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学校法人帝塚山学園︵がっこうほうじんてづかやまがくえん︶とは、日本の学校法人。
奈良県奈良市学園南3丁目1番3号に本部を置く。学園全体の学生・生徒・園児数は約8000名、教職員数は約900名。総校地面積は274,363.63m2[1]。
帝塚山大学の教養学部は、昭和40年代、当時全国唯一の﹁女子教養学部﹂として注目されたが、昭和62年に経済学部を増設したのを期に大学が男女共学化されてからも、後述の帝塚山学院との混同もあり﹁帝塚山学園は女子校﹂と見る向きが多かった。しかし、帝塚山学園の最初の設置校である帝塚山中学校・高等学校は旧制中学校の男子校として開校した経緯がある。帝塚山中学校・高校が戦後すぐに男女併学に移行したものの、進学校として変わっていくにつれ、そのような﹁女子校﹂として認知されることもほとんどなくなった。
なお、帝塚山中学校・高等学校は現在も完全な男女共学校ではなく、授業は男女別、その他の活動は男女一緒に行うという﹃男女併学﹄のシステムを採用している。
﹁帝塚山﹂という名称のルーツは高級住宅街としても有名な大阪市住吉区帝塚山にある。同地には、帝塚山学院大学、女子校の帝塚山学院中学校・高等学校等を経営する学校法人帝塚山学院がある。本稿で記述する帝塚山学園とは別法人であり、現在は交流もないが、設立の経緯等から姉妹校ともいえる存在である。
キャンパスは、奈良の学園前キャンパス・東生駒キャンパスに分かれるが、本部のある学園前キャンパスは、最寄り駅の近鉄奈良線学園前駅から、専用歩道橋を渡って徒歩1分。
帝塚山学園は、帝塚山学院︵大阪︶の創立二十五周年記念事業として、皇紀二千六百年にも当たる1940年︵昭和15年︶に、男子のために中学校・高等学校と一貫した七年制高等学校を設立し、さらに大学も開設して一大綜合学園を創り、この学園を中心とした文化都市を建設しようという大理想の下に発足したのが興りである。なお、最初の七年制高等学校という計画は法令上の制約もあり、結果としては男子中学校の設置となった。
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