁'91プロ野球12球団全選手百科名鑑﹂﹃ホームラン﹄第15巻第4号︵通算‥第150号 / 1991年3月号増刊︶、日本スポーツ出版社、1991年3月31日、126頁。
(11)^ ﹃中日新聞﹄1990年11月17日夕刊二面2頁﹁ひと・ゆうかんさろん・人/ 婚約前燃えて沖縄﹂︵中日新聞社︶
(12)^ abc﹁'92プロ野球12球団全選手百科名鑑﹂﹃ホームラン﹄第16巻第4号︵通算‥第162号 / 1992年3月号増刊︶、日本スポーツ出版社、1992年3月31日、54頁。
(13)^ abcde﹁'93プロ野球12球団全選手百科名鑑﹂﹃ホームラン﹄第17巻第4号︵通算‥第174号 / 1993年3月号増刊︶、日本スポーツ出版社、1993年3月31日、54頁。
(14)^ abcd﹁'94プロ野球12球団全選手百科名鑑﹂﹃ホームラン﹄第18巻第5号︵通算‥第191号 / 1994年3月号増刊︶、日本スポーツ出版社、1994年3月31日、140頁。
(15)^ ﹁'95プロ野球12球団全選手百科名鑑﹂﹃ホームラン﹄第19巻第3号︵通算‥第202号 / 1995年3月号増刊︶、日本スポーツ出版社、1995年3月15日、125頁。
(16)^ abc﹁'97プロ野球12球団全選手百科名鑑﹂﹃ホームラン﹄第21巻第4号︵通算‥第225号 / 1997年3月号増刊︶、日本スポーツ出版社、1997年3月31日、111頁。
(17)^ “1996年度日本シリーズ 試合結果”. NPB.jp 日本野球機構. 日本野球機構. 2020年10月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年10月27日閲覧。
(18)^ ﹃中日新聞﹄1997年8月7日朝刊第二運動面26頁﹁7月MVP 山本昌6度目受賞 日ハム・落合と最多記録で並ぶ﹂︵中日新聞社︶
(19)^ ﹃東京新聞﹄1997年8月7日朝刊第一運動面21頁﹁7月の月間MVPに山本昌ら﹂︵中日新聞東京本社︶
(20)^ ホームラン 1998, p. 126, 212.
(21)^ ﹁'99プロ野球12球団全選手百科名鑑﹂﹃ホームラン﹄第23巻第3号︵通算‥第246号 / 1999年3月号増刊︶、日本スポーツ出版社、1999年3月31日、140頁。
(22)^ フジテレビジョン﹃プロ野球ニュース﹄ 編﹃プロ野球ニュース イヤーブック 選手名鑑 '99﹄︵第1刷発行︶ザ・マサダ、1999年3月5日、154頁。ISBN 978-4915977817。
(23)^ ﹃中日新聞﹄1999年6月9日朝刊第一運動面21頁﹁巨人柳沢←→BW伊藤 交換トレード﹂︵中日新聞社︶
(24)^ ﹃東京新聞﹄1999年6月9日朝刊第一運動面19頁﹁柳沢と伊藤を交換﹂︵中日新聞東京本社︶
(25)^ ﹃中日新聞﹄1999年10月5日朝刊第一運動面21頁﹁広沢に戦力外通告 巨人 河野、福王ら5選手も﹂︵中日新聞社︶
(26)^ ﹃中日新聞﹄1999年12月3日朝刊第一運動面35頁﹁小宮山ら104人自由契約 保留選手名簿など公示﹂︵中日新聞社︶
(27)^ ﹃中日新聞﹄2016年1月24日朝刊東三河版地方面22頁﹁わたしが編集長︵3︶ 木村尚公 蒲郡・西浦温泉 人も魅力 元プロ投手PRに奔走 観光協事務局長・伊藤隆偉さん﹂︵中日新聞社蒲郡通信局 木村尚公︶
(28)^ ab江川卓、二宮清純﹃江川卓・スカウティングレポート'99﹄ザ・マサダ︿第1刷発行﹀、1999年3月25日、264頁。ISBN 978-4915977848。
参考文献[編集]
- 「'88プロ野球 12球団全選手百科名鑑」『ホームラン』第12巻第4号(通算:第116号 / 1988年3月号増刊)、日本スポーツ出版社、1988年3月31日、106頁。
- 「'98プロ野球 12球団全選手百科名鑑」『ホームラン』第22巻第4号(通算:第236号 / 1998年3月号増刊)、日本スポーツ出版社、1998年3月31日、126, 212。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 個人年度別成績 伊藤隆偉 - NPB.jp 日本野球機構