岡島正之
岡島 正之 おかじま まさゆき | |
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生年月日 | 1930年11月20日 |
出生地 | 千葉県 |
没年月日 | 2002年10月22日(71歳没) |
死没地 | 千葉県市原市 |
出身校 | 日本大学文学部(現日本大学文理学部)中途退学 |
前職 | 競輪選手 |
所属政党 |
(自由民主党→) (新生党→) (新進党→) (自由党→) 保守党 |
称号 |
正四位 勲二等瑞宝章 |
親族 | 岡島一正(長男) |
選挙区 |
(旧千葉1区→) 千葉3区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1986年 - 2000年6月2日 |
岡島 正之︵おかじま まさゆき、1930年11月20日 - 2002年10月22日︶は、日本の政治家、競輪選手。競輪選手登録番号は981。
日本競輪選手会副理事長、衆議院議員︵4期︶、厚生政務次官、衆議院労働委員長、保守党国会対策委員長︵初代︶などを歴任した。
経歴[編集]
生い立ち[編集]
千葉県出身。1951年、日本大学文学部︵現日本大学文理学部︶中途退学。競輪選手時代[編集]
大学中途退学後に競輪選手となるが、後に事務方として日本競輪選手会千葉支部長を経て、日本競輪選手会副理事長を務めた後、退任とともに1965年7月1日競輪選手登録消除。政治家時代[編集]
1971年の千葉県議会議員選挙で初当選し、以後1986年まで4期16年を務める。1979年千葉県議会副議長。 1986年︵昭和61年︶の第38回衆議院議員総選挙に、旧千葉1区から立候補し初当選。以降、連続4回当選を果たす。当初は自由民主党に所属していたが、羽田孜らとともに離党し新生党に移った。細川内閣では、厚生政務次官を務めた。のちに新進党へ参加した。1996年の第41回衆議院議員総選挙では新進党から立候補し、千葉3区当選を飾った。 新進党分党後は自由党に所属したが、2000年に離党して保守党の結党に参加し、国会対策委員長に就任した。だが、同年の第42回衆議院議員総選挙に敗れ、引退表明。2001年春の叙勲で勲二等瑞宝章受章[1]。2002年10月22日、千葉県市原市の病院で死去、71歳[2]。死没日をもって正四位に叙される[3]。家族・親族[編集]
長男である岡島一正は、NHKの報道カメラマンを経て立憲民主党衆議院議員となった。略歴[編集]
●1930年 - 誕生 ●1948年 - 千葉県立千葉中学校卒業 ●1951年 - 日本大学文学部中退 ●1971年 - 千葉県議会議員選挙当選︵市原市選出︶ ●1975年 - 千葉県議会議員選挙当選 ●1979年 - 千葉県議会議員選挙当選。千葉県議会副議長。 ●1983年 - 千葉県議会議員選挙当選 ●1986年 - 第38回衆議院議員総選挙当選 ●1990年 - 第39回衆議院議員総選挙当選。自治政務次官。 ●1993年 ●第40回衆議院議員総選挙当選 ●厚生政務次官︵細川内閣︶ ●1996年 ●第41回衆議院議員総選挙当選 ●衆議院労働委員長 ●2000年 ●保守党国会対策委員長 ●第42回衆議院議員総選挙落選 ●2002年 - 千葉県市原市で死去。脚注[編集]
議会 | ||
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先代 笹山登生 |
衆議院労働委員長 1996年 |
次代 青山丘 |
党職 | ||
先代 新設 |
保守党国会対策委員長 初代:2000年 |
次代 二階俊博 |