児玉利国
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児玉 利国︵こだま としくに、1840年5月24日︵天保11年4月23日︶ - 1925年4月26日︶は、日本の武士︵薩摩藩士︶、海軍軍人、政治家。最終階級は海軍少将。貴族院議員。幼名・平輔。
経歴[編集]
鹿児島県出身。児玉軍兵衛の長男として生れる。児玉平太郎。戊辰戦争に薩摩藩士として従軍。1871年、陸軍大尉に任官し御親兵3番大隊2番小隊長となる。翌年、海軍に転じ、海軍省9等出仕︵水平本部︶となる。以後、清国出張、福建・台湾出張、提督府出勤などを経て、1875年3月、海軍少佐に進級。1877年2月から10月まで西南戦争に出征した。 東海水兵本営副長、東海水兵分営長、﹁富士山艦﹂艦長、﹁海門﹂艦長、﹁金剛艦﹂艦長、﹁扶桑艦﹂艦長兼常備小艦隊参謀長、参謀本部海軍部第1局長、海軍参謀本部第1局長、海軍参謀部第1課長、横須賀鎮守府参謀長などを歴任し、1893年6月、海軍少将となり予備役に編入され、1905年10月19日に退役した[1]。 1896年9月11日、貴族院議員に勅選され[2]、死去するまで在任した。栄典・授章・授賞[編集]
- 位階
- 勲章等