コンテンツにスキップ

兼重元宣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

凡例

兼重元宣
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 永正6年(1509年
死没 天正8年(1580年[注釈 1]
別名 通称:弥三郎[1]
官位 左衛門尉[1]下総守[1]
主君 毛利元就隆元輝元
氏族 大江姓毛利氏庶流兼重家
父母 父:兼重元鎮、母:吉川経世の娘[1]
兄弟 元宣長久[1]
粟屋伊豆守の娘[1]
元続[1]
テンプレートを表示

  

[]


61509

101541101515154621915501223

19155071271372023810[ 2][2]

201551911西928

31557111841558611

515623000615631調52283

8156541411156836515771230

81580[ 1]72

人物[編集]

  • 元宣は毛利隆元と親しく幾度も書状のやりとりをしており、『閥閲録』には隆元からの書状が収められているが、その隆元の書状において、元宣の事を「宣(または元乃夫、述)」と呼び、自らの署名を「基(または元)」とするものが幾つも存在し、気安い関係が見受けられる。

脚注[編集]

注釈[編集]



(一)^ ab5213882915802232984141222812

(二)^ 36

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g 近世防長諸家系図綜覧 1966, p. 1064.
  2. ^ 『毛利家文書』第401号、天文19年(1550年)7月20日付、福原貞俊以下家臣連署起請文。

[]


 19663 NCID BN07835639OCLC 703821998:73004060 

52138

1996